2009年のWhat's New!


最新のWhat's New
ここからしか飛べない過去のページもあるよ.


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12 月 25 日: 世のため人のため

そういえば,今年は ACS (アメリカ化学会) に入った. 入会しませんかという手紙が来たので,それなら,と入った. 以前から MRS (アメリカの材料工学会) にも入ってる. これは,定期大会での招待講演をお受けするのとセットで?入れてくださった. 実は,日本の化学会には,何度か入ろうとしたのだが,結局入っていない. 勧誘されなかったから (笑) と,今度からは言うことにしようか. 入っていないのだが,高分子学会や計算化学の学会に入ってるので, 実際問題上は困らない. 日米では同じ化学会といっても構造が異なる. アメリカでは,ACS の下に高分子だの分析化学だの,という分科会があり, それが実質的には日本の高分子学会や分析化学会だのに対応している. だから,白川先生や田中先生がノーベル化学賞を受賞されたときに 日本化学会の賞をとっていないことを問題視する人がいたが, 既に高分子学会や分析化学の学会では評価されている人だったので, 事情がわかっている人にとっては,それほど奇異なことではなかった.

ACS の活動は面白くて, たとえば Web の通販では 子供服 まで売っている. 真面目な方向として ACS の活動として印象的だったのは, 日系二世の女性研究者の Y さんのプロジェクトだ. 彼女は,アジア人女性として初のイエール大学で学位を取った才媛で, 石油メジャーの研究所の研究者. その研究所がある街は全米屈指の荒れた街だそうで, 高校に登校時に入るために金属探知機があるくらいだ. そんな地元の貧しいが優秀な高校生のために, 夏休みを使って,給料を出して研究の手伝いを してもらうというプロジェクトを,彼女は 20 年以上も続けている. 二ヶ月働くと,その子の家族が半年は生活できるという. もちろん,化学の道を志す動機付けとなる. 本人としては,十分研究はやった. 発明は沢山して,論文は沢山書いたし, 学会誌のエディターなどもやってきて,満足だ. 職場のテニュアを得ているけれども, 研究はいつ辞めてもいい,でも,辞められない理由は, その ACS の活動を引き継ぐ人がいないから,なのだとおっしゃる. 自分のため,せいぜい家族のためにしか仕事をしていない者として, 考えさせられる言葉であった.

と,書いたけれども, まあ,わしが某研究会の運営のお手伝いをさせていただいているのは, 自分が勉強したいというのもさることながら, 我々の分野の若い研究者が,この分野の技術を使って仕事のポストを得て 活躍することによって,産業と学問の発展につながればと, 一応真面目に考えてはいるからだ. このたびボコボコに叩かれた文科省のプロジェクトに参加している理由も, このプロジェクトの計算機で大いに分子性流体の基礎研究をして, そこでの知見を元に画期的なオイルを開発して, CO2の削減に寄与する,ということを実は真面目に考えている. 成功したら声高に主張できる話で, 素人にも「スパコンがどう役に立ったのか」を理解していただきやすい話だと 思うのだが,まだ成功していないので何とも言えない. 以上は,きわめて個人的な見解なので悪しからず.

世のためといえば, 宗次ホール は個人が作られた室内楽ホールとして素晴らしい. マネージメントされているのが,お世話になっている人のご家族で, 実はオープン以来何度も伺っているのだが, 昔はルンデ,今は宗次ホールという感じで素晴らしい. 最近ではプラジャーク弦楽四重奏団を聴きにいった. 創立が 1972 年,プラハ音楽院の学生が作ったというので, もう還暦くらいな筈なのだが,チェリストが若い. 同行した友人が「若いんじゃないの?」と指摘されたのだが, 自分の経験上 「いや,落ち着きがない人は若く見えるんじゃないか」と答えた. このカニュカさんという人のチェロが響くし,演奏のスタイルが 芝居がかっていて面白い. 実際は 1960 年生まれで,他のメンバーより若い. で,ちょいと惹かれたので,今年発売の 「ヴァインベルグ作品集」の CD をドイツの JPC で買った. 他にもマルティヌーの協奏曲など,沢山録音をしているし, チャイコフスキーコンクールでも入賞しており,やはりただ者ではなかった. で,ヴァインベルグのチェロソナタ自体はじめてだったのだが, ショスタコがより深刻になった感じで,素晴らしい. 弦楽三重奏は世界初録音だそうだが,冒頭からチェロが歌う. 興味深いことに,演奏してる楽器は 2008 年のフランス人の リュータリオで作られた楽器だそうで. 新作楽器でも鳴る楽器だったら良いではないかと 思っているのが裏付けられて,何だか嬉しかった. あれ?なんだか最後は趣味の話で終わった. いえ,これも魂の話です.


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12 月 7 日: デカルトの方法序説は実学書の序論である

先週は週のはじめに東京都市大で集中講義,週の後半は物理系の 学会と出歩いていたが, 飲み会の席で表記の話をしたら意外がられたので,確認がてら.

わしは昔から哲学が苦手である. たとえば認知科学について勉強しようと思い ガードナーの「認知革命」をひもといたところ, 大変読みにくかった. せっかく一人の著者によって 認知科学を構成する心理学, 人工知能,言語学,人類学,神経科学, そして哲学の六分野について広い視点から まとめられているにも関わらず, 日本語訳をする際に,それぞれの分野の専門家に依頼したためである. とくに,哲学部分の翻訳が最悪で, 翻訳者による注釈が多すぎる. そんなに難しいことが書いてあるとは思えない部分であっても, 一文一文でひっかかるように出来ている. とりあえず流して読めるように訳してくれよ,と思った.

てな感じで,哲学は苦手で,10代のころに一通りは積ん読したが, 覚えているのは「デカルトよりパスカルが面白い」 「孔子より荘子が面白い」, どちらも論理的というより詩的だから, という類いの印象である. しかし,きっと良い本なのだろうと思って,ときどき読み返している. 最近は荘子を読み返している(三階の広い書庫のお蔭だ).

そんな感じで数年前に何かの拍子に「方法序説」を読み直してみたら, 何ということはない,これはいわゆる哲学の本ではなく, 後に続く本編である光学や気象学といった 実学書の序論だということに思い至った. 「思い至る」というのも変な話で, この本が何の「序説」であるかは, 本文中にデカデカと書いてある. これは哲学の本であり「Cogito ergo sum」と 書いてあるのが一番重要なところだ, と思うのは先入観というものである.

