バルカン日誌

九州工大の吉永先生のお撮り下さった写真集です.

モバイルギアを持ち歩いて, その場で書き綴ったものです. なので, あとから恰好良くまとめるようなことは致しません. つまり, 読みにくいかと.

今度の学会は, 「第 9 回 分子およびコロイドの電気光学の国際会議 (Electroopto2000)」です. ブルガリアのパンポロヴォ (Pamporovo) という, スキーリゾートで 10 月 7 日から 5 日間にわたって開催されました. 前回の第 8 回は, ロシアのサンクトペテルブルグでありました. その前は, ドイツや東大駒場, ブルガリアのヴェルナという海岸リゾート などで行われたそうです. 私は前回からの参加者です.

● 往きの便

今回は, いきなりモスクワの朝からはじまる. 只今, モスクワ時間で朝の 6 時半. 外はまだ完全に暗い. 寝袋から起きて, トイレにいって顔を洗い歯を磨いて髭を剃ってきたところ. すこぶる快適な朝だ. 8 時間は寝られた. 室温は不明だが, 10 度以上あるような気がする. ここモスクワ・シェレメチヴォ第 2 空港には, 徐々に人が集まりはじめている. ちょうど, 一階の入国審査に降りる階段の前にいるが, その階段を職員らしき人々がどんどんあがってくる.

今日の日誌は, 「モスクワ空港野宿のすすめ」である.

成田の免税店で買った膨大なリストに書かれた品々と, 寝袋一式を, JAL のお土産用袋にまとめたので, 手提げ鞄と二つの荷物として コンパクトに固まった.

成田からモスクワまでの約 10 時間は, ツェーソフさんという ロシアの若者と話しながら過ごした. 肩までくらいの金色の長髪の 彼は, 一見して上品そうな雰囲気で, ダンヒルを吸ってて, ちょっとロシアマフィアの次男坊といった感じだ. でも, 話をしてみると, 千葉は茂原にあるフタバというメーカーでの 6 週間ほどの研修を終えて, モスクワ工科大学に帰るという 大学院生であった. 大型ディスクプレイの LED 発光ダイオードを 勉強しているそうだ. お互いの研究生活について主に話をしていた. 彼は応用に近いところにいるためかもしれないが, やはりドイツ系, アメリカ系の企業で開発をするのが一番「良い」らしい. 彼の研究室では日本に留学する人ははじめてだったそうだが, 彼が英語で会話するのも今回の来日がはじめてだと笑っていた. 「でも, フタバでは僕が英語の先生だったよ」と, 耳が痛いことを言わはる. 日本の研究者は, 狭い分野に因われがちだ, といった本質も良く理解 しているようだった. 日本については気に入ったらしく, お土産を大量に購入したので, 追加送料 6 万円もとられたそうだ. また, 日本茶はうまい, と飲物のサーヴィスが来るごとに喜んで飲んでいた.

そうそう, アエロフロートのサーヴィスは, 乗るたびに (といっても, 実際に乗ったのは 2 度目で, あとは他人からの伝聞だが) 向上している. 97 年にロシアに来たときも, 機内食は十分素晴らしかった. アメリカの国内線に比べたらよほど素晴らしい. これって, 日本発の便の機内食ならどの航空会社でもうまいの? 牛丼などというメニューもあった. さらに, 今回はワインも飲めた. 何故かイギリス産だった. 機内誌「オーロラ」も, 完全日本語版が置いてあった. 成人してからはじめて飛行機に乗った頃は, 日本語版なんて要らないと 思っていたが, 今は別に日本語化されたらされたで楽なんじゃないのと思う. シェレメチボ空港の 5 階に, 誰でも入れる高級レストランがある という情報が一番嬉しかった. 今回は, 是非そこに行こう. 前からついていたが, スリッパや靴ベラ, 歯磨きなどのセットは十分実用的だし, 座席間隔も, スイス航空より広いんじゃないかと思う. アナウンスもロシア語, 日本語, 英語だ. ただしスチュワーデスには 日本語が通じない. それで値段のことを考えると, アエロフロートを気ぎらいする理由はないんじゃないかと思う.

さて, 来日したとき一週間は時差に悩まされたというツェーロフさんは, 今回は逆に長い一日になるようで, つまりモスクワ時間の夕方 5 時に 到着したあと友人たちが帰国パーティを開いてくれるという話をして, お互い別れた. この到着時間は時差が 5 時間なので 日本時間にすると午後 10 時だ.

さて, 飛行機をおりたら一つしかない比較的小さなターミナルビルの 2 階になる. 乗り継ぎの客は「Transfer」に行けと本には書いてあるが, 看板に書かれているのは「Transit」だ. まぁ, わかるだろう. ここで, 同日便に乗り継ぐ客は次のチケットを(?), トランジットホテルに行く客は, ホテルの券を(?), という感じに別れる. わしの前の人は, トランジットビザも ホテルの予約もないのに, ホテルに案内をされていたぞ. 日本で予約しなくてもいいのかなぁ. ということで, 自分の番では, あらかじめ 「ホテルの予約はしていないし, ここ (空港) にステイしたい」と 申し述べたら, サラサラと一枚の紙切れを切ってくれる. なんと, ディナーのクーポン券だった. ということは, モスクワ空港で野宿することにすれば, トランジットホテル代も払わなくて良いし, 食事まで出るということだ! 太っ腹, アエロフロート.

