2013 年の What's New!

より

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ここからしか飛べない過去のページもあるよ.


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4 月 15 日: 多崎つくる

村上春樹の新作の主人公が,「千種高校(名古屋の郊外の進学校で ラグビーがさかん)→東工大」出だそうで, そんなマイナーな経歴の人は,わし自身を含めて数十人しかいないので, ちょっと読みたくなりました.

これまで彼の作品には全く興味がわかなかったです. 出てくる人たちがナルシストばかりだし,文体が生理的に合わないので. でも,彼の生活スタイルは良いなあと思います. エーゲ海が見えるギリシアの別荘に何ヶ月も住んだり.

で,読んでみたのですが, ここに出てくる登場人物の全員,千種の実在の誰かと誰かの組み合わせとして 妄想することができました. 名古屋という社会,東工大っぽい人の感じ,そこそこリアルです. でもまあ,この本はまぁ,僕らをモチーフにしていはいるけど, 基本は村上春樹的人物像を描いてる,村上春樹的ストーリーだと思います. 悪い作品ではないけど,たとえば, インディアンの生活を妄想してる白人作家の小説のように, 実在の僕らには何の意味も感じませんでした.


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追記: ググってこのページを見に来る人がやたらいます. ネットを散見すると高校のモデルが瑞陵だと言ってる人がいるけど,全然わかってない. 「ラグビーがとくに強いわけではなかった」と書いてあることを千種でない根拠にしている 人がいるが,奨学金で全国から集める私学には負ける,と書いてあり,強くないというのは全国レベルの話. また,千種生が東京志向だから違うという意見については, この 5 人の仲がとくに良かったから主人公以外は学校のレベルをあえて落として 名古屋に残った,という記述がある. ちなみに,わしの当時は「関東志向」,「関西志向」,「名古屋土着+他地方や地方医学部」が ほぼ 1:1:2 の割合でおり,決して東京志向だけではない. 「東大に余裕でうかるがあえて名大」というアカのような存在がいるのは, 県内トップの高校しかない. 当時の千種は,東大30人,京大30人,名大100人,医学部50人とかでした※1. 今では想像できないでしょう. 一方,市内 6 位で東大+東工大が 0〜2 名の瑞陵では有り得ない. それだと多崎も優等生として目だってしまう.彼はあくまでも "中の上" なのだ. 東工大をそのために使った,実にいやらしい設定だ. ただし,主人公はわしより 3-5 歳若くて, その頃は群制度が変わり千種はトップじゃなくなる頃だった. だから,このポジションの高校は厳密には存在せず,一番近いモデルが 旧群制度の千種だということだ. ともかく,ラグビーの話にしても,主人公が東工大に入るため「生まれてはじめて真剣に」勉強した, といった言い方にしても,要は "うすらでかい" 地方のエリートのスノッブな「上から目線」で 全体が描かれている.これが判らないと,主人公に「色彩がない」という妙な話が 理解できない.それにしても, それにしてもですよ, こんなことをクダクダ考えてる還暦の小説家というのも,いったい...

※1 東工大や一橋は数名ずつ. もっと付け加えると,当時は「2群」に合格した人が機械的に旭丘と千種に振り分けられる 非人道的な制度であって,進学実績は旭丘と合計した「2群」を用いるべきだ. 東大と京大それぞれ 2 倍になる.でも, そうすると伝統校を潰そうとした当時の学校群制度の問題,すなわち受験戦争を緩和するために 導入した筈の制度により愛知県史上で最も過激な進学校の出現をもたらしたことが 明白になるので,誰もそう表現しない. 僕らは当時の教育委員会を怨んでいる.大人になったらどうでもいいんだけど, 心の傷が残っている.教育制度で「冒険」をしてはいけない. ともかく,村上さんの出た神戸高校と千種高校は立場が似てるから, 想像しやすかったのであろう.上京したかったけど早稲田になっちゃった,という自分の経験を 理系に置き換えると,東工大になっちゃった,になるわけで.