この「序説」に書いてあることとは, 「自然を観測して頭を整理するために, いわゆるデカルト座標などの新しい方法論を導入したんだけど, それは何でか,ってのを解説するよ」ということだ. 読み進めると, 「 哲学については何も言わないでおこう」 と書いてあるし, 「この本をラテン語ではなく(母国語である)フランス語で 書いた理由は,(学者の皆さんではなく)実際に 測定する技術者の皆さんにとって判りが良いようにするためだよ」 とも書いてある. この本は哲学の本ではなく,考え,行動する 技術者への一種のアジテーションの本なのだ.

以前も書いたように, 英語圏をのぞいて, 母国語で基礎科学を教えられる国は, ドイツやロシア, フランスなど極一部であり, これは大変な幸せである. また,母国語で議論される学会や論文誌があることのありがたみも, 民間の研究所では英語が苦手な研究支援系の方々が 研究系に勝るとも劣らず大活躍している 実態を目の当たりにすると,実感としてシックリ来る. 一方には「母国語で科学する」ことの弊害もあり, 製品としてモノではなく言葉が飛び交うソフトウェア工学での 日本の苦戦を見たり, 他の分野の研究者でも 国際雑誌に投稿するようになると実感する. しかし,明治以降の日本の躍進の源流として 実験技術者が母国語で学び情報発信できる 環境があったことは間違いない. 方法序説も,その意味から実学書として 母国語で書かれたわけである.

本書には 「Cogito ergo sum」とは 書いてなく, これは友人のメルセンヌ神父が哲学を愛する人々のために ラテン語に「翻訳」した言葉だ. せっかく「偏見のない自然な論理展開を活用する人たち」のために 書いたというのに, 「古人の著作だけをよりどころにしている人々」の世界に戻して どないすんねん. wikipediaの当該項目 などは,多分「哲学」に近い人物が書いているので 「ラテン語の教育を受ける可能性が低かった当時の女性や子供たちでも読めるよ うに、フランス語で書かれ」 などと間違って書かれているが,この間違いの根は深い.


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10 月 29 日: AVCHD と Windows7

このページは備忘録なので,備忘録 いつもは枯れた技術についてばかり書き残しているので, 新しいことを書くのは珍しいことなのだが. またまた検索用語に多くかかりそうな文面になりそうだが.

自宅の PC を入れ替えた. Intel Core i7 860, メモリは 6G, Windows7 64bit (Home Premium) といういかにも最新型だ. 出たばかりの OS を一週間以内に買うのなんて,はじめてだ. Vista については仕事場のサブのサブの PC を 一台触っているだけだったので, Windows 人生的には XP から Windows7 へと, 飛んだことになる. そもそもの原因は,今年の夏に Sony のハンディカム HDR-XR520V を購入したので,フル HD の動画の処理に困ったからだ. DVD 作りには, Corel Ulead Videostudio 12 Plus を使っているのだが, 今までの自宅の Pentium4 機だと, 数十分の動画に対して,数時間かけてスタンダード画質の mpeg2 に落として, それから処理しなければいけなかった, それでもモッサリしているし,そもそも,せっかくフル HD で撮ってるのに 特性を全く活かせないのがストレスであった. 最近のデジタルビデオカメラを買うとフル HD である AVCHD ファイルが 生成されて,その処理に困っているという人が沢山いるのは 少しでもネットを検索するとわかる.

ということで,上記の新しい PC にした. まあ,マザーボードから換えなきゃいけないだろう. 今までの自宅機 の Platinix 2EI/333-AL にはお世話になった. このケースを活かすことも考えたが, 今回の換装の場合,メモリが使えないのはもちろん, HDD も IDE から SATA になるし, AGP のグラフィックボードも,(Express のついていない) PCI や ISA の各種ボードも使えない. さらに,電源も 250W だと最近の Core i7 には無理. ということで,本当にケースだけしか活かせない. ということで,本体ごと買い替えることにした.

静音を謳っている BTO ショップの水冷式と迷ったが, 近所のヤマダ電機で売ってるフロンティア神代のものが, 値段も手頃で,実機を触ったら大変静かだったので, 大人買いしてしまった. 静音については,録音のため, ダンボード G7 で囲った旧自宅機 と比べても,更に静かだった. 夏の録音は,クーラーをかけて,止めて,PC を囲ったりして, 大変なのです.

さて,動画は Videostudio でサクサク編集できるようになった. 編集中はプロキシファイルを作る設定にしているが, プロキシの作成もリアルタイムでどんどん作ってるようだし, 出来上がったフル HD ファイルは, フル HD のモニターで全くストレスなく見ることができる.
(後記) Windows7 で VideoStudio 12 を使うための パッチ は必須. これまで DVD 作成メニューが出なくて, vmware の XP 環境で DVD の iso イメージを作って 焼くという面倒な作業 が必要だった.

初期の目的は動画で,次は録音環境なのだが, 結論から言うと, E-mu 0404 USB と Sonar LE を中心とした環境は,そのまま Windows7 64bit で使えた. 0404 USB は,E-mu のサイトから最新のドライバをダウンロードして, PC 本体についているオンボードのサウンドボードのドライバを無効にした上で (これをしないと ASIO でしか使えなくなってしまう) , ドライバを入れると使えた. Sonar の廉価版は,最近は Sonar 6 LE となっていて, この Windows7 での 動作記録はあるのだが,わしの所有しているのは Sonar 4 ベースの LE だ. 0404 のオマケの CD-ROM からインストールしようとすると, まず,CD-ROM 全体 (Sonar LE や Cubase LE などてんこ盛り) のインストーラーはエラーが出て終了. CD-ROM 内を探して Sonar だけを入れると,インストールは成功するが, アクチベーションに失敗した. 実は,この時点では 0404 のドライバを入れていなかったからだった. 0404 のドライバを入れてから,Sonar を入れると, メールを使ったアクチベーションにも成功して,オーディオも MIDI も普通に使えた. Cubase LE は,インストールは正常に終了するが,一度もまともに起動しない. VS Pro Score は, インストール自体が無理だった.

