2021 年のWhat's New!

最新のWhat's New
ここからしか飛べない過去のページもあるよ.




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12 月 30: 冬の陣

2016 年以降,この時期になると当 What's New! に一年のまとめのようなものを 書くようになっているので,今年もメモっておきます. そうそう,ここは文字通り「備忘録」なので. お蔭さまで,研究室も無事に成長して,常勤の研究者が自分自身も含めて 6 名, 秘書さん,博士院生 9 名,修士院生 8 名,引き受けている学部卒業生 1 名と, クロアポ准教授や客員の方々に参加してもらってる所帯になりました. トラディッショナルに,教授,准教授,助教2名といった研究室と違って, 常勤は教授,特任講師2名,特任助教2名,客員准教授,みたいな構成なので, 牢人ばかりを集めて戦う「大坂冬の陣」だと形容しています.

冬の陣は,夏の陣と違って戦闘としては負けていませんでした. これは,堀や石垣があったからで,なので大学アドミの皆様には是非 城になって守ってください,野戦したら負けますので,とお願いしています.

常勤研究者が 6 名もいる研究室は本学では珍しいので,どうして そんなことになったんだろう,ということを今年は考えました. 尼崎に長尾クリニックという個人病院があって,そこの院長先生が 自分達は新型コロナ患者を年間 200 名診ながら, 通常診療で 180 名の方々をお見送りしている,と述べていました. どうして他の個人病院はそういうことが出来ずに, その方のクリニックでは可能なのか. ウェブページを見たら一発で判りました. 常勤医師が 8 名もいるからです.

個人の病院にとって,本来やらなければいけない業務は, 通常の診療です.新型コロナ対策は余分な仕事です. 大学の研究室にとっても,本来やらなければいけない業務は, 学生の教育と研究です.産学連携は余分な仕事です.

どうして,周辺の研究室が産学連携に熱心でないのか,長らく不思議 だったのですが,そうか,結果的に自分の研究室には「余力」が あるから,こういうことが可能だったんだ,ということに気づきました. 僕は,自分は元々メーカーのオッサンなので問題ないですが, ピュアな学者の皆さんがメーカーのことを嫌ってるんだと思ってました. ただ単に,手が足りないと無理なんですね.

で,こういうことをあまり言うと同業者から嫌われます. ですが,もう,仕方がないし,自分としては,既に研究室づくりそのものが オリジナルすぎて,かえって周辺の人びとに説明する必要がある. というか,研究者として,そのメカニズムが判ったので教えたい. ということで,スパコンベンダーさんの講演会で, 日本の理工系の産学連携がどうなってるか,という 研究そのものからは大きくはずれた話をしました.

で,こういうことを書くと,お前らちゃんと本業はやっているのかと 問い詰められそうなのですが.論文は 10 本くらい出たし, スタッフや院生が Sci. Adv. やインフォマティクスの画期的な 論文を書いてくれたので,自分個人としての戦闘力はさておき, 知的生産性のある場を作ることには成功したと思います. やっぱり,自分は研究ベーシストのようです. ベースのソロというのは,あまり冴えないので, やっぱり皆様,来年もどうぞ宜しくお願いいたします.


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11 月 23: 収録の練習

基本的には楽器の残響の取り方を練習したのですが,4つの音は,プロコフィエフが1回発表して番号を付与したのに全面的に書き直したチェロ協奏曲の主題から取りました.


ここ数日は,独ソ戦の wikipedia を読み過ぎたのかもしれない...

いや,やっぱ何回考えてもあの人々は頭がおかしい.元はといえば,ショスタコの第七番を聞いてたからなんですが,レニングラードの人口は300万人ほどで,ドイツが計画的に飢餓に追い込んで100万人ほど死んでるんです.お前は豊臣秀吉ですかって.で,そんなに死んでるのに,ずっと街の工場は稼働し続けて,戦車とか砲弾とかいっぱい生産したんですが,それを街の防衛には使わず,全国各地に輸送したから,戦争全体としては赤軍が勝った,と.

まず,100万人ってスラっと出てくる時点で,何というか,広島で20万人一瞬で死んだとかいっても相手の記憶に残らないのかもな,っと思いました.

あと,死にそうになりながら武器を作るところまでは理解できるけど,自分たちのために使わなくてOKってのが全くわけがわからん.ターニャの日記,でも読むか.読みませんが.

昔,サンクトペテルブルクも,ワルシャワも行ったんですが,旧市街が全部,復興されてるんですね. 広島は元の通りには修復されていない.でも,地名が残ってた.

などなど,つらつら考えてる間に時間が経ってしまいました,すみません.

あと, ポーランドが EU から脱退するかも,ってのも気になりまして. いえ,ポーランドの人々って自動車を始めとするドイツの産業にすごくコントリビュートしていて,つまり,沖縄の A&W に行くと愛知県の自動車部品工場で働くための求人情報がいっぱいあるんですが,日本国内のそういう構図が EU にあると思ってて.で,EU の中の人に会うと,EU って地方交付税交付金がないよねって文句を言ったりしてました.だって,沖縄とか島根県とかで,教育して賢い人に育っても他県の産業に取られたら,そりゃ,その分だけ金返せと思うと思う.都会の産業は頭脳を収奪している.

