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先日, Opus1 のコンサートを聞きにいきました. いやもう, 素晴しい. チェロの林さんがわしの師匠の御子息&筆頭弟子なので, ということと関係なく, 室内楽マニアにとって大変ユニークかつパワフルな カルテットが出来たことに, 大変なる喜びを感じます.

常設のピアノ四重奏というのも珍しい (ガブリエル PQ くらい?) ですが, 「本物の室内楽をやる」に際して, この編成で攻めるということには, 実はおそるべき必然性があるのではないかと思いました.

室内楽というと, 一に弦楽四重奏, 二にピアノ三重奏, というのが常識かと 思います. ベートーベンの無敵の 16 曲をはじめとして, 20 世紀に入ってからも ショスタコビッチやミヨーのように, 大作曲家が 10 曲以上も 人生を賭けて狂ったように作品を残しているのだから, 弦楽四重奏が最上の様式であるということについては疑う余地がないように 思われます.

ところが, ピアノ四重奏曲のレパートリーを見てみると, そうとも言い切れない面があるように思います. ドイツ・オーストリア系でも モーツアルト2, ベートーベン1, メンデルスゾーン3, シューマン1, ブラームス3, ドヴォルザーク2, R. シュトラウス1, マーラー1, などと錚々たる面々ですし, フランス系では, サン=サーンス1, フォーレ2, ショーソン1, ルクー1, マルティヌー1, などこれまた素晴しいラインアップです. フォーレなどは, ピアノつきの室内楽は三重奏1, 四重奏2, 五重奏2, であり 一方, 弦楽四重奏は 1 曲のみですから, フォーレやフランクとその弟子たちの作品を見てみると, フランスのロマン派の人達は 弦だけの室内楽よりも, ピアノつきの室内楽の方により力を入れていたのは明らかであり, この領域に限定していえば, 弦楽四重奏団を作るよりもピアノ四重奏団を 作った方が室内楽団としてしっくりくる, と言えるような気すらしてきます. ロマン派室内楽のもう片方の主ともいうべきブラームスでは, 弦のみの室内楽が四重奏3, 五重奏2, 六重奏2 の計 7 曲であるのに対して, ピアノが入ったものは三重奏3, 四重奏3, 五重奏1 の計 7 曲です. ここで管楽器の入ったものは除外してあります. つまり, ロマン派といいますか ベートーベン以降の 19 世紀から 20 世紀初頭にかけての室内楽全般について, 控え目に見積もっても, ピアノ入りの室内楽は弦のみの室内楽と同等程度に 重要だと言えるのではないかと.

ではなぜ, ピアノ入りの室内楽の 軽んじられるようになってしまったように見えるのでしょうか. ベートーベンの後期の弦楽四重奏曲が現れて以降, この音楽が 至高の室内楽であるという認識は, 19 世紀を通してドイツ・フランスを問わず 存在したと思われます. しかし, 弦楽四重奏曲という形態そのままでは, ベートーベンにより確立されたソナタ形式, 調性などの 枠組を守ったままで, より重厚な表現を行うには 弦の本数が足りない. 単純に一人一本ずつ弦を擦るとして, 三人ではじめてドミソの和音を奏でることができ, 四人では 7 の和音を擦れひとまず安心できるが, 9 の和音を擦るためにはもう一人必要になる. 和声が複雑になると, まずは弦の数を増やすというのが簡単です. そこでどうしたかというと, 一つは弦楽器の本数を増やして弦楽五重奏, 弦楽六重奏にすることにしました. また別の解として, 両手の指の数だけ弦を叩くことができる ピアノを入れるという, 二つの解決策を見出したのだと思います. 楽器単体として, ピアノ・フォルテの表現力がバイオリン属の楽器に 匹敵するようになったことも, 一つの要因かもしれません. 別の言い方をすれば, 19 世紀においてピアノ入りの室内楽曲が 弦楽四重奏よりも多く作曲されるようになった理由は, ピアノと弦の二重奏ソナタに楽器を加えていった結果というよりも, どちらかというと弦楽四重奏の発展解消したようなものであるといえまいか. 19 世紀後半は, ピアノ入りの室内楽の全盛期だったと. そのわりには現在, ピアノ四重奏, ピアノ五重奏といった形態が軽んじられて いるように思うのですが, その理由は, 20 世紀初頭にシェーンベルクや ドビュッシーやバルトークが弦楽四重奏という様式を再構築したため, すなわち, 重厚な和声に寄らない音楽作法を見出し 弦楽四重奏という様式に深い音楽的思想を盛り込むことが再び可能になったために, やはり至高の室内楽形式は弦楽四重奏である, という認識で 落ち着いたからだと思います. であるから, 未だにクラシック音楽で一番人気の高い 19 世紀の音楽を やろうとするときに, 室内楽では, ピアノ入りの楽団という形態を選ぶというのは, 攻め方として, とても自然であり賢い方法であるといえないでしょうかいな.