こういった差が出るのは,Windows7 の 64bit 版 (32bit 版ではメモリが 3G しか使えない) には, そもそも 32bit モードがあるので「大抵のソフトは動く」のだが, 16bit の Windows をベースにしたソフトを中心に, 古いものほど互換性が弱くなっていくようなのだ. だから,やってみないと判らない.今回も, オークションか何かで Sonar 6 LE を買おうか, それとも数万円出して 11 月に出る Sonar 8.5 にしてしまうか,迷った (生音中心の録音しかしないので,わしは LE 版で十分なのだが).

ともかく, 動画編集と録音が出来るようになったので,大変満足. 動画は,そもそも以前の環境では AVCHD ファイルを開いて見る (開くことは開くのだが,まるで静止画のようにモッサリしている) ことすらままならなかったし,録音にしても,ギリギリのスペックだった ので,当分幸福だろう. この二つ以外については,実は仮想 OS 上でも十分可能な作業なのである. 32bit のソフトで動かなかったものについては, VMware Player という無償の素晴らしいソフトがあって, 有償の VMware fusion や,その他フリーソフトの組み合わせで 作った仮想環境の中の Windows XP で動かすと,十分実用的. これは,MacOS X ユーザーなら多くの人が知っている. Windows7 Professional 以上であれば,XP モードなる仮想 XP 環境が 得られるそうなのだが,VM Ware では, VMware vCenter Converter Standalone という, これまた無償のソフトによって, 稼働していた旧マシンの環境を外部のバックアップソフト ( Acronis True Image など) のイメージを使って, そのまま仮想化することができる. 古い環境も,捨てずに新しいマシンの中で余生を過ごせる.

どうも,最近,Mac と Windows の立場が逆転している. つまり,一般的に Windows はビジネス用の PC で, Mac は画像処理だの音楽だのといったアート用の PC という 印象であった. しかし,動画にしても DAW にしても,手軽で速くて安い環境が Windows ではすぐに入手することができる. 仕事場では,30 万円以上した Mac Pro を使っており, Adobe Premier も持っているけれども, 動画の編集に関しては,今回 11 万円ほどで 構築した Core i7 + Videostudio の環境の方が速い.

一方で,Windows7 では,デフォルトで些細なことが出来ない. たとえば,ファイルの分割と結合には split と cat があれば済むのだが, Windows7 には入っておらず,また,DOS 版の split や cat を 持ってきても,今度はまともな shell がないので使い勝手が悪い. Mac OS X は,本当に普通の意味で UNIX なので,こうしたことが 当たり前のように買った時点からできる. こうした目的のためには,今回の Core i7 機では, Ubuntu が 役に立った (Ubuntu は何も手を加えない CD-ROM 版でブートできたが, これまで良く使ってた Knoppix はブートしなかった). やっぱり,小技をきかせられるのは Linux 環境だ. で,Mac OS X だと,数値計算屋には必須のこうした小技 UNIX 系ソフトが 普通に使えるし,Illustrator も使えるし, そして Intel Fortran Compiler で作った数値計算そのものも速い. Windows 版が多い市販の数値計算ソフトを使うにしても, 仮想デスクトップで使えるし,軽いものなら VMware Fusion で十分だ.

ということで,本業の研究には Mac を,自宅で遊ぶのは Windows7 を,と何だか逆転したような気がする今日この頃..

(後記: 2010/01/31) なんと,わしの購入した FRM905 は,Core i7の Turbo Boost 機能に マザーボードの BIOS が対応していなかった. 同じ機種でも 12 月以降に購入の人は大丈夫らしい. あまりに遅い PC と毛色の違う MacPro しか比較材料がなかったので, 気づかなかった. ベンチマークでは 10 % ほど処理速度が違う (たとえば iTunes で CD を取り込むときなど) そうなので, メーカーであるフロンティア神代のページで修理依頼をして, その指示に従い近所のヤマダ電機に持っていったら, 一週間ほどで直って戻ってきた. 悔しいことに!?,わしが修理依頼をした次の日に アップデート版 BIOS がネット上からダウンロードできるように なっていた. ともあれ,定格では 2.8 GHz のマシンが, 忙しくなると 3 GHz ほどで動くようになったので, ご利益があるのだと思う. また,自分から依頼をしなければ動いてくれないというのは いかがかと思うが,依頼後の対応はまともであって, いい加減なショップよりはマシだと思った.


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9 月 2 日: ハイドンのメヌエット

シンプルだけれども,とても佳い音楽に, Six Minuets for Two Cellos by Franz Joseph Haydn Edited by Frances J. Steiner. がある.作曲者は,かのハイドン. しかし,曲はそれぞれトリオを含めても 50 小節にも満たないメヌエット. 二本のチェロのための編曲. チェロを習っていた頃に教えていただいた.

わしに音楽を,ピアノをチェロを勧めたのは 父親だったのだが,なぜか一緒に合奏しようと 言ってくれたことはなかった. 父は,はじめヴァイオリンを,つぎにヴィオラに転向して, アマチュアオーケストラで嬉々として弾いていたのに 不思議であった. 今,トラをやらせていただいているアマオケでは, ファーストヴァイオリンの前から2プルトがそれぞれ親子関係であり, とても幸せそうに弾いている. そういう感情が自然だと思う.

わしからみても,父はヘタクソだなあと思っていたのだが, 今から思うと昭和一桁生まれにしてはブラームスの交響曲の ヴィオラパートを弾けるというだけでも立派なものであった. 以上のことを母に言うと「彼はプライドが高かっただけで, あんた程度に弾けていたならば喜んで合奏してたと思う」と述べた.

その父親と一緒に演奏する機会はなかったのであるが, ある日,このハイドンのメヌエットの一曲目を通して ハ音記号で書かれてあるのに気がついて, これならオヤジにも弾けるだろう,と切り出してみた.

そのささやかな合奏は,ほとんど覚えていないくらい地味なもので あったが,満足だった.

ところで,この曲は確かにJ. ハイドンの作曲とあるのだが, どの曲集からの抜粋であるか,所有している楽譜には書いてなかった.