でも,まあ幾ばくかは交付金的なシステムがあったのか,ってことを理解しました.すみません,勉強が足りなくて.

2022年追記:ウクライナで戦争がはじまってしまった.この年はロシア音楽がかってて,何か予感があったのだろうか.


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10 月 17: 木を見ず森を見る

京大の霊長類研が解体されるそうですね.僕は,高校生の頃から今西錦司先生の「科学者」としての姿勢には疑問があって(だって「木を見て森を見ず,はいかんから,木を見ずに森を見よう」って言ってるんですよ),立花隆「サル学の現在」を読んでも全く払拭されず,先だっての京大総長に関しては,という感じなので,犬山生まれなのに愛せないのです.どうしても,愛せないのよって状態.人間はどこから来たかって僕だって知りたいのに.

2017年の時点で, ここまで明らかになってたんですね.これが本当ならば,先生方を擁護できないのでは.

もう一つ,捏造問題があって, ちょっとビックリしたのが,「京都大学における研究活動上の不正行為に係る調査結果について」によると,この主要捏造論文は2019年と比較的最近に出版されたにも拘わらず, 既に61回も引用されてる.この分野って,ちょっと凄すぎですね.NS系でもないのに.今,大麻の合法化がガンガン進められてるから,なのでしょうかね.でも,この分野の人々の過熱ぶりが,これでも浮彫になってますね.近年良くある中国系の胡散臭い大量インフレ引用ではなくて,欧米です.

そもそも,こんなベテランの実験系の教授の原著論文が,単著だってのが変です(総説=レビューだと変ではない).松沢先生のアイちゃんのNature論文も650回引用されてて,ご本人も,自分はNSに原著がある学者だが,と述べられています.でも,変な部分がないか,ざっと読みましたけど,とくに変ではありませんでした.けど,こんなにデータがあるのに,単著なのか,と思ったのですが,膨大な実験を手伝ったらしき人々への謝辞もあるので,まあ,いいのかなと.でも,この単著の文化?は,ずらずらと共著を増やす医学系や材料系のキモさとは違った別のキモさがあるのだ,と今回気づきました.

松沢先生のインタビューで,『想像するちから: チンパンジーが教えてくれた人間の心』岩波書店 2011 は,NS系の論文を書いてる科学者が,人間について考えたいのだ,と述べています.この本は全く読んでませんけど.

僕は,こういうことをしたくないから,生き物から遠い科学者になりました.説明しにくいんだけど,こういうことを言っちゃ,「科学」が台無しになると思うのです.お話をしたいから科学をやるんじゃなくて,黙々と,「私語を謹んで」,作業する.それが,「主観」にとらわれまくりの人間の魂を自由にする,ごく限られた方法だと思うのです.私語を述べたいなら,詩人や小説家になればいいのでは.

科学は,理想的には,誰がやっても同じ結果になるべきです.「私」を極力排除する作業です.それが可能になる,人類が生み出した技法の中では稀な体系です.詩も,鈴木志郎康さん的には究極的にはそうなるようですが.チェロ演奏も,ヨーヨー・マが言うにはそういう側面があるそうですが.ともかく,僕は,つまらない自分の想像力という限界を超えたいから,科学に参加してるんです.

サル学の人々が,今西錦司から一貫して違ってるのは,この「私」を排除しないこと,で,今気が付いたのですが,これは「単著のナルシシズム」と対になってるのではないでしょうか.複数の人で論文を作ると,それが薄まる.僕の論文の場合は,そんなにカッコイイ動機ではなく,単に業務上の関係者が沢山いたから,理論の論文でほぼ単著で構わないのに著者が6人7人いる論文を書いてたわけですが.でも,究極的には,多人数で論文を書くということは,そういうことなのか,と合点しました.


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9 月 5: Russians Romance

なんと有名な「キージェ中尉」の音楽を知らなかったので,Sting の Russians のロシア民謡っぽいメロディに原曲があるのを知りませんでした.んで,聞いてみたら,めっちゃチェロっぽいので,原曲のオーケストラをチェロの小品に書き換えました.



ともかく,すごく良い曲だと思います.誰か上手な人々に弾いて欲しい(笑). 演奏いただける方はご連絡ください(楽譜をお送りします.無償公開して当方は構わないのですが,日本は敗戦国だからプロコフィエフの著作権が2023年3月に切れるんですか?).

2024 年 1 月 14 日追記:公開します.もし人前で演奏されるときは,鷲津仁志編曲,と述べるかプログラムに付記してください.
スコア(Pf. Vc.)
ピアノ
チェロ
ヴァイオリン(ヴァイオリンでも結構映えるのでは)



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9 月 2: チェロの実験をやった

科研費 基盤研究C「 チェロの力学 ~エンドピンと弓に着目して~ 」の実験をいたしました. 機械工学の先生が早速測定系を作ってくださったので,チェロの先生が実証演奏してくださいました.めっちゃ面白かったし,既に「 イナズマエンドピン 」の「普通の直線エンドピン」に対する優位性を示すプリミティブなデータが取れたと思います.

最近思うのは「オフィシャルに研究する」というのが大変重要になっているんだな,ということです. ノーベル賞候補の大先生が中国に引き抜かれたり して,日本は研究環境が悪いと言われてます.