さて, そのまま 2 階のトランジットエリア (通常の搭乗を待つ場所と同じ) に放り出されて, 時間は十分にある. ソフィアへの出発は明日の午後 1 時だ. いきなり寝るのにも人が多いし, せっかくのディナーを いただかなければならない. ここは, 免税店などが並んでいる場所だ. 空港散策を楽しまないわけにはいかない. さて, 自宅に電話をしようとする. が, かからない. クレジットカードでかけられると書いてある電話なのだが, どうもカードを受け付けていないらしい. しかも, 表示される文字がロシア語なので, さっぱりわかん. あきらめて, 飯を出してくれるという店を探す. 店は簡単に見付かった. 階段をあがって 3 階の Restaurant という 矢印に従って行くと着く. もう一つ, タージマハルとかいうレストランも あるが, ここではないようだ. で, お姉さんに聞くと, supper か dinner のどちらが良いかと聞くので, それは dinner が良いというと, 午後 8 時に来てくれ, という. また, 散策をすることになった.

さて, 酒はどこで飲むべきか. それは Irish Bar でしょう. 他の小売店にもあることはあるが, ハイネケンの缶が $5 だったり, 日本と比べても高い. モスクワ空港では, 缶ビールの方が生ビールより高い. Irish Bar では, ギネスやカールスバーグなどの生ビールが $4 だったり, コロナが $3 だったりする. 日本の安めの店と同じくらい. もちろん, 他にウイスキーなど各種の酒がある. アイリッシュなので, 自分でカウンターに出向いて中のお姉さんに注文する.

とはいっても, ビールだけではなかなか時間が潰れない. 椅子はたくさんあるので, この時間帯に座われないということは絶対にない. ということで, 持参した論文を読み始める. まぁ, 読めるのだけど, 散歩の方をしたくなる. 散歩は手荷物 2 つを常に持っていった. 他人に預けるのは良くないだろう. まぁ, 危険を感じたことは全くないのだが. 電話はキオスクにテレカがあるので, それでかけては, と思う, $ 13 のカードを買う. やっとわかった. この電話には英語モードも あって, カードを入れる向きが逆だということがわかった. 入れて見ると, $ 10 分しか通話できない. 1 分で $5 だとある. この買物は失敗だ. 自宅にかかって, 妻の声が聞こえるが, こちらの話す声は通じないようだ. 不気味に思っているのか, 2 度目からはなかなか受話器をとっても 話さなかった. 通じているだろうか? まぁ, 生きてるよ. それを, 3 度くりかえした. 3 度目は, クレジットカードでかけた. 最初に失敗したのは, 裏表が逆だったのだ.

さて, 約束の 8 時になったので, レストランに行く. 3-40 人くらい同様の人がいる. ここは, モスクワ空港の中でも 多分最悪の, がらーんとした場所だ. おばさんに, 食事に来たと伝えると, 10 分まで待ってくれという. やはり, こういったタダ飯に関しては, 共産主義のままだ. 結局料理が出て来はじめたのは約束の時間より 30 分遅れだった ともかく, 4 人がけのテーブルに一人で座る. すると, デリーに行くという, いかにもなインド系の老人が 向かいに座る. 黙っていたら誰でも哲学者という感じ. 食事が出て来ないことをぶつぶつ言っている. もっと, 表だって唯一文句を言っていたのは日本人団体旅行の まとめ役のおじさんだ. 下手な英語で何度もお姉さんをつっつく. こちらのコミュニストの人々は, 自分のペースでしか仕事をしないので, そんなに数分おきに言っても無駄なんじゃないか. わしの向かいの老人にしても, 小言はいってるわけだし, みんな同じ気持なんだけどさー, 恰好悪いよと, 少々思った. しかしながら, コミュニストだったのはここの人だけで, 航空会社の人も含めてそれ以外のロシア人はすっかり サーヴィス精神が身についているという感じだった.

まぁ, ともかく小皿に盛り合わせたサラダとパンと, ファンタレモンが 出てくる頃には, わしのテーブルにはもう一人, 中近東系のおじさんが 座っていた. 話してみると, イラン人なのだが, ブルガリアに住んでいて 奥さんもブルガリア人で, これから北京に仕事にいくという. ソフィアの話, ブルガリアの話をたくさんできた. わしの行き先のパンポロヴォは有名なリゾート地だと言っていた. でも, スキーシーズンの到来は来月か再来月だそうだ. 日本と同じ季節感覚なんじゃないか? モスクワよりは暖かいだろうという.

インドの老人は, 結局食事の途中でいってしまった. 彼の便の搭乗時刻はすぐに迫っていたからだ. もちろん, そんなことはコミュニストのおばちゃんは感知しない. おかげで, といったらいいのか, 老人のチケットはベジタリアン用だったのだが わしと, ブルガリアのイラン人のところにも, 最後に来た主菜は ベジタリアン用が来てしまった. パサパサの米に, 野菜少々と干し葡萄の入ったピラフだった. タダ飯に文句は言えない. 気がつくと, インドの老人の座っていたところには, 別の青年がいる. でもって, 向かいの二人はブルガリア語で話している.

その青年は, アーノルド君というブルガリア人だった. 正確にいうと, アンゴラ人の父親と, ブルガリア人の母親との間に 生まれた 16 歳の高校生で, アンゴラとブルガリアをいったりきたりしているそうだ. わしがこれからブルガリアに行くということで, ブルガリアの話に 自然となり, わしが「昨日, 日本で買ったんだ」とブルガリア語のテキストを 見せると, とても話がもりあがった. 話がもりあがったのは, 3 人とも別々の興味からであり, イラン系ブルガリアの おじさんは, 解説文の日本語に興味をもって, 日本語を習熟するのにどれくらい かかるのか, とか, 文字は何種類あるのか, などとわしに聞いてくるし, アーノルド君は, この簡単な日常会話のテキストを見ながら おじさんにペルシャ語に翻訳させているし, わしはブルガリア語の話を聞きたいし. 傑作だ.

只今, ポーランドの老夫妻が話かけてきたので, 記述はちょっと中断.