ハイドンの 150CD を購入したとき,メヌエット集の CD があったので それを聞いてみたが,このメヌエットは入っていなかった.

最近になって,通勤や,病院通いのときなどに, この 150CD の中の「バリトン三重奏」集を 順番にカーステレオで聞いていた. 「バリトン三重奏」は, ハイドンの雇い主であるエステルハージ侯爵が,自分自身の 夜の愉しみのために,バリトンという貴族しか購入演奏できない 高貴な楽器と,ヴィオラとチェロのために 極私的に書かせた 120 曲以上ある曲集である.

昨日,平和公園の坂を急いで下りていく途中, 突然,それは鳴り響いたのだった. 「ハイドンのメヌエット」,ニ長調. バリトン三重奏曲の第 78 番の 2 楽章なのであった.


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5 月 13 日: 薔薇が咲いた


3 年目のルイーズオーディエが咲いた. 初年度から咲いていたんだけど,今年はとくによく咲いたし, この写真にも見えている格子状の支柱を白く塗ったり 冬に蔓を張り直したりしたので,嬉しい. 先週の雨で第一陣が流れかけたのが残念なのだが, まだまだポンポン咲きそうである. この品種は,また香りが格別に良い. 近所の奥さまに「素敵なイングリッシュローズね」と言っていただいて, 実はフレンチなのだが,細かいことはさておき大変光栄である. 基本的に妻の薔薇なので,このページで宣伝するのが恐縮だったのだが...


こちらは,同じく3年目のバレリーナ. より原種に近い感じの花. 今年から玄関の柱にらせん状に巻いている. 2重螺旋どころじゃなくて,5重6重にグルグルと巻いたら,わさわさと花がついた.


一本の枝だけ,色も赤茶けているし,葉のつきも蕾のつきも悪いし, どうしようかねえと言っていた矢先に,こういう花が咲きはじめた. 興味深いことに香りもない. さて,一番目のルイーズオーディエ,二番目のバレリーナのどちらに ついた花でしょう.

こうやって並べると,この花はバレリーナの 花かと思うくらいだが, 実はルイーズオーディエの枝についた先祖返りなのだ. これは,金魚の仔でも良く見られる現象で, フナ尾になったり褪色しなかったりして先祖返りを起こす黒仔が 一定の割合で出る. 2歳魚など若い親や,品種交配途中の仔に多いという. ルイーズオーディエは 1851 年に出来た比較的古い品種なのだが, なかなか固定できないものなんだなあ (意外なことに バレリーナの方が新しくて 1937 年). 金魚と一緒なんだ,と思った. 花が終わったら,先祖返りの枝は切ろうということになった. 少し可愛そうな気もするが,金魚を育てること同様, 決然と実行せねばならない,文化的に生きることの業なのである.


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4 月 21 日: 大事なとき

この春は,結婚式に楽器を持っていくことが二件連続あって, そのうち一件は Pf, Vn, Va が珍しく揃うということで, シューマンの ピアノ四重奏の 3 楽章 (とても素敵な曲だから聴いて) をやろうと提案させていただいた. これは,シューマンのあらゆる曲の中でも最も多幸感に 満ちているというか,なかなかこれに匹敵する幸福そうな曲は この世にないと思う. 結婚式的に見直すと, 若干 B メロに中だるみ感がないとはいえないが, まあ新郎が Vn ということで,ビジュアル的に乗り切れないかと.

ピアニストの方に指摘されたのだが, この曲にはピアノ独奏曲にありがちな 神経質さがない,とは確かにそのとおりだと思う. シューマンの室内楽は,この後,ピアノ三重奏,Vn ソナタと 順番に深刻になっていくので,冒頭の「多幸」は, どちらかというと後期作品と 比較しての「幸福」だと思っていたが,前期の謝肉祭などと 比べても確かにピアノ四重奏は飛び抜けて屈託がない.

大好きなクララと結婚して,子供を 8 人もボコボコと作らせてる間の 出来事なので,稀にみる,良い時間だったのだと思う. そういう意味で人の人生で,大事なとき,というのは一瞬しかないよう にも思われる.しかしながら,その時間の前には何かが熟成していっていて, その後には何か残響のようなものがあって,波のピークではなくても 無意味な時間というのは存在しない. ってことは,大事なとき,じゃない時を生きている人は誰もいない.

関連して,「未来予想図II」を無伴奏チェロにアレンジした. もう 20 年前の曲だから,良い子の歌唱集にコード付きで載っている. 最初はコブクロをアレンジしようと思っていたのだが,ミソがついてしまったよ. お気の毒に.


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4 月 14 日: お客様

驚いた.ふっと当 washizu.org の Webalizer によるログ解析をみていたら, お客さんの上位 10 のうち 7 までが Mozilla あるいは Firefox ユーザーで, さらに上位 2 位が Linux じゃないか. まあ,ここに来る検索キーワードのベスト 5 位までが 「Linux ブラウザ, linux ブラウザ, linux webブラウザ, ブラウザ linux, gimp バッチ処理」であるから, 当然といえば当然かもしれないが. 皆さん,デスクトップの Linux をちゃんと使っているのですね. しかも,Ubuntu が人気だということも判る.

トップ 10 of 1125 ユーザエージェント
# Hits ユーザエージェント
1 2083 3.86% Mozilla/5.0 (X11; U; Linux i686; ja; rv:1.9.0.6) Gecko/200902
2 1696 3.14% Mozilla/5.0 (X11; U; Linux i686; ja; rv:1.9.0.7) Gecko/2009030422 Ubuntu/8.10 (intrepid) Firefox/3.0.7
3 1562 2.89% Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET
4 1527 2.83% Yeti/1.0 (NHN Corp.; http://help.naver.com/robots/)
5 1489 2.76% Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 5.1; ja; rv:1.9.0.7) Geck
6 1391 2.58% Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 5.1; ja; rv:1.9.0.7) Gecko/2009021910 Firefox/3.0.7
7 1250 2.32% Mozilla/5.0 (X11; U; Linux i686; ja; rv:1.9.0.7) Gecko/200903
8 1080 2.00% Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 5.1; ja; rv:1.9.0.6) Geck
9 812 1.50% Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.0)
10 760 1.41% Mozilla/5.0 (X11; U; Linux i686; ja-JP; rv:1.6) Gecko/20040207 Firefox/0.8
View All User Agents

要するに,お客様の大半はわしの知り合いではないということか. Linux のデスクトップを使ってるような奇特な奴はリアルでは ほとんど知らないな.計算機マニアの集まりなどもいかないし. そうだ,恩師が退官後の愉しみに Ubuntu を使っておられるくらいか.