(2017年5月7日追記)
ふとネットを見てたら,本書の前身について素晴らしい考察を書かれている方がいました. 内藤理恵子: 【ありがとう、そして、さようなら村上春樹】『地球のはぐれ方』(文春文庫) 「村上春樹の名古屋disり」,その通りだと思います.


アート系の都築氏の名古屋への偏見がキツい。

それをニヤニヤ聞いていて
「それは言いすぎだよ」と言いながら一番楽しんでいる
いじめっ子のボス視点なのが
村上春樹センセイなんですよね・・・・・・。

(中略)

P52:「人は大阪で笑い、名古屋を笑う」←酷い(涙

P52:「みんな名古屋をバカにするけど、
    言ってみれば日本は世界の名古屋」←いろいろな意味で酷い

P53:「関西だって名古屋のほうなんか見ていない」←涙

P53:「名古屋に生まれて、名古屋の大学に行って、名古屋の企業に勤め
あるいは大阪や東京に出てもすぐに帰ってきてしまう、そんなふうに
名古屋で純粋培養された人たちが、この都市にはあきれるほどたくさんいて、
なんの焦りも疑問もないまま、楽しいぬるま湯生活を送っている」←これ、多崎つくるのモトネタ?

P54:「名古屋は日本の脇の下」
「ならば行ってみようじゃないか、日本の脇の下の匂いを嗅ぎに」←哀しくて言葉にならん・・・。


(2018年4月17日追記)
先日,松山の道後温泉に行ってきました.ここでは,「坊ちゃん」をテーマにした 様々なイベントがあります.坊ちゃんも,東京の卑屈なガリ勉小僧が 田舎者とトラブルを起こしまくる小説なわけですが(しかも実際の筆者はそのあと 渡英して本格的なひきこもりになる),松山の人々は大人なので, しっかり観光資源化しています.名古屋人も,大人の対応をして 村上さんの「名古屋disり」を観光資源化したら良いと思いました.

(2021年4月5日追記)
村上さんが夙川に住んでおられた頃。
《村上春樹の世界》西宮を歩く

谷崎や湯川が夙川の地を愛したのは知ってて僕は西宮に移住してきたんですが, 村上さんも生まれてほどなくから小学校を出るまで当地に 住んでいたのは知りませんでした. その後,近所の芦屋に引っ越して,神戸高校を出て 多分浪人時代までそこに居たっぽい. お父さんは甲陽学院の国語教師. そこで疑問がわいたのは,彼は甲陽(あるいは灘)を受けなかったのか? ということ. 上記サイトの著者は浪人時代のことに興味があるようですが, 僕はそっちの方が疑問でした. たとえば,受けたけど落ちたので (甲陽学院の目の前に住むのは辛かろうと)芦屋に引っ越した, というのだったら引っ越し自体が,息子ドリブンになるわけです. 12 歳で引っ越したので,時期的にはぴったり.

さらに言うと,「生まれて初めて勉強した」のが,彼の場合は 中学受験が初回,早稲田受験が 3 回目となります. 意外と細かく苦労しており,文学的表現の素材になるのかも. 彼の自尊心を想像すると, 中学受験はノーカウントで, 神戸高校に入るのは楽勝だったから,苦労してないよ,という表現. 僕も書いてて嫌らしいなあと我ながら思いますが, 彼の「文学」の被害者(笑)として 中身を真面目に検討したら,こういう話が出てくるわけです. ガリ勉的な意味でダメ人間ぶりが私も似た感じなので,想像しやすい.

また,彼が嫌らしく描いた名古屋の高校生たちの原風景が, 神戸高校そのものにあるんだろうというのも,最近になってリアリティが沸いてきました. 科学イベントを一緒にやらせていただいたり,子供が浜学園に行ったりして. 職場の同僚や学生も,地元の出身者が多数ですし. 阪神地区は,受験勉強的には上位層が灘や甲陽に 抜けていくので,厳密には上述のように 愛知県の旧 2 群の方が先鋭化していますが, 要は神戸高校は「旧制一中」的なポジションにあるわけです.

