2000年1-2月のWhat's New!


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ここからしか飛べない過去のページもあるよ。


2月25日: 鰯でいいやんか

今日もたわいもない話なんだけど. .

結婚してからテレビを見る機会が増えたんだけど, 「学校に行かない子供たち」のテレビ慣れしてることしてること. いやはや, 自分の立場についてあんなに明快に説明できる人は なかなかいない. 立派なものです. わしも, いわゆる日本の学校は全般的に嫌いだったので, わかるわかるという感じなのです. いわゆる, と書いたのは, 夏休みがあったりテストがあったり, という学校のことで, 今のわしのように, 休みは正月だけで, テストがないかわりに 納期があって, 遠足がないかわりに自費で海外出張しなくちゃ いけない場合はどちらかというと, 何故か給料が貰えないのに 異様に働いている困った自営業者なのではないかと. そういうときに, あまりご存知ない方に「夏休みですね」とか 言われると, それでも笑顔を返すようになった自分が怖い. さて話を戻して, いわゆる学校が嫌いな理由は, 一にも二にも 多様性を認めない社会であることで, その点で「学校に行かない」 という選択肢は広く社会に認められていいのではないかと思う. 世の中から多様性がなくなると, 少なくともわしは窒息してしまうと 何度も書きました.

が, 自分の子供をハナから学校に行かせないというのは, どんなもんなんでしょう. 最初からそうな親はいないんですか? あ, 現状認識が足りない? もっと切迫しているんでしょうか. でも, 昨日見ていたテレビ番組では, そういう切迫した感じ ではなくて, 最初から学校に行かなくていいよ, という感じの お宅が取り上げられていました. 親が旅芸人だったり, 航海者とかだったりするとわかりやすいんですが, 定住者の 場合に, それでも学校に行かせないというのが, 面白いです.

勉強が嫌いなんじゃないんだ, だから中学生用の教材で 数学をやっているよ, と. うーむ, せっかく学校に行かないのに もったいない. 小学校では無理数を教えないで, 高校では微分方程式 を教えなくなって, 教育科目からどんどん脈絡がなくなって きているという問題があって, せっかく家で勉強するんだったら この「失われた脈絡」を取り返すような勉強の仕方をすればいいのに ということを考えます.

結局何かって, 鰯でいいやんか, と思うんですわ. 俺の収入だと鰯しか食べられないよ, トロは友達におごってもらい, という状況で, 無理をしてトロを食い続けることが面白いのかどうか, と. あ, 面白い場合もありますね. でも, 毎日鰯を食うんだけど, 今日は梅肉和えで, 明日は紫蘇の香り揚げで, と工夫を凝らす人の 方が好きだなぁ. 好き嫌いの問題ですが. 学校はくだらないことが多くて, 阿呆な人もたくさんいるけれど, 低額で教育を受ける場所として考えると, やっぱり学校は鰯なんではないかと. 「間違った」教育を受ける可能性は非常に高いと断言できるが, それは 100 円の鰯の缶詰を毎日食って下痢になるのと一緒で, だからといって金を積んでいろんな別のものを食べるのが解決なのか? 学校に行きつつも回避する手段を身につければいいんじゃないか, と. これって, 「やっぱり学校にいくべきだ」という側の親の論理と 似てるかもしれない. が, そういう人の言う 「集団生活の知恵を身につけた方がええで」というのは, この鰯理論からいうと 実はおまけみたいなもので, その「集団」から閾値以上の被害を加えられたら やめればいい. ちょっと違って, もっと単純に, 徹底的に, 置かれている 環境遊ぶことはできないものかと思うのです. それは人づきあいだけじゃなくて. 全ての貧困と, その中の豊かさを. 知恵がなければ辛いだろうが. どっちみち, 驚くような発見は自分で しなければならないのです. 驚くような人や物事と出会ったとしても, そのことに驚くのは自分の感性なんですから. あと, 子供の頃に, 出来れば異なった人種, 少なくとも多様な年齢層の人間と 出会うことは大切だと思うが, これは学校に行く行かないとは別の問題でしょう. だから, わしは自分の子供は間違いなく放置しておきます. とりあえず.