確かにそうなんですが,なんか知らんけど,僕は自分の周囲5mくらいを見渡す限りはそうは思えません.この研究の科研費へのリンクを張ってるのは,ここに出てくる4人のうちシミュレーション担当を除く3人のおっちゃんが「実際にやってる」のを示すためです.

基盤Cは,昔だったら「校費」でやる研究だと思います.昔は地方公立大でも一年に何百万か研究費があったそうで.25年前の東大は数十万(学生1人の助教授)でしたが.今の県大は百数十万です(学生が多いので).

僕は,自分の研究室の人々にも,ちょっとしたアルゴリズムの改良,といったテーマでも研究費を取るように促していて,特任や客員の先生がそれぞれ若手や基盤Cを取っています.僕の分の代表3つと足すと,研究室全体5つ代表で走ってます.僕なんかは「選択と集中」については「されない側」なのですが,意識を取る方,取る方に持っていくと,何とかなる感じ.

そういうムーヴメントを,外部の先生ともやってる,というのが今回の素晴らしいところだと思います.プロポーザルの準備や,逆に査読させられたりするのに,時間と手間暇がかかるか,といったら,かかるんですが,作業に慣れたら,ギリギリ許容範囲なんじゃないですか.

「ポストがない」という状況には,皆さんと同じ憤りを感じるけど(といっても,これは少なくとも半世紀前からそうだった.何度も書いてるように僕自身が名大医学部37歳非正規研究員 ”副手” から生まれた.副手についてはググるとわかるが,湯川,本庶など有名研究者も経験している.昔の博士が楽だったなんて歴史はない),それはもっと偉い人々が動かないと何ともならない話なので,地べたの話をすると,ポストを得たあとは,適切な努力をしたら「好きな研究が日本ではできる」と思いました.

なので提案としては,「選択と集中」をやっぱり緩めたら,その配分をたとえば半分にして科研費に流せば,計画書作成が苦手な人にもちゃんと研究費が渡る世の中になると思います.

で,いずれにしても,複数人でやる研究って「面白い」研究じゃないと始まらないと思います.このチェロの研究は,チェロの先生のアイディアが突出していたし,機械工学のお二人の先生も面白いもの好きだったし,ということで,成立しました.大事なポイントは,これは研究費の有無と関係なく,まず面白くないと始まらないという点かと.

企業の研究だったら,プラス社会的有用性が必要かと思います.つまり,いずれにせよ「面白い」か「有用」じゃないと複数人の研究は出来ない.

そういう面白さとか有用さを説明するのは,別種の難しさがある.受け止める人にもよる.また,企業人の方が敏感な部分と,大学人の方が敏感な部分がある.いずれにせよ,説明が当人たちの「外」に通用しないと,グラントは得られない.

そこが問題なのかなと思います.僕の師匠たちは本当,それが下手でしたので.マニアの仲間になったら,とても面白さが判るんですが,外の人に説明しても「何それ」って感じなのです.僕のせいじゃないと思う.僕の博士研究は当時はトップの医療機器メーカーの人も,国研の人も,理解できませんでした.僕が10数年苦労して,「燃料電池の膜や,医療機器に応用できる」ことを適切に述べたら,やっと理解された.先に教えてよ,と思ったものです(笑).

逆にいうと,そういうことが下手でも東工大や東大の正規の教官だったわけです.昔の大学の方が学問を適切に実施していた,ということの本質は,この「説明できなくても,凄い人を抱えておける」能力が,昔はあって,今はない,ということなのかなと思います.

だとしたら,どうしたら良いですかね.うーむ.「説明しなくても凄い人をのこす」ってことには,戻らないと思うので.

URA (university research administrator) 等の職種を増やして, 実際に説明責任を果たしつつ, 若い頃から説明責任を果たすトレーニングをやっていくのは, 一つの手かと思います. けど,どうなんだろう.説明しにくいけど凄い研究って, あるような気がするのですが. ただ,そういう「究極」レベルに達しなくても, 時代にもうちょと適応してねって感じで,大半の研究テーマは 救われる気がします. 「選択と集中」政策の失敗 を政治が認めて(官僚は認めないと思うので), 科研費に回すだけで.


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8 月 15: まだ終戦ではなさそう

まだまだ stay home ですよ.ということで,究極のひきこもり的な快楽. 「一人アンサンブル」の仲間に,ヴァイオリンが加わりました. この父の遺品のヴァイオリンは,昭和 10 年代のものだと思われる鈴木の量産品なのですが, 昨年,指板のはがれを直したんですが(youtube にいくつか演奏があります. 適当に試演 バッハ無伴奏チェロ組曲第六番のアルマンド: めっちゃ弾きやすい), また,指板がはがれてしまったので,新しく膠を買いなおして, 接着しなおして,弦をはって,弾いてみました. こちらは自作ではなくて,Debussy 先生の 18 歳の頃に書かれたピアノ三重奏. 学生の頃にチェロパートは弾きましたが(笑),ピアノやヴァイオリンも良い楽譜. ときどき,本当のピアノ三重奏のように聞こえるのが素晴らしいです.