アーノルド君は, とても知的好奇心旺盛で, 何でも話したがる. 地理と歴史に強い. わしが, ブルガリアは日本の半分くらいの面積なのに 人口は 10 % くらいだといったら, 即座に面積は 1/3 で, 日本の人口は 1億2千600万人だろうと修正された. すごい. 日本には大統領がいるのかとか, 教科書的な知識を次々に聞いてくる. さらに, 歴史地図帳を良く読んでいるのか, どうして日本は第二次大戦前には広大な植民地を持っていた のに戦後放棄したのか, と聞くので, あれはもともと中国や朝鮮の 人々の土地なのだと答えたら, 次にどうして第二次大戦でアメリカと 戦ったのか, などと聞く. 理由はいろいろあるが, わしは個人的には アメリカを相手にしたのは失敗だった, と答えた. そういえば, ブルガリアも枢軸側だっただろうと言ってみたら, あれは国王がドイツ人だったからだと言った. ブルガリアとロシアは 同胞なので, ブルガリア兵士がソ連と戦うことは出来ないと 国王も考えていたのだが, ヒトラーが巧みに誘い込んだのだと言った. この少年は本当に 16 歳なのか? いや, 16 歳だから, こういうことを 聞いたり話したりしたがるのだろう. わしも, 16 歳の頃はアパルトヘイトに反対したりしていた(笑).

その勢いで, イラン系のおじさんに, イスラームのこと, どうしてイランの女性はベールを被ったりさせられているのか, ねぇ答えてよ, などと言い出したので, おじさんは答えることなく 「もう時間だから」と去ってしまった. 人間の社会には, 一見不合理で一言で説明することはできないが, 変えることができない, あるいは変える必要がない慣習というものがある. 少年がいつか, わしと同じようにそう考えるようになるのか, それとも, 不合理を追求しつづけるのかは知らないが. . .

おじさんが去って, アーノルドと二人きりになると, こんどは マーシャル アーツについて聞いてきた. 本当に面白い, 彼は. まぁ, 日本人のこういう面に興味を持つ質問の典型で, 空手や柔道はやれるのか, あー, 中学校や高校でちょっとやったよ, では, 忍術はどうか? 本気で忍術をやっている日本人は柔道や空手に 比べたらごく少数で, あれは映画や小説の中の武術だ, と言ったら, そんなことはないだろう. 忍術が世界で一番強いのではないか, というので, 仕方がないから「あれを習得するのは大変な努力が 必要で, そのためにほとんどの日本人は忍術を学ばない」と答えた. あー, 俺も少年ではなくなったのか. . .

カポエラを知ってるか? と聞くので, ああ, ブラジルの武術だろうと いうと, そうだ. そうだのだが, あれは本来アフリカからブラジルに 舞踊として伝わったものなのだ, と教えてくれた. 「どうして, ヒトシはカポエラについて知っているの?」 と聞くので, 大山倍達の話をした. わしの知る限りにおいては, マス大山はカポエラの達人を倒したそうだよ. いや, 違う. カラテはカポエラに敗けた. というので, ああ, そうかもしれん, と答えておいた. 実際のところは知らんので.

で, 少年はカポエラを舞ってみせてくれた. 「こう, こうやって常に動いているから, 相手は焦点を定め られないのだ. カラテは, こうじっと構えているでしょう?」 そうだね. ところで, その動きを見て思い出したけど, ジャッキー・チェンは知ってる? もちろんだよ. じゃあ, 彼の「酔拳」に動きが似てるね. と言ったら, 相手に対する 効果は一緒だが, 型は全然違うと教えてくれた.

アーノルド少年が, 母親を見にいかなきゃ, というので 一緒にいった. 母親は, 日本人が想像する典型的な 東欧の立派な風格のおばちゃんだった. 一緒にご飯は食べないのですか? と聞いたら, ブルガリアの 友人が用意してくれたサンドイッチを食べたといった. ええ, 航空会社が用意してくれた飯より, サンドイッチの方が きっとおいしいと思いますよ, などという話をしていた. 少年が席をはずしたとき, 母親に「あなたの子供さんは 16 歳とは思えないくらい賢いです. 」と誉めたら, 「ええ, いろんな国を転々としていますから」と, はにかんで 答えた.

少年は, なおも話したそうだったが, わしは睡魔に襲われていた. 東京時間では深夜の 3 時をすぎたところだ. 母子の座っている隣の列の長椅子には, 一席ずつにある手擦りがない, 寝るには恰好の場所だった. そこで, 笑いながら寝袋を取り出し, 枕を取り出しふくらまし, 折り畳んだポリエチレンのコートを羽織って, 寝袋の中に入った. 「ごめん, 眠いのでもう寝るよ. 君と会えてよかった」 枕の下に鞄を敷いて, 地面に置いて立っている JAL の袋 - Duty free で買い込んだ化粧品がいっぱい - の 取手に腕を通して寝たので, 荷物の心配は椅子の下に置いた ほとんど空のミネラルウォーターのボトルと, 靴だけになった. しばらくしたら, 眠りに落ちた.

4 時間ほどして, 目が覚めた. 周囲でアラビア語で人々が まくしたてている. 見渡すと, 10 人くらいのアラブ人がいた. 中近東からの飛行機がついたのだろうか. トランジットがどうのこうのと言っている. 結局, 一人の おじさんを残して, 残りの人はトランジットホテルにいった. 鞄だけ持ってトイレにいって, また寝た.

