2018 年の What's New!

最新のWhat's New
ここからしか飛べない過去のページもあるよ.


----------------------

12 月 02 日: 3/4 楽器




この週末に, 新作の日本製の 3/4 の分数楽器のチェロと弓のセットを 買いました.

長くなったので続き


----------------------

5 月 27 日: Youtube にクールな動画が

Wow! My simulation result is used in very coool presentation by Prof. Peter Cummings! Watch out from 1'28. 我々の次世代スパコンプロジェクトで作った超巨大油膜のアニメが カミングス先生のプレゼン動画の一部で使われていました.かっけー.

P. Cummings 先生は我々の分野の大先輩で,90年代にナノ空間に束縛された分子集団の動的挙動に関する先駆的な仕事を沢山されて,オークリッジ国立研究所(世界最大級のスパコンがある)のナノシミュレーションのヘッドをされている,大変著名な先生です.2007年だか2008年だかに,大規模な調査団を連れて来日されて,トヨタでどんな研究をしているか聞きにきました.ので,僕が参加していた次世代スパコンプロジェクト(京コンピュータが完成したら何を計算するか検討するプロジェクト)などで公開した情報をいろいろお話ししました.そのときに参考ファイルもいろいろ渡しました. ふと youtube を見たらこれがあって,Wow! と思った次第.なんだかアメリカンに編集されてますね(笑).ちょっと,オークリッジに遊びに行かねば.


----------------------

5 月 11 日: 産学連携について

2016 年 12 月 29 日: ボロディンについて でも述べたように, 最近は「難波のメンデレーエフ」を自称するようになった. 化学はとくに, 現実的な課題の中に重要な自然の神秘が隠れている学問である. また, これまでは,研究所の中の実験グループに主に属していたので, 実験結果は豊富に得ることができたが, 現在の研究室では計算機シミュレーションしか基本的に やらないため,自然科学の主役たる実験ができない. そこで,最近は「現実的な課題」に関する「良い実験結果」を持っている 方々に,共同研究者になっていただいている. 相手は産官学を問わない.我々は科学者でありテーマの重要性と クオリティが何より大事だ. 大学が偉くて企業が偉くない,などという頓珍漢な感性は とっくに失っている. これを踏まえて,最近注目を浴びた京都大学の山極総長の 「 国立大学独法化は失敗だ」という話を読んでいて, 一点,ものすごく誤解を与える表現があったので,指摘しておきたい.
国立大学は公共財だ。国民の税金で作っていただいたもので、国民の税金で運営させていただいているものだ。だから大学の知は、一私企業に利用されてはいけないものだ。国民全体の資産にならなければいけない。そういう意味で、もっと自由な学生や研究者のモビリティー(流動性)があり、なおかつその成果を誰もが利用できるオープンサイエンス、オープンイノベーションの拠点にならなければと考える。
この言い方だと,まるで一対一で企業と共同研究することは,一私企業に利用されているだけである, というように読み取れる.というか,これ以外の読みようがない. しかし,これは大きな誤解である.

大学教員が企業と共同研究したとする. 今どき,大学教員は学術成果=論文が出ないと生きていけない(任期が更新されない, 人事評価が下がる,競争資金を取れない)ため,基本的に成果は学会発表し論文にする. 「私は論文を書かないと死にますから,ご理解ください」と全ての共同研究相手に申し上げている. ひとたび論文を出したら,それは公共財となる.

では,企業側に大学を利用するメリットがないのかといえば違って, たとえば我々のように材料シミュレーションをやっている場合, 「鷲津研で提案された新規物質探索手法を用いて最初にオリジナル物質を探し当てる権利」は 共同研究先の企業が持つ.一緒に知恵を絞って考えたのだから,これは当たり前だ. とくに社会人博士研究の場合は,研究室で実施した研究成果を,公表しない分まで含めて まるごと会社に持って帰ることができる. では,公表しない分とはどれくらいかというと,研究の「主たる成果」以外の部分だ. 主たる成果の方は,当然出版しなければ我々は死ぬ. これまでの経験からすると, ざっくり(厳密でないこの言葉を嫌う人は多い),8 割は公表され 2 割が企業の取り分だと思う. これは基礎研究フェーズにおける割合なので,応用フェーズに広がっていけば 企業の中の 2 割は大いに拡大するわけだが,その時点においては 大学側はベンチャーでも立ち上げていない限り関与しない.

こういったことは,我々の業界では常識である.たとえば,自動車排ガス用の触媒を 研究していたとして,そのための新しい量子化学の計算方法を編み出すとする. 論文に出す研究自体は「白金」を使って計算する.白金は,触媒の最も有名な モデル物質だからだ.実際のビジネスでは,様々な合金を工夫するわけだが,それについては 各企業が研究所に持ち帰って秘密裏に研究したら良い. 大学の研究室で,新しい計算方法の構築を一緒に悩んだ科学者が企業に持ち帰るわけだから, 当然,論文を読んだだけの人よりノウハウが多い. しかし,自然科学の論文を書くということは,基本的に追試可能な事実を書くこと なのだから,その論文を読めば大筋は誰でもトレースできるわけだ. いずれ「公共財」となる.