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6 月 29: ピアノの調律

今日はピアノの調律でした. Yo-Yo Ma 先生が提唱している Songs of Comfort な曲. 25年くらい前に作った曲で,「五月雨が,降りしきる」という曲なんですが, はじめて人前で弾くという意味では,新曲です. 我ながら,この季節に合った良い曲だと思います. もうしばらく我慢が続きますが,Stay home ですよ.




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6 月 25: マタイ伝の埋め込まれたチェロソナタ


ユリウス・レントヘンのチェロソナタ第五番.
「(汝の眠る御墓は)
迷える心を安らかに支え
魂に休息の地を与える」

レントヘンって,前から気になってて,10年ほど前にチェロソナタ第一番について 2011 年 1 月 3 日: 若書きのチェロソナタで書いたりしてましたが, そもそも,チェロ協奏曲を3曲,チェロソナタ14曲,無伴奏チェロソナタ1曲と,チェリストではない総合作曲家?の中では圧倒的にチェロの音楽に尽くしてくれた人です.一昨日,電車に乗ってるときに聞いてたら,弾いてみたくなって,IMSLP に楽譜がちょっとあったので眺めていたら,なんと!録音ではわからない,「マタイ埋め込み」曲だったのだ.

なんで,そんなにチェロの音楽を書いてくれたかというと,もともとライプツィヒの出身で,クレンゲルの親戚(ノーベル物理学賞のレントゲンも親戚らしい)で,大人になってからはカザルスと組んで演奏旅行もしたくらいなので(グリーグの弦楽四重奏のF-dur を一緒に演奏したとき,カザルスは2ndVnを縦弾きして!,カザルスの奥さんがチェロを弾いたんだと),なんというかドイツ音楽のど真ん中でもあり,20世紀初頭のチェロ音楽の中心でもあったという.

チェロ協奏曲を2曲書いた総合作曲家は,ドヴォルザーク,サン=サーンス,ショスタコなど超一流が何人もいますが,3曲書いた人はなかなかいない.チェロソナタを6曲以上書いた人もいない.

チェロ弾きは良く妄想すると思うのですが「ブラームスがチェロ協奏曲を書いたら,どんな感じだっただろう!」って.で,僕は一番近いのはクレンゲルの H-moll の第4番だと思うのですが(チェロ弾きが書いたとは思えないくらい重厚なオーケストレーションと深い洞察みたいな),その次は,このレントヘンの第1番だと思います.

まあ,ブラームスっぽい.ってか,後期ロマン派っぽい.ってか,後期ロマン派っぽい書法を身につけたら,650曲も書けるんか!ってくらい,書き飛ばしている癖に,どれも重厚,奥深い.なんだ,ってブラームスの化けの皮がはがれたような感じがしないでもない.なんとなくですが.

で,普通はシュレーカーとかシェーンベルクとかコルンゴルトみたいに,一瞬でどっか行っちゃうんですが,わりと晩年までこのスタイルを維持していた,は,いた.グラズノフやシベリウスみたいに悩んだ気配もない.

多分ですが,レントヘンの心の安定のために寄与したのは,カザルスだと思います.カザルスの,あのレベルの音楽家としては驚くほどの保守性が,レントヘンに大丈夫だよ,ゆっくり「進化」したら良いのだから,というバランスを与えたのではないか.だからこそ,より性急な他の作曲家はカザルスではなくロストロポーヴィチのために新曲を書いた.献呈された曲の数では,ロストロの圧勝ですもん.時代が若干ずれてますが,ともかく,カザルスって,あんだけヨイショされてる癖に,おかしいです.そのギャップみたいなものが,レントヘンの3曲の協奏曲と14曲のソナタになってるんじゃないか.

なのですが,僕が探した限り,14曲のソナタのうち9曲しか録音されていない.残りの5曲は,ネット上にはレントヘン協会にお願いしたら楽譜を見せてもらえるようなことが書いてあります.どうなんだろう.っということで,とりあえず,楽譜の出てる第5番を読んでる,という次第.


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6 月 23: ニューエイジ時代の「知の巨人」立花隆氏.RIP

山形浩生さんの 立花隆の IT 談義:そのネタもととパクリのまずさ が的確で,面白かったです.

前にも書いたように,僕は中坊の頃に全知全能ってほどじゃないけどダ・ヴィンチ程度に博学多才になりたかったんですが,立花隆氏の著作を読んで,ああ,文系はダメだと思った決定打となりました.ので,影響を受けたという意味では凄く影響を受けました.90年代に駒場のキャンパス内でも「立花ゼミ」のご一向を見て,おおっと思ったのも懐かしい.

立花さんの,簡単なシュレーディンガー方程式も解けないのに量子論を語ったり,熱力学も知らないのにエントロピーを語ったりするところの嫌さ,というのもあったんですが,今から思うに,何がいかんかというと,自然科学って「ハンドクラフト」な部分が必ずあるのに,そこを体験せずに,上から目線で科学を語ろうとした部分だと思います.熱力学なんてとくにそうですが,出てくる結論は中二病的な「宇宙ってこうだぜ」って話です.が,実は熱力学で大事なのは,脂肪酸がフサフサと集まってきて膜を作ったり,温度計に絶対零度があったりすることの根拠になってる部分だと思うのです.自然科学って形而上学じゃないし,形而上学にしたら物凄く浅薄なの.その部分を真に理解するためには,黙って,ハンドクラフトを続けるしかない.真に詩的に生きるためには,砂漠の商人になって商取引を淡々と続けるしかない,ってほど逆説的にではなく,もっと単純でアッサリした話です.