もう一度目が覚めると, 朝の 6 時になっていた, というわけ. 今はもう, 10 時になっている. その後, この文章を書いていたら, 人がどんどん増えてきて, 隣にすわったポーランドのおばちゃんが話かけてきた. 中央アジアからワルシャワに帰る途中だという. お互いに簡単に自己紹介をすると, すぐにおばちゃんの反対側にいた ヒジャブを被ったムスリマのお姉さん 2 人に話かけていた. その間, この文章を打ち続けていた. そのお姉さん 2 人がいなくなると, 今度はまたわしに 話かけてきた. そう, 科学者なの. 宗教は仏教? わしが, ええ, ええと言っていると, 次に神様の話をはじめた. あなた, 悪徳について知ってる? 定かでない? では, 教えてあげるわ. といいながら, わしの差し出したメモ帳 に何やら図を書き始めた. あなた, 聖書は知ってる? これよ, と差し出すので, そのフランス語の聖書をぺらぺらと めくった. ええ, 私はここのマタイ伝 26 章が大好きです, と言ったら, 感心して, さらに宗教談義を話したのであった. 考えてみたら, イスラム教徒と熱心に宗教の話を英語でしたことは 何度もあるが, キリスト教徒と面とむかって宗教の話をする機会は これまであまりなかった. まぁ, 聞いていると, 旦那がやってきて, メモに「わたしたちの連絡先を書こう」と言いながら, 何やら書いている. わしは, こんなに神の素晴らしさを説く ポーランド人に出会ったのははじめてであったので, 面食っていて, 奥さんはこういう人だが, メモを書き続けている 旦那はきっと常識人だろうと思っていながら聞いていた. ところが, 掃除の人が来て, 夫妻の搭乗時刻が来て, いよいよ お別れというときに旦那の差し出した連絡先はなんと, ソフィアのバプチスト教会の連絡先だった. 掃除人があわただしく掃除をする間, 婦人は手短に, 手短にわしに祈りを捧げてくれた.

さて, と再びトイレにいくと, ヨドバシカメラの袋を持った男の人がいる. そういえば, このヤポンスキーは昨日トランジットホテルを予約しないで ホテルに行こうとしていた人ではないか, と思って声をかけると, 実は彼も空港で夜を明かした, という. どうやら, 予約をしないで泊まろうとしたが, 結局満室で, 空港で泊まるはめになったそうだ. ワルシャワからリスボンまで汽車の旅に出るという. もう搭乗券はとられたのですか? 場所はどこですか? と教えてもらうことになった. そしたら, 同じ階の目立たないところに Transfer office があって, そこで券が貰えるらしかった. 貰った券は, 朝食券であった. 搭乗券は 11 時に来てね, とさ. なんと, 夕食, 朝食つきなのだった. 良いですねぇ, アエロフロート. 早速, まずかった昨日の夕食を忘れている. 彼は朝食を既にとったらしく, でも一緒に昨日のレストランについてきて くれた. そこで, 東欧旅行について情報交換した. 彼は, 東欧は 2 度目で, 仕事をしている会社はオリンパスで, 中国に工場があるのでアジア方面には良くいくという. 「ここの珈琲はまずいでしょう」とおっしゃるので, 確かにまずい. 機内の珈琲よりはるかにまずいと正直に言ったが, しかし ロシアには珈琲を飲む習慣がないことも申し添えた. 朝食は, その珈琲とパンとバターとゆで卵 2 個とヨーグルトだった. 珈琲以外は, うまくもなかったが, 死ぬ程まずくもなかった. ワルシャワ行きの便はソフィア行きの便より早いので, 別れた. 彼のおかげでアエロフロートの朝食がいただけた.

で, 食べ直し!? ということで, タージマハルに行って, パスタ$ 6 と, バルチックビール 500ml $2 を食べながら, これを書いている. うーん, 別にうまくはない. もう 10 時半なので, そろそろ搭乗券を受け取りに行こうかと思う.

今までのまとめをすると, モスクワ空港で夜を明かすのは とっても楽しいということである. トランジットホテルでも 他人と一緒になることはあるかもしれないが, 万が一話が合わない 相手でも一泊をともにしなければならない. それに比べたら, 空港の方がよほど自由だ. 並んでいる座席 (ソファー, というには少し硬い) で, 肘かけがついてない並びを探せば, 横になって寝られる. 寝袋と, 上に羽織るものがあれば, 10 月初旬の寒さは全く気にならない. もちろん, アラビア語で耳もとで騒がれれば目が覚めてしまうが, それ以外の国の人だったら会話は気にならないし, 灯は一晩中 ついているが目隠しをすれば大丈夫. 荷物は, 枕にしたり 取手に腕を通したりしておけば大丈夫. 他にも寝ている人はたくさんいた. ヨーロッパ人よりも, アラブ系やインド系の方々が多いが. 寝袋を持っていた人は, 周りを見る限り自分だけだった. 作戦勝ちと言えようか. 枕は膨らますと 10 cm の高さになるものだが, これは同じく 10 cm くらいの鞄の上に置いてちょうど良い高さだった. 鞄は軟らかいし, カメラやモバイルギアも入っていたが, 枕があれば 衝撃はないようだった. 何よりも, ここに書いたようにいろいろな国の人と話ができる. それも, 海外旅行者なので, 街中で寝るよりはよほど安全だ. これは持論であるが, 自分の英語力によほどの自信がある場合以外は, 英語を母国語とする人の中にいるより, よほど快適だ. さらに, 食事もついている. これは, 泊まらない手はない. ホテル・シェレメチボにようこそ. だけど, わしは次回はトランジットホテルに泊まるよ. もうそろそろ年齢には勝てないしね. もうすぐサラリーマンになるし. はは. . .