当の本人も,3 年ほど前に移動生活をやめたために 主たる計算機環境を Linux 入りの Vaio ノートから 家では WinXP 入りのデスクトップ,仕事場では Mac Pro として, 要するにデスクトップの Linux を使っていない. gcc も X window も,MacOS X 上で普通に使えるしなあ. 周辺サーバは Linux が現役バリバリなので, 毎日使用している計算機の数では Linux が一番多いのだが.

ちなみに,Mac でも Safari より Firefox の方が adblock やタブ関係の拡張が他の環境と同様に使えるので, ブラウザとしては Firefox の使用時間が圧倒的に多い (2 位は w3m で,3 位は MSIE で 4 位が Safari かな) . じゃあ,自宅でも Linux デスクトップでもいいではないかと 思うかもしれないが,DTM 環境である Sonar LE が使えない. そもそも音は出るのか. 最近の ALSA ではうちの E-mu 0404 が使えるのかな. と思って調べてみたら,ダメっぽいのだが, DTM に使える I/F の中で Edirol は結構充実してるんだなあ. あとは気合いの問題か.

と思うのだが,Linux での音楽環境の構築は何度も試みて何度も 挫折しているので,オッサンとしては辛い. 最近は車も買い替えたので休日はいろいろ作業したり 遠出したりしているし.


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4 月 13 日: チェロの起源


ドプリンガーで買ったものども.上記表紙は Barenreiters Sassmannshaus - das Standardwerk fur junge Streicher. Fruher Anfang auf dem Cello, Band 1 というもので,これまで見たチェロの楽譜の中で,というより 楽器の教則本の中で最もかわいいもの. お子さん持ちのチェロ弾きの人々にお見せしたら大人気だった. 2008 年出版とあるから,比較的新しいのだろうか. 有名なベーレンライターから出ているものなので, 英訳あるいは日本語訳されたりするかもしれない.

もう一冊の楽譜 An Organized Method of String Playing by Janos Starker は,ピアノにおけるピシュナみたいな 「いやらしい指づかい」のためのマニアックなトレーニング本. 教則本マニアとしては,ある意味, これらは入り口と出口にあたる 二冊かもしれない.


楽譜ではなくて音楽書としては, "Der Barockkontrabass Violone" Alfred Planyavsky があった. 「ヴィオローネ」と呼ばれていた頃のコントラバスの歴史を詳述した本. 阿佐ヶ谷の名曲喫茶「ヴィオロン」も, 実はコントラバスのことだったんですね.

チェロの起源というのは謎につつまれているが, 17 世紀末にボローニャあたりで生まれたと思われる. 懸田貴嗣さんの修士論文 が簡潔にまとめられていて素晴らしい. 大筋としては,通奏低音に用いられていたコントラバスである ヴィオローネが一方にあり, もう一方に,現在のヴァイオリン,ヴィオラをさらに 大型化したバス・ヴァイオリンがあり, その中から我々の violoncello は誕生した. 通説としては, Antonio Stradivari, His Life and Work, 1644-1737, William Henry Hill にあるように, 現在のチェロより少し大型のヴァイオリン族である Churuch Bass を小型化してチェロにした, という説明があり,これは 両足に挟んで演奏したものである. 最近は, シギスヴァルト・クイケンや寺神戸亮などの ヴァイオリン弾きが violoncello da spalla という肩に載せて演奏する楽器こそがチェロの起源である とばかりにバッハの無伴奏チェロ組曲を録音している.

正直な感想として,チェロの起源がスパッラであるという説は 気持ちが悪い.昔のピアノは寝転んで演奏したんですよ, と言われるような妙な不快感がある (寝転んで弾いたら fortepiano の本質たる フォルテが出せない). まず,現代のチェロの音楽に結びつく violoncello のためのソナタや協奏曲が, イコールの関係でもって violoncello da spalla = チェロの起源,だとは とても思えない. それは先の 懸田さんのブログにあるように, 17 世紀のチェロソナタの 音域の検証などからも明らかだ. もう一つ,上述の Hill の本には ストラディヴァリのチェロ製作の変遷が説明されているが, 1700 年以前制作の大型のチェロや,それ以降の小型のチェロが 現存する一方で, スパッラと思しき超小型のチェロがほとんど残っていないのは あまりに不自然だと思うのだ. 1700 年前後には現代のチェロの本体と音楽とが実在している. また,「バッハ」の名前に騙されてはいけない. たとえ 1720 年前後のバッハの無伴奏組曲が スパッラのためであったとしても, レーガーなどが無伴奏チェロ組曲を作曲する 20 世初頭まで チェロ音楽の歴史には影響を与えておらず, ボッケリーニやデュポールなどと比較すると存在がきわめて小さい わけだから,チェロの起源論や発展史にはあまり大きな影響はないといえる. バッハの鍵盤楽器の音楽やフーガなどの作曲技法そのものは, 18 世紀の後半から既にコンテンポラリな音楽に影響を与えていたし, 確かに 20 世紀以降において無伴奏チェロ組曲は聖典なのであるが, そのこととチェロ音楽の発展史とは切り離すべきである. チェロの歴史的には 1736 年の Lanzetti のソナタの方がよほど重要である. 上の文を書いた Claudio Ronco による ソナタ 12 番などを聞いたら一目瞭然である. ヴィオラ・ダ・ガンバには有り得ない躍動感,高い音域など チェロ音楽の特徴が充満している.