この人が,脳,宇宙飛行,サル学,コンピュータっといった浮ついたものしか見ようとせずに,鉄鋼,造船,自動車みたいな産業を毛嫌いしているように見えるのも,「ニューエイジ」の人だと考えると自然です.僕が自動車に興味を持ったのも,「ひょっとして,自動車を理解しなかったら,現代社会の一番大事な部分を理解しそびれるのではないか」という恐怖からでした(それが全部じゃないけど).ニューエイジ的な生き方の逆にある,実存というか(こういう言葉を使ってもいけない),実際に我々が何で食って,どう生活してるか,の実体は,自動車工場の中にある.江戸時代は,9割の人が関わっていたのが米の生産だったように.これが判らないと社会を理解した気にもなれないと思うのです.

その意味で,評論としては,山根一眞「メタルカラーの時代」の方が,より現実的だと思った次第です.

なので「何かを残す」ということで考えると,立花隆さんは幸福だったのかと,ふと思います.でも,ニューエイジの東大生的には,まあ良いのかもしれません.凄いのが,上のリンク先の文章を書いてる山形浩生さんは理Iを出た後はNRIでレポートを書くのがお仕事で,谷田和一郎氏は今ググったら弁護士が出てくるのですが.理I?から,本を数冊書いて,弁護士になったんだとしたら,すごく東大的というか(笑).山形さんは,確信犯的にああやって生きてるのだと思いますが.Nick Cave の詩の翻訳で最初に知ったんですが.

いずれにせよ,上のお三方みたいな生き方をせずに済んでいるのが,やっぱり間違いではなかったと思う次第です.つまらない論文でも,一見,砂漠に城を作るようなものですが,しかしもうすこし確実に,大きな集合知の一部になっているという意味で,安心がある.

立花さんを考えることが,逆説的に人生の指針になってきた部分があるということで.ただ,今後はもう参考になることはないのかなと思います.半世紀も生きると,もう,誰かが参考になるってこと自体がないものですかね.いろんな意味で,懐かしいですね.RIP


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5 月 26: 研究と運

わしは昔から「あなたは運が良いねえ」と言われていて, 自分でもそう思っている.良い人々と巡り会えた. 良い機会を与えられた.まあ中には二度と会いたくない人も いないわけではないですが,まあそれでも時間がたったら 大丈夫なのかもしれない,などと呑気に思っている.

冬の後半から初夏にかけては就活のアドヴァイスを しまくっているのだけれども,一人,なかなか内定が とれない学生がいた. 結論からいうと,ES(エントリーシート)の書き方が 全然ダメで文系みたいだったことと, 「リトルリーグの日本大会で優勝してアジア大会に レギュラーで出場した」という素晴らしい経歴が あるのに,それを面接で言ってなかったから,だった.

本人に,なぜそれを言わないの?と聞いたら,昔の話だから,と. いやいや,あなたにとっては 10 年前って大昔かも しれませんが,我々大人にとっては,最近の出来事ですよ,それ. で,どうして,それを強調した方が良いかというと,
(1) 企業の人々は体育会系が大好き.
(2) 企業の人々は運が良い人が大好き.
だから,と答えました.日本大会で優勝するって, もちろん実力があるのは当然としても,運がないと ダメっていうことは,野球好きの普通の日本の オッサンなら誰でも知ってますよ,と.

で,その彼はほどなく一流企業の内定を取れました. で,この話を彼の指導教員の先生に説明したら, 「企業のオッサンって,そんなに運が好きなのですか?」と 不思議そうに尋ねられるのです. いやいや,だって,会社なんてどんだけ真面目に正しい業務を 行なってても,経済の風向き一つ変わったら酷い目に あうじゃないですか.僕,占い師やってる人も何人か 知ってますが,企業の経営層に近い人ほど運を大事に しますよ,って説明しました.

んで,はたと気づいたのです. そうか,大学の先生には運だの占いだのは必要ないんだ! だって,論文を 50 本,100 本と出版していったら, 一つ一つの論文の価値はともかく,捏造さえしてなければ, どんどん業績って積み上がっていくものです. で,その価値は,一様に増えていくだけで, 決して減ずることはない. 研究の素晴らしさ,学問の尊さって,それですよ.

でも,若い頃って,やっぱり研究を目指すと, 運を大事にしなきゃって思いませんか? セレンディピティなんて言葉もある. 研究対象そのものとの出会いも運だし, 師匠との出会いも運の要素が強い. けど,オッサンになればなるほど, そういうのって,どうでも良くなっていくんだ. それには自然科学そのものに由来する必然性があるんだ. 自分も,その境地に達したいものです.


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5 月 4: GSC の二期目が採択

2020 年 4 月 12: 今年も高校生が当研究室に配属 で紹介してました,兵庫県内の大学の先生方が高校生の皆さんの指導をさせていただく GSC-ROOT の二期目が採択されました! 昨年書いた通りですが,大学の先生じゃなくても良いのですが, いわゆるプロの研究者の人々と触れ合う,自然科学とはこうやって 作り上げているのだ,ということを若い頃から体験するのは 価値の高いことだと思います. 昨年指導した子も,学会賞を受賞して,化学系の大学に進学してくれました. 是非,関西圏の年頃のお子さんをお持ちの親御さんはご検討ください.