さて, トランジットエリア内にある先ほどの窓口で今度は搭乗券を 貰ったあと, 再度, Irish Bar でビールを飲んで, さて, と ソフィア行きの便の搭乗口の近くの階段の踊り場に座っていた. ブルガリア人とロシア人の区別ははっきりとはつかないが, ほとんどの人がそのどちらかといった面持ちである. 中には, 映画で見るようなロマ人のような人もいる. さて, 隣の紳士がさかんにぶつぶつ書類を朗読している. 小さい声なので, 内容は聞き取れなかったが, 職業的に, どうも見たことのある風景である. そう, まるで学会の「発表練習」のようだ. 学会の係の人から貰った外国からの参加者の旅程表を 見ると, サンクトペテルブルグ大学の Vojtylov 教授が 一緒の便のようだ. おそるおそる, 「学会に行かれるのですか?」と聞いてみたら, 思ったとおりであった. わしは若造なのでポスター発表であるが, 講演を行うわしのボスは, トルコのどこかでこんなふうに 発表練習しているのだろうか(笑).

さて, Vojtylov 教授とは飛行機の座席につくまで話をしていた. 彼は, わしの扱っている分子量よりもはるかに大きな分子だが, 同じように DNA の誘電的な性質を研究されている方である. 残念ながら, 席を変えてもらうことは出来なかったが, 多分 ソフィアについてからパンポロヴォまでの 4 時間のバスは同じだろう.

今はバルカン航空の機上であるが, ソ連製のツポレフだ. 十分に狭い. が, 以前にボスがいっていたように臭くはない. どちらかというと十分に清潔だ. 因みにわしの清潔の定義は 喘息の発作が起きないかどうか, だ. ブルガリアのスチュワーデスはみんな美人だ. というか, ブルガリア人の若い女性はみんな美人に見える. が, おばさんになると, スラブ女性の宿命 (と勝手に名付ける) を 受け入れることになる. さて, 離陸前後に機内販売の品々を見る. バラの香水が $100 以上 することを除いては, 手頃な値段だ. まぁ往きなので何も買わないが. それから, 世界のどこでも売っているジャック ダニエルなどの ウイスキーと並んで, ブルガリア産のワインが「なんとか賞受賞」 という感じで誇らしげに書いてある. ワインは期待できる国のようだ. 素晴らしい. 離陸してからしばらくすると, 食事が出て来たが, 空港でアエロフロートが出してくれた食事よりはるかにうまい. これは機内食だからか? アメリカの国内線よりもうまい. (いつも, これと比較するが, アメリカの国内線の食事は鷲津家が 「オッチロール」と呼ぶべき食事である). チキンを蒸し焼きにしたものがメインディッシュなのだが, サラダのドレッシングが, ない. 正確にいうと, ワインビネガーと 塩と胡椒が個別についている. つまり, 好みによって調整できるのだ. これが, 一番納得のできるドレッシングなのではないかと思うがいかがだろう. 期待どおり, 飲物はワインもあった. もう, あたしゃね, ワインのうまい 国だったらどこでも住めますよ, はは. . .

席が通路側なのと, 今日は東ヨーロッパは曇空なので何も見えない. 隣のおじさんは, 飲物が来ると必ず 2 品はとらはる. わしも, ビールを一缶, がめている. 面白いのが, 珈琲は「カーフィー」なのだが, 紅茶が「チャイ」だ. チャイ!アラブと一緒だ. (ロシアとも一緒). フライトは 2 時間半であった.

● 帰りの便



突然であるが, 帰りのソフィア空港. 12 時発の便が 2 時間半遅れているようなので, 待たなければならないが, ここにはレストランが一軒あるだけなので, 椅子に座って待っている.

さらに, 翌日のモスクワの朝. ソフィアからモスクワに帰る飛行機が遅れたため, 乗り継ぎに失敗して 悪名高いモスクワのトランジットホテルに缶詰になってしまった. ホテルは有名な Novotel で, 他の旅行者の記述どおり, 完全に 缶詰である. 完全, というのは, 空港から見える距離にある このホテルまで, 数名の係員のバトンタッチで完全に護衛されて やってきた. 護衛というのは, 我々が襲われる危険があるからではない. 我々が脱走しないように, 丸くいえば我々が道を迷わないように 護ってくれているのだった.

このホテル自体は, 星が 4 つか 5 つある十分に高級な ホテルなのであるが, 我々トランジット客は部屋のある 2 階から出ることは 出来ない. パンフレットによれば, このホテルにはプールやレストラン, 土産物屋もあるようなのだが, 全く利用できない. 東京への接続に失敗した客は, わし, 偶然同じ便の切符を買ったボス夫妻, それから日本人の紳士の 4 人である. そのため, ホテルまでのバスは スムースに案内されてきた. 宿泊代, それから 3 度の食事代は当然であるが航空会社が負担して, さらに, 遅延のために東京に電話する必要が生じたと申し立てたら 家に電話する料金を負担してくれた. しかし, 窮屈きわまりない.

ホテルの部屋の設備などは, 東京の超一流ホテルの次のクラス程度なので, 広々としたベッドも, 一人が横に寝られてお湯を使い放題のバスタブも, 申し分ないので, まぁ 100 ドル出して泊まる部屋だということは判る のだが, なんといっても行動の自由がない.

食事は, 到着後まもなくに夕食が部屋に届いて, それから午前 9 時半に 朝食が届いた. モスクワ空港のタダ飯よりはうまい. でも, 食事に関して好きな時間に好きなものをとる自由はない. 一方, 排便に関しては好きな時間に好きなものを出す自由はある. ゆっくり, 何度も, 排便する自由を噛みしめていたのであった.

というのは, ブルガリアでの最後のお別れパーティのときに 変なものを食べてしまったのか, 強度の下痢に襲われた. 学会のあったパンポロヴォからソフィアまでの帰りは一日の バス旅を要したのだが, その日は結局, 紅茶以外何も喉を通らなかった. 移動中の排便には困難がつきまとうが, ホテルの個室での排便が これほど幸福をもたらすものだとは思わなかった.