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ちなみに,以下は,何度か書こうとしては上手に表現できなくて消してる話で, 僕にとって,「文学や映画に描かれた僕らっぽい人々」の 2 大代表が,僕の出た 名古屋の城山中学の医者の子を「My House」という "社会派" 映画で嫌らしく描いた堤幸彦さん (代表作はトリックとか二十世紀少年とか)と, 千種っぽい高校から東工大に進学した主人公を 嫌らしく描いた村上さんの「色彩を持たない...」です.

どちらも,すんごい嫌らしく描かれてる. 推測ですが,堤さんの作品は被害妄想が発端にあって, 村上さんのは同族嫌悪の侮蔑が根底にある. 何故か,両方とも作者が功成り名遂げた 50 代以降に書かれている. ここまで頑張ったら,自分の個人的なコンプレックスやルサンチマンに向き合っても 良かろう,とでも思ったのでしょうか.

ついでに,堤さんの作品も紹介します. こんな風に,城中学区の医者の子は不幸に違いない, という偏見をもとに描かれた映画. ビックリしました.そんな風に嫌われていたのかと.

余計なものを徹底的に排除した映像で 堤幸彦監督が伝える“本当に必要なもの”とは!? 『MY HOUSE』堤幸彦監督インタビュー

舞台を名古屋にしたのはどのような意図があったのだろうか。

堤:名古屋を舞台にした理由は、(中略)持ち家率が非常に高くて、大都会にも関わらずみんな一軒家に住んでいる。きちんとリサーチしたわけではないですが、実感として“ある”んです。名古屋は、持ち家信仰がすごく高くて、しかも医者が多いんです。そうするとあの(潔癖症の主婦の住む)家の意味がそこで際立ってくるんです。それから、灘高ほどではないですが、スーパーエリートの中学生たちがいること。その子たちは東大に行って、官僚や医者の道を約束されているんです。たぶん、名古屋の人なら一瞬で“いる”とわかると思います。果たして彼らが本当に幸せなのかを問う意味で、この映画は名古屋的な映画でもあるんです。


みなさんは,堤さんの側に立って,つまり彼が 青年期から常に持ち続けていた社会への問題意識 を受け止めるという側で,この作品を見るでしょうが, こちらは,つまり,彼の後輩の城中学区の医者の子たちは, 勝手に「スーパーエリート中学生」認定されて, 「東大に行って、官僚や医者の道を約束されて」ると認定されて, 「本当に幸せなのかを問われる」存在なわけです. それが,彼の "社会問題" です.

突然,有名な小説家や映画監督の作品に取り上げられて 「お前には色彩がない」「お前は幸せなのか」と問われる,というのは, どうよ?と思いませんか. 一言でいうと,いらんお世話や. 映画の方は,城中学区の医者の子なんて毎年 1 クラス分くらい いるだろうから,何千人もいるわけだけど, 多崎つくるの方は数十人, なんやねん?って感じですよ. あなたらのいじけた心の問題に,巻き込まないで欲しい※2.

この 2 人に,神戸高校から早稲田しか行けなかったのが灰色だったのかと聞いてみたり, 美しい木村多江さんを使って,こんなしょーもない作品を作って 「本当に幸せなのか」と聞いてみたいようでもあり,まあ,いずれにしても, オッサンたちが過去に向き合うときにはモノクロ好きになる,のは判った. やれやれ,と,ため息をつきたい.

※2 バブル世代って,年下を「巻き込む」のが得意.その端的な例が「アラサー」という言葉. あれが出たのは,私が 25 歳くらいの頃で,当時 35 歳くらいの 10 歳上のバブル世代が 若作りしたくて「アラサー」という枠組みを作って,10 歳下までの人々に「マウント」してきた. 世代的に,そういう性癖があるんだと思います.団塊ジュニアの氷河期世代としては良い迷惑. 村上さんは団塊で,堤さんは新人類か. ともかく,この世代が日本文学を代表してノーベル賞とか取ったら,もう,何というか...