「オープンサイエンス、オープンイノベーション」というのは,一見聞こえが良いが, 参加者が本気で平等に参加してしまうと,誰が責任を持つのかわからなくなるし, 結局,何も生み出さないことがある. 大学が,知の共有を行うためのハブになるのは結構だ. わしの研究室も,現在,日本の主だったトライボロジーや分子シミュレーションの 企業の方々が共同研究してくださる.ということは,ライバル関係にある軸受メーカー, 石油メーカーが同居しているということだ. しかし,それぞれのメーカーの担当者が持っておられるテーマは異なる. 一対一の個別の共同研究が大事だというのは,この点だ. その担当者も対等な研究者であり,独自のストーリーをお持ちであり, 必要があってコラボレーションするわけだ. オープンイノベーション,とぼやっと言ってしまうと,この「必要」が 弱まることが多い.「なんとなくやろうか」ではないのだ. また,共同研究をするときに大学側の担当者「先生,先生」と呼ばれるが, これは単なる慣例であり,魂のレベルでは我々は常に対等なのだ. 大学教員はこれを誤解してはならない.

最近は,多数の企業が一つのプロジェクトに集まって,一つの研究テーマの 実施を共同で分担し,一本の論文にまとめるといった研究スタイルも 生まれつつある.材料系だと MI を使った高分子の研究などが実際にある. しかし,こうしたイメージ通りのオープンイノベーションは例外である. やはり,軸となる一対一の共同研究の重ね合わせが,結果的に ボヤっとしたオープンイノベーションのコミュニティを作っている, という状態になるのが普通であり, 「一私企業に利用されて」いるなどという言い方は失礼であり, この状態は健全である. 自分の研究室では,競合関係を含む,機械メーカーや石油メーカーと 共同研究させていただくことにより,日本の科学技術力を底上げ できればという気持ちで僭越ながら仕事をしている. 多くの産学連携を実施している研究室はこうなのではないだろうか.

ちなみに,学部留年時にもぐりこませていただいた星研, 卒業研究の槌屋研,大学院の菊地研,いずれも, 理学部の生物,物理,化学の研究室であり, 企業との共同研究はほとんど実施していなかったように記憶している. その頃は,このような産学連携の意味について自分は全く理解できていなかった. 今でも,古典的な理学マインドだと,こういう実態,システムについては 理解できないのではないかと心配する. しかし,少なくとも化学に限っていえば, 周期律表の発見,高分子の発見,ハーバー法の提案など 化学史的に重要なテーマの多くは現実のニーズに基づいて 産官学連携研究から誕生しているのである. しかも,オープンイノベーションというよりも, 孤立した,あるいは一対一の小規模な研究である.

研究はいろんな形態があって良いし,いろんな形態をとり得るように 制度設計をしていくべきだが, 一対一の共同研究について 「一私企業に利用されて」という言葉が出てくることについては 大変危惧する.

ということで,まとめると,
・オープンイノベーションは一対一の共同研究が沢山集まったら実現できる
・一対一の共同研究あたり8割の公共財を生んでいる
ということで.


----------------------

3 月 11 日: 新刊


佐々木先生監修の本が発刊されました. トライボ屋は必携です. わしも数値計算のイントロを書かせていただきまして, 勉強になりました.皆さん買ってください♪ 

数値解析と表面分析によるトライボロジーの解明と制御.

で,「数値解析」の章を書かせていただいたのですが, その章を始めるに際して,世の中を「数値」で表現する ということは,そもそもどういうことか, ということを考えました. シミュレーション学はほぼ全てこれに拠っているわけです. で,次の文章となりました.(以下引用)
西洋文明が他の文明に先んじて自然科学を成立 せしめたのは,世界を数量的に記述する術を生み 出したからであるといわれている。ルネサンス 期に生み出された,メルカトル図法は地球上のあ らゆる地点を座標で均質に表すことに成功し,五 線譜は笛や太鼓といった異なる発生源を有する音 を一様に記述することを可能とし,複式簿記は地 理上離れた場所での商品価値の同一性を担保する ことによりヨーロッパ経済の統合に寄与した。グ レゴリオ暦(太陽暦)や遠近法もその一つである。 ニュートンの運動方程式も,ma (私が今後どう 動くか) という内的な事情と, F (私がどういう作 用を受けているか) という外的事情とを数値的に 等号で結ぶことにより,原子分子から地球や銀河 の運動の記述を可能とした。この両者を等号で結 ぶことは本来自明ではないが,例えば笛や太鼓の 音も直感的には異なる発音方法であるが,五線に 載せると同等となるのである。このように,世界 を均質に捉える,ある種強引な客観性が数量化革 命を生み出したのである。数値解析の起源は,こ のように科学技術文明の成立と軌を一にする。
2007 年に 11 月 6 日: 当り前で書いたように, これはクロスビーの本に書いてあることです. 興味があれば,そちらもどうぞ.