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4 月 21: レストランとすっぽんぽん

本当に不思議なのは,どうして「飯を食いながら人と会おう」とするのかねえって.会って話をするなとは言われてないんだから,飯を食わなきゃいいじゃん.本当に,マジでこの1年,家族以外とレストランにいってないよ.家族とは週1くらいで行ってるけど.なぜ他人と食う? 息子にはもったいないor反対されるような店には,夫婦二人でも良くいきます.息子が鼻マスクをしてるから「それってパンツからチ○○がはみ出てるくらい間抜けだよ」,と言ってうまいこと表現したと我ながら思ったものです.が,他人と飯を食う,ってことが,他人同士で裸になるくらい恥ずかしいことになったわけだ.

大学とかは本当にやばい.「この連鎖の中で複数の感染者が出るとクラスターと認定され、関連する特定の部活動等が停止になるばかりか、最悪の場合はキャンパス閉鎖にも繋がります。」と.一回,ネット業者さんとの打ち合わせが終わったあとで食堂に行こうとした.いつもは昼はカップスープだったんだけど,打ち合わせ長引いたし腹へったなあって.そしたら,食堂に入っていく先ほどの業者さんのお姉さんを見かけた.これは,一緒に入ったら「会食」してしまう,と思ってカップスープを飲みに自分の部屋に戻りました.なんだろう,混浴露天風呂に入ろうとしたらビジネス上の付き合いしかないお姉さんが入ってきた,くらいの感覚?(笑)

つまり,レストランに行くということがこの1年で大変プライベートなことになってしまったのだ.社交の場としてはいけなくなってしまった.寝室みたいなもの,まあ借りてる空間だからホテルの部屋みたいなものになった.大の大人がホテルの寝室で「社交」するのは怪しいでしょう.一方で,若者がついつい行っちゃうのも,この例えで理解できる.まあ,そう考えたら,他人と会いさえしなければレストランを閉める必要はないと思うんですが,この意見に賛同する人が少ないということでしょうな.


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4 月 11: Songs of Comfort な曲を作った

Yo-Yo Ma 先生が提唱している Songs of Comfort な曲を作りました. もうしばらく我慢が続きますが,Stay home ですよ.




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4 月 10: 桜


そうそう,桜といえば日本人のメンタリティの将来についてちょっと心配になったという戯言.

いえ,今の皇室の件ですが.中国の歴史を勉強していたらわかるように,日本以外の国では皇帝に徳がなくなったら帝国が入れ替わるのは当たり前でした.日本はまだこれを経験してません.イギリスやタイだったら,万一今の王朝が終わっても別の王朝を建てればいいけど日本にはできない.

わしは大人になってから,皇室がどういう風に支持されているのか,について割と具体的に理解できるようになりました.30歳くらいまでは良くわからなかった.というのは,3つくらい具体的な,プチ天皇家,みたいなシステムと遭遇したので.

1つはT社.自分の勤務先を作った上皇みたいな人がいて,その皇子が現在の天皇のように支持されてて,アメリカの議会に呼ばれたとなったら,めちゃめちゃ心配する.周囲がしっかりサポートしないと会社が傾く,と心配するし,ご本人もキレキレでなくても良いけど人柄が良くハートフルなメッセージを出せる人であって欲しいと願う.非常識なことはやめて欲しい.こういったメンタル一式が,多分,パッケージとなって皇室支持の空気を作ってる.

これが理解できれば,あとは,たとえば浄土真宗大谷派の門主のご尊顔を拝したときも,おお,似てるなと察するし,母は裏千家の教授なのですが,ここもか,と思う.たぶん,それ以外にも国内にいっぱい,この手のプチ皇室的なシステムがあるのだろう.

たとえば,博士をとった後で普通に大学の先生になってたら,多分,肌感覚として理解できなかったと思います.学長とかって全然違うし.わしアメリカンで左翼だったし.で,そうしてやっと日本の大事な一面を理解できた身からすると,その本家本元である皇室が日本社会においてどうでもいい存在になったりしたら,凄いなあと思う次第.どうなっちゃうんだろう.たとえば,桜を見てもフーンって感じになる感じ?


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4 月 3: 魂の話が集約されつつある

4 月 1 日は,大学等の研究者なら知ってる科研費の審査結果のわかる日です. わしも転職してから,毎年この日は緊張しているわけですが, 今年は昨年度当たった基盤 B があるので,自分が代表者として申請したものは, 補助的な位置づけである挑戦的研究だけです.これは 7 月に判るので今は関係ない.

で,共同研究者の大変偉い先生に,科研費が当たったからといって SNS で騒ぐ人がいるが,騒ぐな,多数派の人は落ちているのだから, 粛々とありがたく研究を開始しろ,という趣旨のご指導をいただいて, ああ,その通りだなあと思って,はしゃがないようにしています. というか,最初に当たったのは基盤 A の分担で 2016 年のことだけど, その時から別に言われなくても一度もはしゃいでなかった.