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あとがき

村上さんの名古屋disりについては,夏目漱石に松山と和解しろというのと同じくらい 無茶だと思いますが,堤さんは名古屋的なものと「和解」して欲しいものです. 故郷なんだし. 私も,中学の頃は管理教育が大嫌いだったし,高校の頃はスノッブなエリート意識を 持て余していたので,名古屋の嫌さが良くわかります. でも,30 歳で東京から名古屋郊外の会社に戻って,「和解」しました. 管理教育が必要なのは,工場を定時キッカリに動かすためです. インダストリアなんです (村上さんの出身のオシャレな兵庫県もだけどね). 県内に工場がないと,出稼ぎに行かねばなりません. その恐れが行き過ぎて,ああなっちゃった. それぞれ,大人の事情があると思います. 良いところもいっぱいあって,たとえば,中学を出るまで 医療費がタダだし(関西は所得制限がキツい), ウォータースライダー付きのプールが格安(春日井は西宮の 1/3)だし, 今でもまあ中学受験しなくても OK です. 自動車共産主義だと揶揄する人もいますが,平均的に豊かに暮らせます. 堤さんの母校も今では共学になって,爽やかになりました. 自動車ではなく, ハリウッド映画みたいに,娯楽産業を輸出して県民が食えたら良いのですがね, それが出来ていないのは,エンタテーメント映像作家の 堤さんの責任でもあるわけです. 英語の勉強が足りなかったのかも.大人は責められて辛いですね. だから,自動車産業に少しくらい感謝してよ(愛知県の本質は医者じゃないと思いますよ, そこから既に誤解してます ※3). でもまあ,ケセラセラで, 人生いろいろだし,長生きすると良いこともあると思いませんか.

※3 最後にまた気が付いてしまったけど,村上さんは 5 人組の中にレクサス店社員を 入れるところまでは愛知県について理解してたけど,医者,あるいは医者の子が登場しない. 医者は愛知県が豊かであることの原因ではないが,結果的に医者が過剰に偉そうにしているのも堤さんの いう通り事実(だからといって,勝手に不幸認定しないでくれって話で.ちなみに 西宮とか芦屋の場合は会社経営者の方が幅を利かせています)だし,医者がいないのはかえって不自然. 意地悪な想像が先走ってしまうに,同じ旧制一中でも神戸高校は医者が少ないんじゃないかな. 関係者が私学に抜けていくので,実体験に刻まれていなかった. 小説家の想像力が残念ながら不足しているかも.

(2023年6月24日追記)
上記の「名古屋disり」と分析されたブログを読んで,私はその鋭い筆致に感動したわけですが, しばらく前に見たらブログ自体が消えてました.なので,現在は アーカイバにあるものにリンクを張っています. 当 washizu.org は 1996 年から四半世紀以上続いているので, せっかくリンクを張っても消えてしまうことは良くあります. しかし,著者の 内藤理恵子氏は現役の研究者 です.研究者たるもの,自分の言論の一貫性に責任を 持たなければいけません.若かった,じゃ済まされません. 私は他人に(思想以外の観点から)迷惑をかけると後から思った記載以外は ほとんど自分のウェブサイトの書き込みを消していません. つまらん日記であっても,研究者ですので. 「 村上は茶化すことなく名古屋に生きる人の魂(卵)の目線で、システム(壁)に立ち向かう物語を描いてくれたのだと、心の中でそっと和解したのです。」 だそうです. いやいや,そりゃあんた,村上さんを買いかぶりすぎですよ. 彼は,この小説で,千種高校から都会に出て東工大に入った青年の 心の中が灰色のままだって,延々と書いてるだけです. 文体は相変わらずキザで回りくどいですが,一行で書くとそれだけです. 主人公は何も脱構築していません. 私は村上作品を最初からあまり好きじゃなかったから,ただただ軽く不愉快なだけの状態が続いています(微笑).