この 7 月 (1996 年) に林良一先生は本を出されました。

TRAINING ON THE CELLO 1


腕を磨けばチェロが鳴る

林良一著

音楽の友社 菊倍版 80p \3000

  この本には、先生の チェロ奏法の基礎が集約されています。

 先生はもともと、音楽につい て観念的なことを述べるだけで事足りとする「現代芸術家」と違い、中世の 大聖堂を作ったマエストロのように訥々と「方法」を述べられるという方です。 要するにチェロをいかに「鳴らす」か。 それには「腕の重みをかける」ことが第一原理であり、 そのための方法論が本書の内容となっているわけです。僕が大好きな音楽の本の 一つに「クワルテットのたのしみ」というアマチュア愛好家が書いたも のがありますが、そこにはベートーベンのラズモフスキー四重奏以来、室内楽の 持つ本来の楽しみがコンサートホールにおける煌びやかな効果、あるいは強度に 思弁的な「芸術」に取って代わられたというような記述があります。ハイドンの カルテットで D の長和音がきれいに揃ったときの喜びよりも素晴らしいことがあ るのでしょうか、と。林先生のいつも指摘されていた点は、「いかに芯のある音 作りをするか」ということであり、僕の言葉に還元すれば、G と D の 5 度が正確 に響けばそれに優る喜びはないということです。それがチェロの演奏であると。

 偉そうなことを言える腕が自分あるわけではありませんが、 僭越を省みずに申し上げますと、 大学などに入ってから、つまり大人になって から音楽を「思想」発現の手段として捉える発想を身につけた方が 楽器を始められると、どうしても「格好の良い曲」を早く弾くことを 考えられがちです。ショスタコビッチの協奏曲を とりあえず弾ける人が一番偉い、ということになります。そういう方は練習はす るから左手の指はとにかく回るのだけれど、bowing (弓) が出来ていないから音楽 に説得力が出ないということになってしまいます。そういう方で、どうすればチェ ロが「鳴る」かということをお悩みになった方はいらっしゃいませんか。という のは、レコードや本には「基礎」の作り方はなかなか載っていないからです。

 林先生の指導は、別にいわゆる基礎練習ばかりを延々とやらせるとい うものではありません。逆に、格好の良い曲をどんどん弾かせてくれます。僕も チェロを 11 才で始めて半年でオーケストラに入れられ、そのときの課題曲は ドヴォルザークの第 8 交響曲で、その 1 年後にはサン・サーンスの協奏曲を与えら れました。チェロには中程度のレパートリーが少ないこともあります。しかし、 その後は一見非常に簡単なデュエットになったり、他の教則本では最初の方に載っ ている曲を弾いたりしました。要するに、パッセージの速さ、細かさで順番に難 易度を上げていくというのではなく、すべてのレパートリーを、基礎的な素材と して、基礎力の向上のために用いているというわけです。したがって、ここでい う基礎力とは、アーティキュレーションも含めた総合的な音楽の表現力というこ とになります。

 運弓にとって最大のポイントは、弓の返しと弦をまた がったフレーズを弾くことですが、本書にはそこをクリアするためのトレーニン グが随所に出てきます。本書 17 ページの「右肘の体操」などは、先生に習ってい た頃よくやりましたが、非常に効果的な移弦のトレーニングです。左の指につい ては、音程の型を決めることと、その移動がポイントとなりますが、本書では後 のページに進んでいくに従ってバリエーションが増えていきます。最初は第 1 ポ ジションと第 4 ポジションの移動ですが、練習パッセージのあと、昔の手書きの バージョンではおもむろにシューマンの「子供の情景」のフレーズが出てきまし た。本書では省略されていますが、これは指導方針が変わったからなのか、謎で すが、本書の特徴の一つにはこうした美しい旋律と練習パッセージを絡めてある ことがあります。たとえば、ハ調のスケールにラヴェルの弦楽四重奏の冒頭のあの メロディが乗っています(デュエット)。これを著者は「短い時間のなかで楽し みながらレッスンが出来るよう、適切な小曲の多くを2重奏に編曲した」と簡単 に書いておられますが、これはユーモアと想像力 (どちらもルーツは同じですが)の賜物です。 常に、楽器を鳴らすことと、音楽的想像力を切り離さないという演奏法が 自然と身につきます。

 このような次第で、これからチェロを弾けるよ うになりたいと思っている方、楽器が鳴る方法を知りたいという方、そしてチェ ロを弾くことをいつまでも楽しみたいという方には是非おすすめの本です。 完全な独学はお勧めしませんが、自学自習の書になりますし、 先生についていてもセカンドオピニオンになります。 僕にとっては自分の先生の書いた本なので、この本の中を魚のように泳ぎ回りたいと いう感じですが、他の方も、とにかく解説の言葉が的確なので、直接教わらなく てもかなり正確にトレーニングの意味を掴めると思います。チェロの入門書、教 則本として現在市販されているものの中で最良のものの一つだと申し添えておき ます。また、学生オケなどの方で、手軽にデュエットを楽しみたい(つまり相手 がいるということですねえ)という人にも、モーツアルトのレクイエムからシベ リウスのフィンランディアまで、名曲の簡単なアレンジがたくさんありますから、 分奏の合間にこの曲集を取り入れたらいかがでしょうか。

因みに、先生は名古屋という地方都市にありながら 東京芸術大学のチェロの受験指導では百発百中です。 ご子息の裕さん始め優秀な演奏家を多数輩出しています。 (日本音楽コンクールの優勝者、入賞者も続出です。2001年追記) これが 受験参考書だったら、本屋さんに平積みといったところでしょうが、 なにせチェロということで、豊かな音楽人生の伴侶を求める という気分で楽器屋さんにちょっと足を運んでみて下さい。 僕も、毎日とはいかないまでも、週に何時間かは、こ の本を楽しみたいと思います。



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