さて,科研費とはそういうものなんですが,今年はちょっと嬉しいことが ありました. 2013 年 10 月 1 日: 弓の話を別の角度から で述べていた話が,ついに科研費研究になったのです. モダンボウの力学について,子供の頃からの先輩で 今は沖縄県芸大の教授の先生が代表となって,機械工学の先生方と一緒に 力学的に研究しよう,ということになりました. テーマは,このモダンボウと,エンドピンの二つです.

JSPS の分類でいうと,芸術学→美学・芸術諸学→音楽学・音楽史,です. 学問は自由なんだと叫びたい. ここに書いてるのは,やっぱり全て,魂の話なんです. はじめてハシャイでしまった.


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4 月 1: 研究の話ばかりになっている

4 月を迎えることになって,転職して研究室を開いてから,ちょうど 5 年半になります. ここ数年の What's New! を眺めていると,研究の話ばかりになっています.

最近は,通勤の行きかえりにはロベルト・シューマンの CD 45 枚組を 聞いていて,また,出張が激減したので出かけることがなくなり, 図書館から沢山の音源を借りてきて,いろんな音楽を聞きまくっています. いろいろ思い至ったこともあるのですが,うーむ. シューマンのことを書くと,読み返すと悪口みたいに思えて, というのは,わしは圧倒的にメンデルスゾーン派というか復権を しなければ釣り合いが取れないと思っているので. ということで,最近は黙って, シューマンのチェロ協奏曲をひたすら練習しています. 子供の頃に習わなかった曲なんだけど,暗譜できた. 暗譜できると,試験監督をやってるときに,「エア・チェロ」を 演奏することによって,目をカっと見開いて,居眠りせずに済む. ついでに,同じくヴァイオリン協奏曲も チェロで弾けるということがわかりました. どうして誰も弾かないんだろう,ヴァイオリンソナタ第 2 番はクレンゲルの 編曲があって良い感じなのですが.

実生活では,下に書いた「腐海で生まれた」ということと, 「「2 倍凄い人」はいない」という話ばかりしています. 自分自身が 37 歳の大学非正規研究員から生まれた,ということで あったり,その父もアカデミアの様々な病巣と対面していた, ということを思い返したりしていると,直面している 様々な問題に冷静に向き合える,という感じです. あと,「「2 倍凄い人」はいない」という話は, 多くの共感者を得られました.いえ,本当にそう思うのです. これは,ダイレクトに,研究不正や誹謗中傷などを 生じさせる社会的な原因に通じる一方, 人をエンカレッジする話だとも思うのです. 見かけの差異に惑わされるな, 違いがないんだから,やらなあかん,ってことです.

研究室からは,このたび 5 期生の 3 人の修士が巣立って, トライボロジーや材料科学の専門家などになりました. 一流企業の研究開発者を育てる,という自分に課した義務は, それなりに達成できていると思っています. GSC の高校生さんも無事修了し,大学に入学します. そして,4 月からは 7 期生の修士が 5 人入り, 博士課程は社会人が 2 人加わって 9 人になります. うちは,社会人が多く長期間在籍されるので, 多めに見えます. そして,特任助教の先生が赴任予定です. これで,外部資金で雇用している研究者が 5 名, 秘書が 1 名となります.クロアポの准教授の先生や 客員の方々もおられます. 新研究科になって修士学生が激増しそうで怖いのですが, スタッフも増えていますので,なんとか対応しようと 思う次第です.

などと↑,書いたのを読み返すと,「当期のわが社の売上は ○○億円,経常利益は○○億円」などと,ひたすら SNS に 書いているベンチャー企業の社長みたいに, なんだか無機質な感じがしてきます. 四半世紀前から「魂のこと」を書いてるんじゃ なかったのかよ,という自分からの突込みを感じます.

なのですが,こういう数字って,やっぱり魂のこと,なんですね. 「3 人の修士が巣立って」などと書くときには,当然, それぞれの若者くんとの交流が思い出されるわけです. わしは,経営とか経済のことはサッパリ未だに理解できませんが, 「わが社の売上は ○○ 億円」と嬉々として書く人の 気持ちはちょっと理解できてきたような気がします.


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2 月 25: 「2 倍凄い人」はいない

最近つくづく思うことは,無理をしてはいけない,ということです. 世の中はヒーローを求めたがるが,みんなを救ってくれるヒーローが そんなに沢山いるはずがない. ざっくり言って,あなたや私が凡人だとして, あなたより「2 倍凄い人」はいない,と思っておくのが 正しい現実の認識だと思います.

いろんな分野で競争がある.スポーツ,音楽,研究. 素晴らしい成果,というものは実際にあるし,素直にそれに 感動する心は大事です. でも,それを成し遂げた人のことを,あなたより著しく凄いって 思わない方がいい,ということです. そこに,文化的な無理が生じる.

文化や経済のパトロンは,そういう凄い人を希求する. するとどうなるかというと,その人に投資を集める. いわゆる「選択と集中」です. すると,投資された側は成果を出さねば,と, 無理をする.無理をすると,不正に手を出してしまう.

