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9月27日: Rock
昨日, 下北の兄貴がやってきて, 録音に参加せんかと誘って いただきました. ふぉっほっほ. これで俺もロックンローラーさ. 嬉しいねぇ. . 物心ついてから, ロックンローラーを憧れておったが, しょせん, チェロ弾き, だったのだ. .
9月16日: π
MIT の本屋さんで買って来た 「The joy of π」(David Blatner,Walkner 1997) という本. とても小さな本なんだけど, 円周率 π について, 古今東西, 数学から芸術まで縦横無尽に書かれてある美しい本. 今日, 駒場の本屋さんに いったら日本語訳が出ていました. 出版社は忘れたけど 1600 円の モノクロのハードカバーです (原著はペーパーバック, カラー).
自然の法則を支配している定数, たとえば プランク定数だとかボルツマン定数だとか, その由来を考えはじめるといつまでも 考えていられるような不思議な数というのはいくつもありますが, その中でも, πはやはり王様だといえるでしょう. このテーマはキャッチーであります.
本書の, 知的好奇心の赴くままにだらだらと調べていく書き方は, 「ゲーデル エッシャー バッハ」にも相通じるものがありますが わしは基本的にこの手の本には警戒します. だって, この手の, 自然科学のナイーブな面を知ったとき, 何か決定的なことを言ってしまいたい衝動に苅られるものだと 思うんです. でも, それは自分が死ぬ一日前くらいにしておいた方が いいような気がするんです. 何かをあきらめた人だけが, こういう 本を書いてもいい, とまで思います. 客観性, というのは曖昧な概念だと しても, 自分の中の客観性の範囲の中でつきつめて考えられるところまで 考えて, 最後に文学に還元すればいいのでは, と.
まぁ, それはともかく, 面白いからぱらぱら読んでしまうわけでして, 紀元前 2K 年から現在までの πの探求の歴史の年表の最後に, 515億桁まで計算した金田教授の名前が輝いております. 教授は, 我々にとって文字通り神様でして, 彼らのグループが πの計算をはじめると, 同じ計算機で仕事をしている末端信者である 我々の作業は一時中断ということになります. ちょうど, 雨が降ったら 農作業を中断しなければならないようなものです. おい, 神様, なんとかしてくれよ, と時々思ったりするのも 古代がかっていて宜しいのではないかと思ったりもします.
というわけで, πについては複雑な思いが交錯するわけです.
9月11日: えび 2
予定どおり帰って来ましたです. ボストンとクリーブランドに行って来ましたです. 22 年ぶり. わしは生まれたときから意識があるので, 時間が経つ ということは, どんどん疲れていくということになり, 困ったものなのですが, ときには良いこともあるだろう.
えびは食って来た. これはほとんど誰でも信念にするべきだと思うのですが, うまいものはその土地で食うべきだということ. 鰯がうまい土地なんだったら, 鰯だってグルメだろう. 単純ね. 「やっぱり大トロはおいしいのよ」と, 言っていた M さんに判らせるのは 無理だろうけれど.
ああそれからパエリャが大好きな人々には朗報で, ムラサキイガイも 大量に食った. わしが最初に実験動物に選んだ, あれ, さ. 白ワインとガーリックでさっと炒めると, たまらんねぇ. 義姉が作ってくれた. 当然, パエリャにもした.
鷲津さんの家では古くから「オッチロール」という言葉があって, この言葉を他で知っている人は是非, 教えていただきたい. 語源がわからん. が, 意味は明瞭で, いかにもアメリカチックな, たとえば添加物がいっぱいだったり, 香辛料が意味もなくふんだんに 使われている食べ物や飲物の総称です. いきなり国内線に乗り換えた途端に出くわした. わしは何でも食うので, おいしくいただいたけど, あのチキンの 煮物は典型的なオッチロールだったよ. これから, そういう食べ物に出くわした方は, 是非とも使っていただきたい言葉です. 使い方は 「これはオッチロールだ. 」とか「Oh! grouse. It's fucken outchrool.」 とか言うんじゃないかな?
バーベキューにも 2 回ほどお呼ばれしました. それぞれの家で流儀があって, 面白い.
ああ, 食べ物の話ばかりだった. 一番会いたかった, わしに最初にピアノを, というか音楽を教えてくれた 先生には会えませんでした. もう, 会わないほうが良い, と言われました.