で,Planyavsky のヴィオローネの本は, そうしたチェロの直系の祖先が本当は 17 世紀の末に 出現した新参者であるにも関わらず, 大手を振って「ヴィオローネ=violoncello」だと 言わんばかりの論調で記述されているのは我慢がならん, コントラバスこそが低弦楽器の祖先であると主張している本だ. 15 世紀からはじまる豊富な図解や, コレルリのトリオソナタにおける通奏低音の楽器といった 記述 (チェロの祖先の一人は,コレルリの作品 5 で 通奏低音を担った人物であると,カウリングのチェロの本などにある) を見ると,本書がドイツ語であることを忘れさせる. 70 ユーロくらいする結構高い本だったので, 落ち着いて英訳を探して,結局 amazon.com で購入したのだが, チェロに対する挑発的な文言が散見されて,面白い. たとえば,合奏協奏曲の説明のところで, 「このジャンルにおいて最も成功したバッハのブランデンブルグ協奏曲に 使われている楽器は,あろうことかチェロなのである」 などと書いてある. 本書ではスパッラの話にも言及しており, Planyavsky さんにとっても「チェロ=スパッラ」と 結論づけられたら,気分爽快なのだろうと思う. しかし,そこまでの断定は彼もしていない. 本書はこのように,コントラバスや通奏低音の歴史に興味が ある人々だけではなく,チェロとは何かについて考える人々にも お勧めの一冊である. ちなみに, 彼によるコントラバスの定義は,立って弓により演奏する 等身大の弦楽器,とのことだ.

では,チェロとは何か. 親指を用いたソプラノ領域まで届く広い音域こそが, ヴァイオリンにもヴィオラ・ダ・ガンバや当時のコントラバスにもない チェロの特質なのであり, テノールのヴァイオリン状楽器を膝に抱えて 親指を最初に指板の上にのせた人物こそが, 我々チェロ弾きの直系の祖先であると思うのだ. Sassmannshaus の表紙絵の子供も,腕を伸ばせば この左の男の子がやっているように 指板の上に小さい親指を置けるでしょう. ちょうど良い大きさと,楽器の抱え方がチェロの 起源であり本質だと思う次第.


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4 月 11 日: ハイドンのオペラ時代

現代日本の働く人々の大多数は会社員であるから, 「プライベートな組織に仕える」ことにまつわる エトセトラについては周知のことと思う. であるにもかかわらず,こと芸術や科学などの 創造的なものとの相性は悪いように見える. 「宮仕えをすること」と「創造的であること」とが 両立しないのではないかという恐怖がある. 社会に取り込まれちまった大人,という奴だ. これを子供の頃に感じるのは良くわかるのだが, それを抱えたまま大人になって, 本を書くような職業につく人も大変多い. 「会社では理論物理の研究はできない」という 恐怖などもこの典型であって,その半分は正しいのだが 残りは間違いである. どう間違っているか,を理解するためには, ハイドンの人生について考えてみたらいい.

ハイドンは,6 歳まで比較的裕福な車大工の家庭で生まれて, 6 歳のときに音楽教師の家に修行に出て, 8 歳のときに現在のウィーン少年合唱団に入り, 17 歳のときに声変わりのため追い出されて, 音楽的フリーターとなり,ストリートミュージシャンとなった. これを10年ほどやっている間に作曲と鍵盤を独学し, 27 歳のときにモルツィン伯爵家に雇われて, 2 年後に倒産,29 歳にしてエステルハージ侯爵家に就職し, 以降 30 年間勤め上げた.

このプライベートな宮仕えの期間,彼は 論文や特許や報告書,じゃなかった, 交響曲やオペラやバリトン三重奏などを書きながら 上司たる侯爵のニーズに答え続けた. 第二ヴァイオリンとテノール歌手がクビになりそうになったら 「第二ヴァイオリン氏は合奏の要であり必要であり, テノール歌手は子供の合唱の教育者としても必要です. 私の願いを聞き届けていただけたらバリトン三重奏を三曲作ります」 などと,楽団のボスとして上司と交渉したりした. そう,バリトンという楽器好きの侯爵のためにも, 百曲以上も書きまくった. 楽団のそれぞれのパートは名手揃いであったため, 「朝,昼,晩」交響曲のような,独奏楽器を生かす曲を書き, メンバーに活躍の場を与えた. こうして書かれた交響曲や協奏曲,弦楽四重奏が, ずっとイノヴェーションをもたらし続けたというのがすごい. そうして作られた交響曲などは,それぞれの ジャンルの歴史そのものとなった. 雇い主の要求に応えることと,イノヴェーションとが 矛盾なく両立したのだ. 若きストリートミュージシャンおよび 宮仕え研究者にとって,生きるヒントが満載の人生である.

ここまではいいだろう.行きつけの 「アートライブラリー」にはハイドンの本が沢山あって, 大体そういったことが書いてある.その中の, 井上和雄「ハイドン ロマンの軌跡」を読んでいて, ふと気になることがあった. この本では,弦楽四重奏の第二ヴァイオリンたる著者が ハイドンの弦楽四重奏の作品に沿って 生涯と作品とを解釈していっているのだが, 弦楽四重奏の歴史をぬりかえる傑作である 作品 20 を 1772 年に 40 歳で書いた後, 次のこれまた 弦楽四重奏の歴史をぬりかえる傑作である 作品 33 を 1781 年に 49 歳で書くまでの間, 10 年近くのスランプであったと述べているのだ. 著者は交響曲は詳しくないそうなので, 別の著書からの引用により, その期間の交響曲は序曲などのつぎはぎが多く 停滞していた,ということをもって 自説を補強している.

ところが,この時期のハイドンはオペラを書いていたのだ. 「月の世界」「報いられた真心」といった名作を 次々に書きまくっていた期間だったのだ. これらのオペラは,エステルハージ家の離宮である エステルハーザのオペラハウスで上演されるために 作曲されたもので,モーツアルトのオペラのように ウィーンやプラハなどの都市で演奏されなかったために 音楽史的な影響力を持つことはなかったが, 紛うことなき傑作群である. オペラやマリオネットオペラなど舞台音楽が主, の期間だったため,交響曲は これらの序曲を転用したわけであるし, 弦楽四重奏の新境地を開拓している暇はなかった. いや正確には 84 年くらいまではオペラ時代であったため, 作品 33 の弦楽四重奏の改革も同時に行っている.