結局, モスクワでは丸一日の滞在になるので, 今は朝の 10 時で 夕方 5 時前のチェックインまで困るくらいに時間がある. これも, 考えようによっては偶然のもたらした幸いかもしれない. この日誌を書く時間に充てるとする.

さて, 最初にわしは 『今度の学会は, 「第 9 回 分子およびコロイドの電気光学の国際会議」です. 』 と書いたのだが, 「分子およびコロイドの電気光学」とは何じゃいな, ということを一通り述べておく.

この会議で言うところの「電気光学」とは, 狭義には, 電気複屈折と電気二色性の実験手法のことである. これらは, 主に溶液中の分子の電気的および流体力学的性質を観測する ための手法である. すなわち, セル (この現象を発見した人の名に因んで Kerr cell と呼ぶ) に入れた溶液に対して定常, あるいは周期的な 外部電場を印加する. 分子の電気的な双極子能率あるいは分極率に異方性が ある場合, 分子は外部電場の向きに配向する. さらに, この分子の配向を 観測するために, セルに対して同時に光を照射するのだが, 分子に 光学的異方性が存在する場合, それが屈折率の異方性であれば複屈折, 吸光度の異方性であれば二色性として観測される.

結局, 物性を調べる最も古典的な方法である外部からの摂動として電場を, 検出系として光学系を用いれば, 電気光学ということになるのだが, 動的, 静的光散乱や, 通常の吸光度測定, などは狭義の電気光学には含まれない. もともと, 電気複屈折と電気二色性は希薄溶液中の一分子のコロイド粒子や 高分子電解質の電気的性質の研究のために開発された方法であり, 光散乱や NMR のように一般的な方法ではない. しかし, この点においては非常に感度の高い優れた方法である. たとえば NMR によって溶液中の生体高分子の構造を知るためには その濃度が十分に高くなければスペクトルを得ることは出来ないが, 濃度を高くすることは分子間相互作用が強い 高分子電解質系では推定される溶液構造の 信頼性が弱くなることを意味する. また, 最近流行の蛍光ラベルした生体分子の顕微鏡による直接観測の 場合, ラベル分子と生体分子との相互作用をこれまた排除することは出来ない. わしは根は生物屋であるので, 主に生体分子の観測について例をあげたが, こうした困難に対して, 電気光学的手法というものは現時点でも十分に 有意義な実験方法であるといえる.

しかしながら, 世界の趨勢をみても, 日本の状況をみても, ここで述べた狭義の電気光学は衰退する方向にある. 日本で電気複屈折の測定装置を有する研究室は片手に余るほど, そのうち, たとえば我々駒場の研究室では数値計算だけになってしまい, 貴重な実験装置は 10 年近く眠ったままである. 動的光散乱を行うグループは企業も含めて国内に百はあるだろう. それどころか, 今回の学会においても, ポスターも含めた発表総件数 60 ほどのうち1/3 ほどは, 狭義の電気光学と異なる発表であった.

電気光学的手法が, たとえば溶液中の核酸分子の挙動についての 非常に鋭敏な観測手法であるにも拘らず, これほど陽の目を浴びていない 理由は, 一つは鋭敏であるがゆえの実験のやりにくさ, もう一つは 得られたスペクトルの解釈の難しさ, 最後に研究分野的に最も興味を 持ってもらいたい生物屋の多くは, 蛍光観察や AFM のような 「見てきたような」観察を行いたいので趣向が合わないためであろう. 実験のやりにくさ, というのは, 他のメジャーな実験手法では当り前である 実験装置の市販が行われていないことに大きな原因があり, 本質的でない.

スペクトルの解釈についてが, 多分困難の本質であろう. たとえば, パルス状の定電場を印加した場合, 複屈折の立上り曲線から 分子の電気双極子のふるまいを, 外部電場の切れたあとの緩和曲線から 流体力学的性質を観測することが出来るのであるが, この基本的な 応答については, 応答関数がほぼ完全に定式化されている. ところが, この応答関数を定式化する際に定義される, たとえば 電気的分極率の異方性という物理量が, どのような分子機構に依拠するのかが 明らかでないというのが最大の問題だと思われるのだ. それはまさに, わしが計算機シミュレーションで研究している問題である. もちろん外部電場を逆転パルス波などの複雑な形にすると 応答関数そのものが複雑になるし, 資料の溶液が多分散系だと スペクトルが複雑になるし, 要するにイオン雰囲気の分極などに由来する 様々な情報が大量にかつ鋭敏に定量的に得ることが出来るのだが, そもそも溶液の何を観測しているのだかが明確にならない以上, 真に有益な実験手法とはいえないのである.

ということで, このたびの学会の円卓会議で話し合われたのは 「電気光学の未来」であった. 悲観論, 楽観論, その他. 平均的な意見は, 電気光学には電気光学でしか観測できない現象が あるのだから, 他の実験との組合せの中で電気光学も一つの手法として 定着すれば良いのではないか, ということであった. そのためには, もっと強力なエヴァンゲリストが必要なのではないかと 思ったが, とりあえず Web サイトを立ち上げる, ということしかどうやら まとまらなかったようだ. バルカンの山荘でワインを飲みながら, 20 名ほどの夜中に話し合って いたのであるが, あとで岐阜大の土屋先生がぼそっとわしにおっしゃった話が 面白かった. 曰く, 岐阜は繊維の街であるが斜陽産業である. それをなんとかするために集まった人々の結論が, Web サイト を作ることであったと.