なんで行ったのか書かないのはまずいかもしれないので, 書いておくと, 兄がボストンの MGH というところで仕事をしているので, 宿代がタダのうちに 妻と母を連れて遊びに行った次第です. 宿代どころか, 何から何まで 世話になってしまった. 同業者には会わなかったし, 観光も鯨を見に行っただけだけど, のんびり, のんびり致しました.
8月31日: えび
ちょっくら, えびを食べに行って来ます.
10日くらいに帰ります.
8月28日: がきんちょ
昨日は姉と娘 4 人 (各 1,3,7,9 歳 ) と諸々と一緒に TDL に行って来ました. いやー, がきんちょは疲れる. . でも, 面白い. がきんちょとはいえ, それぞれ個性 (個体差, に近い?) があるから. それにしても, 3歳のガキと空飛ぶダンボに乗るために 45 分並んだぞ. 「どうしてもダンボに乗りたいの?」「うん. 」「でも, 45 分も並ぶんだって」 「いいよ. でも, どうして, ダンボは象さんなの?」 「そりゃ, 鳥が空を飛ぶよりみんなびっくりするでしょ?」 「ダンボはみんな仲良しだね」「え!?」「だって, おいかけっこしてるよ」 てな感じで, 並んでいたら, 「だっこ」とか言い出すし, がきんちょは, 暑くて汗臭くて重いけど, 面白いなぁ.
澄ました顔して歩いている 20 歳前後のカップルも, あんた, いつか暑くて汗臭くて重いがきんちょを抱き抱える人生が待ってるんだよ.
8月25日: 20 世紀に間に合いました
M27!
8月20日: かぁ〜!
ジャイに3タテ. 気持いいね.
8月16日: 湾岸
死者は降りて来る場所を知っているが, わたくしたちはどうすれば会えるのか わからない, という本を読んでいた.
お盆だから都心は空いているだろうと思って, 湾岸の方にいったら, 新しい島が出来ていた, じゃなくて, やたらと混んでいるので, なんのこっちゃと思ったら, 花火でした. 花火は好き. けど暑いの, 人がごちゃごちゃいるのは嫌い, な姫と下僕には ぴったりな, ということで, 首都高をごろごろ回りながら見ていたら, 虹橋からの眺めは絶景でしたよ. B747 は飛んで来なかった. お巡りさんが 「はい, ブレーキ踏まない, アクセル踏む!」とシャウトしていたのには 笑った.
萩原さんの「アラスカ連句」, とても良い響き. なんだか暑いんだけれども, 手癖のように, 冬の音楽を想っていたのに, ぴったり.
8月12日: 生きておるのだが.
なんか, 何も書かないと死んでるみたいですが, 一応生きています. って, なんのこっちゃ.
7月29日: リズム
先週末は忙しかったのでメールを出すことしかできなかったが, 昨晩やっと文枝ちゃんに電話した. 作っている途中の絵本の出だしの部分を口ずさんでもらったら, とてもリズミカルだったので, 「どうしてそういう言葉が出て来るの」 と聞いたら, 最近, 谷川俊太郎さんの家に遊びに行っているという. 文枝ちゃんらしくて, なんとも可笑しい. そのリズムを, ここに再現できないのが残念だけれど, そんなに簡単に再現できないものなのだ.
7月27日: 三都物語?
最近, ふと思ったのですが. . 京都の人は東京にやってくると「東京人は冷たい」という. 東京の人は京都にやってくると「京都人は冷たい」という. これは, どういうこっちゃ. 京都の人 曰く, 標準語を喋られると, なんだか事務的な感じがする, と. 東京の人 曰く, 京都の人は表面上は人なつっこいが裏で何を考えて いるのかわからん, と. どっちが本当なのかということを言い出すと答えが出ないので, どっちも本当だとすると, こういうことになるのじゃないかな. 冷たい, と感じる時というのは, 疎外感を感じるときである.
東京の人が京都に行って, どうにも馴染めないと感じるときというのは, 「見下されている」と感じるときなんじゃないかな. だって, 京都って土地はとても「位取り」が好きだから. わしも, よく京都生まれの母に 「あんた何言うてんの, 偉そうに. 」と言われたものです. 「偉そうに」というのは, それだけのことを主張するほど 偉くない癖に, というニュアンスであって, こういうとき別に 上下関係を持ち出す必要はなくて「馬鹿な主張だなあ」と考えれば 済むことだったりします. でも, 上下関係を持ち出すのは, 京都は 「位取り」が好きだからとしか解釈しようがない.