ここで魂の問題にいきつく. ハイドンは,その音楽人生において,いわゆるスランプは なかったというのが実態ではないか. チャイコフスキーは第四交響曲を書いてから第五を書くまでの 約 10 年間は,確かにスランプであったと本人も述べている. シベリウスは第七交響曲を書いて以降は亡くなるまで 何十年もスランプだった. そういう意味での,スランプは,ハイドンにはなかったのではないか. 30 代から,ハイドンは間違いなく勤勉に, 毎年毎年イノベーションを続けていた. 上記の本の著者は,30 代までは歴史的な存在ではなかったが 40 歳の作品 20 を書いて化けた,というような書き方をしているが, 実際は,「朝,昼,晩」も 30 代の作品だし, 我々チェロ弾きなら誰もが古典派時代の最高傑作の一つだと 認めるハ長調の協奏曲も 30 歳前後の作品である. 弦楽四重奏だけについては,1760 年前後のハイドン作品を みると,同時代のボッケリーニの作品のクオリティには負けていると 思う.しかし,協奏曲や他の協奏的性格の強い交響曲については 間違いなく 30 代から一流であったし,ピアノソナタでも そうだったのではないかと思う. 40 歳前後に「シュトルム・ウント・ドラング」の名作群を書いた ハイドンは,その後もオペラに注力して傑作群を書いた. 交響曲だけ,あるいは弦楽四重奏だけ,に注目していると,誤認する. あるいは,同時代人にとっても, エステルハーザで上演されている音楽にふれる機会の なかった人々にとっては,ひょっとしたら 40 代のハイドンは 「消えた」あるいは「弱まった」ように見えたかもしれない. しかし,客観的にみたらハイドンの音楽人生にはスランプがない. 上記本の著者は,ロマン云々についての主張は首肯できる部分が 多くて立派な本だと思うのだが,ハイドンの音楽人生の全体像の 認識については,根本的な部分で誤認しているように思われる.

ハイドンのオペラ時代について,誤った認識に陥る理由は, 実はもう一つあると思っている. それは,ハイドンがオペラを書きまくった理由についてだ. 現代の芸術家は,あるいは大学の研究者は, 本人の内的な欲求によって創造したものだけが 最上のものであると,心のどこかで思っていないだろうか. ハイドンのオペラは,雇い主がオペラハウスを作ったために 外的な事情によって作られた.ディヴェルティメントなどが 「機会音楽」と呼ばれるように,ハイドンのオペラも 「機会音楽」だと思われていたのではないか. しかし,それを言ってしまうと,ハイドンのあらゆるジャンルの 音楽は,交響曲や弦楽四重奏でさえ,「機会音楽」である. 「機会音楽」であることと,一級の芸術品であることとは, 矛盾したり直交するような関係ではない. 一級の雇われ芸術家は,ジャンルをかえさせられても一級のままだ. 一つの狭いジャンルだけを探求している人, あるいは自分から内的にしかジャンルをかえたことがない人には,これが なかなか理解できない. 一級の雇われ芸術家である条件は,一つのジャンルに囚われないこと だともいえる.ハイドンは,交響曲作家と自己規定していたわけ でもなく,宗教曲作家でもなく, ただ単に「音楽家」であったのであろう.

大学院でたまたま理論物理で一仕事できたために 自分のことを「理論物理屋」だと狭く自己規定している人にとっては, 会社では「理論物理はできない」場所ということになる. なぜなら,会社は「理論物理もできる科学技術者の居場所」 でしかないからだ. 自分のことを,広く科学技術者であると自己規定できる人には, 会社で理論物理を研究する機会も与えられるであろう. 雇い主のニーズに対して,まず科学技術者としてそれを 広く俯瞰することができれば, 自分の得意である理論物理の適用対象と方法とを見出せるし, あるいは全く新しい科学を開拓することも可能となる, それと同じ意味で,ハイドンは真の「音楽家」であった. 彼はボーイソプラノという声楽から音楽はじめて,鍵盤楽器や ヴァイオリン,そして作曲へと進んでいった. 20 代のハイドンはダッシュしていた. 自分はヴァイオリンを弾きながら, 街中のストリートミュージシャンをけしかけて, 一斉演奏を行い, 警察に追われて,結局コントラバスとティンパニ奏者が 逃げ遅れてつかまるわけだが (彼らはハイドンが首謀者だと 口を割らなかった), その瞬間も,つまり 20 代のハイドンも, 一流のストリートミュージシャン であったであろうと,わしは推測する.


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4 月 3 日: かぶりつき

ウィーンの学会の最終日の夜だけ時間ができたからと, 街を徘徊していたらムジークフェラインにいた. 何かやってたら運がいいなあ,と思って チケット売り場にいったら,小さいホールで ハイドンのバリトン三重奏をやっていると書いてある. ハイドンのバリトン三重奏といったら, 未開の沃野であることは知る人ぞ知ることであろう. が,売り場のおばちゃんは「これは当地の folk music であり ハイドンはやらない.それは次の日だ.」と言う. 後ろに人が並んでたので, ハイドンは folk music と呼べまいか,などと考えつつも, じゃあ,大ホールはありますかと きいたら,かぶりつきならあるという. ハインリヒ・シフのソロでショスタコの 1 番だという ではないか. ということで,アラン・ギルバート,ウィーンSOで 聞きましたよ.

一列目はヴィオラ弾きを見上げるように 聞くので,首が痛くなるけれども,音響的にはオケの中で 聞いているようで,ソロがとても良く聞こえた. コンマスの甘い音色も良く聞こえた. ショスタコは,音量のバランスが難しい チェロ協奏曲のオーケストレーションに大変神経質であり, シューマンのチェロ協奏曲のオケ部分を全部書き直したくらい なんだが,やっぱり tutti で ff になる部分は聞き取りにくい はずだと思う.が,一列目だったので全部聞こえた. 後半はバルトークの管弦楽のための協奏曲であり, 何というかいかにも 09 年のニューヨークフィルの常任となったギルバートさんの アメリカ風選曲でウィーンっぽくはないんだが, 何でもいいから上手なオケコンが聞けて良かった.


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3 月 11 日: 秒針

ネットを徘徊していて, 秦さんが

  たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか  河野裕子

を挙げているのをみて,ああこれは何だか胸がしめつけられる,と思って, そういえば昔,識っていた人が歌人になっていた,と思いだして, この作品を見つけた.

  秒針の澄みたる音をポケットに移せりいまだ去りやらぬ夏  岸本由紀

この「秒針」は,腕時計でも懐中時計でもなくて, ストップウォッチの秒針だよね.