ピアノ三重奏団ではなくピアノ四重奏団が面白い理由は, ピアノ三重奏の外面的な構成, 室内楽というよりもスターの競演といった雰囲気が, ビオラが入ることによりぐっと内面的, 室内楽的になるからだと思います. 先の和音の話で考えると, 弦楽器は 三本あってはじめて自由に弦楽器だけで和音を作ることができる. 楽曲の中で, ピアノが入らない「間」を, ピアノ三重奏よりも四重奏の方が より長く設定できます. ピアノ入りの室内楽をピアノ対弦楽器の対立として考えると, 19 世紀的な楽想の範囲において ピアノ三重奏では弦はピアノに負けてしまうわけです. 負けないためには, どうせ弦楽器だけでは和音は作られないとあきらめて, ヴィルトゥオーゾ的なパッセージで攻めることになります. つまり, バイオリンとピアノの二重奏ソナタと基本は同じことになり, 違いはチェロがいることであると. それはそれで面白いのですが. . . 作品の数からいえば, ハイドン 30 曲以上, モーツアルト・ベートベンは 10 曲近く, などと 19 世紀初頭までにおいては圧倒的に多いし, 室内楽のあまり得意ではなかったチャイコフスキーや, ピアノ系の作曲家とでも言うべきショパンやラフマニノフなども作品を 残していることを考えると, 確かにピアノ三重奏の幅は広いでしょう. しかし, 常設の楽団, という観点からすると, ピアノ三重奏団がピアノ四重奏を演奏するためには ビオラを新たに雇わなければならないが, ビオラを確保している ピアノ四重奏団がピアノ三重奏を演奏するのは簡単です. ピアノ三重奏には, 真に室内楽的な作品 (シューマンやブラームス) と, 上に挙げたようなソリストがひたすら活躍する作品と二系統あるとすると, 室内楽マニアとしては前者を, 室内楽に本気で取り組んでいる人達の演奏で じっくり聞きたい, 後者はソリストが集まったときに機会演奏のような形で やってくれればいい, そんな感じがいたします. そういう要望からすると, Opus1 が真の室内楽であるブラームスの ピアノ三重奏を選ぶのは極めて自然に感じられるし, 是非とも, 今後はシューマンやフォーレの ピアノ三重奏も取り組んでくれたら大変嬉しいです.

ピアノ四重奏とあまり区別がつかない編成として, ピアノ五重奏があります. 有名どころでは, シューマン1, ブラームス1, ドヴォルザーク1, フランク1, フォーレ2, ショスタコビッチ1, といったところでしょうか. ここに挙げたピアノ五重奏の方が先のピアノ四重奏のレパートリーよりも 有名かもしれません. が, それは演奏される機会が弦楽四重奏+ピアノという 形であるために多かっただけなのではないかと. 作品の完成度というか, 室内楽マニアの喜び具合で考えますと, 実はシューマンのピアノつき室内楽というのは, ピアノ五重奏→ ピアノ四重奏→ピアノ三重奏(x3) という順番で書かれていて, 後になるほど 濃い作品に仕上っております. 楽譜を見ても, 弦楽四重奏とピアノが 協奏曲のように競演する華やかさはありますが, 室内楽として緊密であるかと いうとそれほどでもない. ブラームスの曲は御承知のように2台ピアノのソナタ を編曲したもので, 当初から室内楽として構想されていたものではない. もっと判りやすいのがショーソンで, バイオリンとピアノと弦楽四重奏のため の協奏曲は, ピアノ五重奏にバイオリンが加わった形ですが, この曲と比べて 同じ作曲家のピアノ四重奏のほうがはるかに内省的, 室内楽的であります. 先ほど, 弦楽器は三本あってはじめて和音を構成できると書きましたが, そこに, もう一本バイオリンが加わったら弦楽四重奏として完全に独立できる, 逆にピアノ四重奏はバイオリンが一本足りないわけなので, よりピアノと 緊密な関係を持たなければ楽曲として成立しにくい. そのため, ピアノ五重奏よりもピアノ四重奏の方が, より室内楽として 緊迫した構成になる. このような次第で, フランクを除いてピアノ五重奏よりはピアノ四重奏 に重きを置かれることが実は主流であるのだといえましょう. そのわりには, ピアノ四重奏は不遇であるといって良かろうと.

さらに, この編成では 今回の演奏にあったビオラとチェロの二重奏, あるいは弦楽三重奏などの 少人数弦楽合奏のレパートリーも掘りおこすことができます. 20 世紀の弦のみの室内楽においては, ラベルやコダーイの バイオリンとチェロのための二重奏, あるいはウェーベルンの弦楽三重奏を挙げれば良かろうかと思いますが, 弦のみの二重奏・三重奏の比率は高いものがあります. これらのレパートリーは, 弦楽四重奏団の演奏では それほど積極的に取り上げられてこなかったです. つまり, 常設のピアノ四重奏団とは, 19 世紀の室内楽の最もおいしいところを押さえ, 20 世紀の室内楽の 手薄なところを攻めることができる編成である. 弦楽四重奏団よりもフレキシブルであり, ピアノ三重奏団よりも 室内楽としてマニアックである, そこのところが この編成が面白い最大の要因といえましょうか. 結局, ピアノ四重奏は, ロマン派以降にレパートリが集中していることを考えても わかるとおり, 弦楽四重奏の緊密さを破ってでもピアノを入れて実現したい 室内楽的な情動を受け入れる最良の容器であったと考えられます. 19 世紀の室内楽の王道はピアノ四重奏である, ぐらいのことを言いたい. ルクーの 24 年間の短い生涯の最後に全精力を傾けて取り組んだ 作品を聞いていますと, まさにそういう感じがしますし, ブラームスの三曲とフォーレの二曲だけでも, 何度でも取り上げる価値があると思います.

ということで, 室内楽マニアならばぶひぶひになること間違いなしの Opus1 の今後の展開が楽しみです.