絶対,それを忘れてはいけない. 「凄い人」に飲み込まれてはいけない. 自分の目と耳と手足で確認しながら, 着実に確かめていって,把握して,把握できる以上の ことをやってはいけないし言ってはいけない. なぜなら,どんな凄いことだって,しょせんは「人間のなせる業」 なのであって,それは 1.数倍しか凄くない人のやったことで, 本来だったらあなたにも手が届くはずのことなのだから.

他の言い方でいうと,愚鈍な自分の手作業にもっと誇りをもって, それを究めるための努力をした方がいい. 「飛び道具」はない. 「凄い成果」を出し続ける製造機はない. 凄い成果,に見える成果があったとしたら,それは 似たような人間の集合体が生み出した何かであって, その突端にいる人に負荷をかけつづけるのは危険だ,ということ.

いつ頃から,この素直で愚直な考えが歪むかというと, 受験の頃,からだと思う. 以前にミルフィーユのたとえ ( 2019 年 5 月 8 日: ミルフィーユが過ぎる) を書いたかと思いますが, 受験においては細かい差異を大きく見たがる. 受験生が悪いというより,親,学校の教師,予備校の人々が悪い. 頑張るのは大切だが,その結果は針小棒大なんですよと, 大人が注釈を常に加え続ける必要が本当はある. ところが,自分は凄い,自分は凄くない,と, まるで人間が 2 倍,3 倍と凄くなるような妄想を持ってしまう. 繰り返しですが,自分より凄い人は存在するかもしれないが, ざっくり,それは 2 倍以内です.1.3 倍くらいかな.

誰でも,どんな人間でも常に頑張らなきゃいけない理由もそこにある. たとえば,周囲の誰かが自分の 10 倍凄いんだったら, そいつに任せりゃいいじゃん.自分の安全だとか,食い扶持だとか, その人にひたすら依存したらいい.どうせ自分が頑張っても 大したことないんだし. でも,2 倍以内だったら,立場が逆転してしまう可能性がある. だから,常に,自分も頑張っておかないと,何というか 安全な暮らしを守ってもらえないんですよ.

どうやってそれを計量するのか,については聞かないで欲しい. けど,これは本当に大切な感覚だから,覚えておいて欲しい. これ,20 歳前後の頃に思い至って,最近, つくづく当たってるなあと思う感覚なので.


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1 月 30: 無観客

「参加することに意義がある」というのが,まさに今,問われていると思いますよ.この言葉,今まで大きく誤解されてきたのでは?

今日は,最後にドイツに出張した日からちょうど一年です. ドイツの若手の皆さんと,この分野の日独の若手の取り組みについての基調講演をしました. 僕らの国際会議は,お客さんに見せるためにやるのではありません. 研究は地味で,スポーツは派手だから何か違うもののように思ってた. けど,その分野で世界トップクラスの人々が交流するのが本質なのです. これらのイベントの運営係や審査員なんかもやってると, そういう交流の仕掛けを作ることから「試合」は始まっていることが判る. 文化交流って本来そういうもので, 「観客として日本に来て,日本が素晴らしいと思った」なんて体験は, この際どうでもいいのでは. だから,無観客でやって,選手同士が交流したらいい. 「参加することに意義がある」→金メダルを取るか取らないか, とかとは全然違う話.

考えてみたら多数派の人々は日常的に国際交流をやってないので, 意味がわからんのは当たり前かも. 森喜朗氏が,無観客でやると宣言して,こういうことを訥々と語ったら, 最初は意味が伝わらなくても,それを再度「有識者」の皆さんが解説しなおして, 徐々に理解される,かもしれない(笑). ワイドショーに出てる人々は,こういう交流をやってないので,説明ができない. パンデミックの数値計算をしてる 8 割おじさんとか, 国際学会に出たり出られなかったりしているらしい高須先生とか, 日大助教になった体操の白井氏とかが, いきなり真顔になってこういうことを説明しはじめたら,わかるかも.


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1 月 28: 実は腐海生まれ

ときどき,困ることがあります. 我々の研究室では,研究者 4 人, 秘書 1 人を(実質的に)雇用しているのですが, その方々は非正規です. 他には客員の方が数名おられます. 彼らも正式メンバーではありません. 非正規ゆえに,何ができる,何ができない, といったことに制限がつけられます. 納得ができることもありますが, その多くは,「えっ?」と言いたくなるようなことです.

最近,気がついたことがありまして, 実は,わしが生まれたとき,わしの父親は 名古屋大学医学部で人工心臓の研究をしている 37 歳の「副手」でした.副手というのは無給です. つまり,自分自身が,結構良い年の 非正規から生まれたわけです.

アカデミアが,風の谷のナウシカの腐海だと するならば,わしは,腐海の底で生まれたのです. 今のアカデミアがダメになったのではなく, 少なくともわしが生まれた 50 年前には既に 腐海だったのです. アカデミアに文句をいう,言わないにかかわらず, このクソな世の中が,わしにとっては 大自然そのものだったのです.

この仕組みを,アカデミア以外にも広げていって 非正規,派遣社員などを増やし続けたのが この 20 数年の政治です. いわば,腐海が広がっていくような感じです. それは,やはり断罪されるべきだと思います. 繰り返しですが,アカデミアは,大自然そのもの なので,何というか,そのように受け止めています. 全てを受け入れているわけではありませんが.


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