なんで, こんなことを書くのかって, 昨日一日, 些細なプログラムを 作っていて. 大型計算機では, 100 MB のディスクを 使うごとに, 月に 1000 円とられる. ちょっとデータが大きなってきて, 今までテキストで処理していたデータを, 容量の小さい バイナリで扱う必要がでてきた. 実は, あと 1000 円払えば, 済むのだけれどケチりたい. で, データ形式を変更するのにするのに合わせて, 細かい処理プログラムを 作りはじめたら, より汎用的なものにしようと, 止まらなくなって, で, とても立派なものになったとき, ふと思ったんですわ. 鰯でいいやんか, と.

2月18日: 後白河さん

天皇の類で, わしが最も愛好するのは後白河さんである. 何故かといえば, 辻芸人の記録を体系的に残した中世唯一の 王だからである. 彼は, 自分の御所に辻芸人たちを招いて, 謡をうたわせたばかりか, 自分自身もかなりの謡手だったという. わしにとって“後白河さん”とは, “荒神口のおじさん”や “かみ (上京) のおばさん”と同じくらい親しい存在である. これは京都にわしが住まなかった理由の一つでもある. 京都に戻ってしまったら, この手の“なんとかさん”のことで 頭がいっぱいになってしまって, 科学なぞやってる暇はなかったであろう. 今上さんがチェロ弾きだといわれても, 後白河さんの存在ほどは 別に感動はしない. 彼が京都に帰らはって, 辻チェロ弾きの 記録を残す事業でもはじめたら, 大いに心動かされるだろうが.

後白河さんのことは, 「梁塵秘抄」秦恒平 NHKブックス ISBN 4-14-001311-7 で知ったのだが, 最初にこれを読んだとき, 中世歌謡の面白さと, ここに描かれた後白河さんの異形ぶりに圧倒されてしまった. 今朝になって読み返してみると, この本の最初の方に, 痛烈な現代歌謡批判が なされていることに気がついた. 簡単にまとめる. 現代では「うた」が独占されているという. 独占されないということがどういうことなのかといえば, 「替えうた」に よって多様なバリエーションを生み出すような状況であるという. 何故, 和歌と呼ばれるものが五七五七七なのか. それは, 定型を創ることにより バリエーションをあてはめやすくしたからだという. 極論すれば, 和歌は全て「替えうた」なのではないか, と. 三十一文字では必ずしもない, 梁塵秘抄の歌謡も, この精神に裏打ちされた 本歌どりの楽園であるという実例が, そのあとに延々と続く.

ここまで書けばおわかりかと思うが, この文化は昨今の Linux を巡る ハッカー文化と非常に似ている. などと展開していくこともできるし, 「
台湾娘」の背景を想像していただく材料にもなると思う.

因みに, この著者の秦さんは, 僅かの間, 東工大の先生だったので, 親しく話をすることができた. 秦さんの書かれる小説は, その全てが, 同じ主題の変奏といえばいいのか, 二つの仮想的な焦点を持つ楕円軌道を描いていくような小説である. 正確には三体問題であるから, 軌道はカオティックである. 長編から短篇まで読み通すと, ワイルのビリアードにはまったような, あるいは壮大なパッサカリアを 聞くような気分になる. 小説家が「梁塵秘抄」にこだわる訳が, ここにある. また, 賢治や吉本隆明の, 言葉の貧困さに向き合う姿勢に なれていた目からすると, 一見してわかる豊饒な言葉の世界にとまどうかも しれない. 京都的, いかにも京都的である. 三島や谷崎のような, 外来者でもない. それが逆に秦さんの言葉から 若僧を遠ざける原因であったと思うのだが, 今から思うとそれは 表層的な理解であったという気がする. 彼の抱えていた二つの中核と, 哀しみと, わしは同期することはできなかったが, 人はかようにしてパッサカリアを奏でられるということを教えていただいた ことは, とても貴重な体験であった.

2月17日: Celeron

うー, やっぱ Celeron は速いですねぇ. . 去年から隣で飼っていた Celeron の PC がようやく解放されたので わしのメインマシンにしたのですが, もう, 全ての作業が楽々. . みんな, こんな良い思いをしていたのかと, 涙しましたよ.