京都の人が東京に行って, どうにも馴染めないと感じるときというのは, 「無視されている」と感じるときなんじゃないかな. 東京ではただでさえ人がいっぱいいるので, 100 m 歩くだけでも 100 の事象を無視しなければ, いちいちやってられんのです.
じゃあ, たとえば名古屋ではどうかというと, どうにも馴染めないと感じるときというのは, 「拒否されている」と感じるときなんじゃないかな. 名古屋みたいな田舎では, 新しいもの, 奇抜なもの, ひっくるめて 「未知の世界」に対して恐ろしくガードが硬いんですわ. 子供の話で申し訳ないんだけど, たとえばトランプで遊んでいて, こっちが京都で覚えた新しい遊びを提案しようとしても, 9 割の人に却下されましたよ. あ, これは知的好奇心の問題か プレゼンテーション技術の問題だったのかもしれませんが. うまい例えを他に思い付かないんだけど, 結構, 万事こんな調子でした.
はい. まとめますと, 異郷における疎外感の裏には, 「見下される」「無視される」「拒否される」 という質的な違いがあるわけですね.
またもや, 恐ろしく単純化してしまった.
7月26日: オルフェウス ゴーシュ的な話を
久しぶりに.
鈴木文枝ちゃんが学研のお仕事で絵本を描くんだって. で, 冬のお話ということで, OG の「白い夢」の詞を見せて くれんかと言われたのだけれど, 探したのだけれど, ない! もう, すっかりわしも忘れてしまった. 覚えていてくれるだけで何よりも嬉しい, です. 今日中に思い出します.
詩人 吉岡実さんは, メモ帳を持たなかったという.
外出先で, いい言葉が出てきても, 家に帰るまでに忘れて しまうようなら, 書き留めておく価値がないからだそうだ.
でも, この場合, 価値を決めるのはわしじゃないもんな.
最近は, モバモバを持ち歩いているので, 今朝もこの文章をマクドで書いてるよ.
7月24日: まぶしすぎるぜ
太陽.
7月23日: どっと疲れのでる
メールというものを, 久しぶりに受け取った.
二行ほどの中身といえない中身なんだけどさ.
二行以上書いたら損だから, と思ったらもう三行目か.
7月21日: 散慢
どうも最近, やることが散慢である.
オルフェウス ゴーシュの相棒はその昔, 「わっしーも僕らくらいに睡眠時間を削れば, もっと立派な人になれるのに」と言っておったが, 睡眠時間を減らしたところで立派になったような気がしない. .
最近, 印象に残ったことといえば, トオルちゃんバンドのライブに 行ったことと, Bunkamura の20世紀の写真展に行ったことと, 連句が突然はじまって面白いことと, ポケビに僅かながら貢献出来たことだけれど.
7月16日: 今中
昨日は, 今中が先発した.
敗けてもいいんだ, 敗けても.
でも, もう一度, 出て来てくれ. .
7月6日: 風邪ひいて寝てた
そのまんまです. まだボケている筈です.
6月28日: 娘よ
先週は妹の結婚式で, またもや京都にいってきました. (最近, 結婚式ネタしかないのかよ, というのはさておき. ) エレクトーン奏者を発注したということで, カラオケが出来る という話だったので, わしは「娘よ」を歌おうと気合いを 入れていたのですが, どうしても兄ちゃんのチェロがよろしい ということで, 結局いつものように楽器を持参致しました. ああ, でも重い. 混んでいる新幹線の座席には苦しい. 今度からは, 「ああ, あれね. あれは終了しました. 」と 言う予定ですので, 結婚式には楽器は持って行きませんです.
どうでもいいけど, 関西人というのは, これでも同じ日本人 なのでしょうかと思うときが, ときどきあります. 喫茶店で, ジュースをすすっていたら, 客のおっちゃんが ふと立ち上がって, 壁にかけてあるなんてことない絵に手を 伸ばして, 額縁の後ろをのぞきこんでいます. 20代のアルバイトの姉ちゃん的な人が
「何してはるんですか?」
と聞いたら, おっちゃん
「最近買うた絵に額縁をつけようと思てな, 後ろがどうなってるんか 気になったんや. 」
「そりゃ, フックで壁にかけるだけですわ」
「じゃあ, 額縁に絵をどうやってくっつけるんや?」
「それは, お米でつけるんです. あ, でも酢飯はあかんと 思いますよ. 」
カメラ屋にフィルムを買いに行っただけでも, 楽器のケースをさして 「重そうなもの持ってはりますねぇ」と言われたり, 結婚式の司会者も, 新郎でも新婦でも構いなしに突っ込みをいれるし, ペットショップの横でぼーっとしているだけでもガキが寄って来るし, やっぱり関西は日本のラテンなのだということで, 納得しました.