したがって電気光学は, 伝統芸能であるというのが大方の認識である. 実験を行なうのには数少ない継承者に弟子入りしなければならない. 門外不出というわけではないのだが. . . そもそも, 電気光学がはじまったのは戦後 UCB で老師 O'Konski が TMV 溶液の分極を研究したのがはじまりであるが, 先程のパルス波の 応答関数について O'Konski とともに定式化して基礎を確立し, 日本にそれをもたらしたのが駒場の研究室の 3 代前の 吉岡甲四郎名誉教授である. 吉岡先生は, この度の学会は出席されなかったが, 今回, 第 3 回 Kerr メダル というものを受賞された. この分野に最も大きな寄与をもたらした 研究家に贈られるものである. 常々, わしは学閥と無縁だなぁと思いながら 暮らしているのであるが, 電気光学においては「駒場学派」というものが 朧ろげながら存在し, 今回の学会でも日本勢 12 名中 4 名を占める 「多数派」であった(笑). わしが多数派に属するなどという学会は, この世の他になかろう. 及ばずながら, わしは末席を汚すものであるのであるので, 是非とも 来世紀においても, この伝統芸能が廃れないように努力しなければならない.

これまで述べて来たように, 電気光学は世界的に非常に小さなコミュニティ であるので, 一流の研究者と近しく接することが出来るのが特徴である. たとえば, わしの理論計算は, 独立に得られ, かつ同じ傾向を示した 4 つの実験結果を説明するために行なった研究であるが, そのうち 3 人の研究者が今回の学会に臨席されていた. 一人は日本の方なので, 常々お世話になっているのだが, もう二人はゲッティンゲンの Porschke さんと, アイオワの Stellwagen さん である. Porschke さんは理論計算も行なっているので, 非常に厳しく いろいろ質問されたが, わしは彼の理論計算に触発され, かつそれを 乗り越えるためにこの 3 年間仕事してきたので, 充実した 3 年間である ことを実感したのであった. もっとも, わしを雇ってくれる金はないらしい. Stellwagen さんは, もう少し楽観的で, 素直にわしの成果を喜んでくれた. 非常に細かいところまで共感を示し, また当然であるがこの問題について 詳しいので楽しく議論することができた. もっとも, 彼女の研究室では 理論計算をする予定はないらしい. ふぉっほっほ. . . . 残念. この 2 人は, 直接関係する方々だが, 他の臨席している研究者も, 「高分子電解質溶液の電気的分極率の異方性」などという得たいの知れない 物理量を分子論的に説明することの重要性を知っている数少ない人々であるので, 多分, 今まで出席した学会の中で自分は最も幸せであった. それは, 自分の研究がまとまったという理由もあるだろう. 夏にスイスにいったときは, この物理量が何を意味するかを, まず説明する 必要があったし, 表面的にこの物理量を知っているだけの人は, わしの 研究したテーマなぞは既に解決済だと誤解していたので, 2 重 3 重の 面倒があった. やはり, 伝統芸能の世界である. わしは, エヴァンゲリストには遠い.

ところが, なんとわしにエヴァンゲリストになる機会を与えてくれた 方がいた. 先にソフィア行きの飛行機で一緒になった サンクトペテルブルグ大学の Vojtylov 教授である. 来年ロシアに来て講義してくれという. また, 時間があれば共同研究も 行ないたいという. 国内を含めて, そういうことを言ってくれる方は これまで皆無であったので, とても嬉しい. これは, 来年も研究者をやめるわけにはいかなくなった. 約束は果たさなければならない.

前回, ペテルブルグに行ったときには, モスクワ大学のブーニンさんと ピアノを通じて仲良くなったが, 今回もまた, Vojtylov さんとの 友好にピアノが役立った.

パンポロヴォでは, 到着した日の次の日から毎日, 朝から夜まで 講義の連続であった. 会場は一つである. 間に, ときどき 同じ会場内でポスターセッションが挟まれるという感じである. 会場と食堂は宿泊所の中にあったので, 学会中は同じ建物の中を ぐるぐる回るだけである. しかも, 講義がはじまってから 4 日目の午後の遠足まで, 連日雨だったので, ほとんど外出できなかった. その建物は国立放送局の施設で, 日本でいえば NHK の保養所といった ところであり, 隣のホテルまで歩いて 15 分ほどかかる. さらに, 本郷の伊藤先生によると, 彼らが散歩に出ようとしたら, 野犬が何頭も現れたという. これは, 学会の主催者の Stoylov 教授が, 参加者を押し込めるために犬を仕掛けたということで笑い話になった.

ということで, 暇なときはピアノを弾くくらいしかなかろうということで, ちろちろと弾いていたら, 相変わらず家で練習するのとは違い皆さん喜んで いただけるのだが, 中でも Vojtylov さんがやってきて, 奥さんが サンクトペテルブルグ音楽院のピアノ科の教授だというので, ロシア音楽の話で盛り上がった. サンクトペテルブルグ音楽院といえば, 言うまでもなくニコライ ルービンシュタインが創設して, チャイコフスキーが 教鞭をとった学校である. もっとも, Vojtylov さん自身は, 聞く方専門らしい. 本来私はチェロ弾きであるから, チェロを担いでロシアに行くので ラフマニノフのチェロソナタを奥さんのピアノと共に演奏したいと言ったら, どうぞどうぞとおっしゃってくれたが, 無論冗談である. けれど, 計算機シミュレーションの講義をすることについては確約をとった.

アエロフロートの機内誌に, NHK の小林和男さんの書いた, こんな話が 載っていた. プーシキン美術館の館長のイリーナ アントノーヴァさん についての記事なのだが, そこに至る文章で, 日本のロシアに対する 妙な優越感は何だろう, という問題提起である. それは, 経済的な優越感以外になかろう, と. ロシアの人々も, 日本人とみれば経済の話をすれば喜ぶので, 結果として経済の話ばかりになる. それが繰り返されると, 日本人は ロシア人が経済の話ばかりが好きなのではないかと誤解する, というのだ. でも, それは言うまでもなくロシアのほんの一面しか捉えていない, と.