2月15日: 古本屋

一昨日, 古本屋で遂に, ゴルゴ 13 の第 1 巻を手に入れた. 2 巻から 50 巻までは全て揃っていただけに, 喜びはひとしおである. 今まで, 妻が職場から譲り受けてきた 49 冊を種に, せっせと 結晶を育てるように買い足してきたのだが, 第 1 巻だけは 古本屋で見つからなかったのだった. 現時点で 115 巻まで出ているのだけれど, これで持ってないのは 16 冊だけとなった. 因みに, その古本屋で妻は, 新潮社の 源氏物語(全 8 巻)のうち最初の 3 巻を各 100 円で手に入れた.

古本屋といえば, 古本屋の親爺というのは, どうしてあーも 雰囲気が似ているのだろうか. さらに, 古本屋が好きな奴と古本屋の親爺とは, 性格が似ている気がする. それだけに, なかなか フレンドリーになれないのではないかと思う. 古本屋の親爺と仲が良いって人は, その秘訣を教えて下さいな. わしは, 1 時間も店内を物色した挙げ句, 梱包を解いてない山を 覗いたりして, 親爺に嫌われてばっかりですわ. もう, 10代の半ばからそうで, こりゃ永遠に駄目かと思ってしまう. 今池の「カバラ書店」なんて, 大好きだったのに. わしの欲しい本は大体が, 古本屋にしかないのに. (ここ何年かは論文を読むのが趣味(仕事?)になってしまったので, あまり古本屋に依存しなくなってしまったが. )

ところが, 件のゴルゴを買った本屋は, 最近進出のめざましい チェーン店で, 明るい店内がヒットの理由という感じだった. 申し訳程度に, マイナーな書籍も置いてある. 消費税が導入された当初, わしの行く古本屋は消費税がかからない ので, 何だかざまあみろという気分でいた. このチェーン店では, 当り前のように消費税をとられた.

2月12日: あらかじめ書くとろくなことがない

結局, 10 日は立ち食い蕎麦でした. はっはっは. . 最近 ばっかりですみません.

2月10日: あらかじめ書いておこう

今日は寿司を食って来た.

そしてワーグナーは言った. 「今日は聖なる金曜日だ」と.

あれ, 嘘だね. きっと. 時間が経つと人間の記憶は惚けてくるものですわ. そりゃあ. 周りの人が感動した, ということなんだろうね. 惚けるというか昇華したというか. いやぁ, 昨日の欄のくだくだ, もうちょっとマシな台詞を吐けないものかと 思ってみたのだが, 世の中, こんなものじゃぁないだろうか.

「台湾娘」が完成した朝, ぼくらは幽霊少女の囁きを聞いた.

これも, 嘘ですね. はい.

2月9日: あらかじめひらきなおろう

あー, 明日は寿司を食える.

友達から, さすがにすごい IE のバグの存在を聞きました.
Internet Explorer の JavaVM の不具合 このサイトへも, IE を使ってブラウズされる方がいらっしゃいますが, もういい加減に IE 使うのをやめた方がいいと思います. 因みに私は, 最初から使っていません.

このたび開発したアルゴリズムの名前を考えておるのですが, 普通に考えると Modified Multipole Expansion method とかになって, 略して MME ? うーむ. 超 MM ってか? Expansion を eXpansion にすると, なんと「MMX」になってしまう. Pentium よりちょっとだけ速いってか? これで, 一気に 100 倍くらいの粒子数の高分子電解質溶液のダイナミクスの計算が 出来る方法です. といっても, 「ああそうですか」ってなもんだろうが. . これが, あなたのハートを直撃するような分野だったら別だけどね. きっと. ところで参考にしたのは全原子モデル MD の COSMOS90 というものだが, これは命名のセンスがいいなぁ. いっそのこと, 日本語にするか. 「FTZ (節足らず)遺伝子」みたいに. 実は今までコードネームだけが存在していて, それは「ぶぅちゃん 2 号」だった. B2 ってか? いいかもしれない. が, 本名を人前で言えない. 来月大阪でお披露目をするのだけれど, 当日「お, ぶぅちゃん 2 号, なかなか やりますねぇ」って言ってもらえると無上の喜びである. 意味不明. いやほんと, ぶぅちゃん 2 号のお蔭で少なくとも私は今後当分 楽しい時間を過ごすことが出来るのだが, 食い繋いでいくことが出来るかどうか は謎である.