人による, 人によるということは重々承知しております. それどころか, 親は関西人だし, わしも関西に住んでいたことすら あるんですが, 何故か昨日は関西的ということについて, どうして O 場くんは大阪支社配属になって喜んだのか, どうして谷崎潤一郎は引越しをしたのか, ということなどを しきりに考えておりました.
6月17日: 耳のある生き物だった
最後の胡弓弾き
今日はこれを読んでひとしきり泣いたよ.
6月8日: なすび
最近, 畑の収穫物が食卓を賑わしています. この間は, おい茂ったバジルを使って鳥肉とバジルとトマトの 重ね焼きを作ったらバジルの薫りがすごかった. 昨日は青ジソをなすの塩もみに入れたらうまかった. パセリも随所で活躍しています.
なすの塩もみに入れたなすはスーパーで買ったものですが, 畑で収穫したものを早く食べたいものです. そう, なすの茎は, 見るからに「なす」っぽいのです. 紫色でつやっとしている. 同じナス科でもトマトの茎は, あの可愛いトマトを連想させる 風情はないのですが.
変な連想ですが, 女の子でも, その子の父親を見ると 「いかにも, このおっちゃんの娘だ」と思われる系の人と, 「これが親子?マジかよ」と思わせる系の人といませんか. こんな武骨な生き物から, よくもまぁこんな可憐な生き物が. . メンデルの不可思議といいますか. .
失礼.
6月7日: きれいになった?
10年くらい前に買った CD に「新ウィーン楽派の弦楽四重奏全集」 ラサール SQ というのがありまして, 名前からしてもいかにも硬いのですが, 4枚組の CD に 200 ページ近い解説(?) がついていて重厚, なかなか 最近は聞こうと思わなかったものですが, 昨日ふと聞いてみて びっくり. その 1 枚目の CD はシェーンベルクの 1番と 2番目の SQ なのですが, 買った当初は雑音がひどくて聞くに耐えなかった. ところが, 新しい CD プレーヤで聞いてみたらその雑音が全くない. 今までの CD プレーヤだって, その CD 以外はちゃんと聞くことが 出来たのにですよ.
まぁ, こんだけ計算機が身近になって, バグバグの OS を平気で 使ったりして, デジタルだからって不可思議なことが起こり得る ことは了解済とはいえ. .
問題は, その新たな(?)演奏の衝撃なのでございます.
6月2日: 異形
先日, 異形についてちらと触れた. わしは別に自らは平凡な ヒモであるから異形であるともとくに思わないし, 知っている人の中には 世間的に考えると異形と呼ばれても仕方がないという人もいるけれど, これといって驚くことでもない. もっとも, 身近に”社会的”動機で もって意図的に独特の生活している人というのはほとんどいないので, ふるい友達である 加藤圭君のページを眺めながら, 異形についてぼーっと考えていた.
圭君のムーミンの話を読んでいて, 面白かった. 彼は, 物語の中にムーミンパパを中心とするコミュニティ形成というものを 読んでいる. わしにはさっぱりなかった視点だということに驚いた. わしも, ムーミンは好きで, とくにこんなところが好きだ.
宝石のような石にあふれている洞窟に, スナフキンがムーミン トロールを連れて行く. この宝石を持って帰ることが出来ないとムーミンは悲しむ. それに対してスナフキンは, 「僕は心の中にこの光景の全てを焼き付けたから, もう持ち帰る必要がないんだよ. さらにその方が, 全部を持って行くことができる」 というようなことを言う.
別の場面ではこんな具合だ.
海の向こうの島に行くために, ムーミン一家が海岸を歩いていると 古い船をみつける. その船に名前をつけようということになる. スノークのお嬢さんが何か陳腐な名前を言ってみる. どうもしっくりこないということで, 「きっとスナフキンなら良い名前を 考えているに違いない」ということになる. そこで, 待ってましたとばかり スナフキンが「”待ち伏せするオオカミ”なんてのはいかがだろう」と言う. すると, ムーミンは「嫌だ嫌だ, そんなの」とダダをこねる. いるんだ, こういう奴. 本当に遊び心がない. というのはさて置き, 最終的にはムーミンママが「じゃあ, 平凡だけれど ”冒険号”にしましょうか」ということで決着する.