幸い, 自分は経済の話が出来ない人間である. 逆に, 物理や化学の学会で私以上に音楽の話に詳しい人がいたら 科学者として怪しいのではないかと思う, この程度で良かろう, はは. .

思想そのものについては, 大変難しい. お互いに, 知らないことが多すぎるからだ. 会話をしていても, 字義どおりに捉えた, その字義が何なのか, が難しい. 多分, こういう理解でいいのだろうという例をいくつか挙げる.

実は, ブルガリアは電気光学大国である. 日本よりもはるかに多くの研究グループが存在し, かつ国際的に リーダーシップをとれる人材と内容を備えている. さらに, 多くの優秀な若手が今回の学会でも参加していた. ブルガリアでは, 物理化学や化学物理専攻の大学院生で, 電気光学分野に所属することは, 決して伝統芸能継承者への道ではないのである.

それは何故か, と, Stoylov さんに問うてみた. ある日本の先生は, ブルガリアには実験装置を買うのは高いので, 一つの優秀な装置一式があれば使い回しているのだろうと おっしゃっていた. それも一つの理由であるだろう. しかし, ブルガリア人の答えは, 政治にまつわるものであった. 共産党統治下において, 政治的発言の自由はもちろんないし, 自然科学においても生物学の研究は自由ではなかった. スターリンとルイセンコの進化論に纏わる話ではないかと思われる. 物理や物理化学は, その点, 思想的に自由である数少ない領域であった.

同じようなことを Vojtylov さんとも話した. 彼は, レーニン主義を理解できなかったという. 何故なら, あるとき A であると説明したことがらを, 別のときには B であると言うからだそうである. それは, 物理学者にとっては苦痛であろう. そこで, 物理を選んだ. しかしながら, ソビエトにおいては, 共産党員でなければ教授になれない. したがって, 彼は 90 年代になるまで教授になれなかったそうだ.

日本でも, 共産主義のかわりに経済万能主義がありますよ. 経済的に「役に立つ」コミュニティに属していなければ, 教授には なれないのです. 日本には, 学問を批判するときに「役に立たない」と言えば, それが批判になり得るという風潮がありますが, そういう理解しか 出来ない人は経済馬鹿です. 経済馬鹿は永遠に, ブルガリアを馬鹿にすることしかできないでしょう.

などということは言わなかったが, . . . .

経済信仰に溺れる方が, 共産主義信仰に溺れるよりも精神的に楽 なのではないかという気はする. 理由は簡単だ. 信仰に溺れると他人に危害を加えることにもなりかねない. 経済主義政治のもとで人を殺すということは, 経済的に殺すことだが, 恐怖政治のもとでは本当に殺してしまうからだ.

ともかく, 学会そのものはこのような感じだったのであるが, 遠足でバルカンの村々を訪れたのも, 下痢のことを除いては楽しい経験であった.

ある村で, そこは古いバルカンの町並みが残っている場所なのだが, 日本人のテレビクルー数名とすれ違った. 音楽家のなんやら先生が, バルカンの古い音楽を集めてまわっているという BS テレビの企画だそうだ. ひなびた路地の向こう側から, どうみても日本人という 顔立ちの我々がやってくるのは奇異な光景であっただろう. 何をされているのかと問われたので, 「いやぁ, 遠足です」と言ったら, 「お医者様ですか?」と言われた. ボスが, 「いえ, 化学です. 」と 答えたのだが, 医者の学会がこんなところに来るのだろうか? 「いえいえ, 医者は結構, こういうわけのわからないところに 来たがるものなんですよ」と吉田さんが教えてくれた. もう少し歩くと, ブルガリアの科学アカデミーで一番美しい (と勝手に決めた) 女性が歩いてきたので, あそこに日本のテレビクルーが いますよ, あなたなら絶対絵になるので, 喜んでくれると思うと伝えたら, 喜んでそちらの方に歩いていった. でも, ちょっと都会的な雰囲気のブルガリア人かもしれん.

Salmon というところの美術館にも行った. ブルガリアでは, 美術館と教会の建設ラッシュだそうだ. どちらも, 共産主義体制下では重要視されてこなかったらしい. ブルガリアの美術というのは, 第二次大戦後にはじまる. というか, その時期の美術しかなかった. それ以前はどうかというと, 19 世紀にはイスラーム美術があった筈だと思うと Porschke に言ったら, 彼らはその記憶は抹殺したいのだろうと, 答えた. 絵は, どことなく前期印象派風であったり, ゴーギャン風であったり, キュービズムの影響が露骨だったり, まぁ日本の美術受容と同じ歴史を 辿ったようだが, どれも暗い印象がある, と遠足参加者は口々に言っていた.

別の村には音楽学校があって, そこで民俗音楽と民俗舞踊の教育がされている. そこの生徒さんたちが, 我々の学会会場にやってきて, 民俗音楽を披露して くれた. 楽器は, トルコ系の弦楽器と, 何故かバグパイプ. 歌は, ブルガリアン ヴォイスだった. 美男美女であった. その若き音楽家たちが先導して, 学会参加者たちもテーブルの周りで踊った. 宴もたけなわになると, アメリカのダンス音楽がかかって, その若き音楽家たちも平服に着替えて踊りまくっていた. 美男の方が美女の足を持って何回転もふりまわしていたのは, プロだなぁと思った. 学会参加者たちは, その真似は出来なかった.

そう, 帰りの飛行機はゴリ押ししてビジネスクラスに乗せて貰ったのだが, 食事は喉を通らないし, 腹が痛くて寝られないし, で, 良いところがほとんど なかった. 良かったのはトイレに余裕があることくらいか. . .

なんだか最後にミソならぬ糞がついてしまった話なのだった.