2月8日: とかいいつつも

まだ書き直してる. .

2月1日: どえらいかっこいい

Acco. と Vlc. と五弦ベースの音源がフランス帰りの 高橋さんから送られてきた. 朝から耳を離れない.

ところで, 10 日〆切のレジュメが早くも校了. 今回は珍しく, 走って築地に行く必要がなくなりそう. 朝から寿司を食いに行く名目がなくなってしまったが.

そう, ユーモアを忘れずに.

1月27日: 尊称

くどい話題だが, いつまで経っても直らないので書きまする.

「ハッカー」に省庁の Web サイトが攻撃された, という報道の仕方をする. Web ページのことを「ホームページ」あるいは略して?「HP」と間違って 書くのと同じくらいの頻度で「ハッカー」という用語を使っているけれども, 両方とも駄目駄目. もっとも両者には違いがある.

Web ページの件は, 単なる用語の間違い. 技術的に, Web ページの全てを ホームページと呼ぶことは, 鉄道沿線の全ての駅を「始発駅」だと言ってしまう ことに例えればわかる. さらに, HP と略してしまうと ヒューレット パッカード, 馬力(horse power), など他に 30 以上の例が あってわけわからんし, 日本以外では使われないわけで.

一方, 「ハッカー」の方は, これが「尊称」だということを意識するべき. 良い例を昨日思いついた. たとえば, 合州(衆)国政府の建物がムスリムの過激派に爆破されたとする. 爆破した方が「我々は聖戦士である」と声明したとしよう. で, 政府もマスコミも, それをそのまま伝えるかなぁ? 「聖戦士にやられた」と. その爆破が単なるテロなのか聖戦なのかということは, それなりに難しい問題であろうが, どの立場の人が何と呼ぶかは 明白でしょ. 警察に暴力団と呼ばれる人々が自分のことを任侠だと 言ったり, とか. ネットを使った犯罪をする人の大半は, 自分で何と名乗ろうが ハッカーと呼べるほど立派な方々じゃなくて, 彼らには「クラッカー」という用語がちゃんとある. 人前でネット犯罪云々を語るんだったら, その程度の常識を 身につけてくれよ, と思うのである.

ちょっと飛躍するが, 自分が本当は何者かということを意識したことがなさそうな人に限って, こういう話に無頓着だという気がする.

因みに「ゲリラ」は立派な尊称である. テロリストと呼ばないでくれ, と ゲリラの方々は言うだろう. ついでに, アフガニスタンのタリバンってのは, アラビア語のターリブ(学生)に由来する. わしもかつてロガルアラビーアのムダリサのターリブだった. 尊称というか. . .

てなくどいことを書いていたら, こんな SPAM が来た. 読者様なのだろうか(笑).

    ○ リバウンドのないダイエットに・・   「らくらくダイエット」

1月24日: めでたい

アコーディオンの金子先生の快気祝い, さらに万久と改名された お祝いで, お茶の水までひょろひょろ行って参りました. めでたい. 100 名以上来てらっしゃったのでしょうか, 店いっぱいに関係者の方々が来られていて, わしゃ隅の方で 小さくなって, ひたすら食っておりました. そしたら, テーブルの向かい側にいる方々が, どこかでお会いした ような気がするなぁと思っていたら, 一人は 大塚さんで, 坪川映画にも出ていらっしゃる方です. もう一人は, 「アコーディオンの本」「パリ ミュゼット物語」などの著作で 知らない人はいない渡辺芳也さんでした. 渡辺さんは, 以前ライブにも 来ていただいたのに, すみません. . 東京には何千万もの人がいるのに, 不思議です. .

渡辺さんにお聞きしたのですが, 「群衆」って曲はもともと ペルー(「祕露」と変換された)の音楽だそうです. 6/8,3/4 のリズムが交錯する, 実は激しい音楽だそうで. わたしゃエディット ピアフの曲だと思っていた.