スナフキンは決して共同体に溶け込もうとはしない. 秋になると, 必ず一人で旅に出るのだ. かといって, 共同体との関わりを避けている様子はない.
共同体全体が異形である, というイメージを結局わしは抱くことが できないでいる. アメリカのユダヤ人社会も, ナイル デルタに住む イスラームの家族を思い出しても, 地域社会全体がいくつかの大きな ローカルミニマムを持った安定構造を為していた. 対立するわけでも, 均一化するまで融和するわけでもない. わしにとっては日本の社会も世界の中のローカルミニマムの一つであり, そうした構造から逃れるためには, 別の言い方をするなら ”秋になると旅に出る”ためには, 単独でなければ成就しないと 思い込んでいる.
じゃあ, あんたはなんでヒモなのかって?
旅人であるという意識よりも欲望の方が強いんだろうなぁ. . .
最後に, 圭君たちが作ったと思しき うまそうなトマトの写真に軽く嫉妬して, 次に何か安心したのでありました.
6月1日: でもって, 何が面白いのか
京都では, イギリスの地方行政の研究をしている旧友の家に お邪魔したのですが, 普段思考の範囲外にある対象について 考えている人と話をすることは面白いものです. 私が理解した範囲における彼の研究によると, . .
80年代のサッチャー政権のもとにイギリスでは行政改革が行われた. それは, 徹底した地方の分権化を進めるものであった. 公共サービスを次々に特殊法人化して, 政府が直接関与する割合を減らした. 日本では, これらヨーロッパの行政改革が一種の手本のように見られている. しかし, 本当にこれらの改革は住民のためになったのだろうか. 特殊法人の責任者は中央の大臣によって任命されるようになった. これでは, 地方の選挙によって地方の政治の責任者を選ぶという 地方の民主主義が後退したことになる. また, 行政サービスが特殊法人化される際にはサービスの効率化が 理由になることが多いが, 実際にはサービスの質が低下して 効率も悪くなった例が多い. 結局, 住民の立場に立って考えるとイギリスの行政改革が 成功したのかどうかは疑わしい.
ということだそうです.
こういう研究は, 門外漢にとっても面白いです. 「ヨーロッパは進んでいると考える人が日本に多数いる限り, 飯の タネには困らない」そうで, しかも対象としている時代が極最近の ことで, 日本も直面している問題であるので, 耳を傾けられやすい. 塩野七生さんの著書が日本のビジネスマンに読まれる第一の理由は, 小国であるにも拘らず何百年に渡って外交努力と貿易によって繁栄した ベネチアの秘密が描かれているからだというのと, 同じ種類の理由です.
わしも, 京都の学会で「でもって, 何が面白いのですか?」と 見知らぬ若者に聞かれたぞ. 「私はこれこれこういう仕事をしておりますが, あなたの仕事はこういう面で 面白いと思いました」とか, 言ってもらえると, 話の続きもできるのですが, 身も蓋もない. 今になって気がついたのですが, こういう質問をする人 というのは, 自分で責任をもって何かの仕事をしたことがないから言える のだと思います. 中高生の女の子が自意識過剰で無敵なのと同じ理由です. だからといって, 黙っていては商売にならないので, どのレベルで 面白がっていただきたいのかを探るためにいろいろな説明を試みます. この現象は, 実験的には80年代に既に判っていたことなのだけれど, 分子論的に納得の行く説明がなされたことがなかった. 今回の仕事で, その現象に対して説明をつけることが出来たのですよ. うーむ. 生体高分子のマクロな電気的性質というのは解析的にとくことが 難しいのですが, 計算機シミュレーションだとこういうふうに順番に 問題を解決していくことができます. うーむ. DNAの二重螺旋の分子模型を見たことがあるでしょう. でも, 本当は その周りには, こーんなにいっぱい小さなイオンが広がっていて, そのイオン雰囲気の構造がぱっと変わると DNA の形や性質もどどーんと変化する んですわ. うーむ.
最後は, 冒頭のイギリス研究家の言葉を引用するとしよう. 「知識欲がいつまで経っても満足されないからね」