1月21日: 文学的な存在

やっぱり世の中にはある程度の道義ってもんが必要な筈で, 法律と道義には ある程度の相関が存在する筈で, それに基づいてちゃんと裁いてあげなきゃ. いらんお世話なのかもしれないが. いや, 何かって, 裁いてあげないと 彼は永遠に文学的な存在にはなれないだろうと思うのだ. こんな例は昔からいっぱいある筈で, チャイコフスキーはホモセクシュアル だったけど, わしは未だに彼の交響曲第 5 番の 2 楽章を聞いて泣ける. ホモセクシュアルがどうして罪なのか, わしには納得できないが, 当時の ロシアではそうだったらしい. 麻薬中毒者だった Nick Cave だって, ちゃんと裁かれて, Lucy を歌って, さらにわしは泣けるようになったわけで. いや, アーティストと興行主は多少, 存在の仕方が異なるが, 「偉大な興行主だった. しかし少年虐待者だった. 」という 方が収まりがいいのではないか. 文学的な意味で. 社会がちゃんと機能しなければ文学も収まりが悪い. ところが, こういった方面には「経済」しかないものだから, わしに馬鹿にされるのである. どうでもいいだろうけど.

1月20日: Hezooll note

一昨日のことになってしまったが, Hezooll note のライブにいってきた. いつもは「くものすカルテット」でのアコースティック ギターの演奏しか 聞いていなかった ひでろう さんが, 実はパンクなロックンローラーだという ことをはじめて知った. また, いつもは眠そうな顔をしてる(って夜にばかり遊びに 行くからそうなんだけど) 美由紀さんが, しっかりボーカルしてたから さらに驚いた. やっぱりシャイな人だと思ったけど. で, 実はそれまで 2 曲しか知らなかったのだが, どちらかというとライブ向きのバンドじゃないんじゃないかと 想像していた. が, 見事に裏切られた. 1 曲目の出だしのドラムを聞いたとき なんて, あれ, ライブハウスを間違っちゃったと思ったよ. よかったよ.

わたしらは, それぞれの人が《持ち場》を持っている, という意識がある. とても抽象的な意味で, なのだが. それはとても大変な《持ち場》だったりする. 多くの人は, そこで重たくてアンバランスな何かを支えているので, なかなかその場所から離れられない. 美由紀さんが「僕」を歌うとき, ふと, それを支えている手にかかる重さが軽くなるような感触がする. Hezooll note は, そんなバンドだと思った.

1月17日: 腰痛

この正月に 3 kg ほどデブったために, 腰痛がさらにひどくなり, 座っているだけでも十分に腰が痛い. というか, 一日中座っていることがデブと腰痛の原因であることは 明らかで, 以前から「これは職業病ですねぇ」と師匠と話し合っていた ものであった. わしはさらに喘息持ちであるので, インチキ宗教の人が 「あなた, デブですねぇ. さらに腰痛と喘息の持病をお持ちですねぇ」 とやさしく語りかけてきたら, 「ええ, そうなんですよ, 前から困っていました.」てな感じで恰好の餌食になる ことは間違いない. 事実, そっち系の Web ページを手繰っていると, 腰痛と喘息は現代人の悩みのベスト 3 に入るのではないかと思うくらい, よく出食わす言葉である.

喘息などのアレルギー系の疾病はともかく, 軽度の腰痛は美容と同様, 医療ではなく日頃の生活習慣の改善でかなりの効果が得られるものだけに, かえってインチキ療法が跋扈するのではなかろうか. 病院に行けばいいというものでもないところが, これに拍車をかける. 以前, 車に乗っていてカマを掘られたのを良い機会に, 住宅街の中の いかにも「交通事故で食っています」という整形外科を捜し出して, 腰の治療というのをやってもらったことがあるが, さっぱり効果が あがらなかった. 温めてもらったり, ひっぱってもらったりすると, その場は気持ちが良いのだが, 3 時間ほどで形状記憶合金のように もとの骨の形に戻る. まぁ, 邪心に満ちた患者として治療を受けたので, 文句を言う筋合ではないが. もっとも, 医者の側は, 邪心に満ちていたと しても, 一通りの西洋医学の心得があった筈である.

では, 東洋医学はどうかというと, 友達にプロがいるのでやってもらった. やはり, その場では気持ちが良いのだが, いかんせん彼は名古屋で 働いているのだった. 通えない. ということで, 実際の理屈は どんなもんじゃろうということで, 安直にも Web で参考図書を 探してみることにした.
(最近, 何事にも, この手の安直な手段を用いる人が 多いのではなかろうか. うちの Web ページを 見て, 物理化学の教科書レベルの問題を質問してくる人がたまにいる. たまに, 答えてあげるのだが, 感謝も返事もない. 面白い世の中になった. それはともかく. )

Chiropractic in Japan というサイトが, なかなか充実していた. カイロプラクティックというのは, 19 世紀末にアメリカのパーマー さんという人がはじめた脊椎を調整する治療法なのだそうな. 学校もある. 学会もある. 第一印象だけで言うなら, 心理学における フロイト学派のような印象である. それ以上のことを語るだけの知識は, わしにはない. もっとも, Yahoo の検索で, 「カイロプラティック」というキーワードで, 打ち間違えても 3 件ほどヒットしたくらい, う〜ん, というキーワードでもある. あ, と, 思って「シュミレーション」と Yahoo で打ち間違えてみたら, それ以上の件数がひっかっかった. う〜ん(笑). .

で, さらにリンクを手繰って行くと, 科学新聞社 という会社から カイロジャーナル なるものが発行されているらしい. 現時点で, 「第 32 号」と「第 33 号」を Web で見ることができる. これによると, 日本のカイロプラクティックの事情はかなり危機的 だということがわかる. どうやら, 日本の組織として 日本カイロプラクティック評議会 (CCJ) というのが あるのだそうだが, それが世界的な組織である 世界カイロプラクティック連合 (WCF) から除名されるのされないの, と問題になっているのだそうだ. 「除名」とくれば国際連盟であるが (あれは「脱退」か), きなくさい話である. さらに, このジャーナル自体の最新号は 98年4/5月号 となっている. 1 年半前から活動をしていないことになる. あるいは活動はしているが情報の公開を やめてしまったのか (学問がそんなことでいいのか?), あるいは, 正式な(?)団体が発足したため 科学新聞社のサイトではこれを扱わなくなったのだろうか?

上にリンクしたサイト以外の情報を見渡してみても, どうやら カイロプラクティックの法制度化に反対する人々が業界内部にいるために, このような問題になっているらしい. とても不思議だ.

いや, 不思議なのは, どうして件のカイロプラクティックの威力を 全く知らない私がこのようにカイロプラクティックについて書くのだろう ということはさておき, 逆に現在法制度化されている諸々の団体というのは, 一体どのような経緯で, めでたく正式な(?)団体となっていったのだろうか, という疑問である. たとえばわしの妹は美容師だが, 誰かさんと違って国家資格を 持っている. だけど, 美容師の資格っていつからはじまったのだろうか? そんなことは調べればすぐに判りそうだが, では, どういう経緯で? ありがちなパターンで, 欧米から輸入されたのだろうか? それとも, 山野愛子さんが一人で頑張ったのだろうか? 結局, 学会や学校や団体は, 出来てしまった後では 設立に当たっての「ストーリー」が少なくとも表向きは明瞭に存在するが, 出来る前というのは闇なのだなぁということである. それが今回, たまたま見えてしまっているということである. 科学史, 技術史が必要な由縁でもある. これらのことについて考えはじめると, 腰痛についての参考図書など どうでもよくなってしまうくらいなのだが, とりあえず注文してみようかなぁ. それから, こんなにブラックにまとめてしまって良いのだろうか? 関係者の努力を切に願うものである.

1月7日: 達人

今年はあまり年賀状を書かなかったのですが, ここ何年もお会いしていない方には出すように心がけて いまして, その一人に, チェロの林先生がいらっしゃいます. 最近の門下生の皆様の活躍を時折拝見しますと, 指導者として故斎藤秀雄さんに匹敵するんじゃないか などと思ったりもするのですが, それはともかく 年賀状の返事をいただきました. その文頭が, わし久しぶりのヒットだったので転載せずには いられません.

「私は相変わらずチェロを弾いております. 」



今朝は妻が七草粥を作ってくれました.

1月4日: 賀正

あけましておめでとうございます. このサイトは今日から仕事始めでございます. 今年も宜しくお願い致します.

ここ最近, 論文を書いたりしておりましたので, 疎, になってましたが 皆様お元気でしょうか?

やっぱり, というべきかなんでしょうか, 今年もあまり活発に 新曲を出したり出来そうにありませんが, ぼちぼち, ぼちぼち, と やって参りたいと思います.

今回の年末年始は, わしは東京にずっとおりました. 浅草に行ってきたのですが, ほっぴー屋, 饅頭屋, 人力車, などが 行きかう街におりますと, 2000 年がやってきたようにはとても 思えませんでした. まぁ, 概して「現在」というものは思ったよりも 新鮮ではなくて, かつ思ったよりも危機感を孕んでいるものでは ないのでしょうか. 現在の「ぱっくす, あめりかーな」がどれくらい 持つかしれませんが, それが崩れたら簡単に危機はやって来るように 思います.

それはともかく, オルフェウス ゴーシュ関係の新しい話題ですが, やっとこさ MP3 の録音を提供する環境が出来ましたです. 新しく組み立てた 2 万円パソコンに Debian を入れて, 「午後のこーだ」を 突っ込みましたところ, なかなか良い具合に MP3 ファイルが出来ました. お待ちあれ. んー, 今までは, 何年か待って下さい, だったのが もうちょっとマシになったという感じでしょうか.

ところで, 早くも「Y2K 問題をマスコミは騒ぎすぎたのではないか」という 意見が出ておるようですが, それはどうかなぁ.
このサイトの維持に関してだけを言っても, 随分 Y2K 対策で苦労しましたよ. まず, OS が Solaris 2.3 という, たった 6,7 年前のものなんですが, それでも下に書いたように, ちょっとした不具合があったですよ. mnews だって 1.22 にしないと送信できなくなりましたよ. そういうユーザー側の問題だけじゃなくて, 現に私が作ったプログラムは Y2K 未対応です(現在形). たとえば, このサイトの掲示版. 簡単にわかるから 試してみて. (笑).
仕事で納品した奴も, かなり怪しいです. 気象関係のソフトに問題があったという報道がありましたが, まさに あの分野でして. . 何が問題かって, 作業の現場では, 迫り来る納期と 度重なる仕様変更の重圧に耐えながら, 青息吐息で作っておるわけです. また, 一般にプログラムというのは「短くて良いプログラム」を書くよりも 「長くて繁雑なプログラム」を書く方が金になるのです. この辺りは 自然科学の淘汰原理とは異なるわけで, 問題のないものが作れる筈がない.
また, 家庭や職場に普及しているパソコンの OS にしたって, とりあえず見栄えの良いものを作って売る方が売れるので, 安全性 (セキュリティやシステムの堅牢性) は後回しにされてきておる わけです. 公共のインフラになるようなシステムに関しては, さすがに対応をせないかんということで, 今のところ大規模な災害に 至ってないようですが, これから家庭や職場で安易に導入した, 「安い」 (金額だけじゃなくて, それについての勉強を怠るという意味でも) システムが, ちくちくを起こす可能性は非常に高いのですわ. 問題が起こると「これで解決できます」というソフトを売りつけられるように なるので, いつまで経っても税金のようにバージョンアップさせられる 日々が続くでしょう.
ということで, この問題に関しては騒ぎすぎ, ということは決してありません. じゃあ, どうすればいいかって, まず, この市場に本物の競争をしてもらうこと ですが, それだけじゃ足りないでしょう. やはりお客さんも同じ投資をするなら, オープンソースなものに投資をしないと, 結局駄目でしょう. というのは, 計算機のソフトも, 自然科学の淘汰原理に則って洗練されていかなければ, 同様の問題は減少しないからです. この淘汰原理が 計算機のソフトウェアにおいて機能するためには, ソースコードが開かれたものである必要があります.
いや, 本当に大事なことだと思うんだけど. .

はりきって仕事場に来てみたが, 誰もおらんかったので, 長々と書いて しまいました. ちゃんちゃん.