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2 月 24 日: 椅子

身近なもののなかで, 生活に余裕のないときは本当にどうでもいいが, 気にしはじめ,こだわりはじめたら奥が深くて キリがないもの,椅子,のリンク集.

家が輸入ものなので,それに ホイールバックチェア が 1 セット,ダイニングチェアとしてついてきたのだけど, 一昨年 ポルトローナフラウ Vittoria に入れ替えた. 「目が詰まっている子牛の皮ですので,サっとひとふきで汚れが落ちます」 と,真っ白なのにダイニングチェアとして使えるとお姉さんがいう. 確かに,一年半ほど使ってみたけど,醤油をこぼしたりしても すぐにふいたら全く痕が残らない.手入れは半年に一度ほど, 付属キットのワックスかけのみ. フェラーリ車のシートも手がけているそうで, おまけにユーロ高のときだったので店のサイトを今見たらショックで, 一見バブリーにみえるが,何十年でも使えそうだから, 結局は良い買い物だと思う.

書斎のパソコンと DTM 兼用の椅子は,これまでは 30 年近く使ってたきょうだいの学習椅子だった. 生活に余裕のないときは本当にどうでもいい. 先日,ふと近所の中古家具店を覗いていたら オカムラ Baron が美品お手ごろだったのでゲット. わしの仕事場の研究室の椅子は,「腰痛対策椅子」というのを 入れてもらって,それなりに座り心地が良いのだけれど, Baron の方が断然良い. ところで, この中古家具店には,中小企業の社長室の横にでもありそうな 丸いテーブル,くつろげるシートの会議室セット一式や, そのままスナックを開店できそうなダークな色調の低いテーブルと椅子の セットや,巨大な炊飯釜,コンロ,食器洗い機,などの厨房セット, などが並んでいて,いろんな想像をしてしまう. 友人にこのことを語ったら, オカムラのオフィスチェアは,なかなか普通の会社じゃ導入して くれませんよ,これは倒産したデザイン事務所とか, 外資系金融とか,じゃないかと思う.と,述べていた,なるほど.

中古のものには怨念がついていると想像することもできるが, うちはたとえばダイニングテーブルは 前にも書いたように 1930 年代の お古だし,リヴィングのランプもロサンゼルスの廃教会から 出てきたというものだし,FM チューナーは近所のハードオフの ものだし,と数えあげたらキリがない. とくに現代詩の本は古本が多いのだが,誰かのコレクションが まとめて出てきた,と思われるような古書店の棚を見かけることがある. 往生した人物であるかは不明である. そうだ,金魚やチェロなんかの "生き物" は特に, 亡くなった方のコレクションを そのまま引き継いで発展させるということが大変多い. と,思うのだが,この話をしたら家人は玄関先で椅子に塩をまいた. なんだか愉快だった.


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2 月 11 日: 他人の顔

暇なときに 自分の名前をググってみたことがある人は, それなりに多いのではないかと思われる. この間,ふとやってみて驚いたのだが, ローマ字で名前を入れてトップに挙げられたのが Facebook というサイトの項目なのだが, このサイト自体,登録した覚えは全くないし, わしとは全然関係がないし, もっと興味深いことに そこに掲載されている顔写真が,わしとは全くの別人であるということだ. この Facebook というサイト以外にヒットしたものは, 学会や論文のサイトだったりして,100 % 身に覚えのある情報なのだが, 一番トップに,他人の顔が掲載されているのだ. 安部公房「他人の顔」を,ふと思い出した.
(2010 年 1 月 24 日追記: 最近は漢字も併記されるようになって,漢字が違うことが判りました.)

興味深いことに,その顔は,それらしいアジア系の男性の顔であって, 老人でも子供でもなくて,年も近いような感じであり, 何というか「中らずと雖も遠からず 」である. でも,誰かわしを知らない人がこれを見て「あー,この人が washizu さんね」と断定されると,困る. まあ,別に現実問題としては大して困ることはないのかもしれない. 未知の人と落ち合うときにはそれなりの手段をとるし, 当サイト下をいくつか 掘っていただけたら,写りは良くないが 写真も何枚かあるので,別人だとわかるだろう. しかし,少々気味が悪い. そもそも,このサイトは一体何だろう? 上述したような,一種の焦燥感を抱かせて,参加者を募るという 新手のフィッシングか何かだろうか?

ここまで考えて,ふと「そもそも自分の名前の人物は自分だけなのだろうか」 ということに思いが至った.全くの別人で,同じ名前の人がいるのかもしれない. 自分の名前が「山田太郎」などであったら,この可能性は折り込み済みで ものごとを考えるのであろうが,自分の名前はマニアックであるから 他に同姓同名はいない,と勝手に思い込んでいた. こういう,同姓同名の人物が実在するのかもしれない. 研究だの音楽だのをしていなかったら,普通は google にヒットすることも あまりない.すると,彼にとっては あかの他人であるわしの仕事だの音楽だのばかりが 雑音になって,これまで迷惑をかけていたのかもしれない. 申し訳ありません.


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2 月 10 日: 人が本になっていく

先日,同じ日に,秦先生から「湖の本 エッセイ46 いま、中世を再び」, そして駒場の大学院の後輩の N さんから製本した博士論文をいただいた. 本を作るのは楽しいし,作られた本をいただいて読むのは嬉しい.

秦先生は大学の文学の教授であると同時に,短い間お世話になった 出版業界の大先輩でもあるので,「すぐに絶版になる」という 出版業界最大の問題点(第二の問題点は流通であろう)を 知悉されていて,ご自分の著作を自費出版し直す 「 湖の本」というプロジェクトを続けておられる. 第97巻を発行,ということで今年中に 100 巻が達成されそうとのこと. 素晴らしい.

知,には形がない. 形のないものをいかにして人から人へ伝達し流通させるか, これを知の流通の問題と呼ぶならば, 言語や五線譜表,数学記号やグラフなどは 知の道具であり容器であり流通の単位といえる, この知の容器をいかに運搬するのかという方法の検討は 知に関わる人間が最も繊細に取り組まねばならない 問題であると思う. この,知の流通の問題について,全く違う分野であるが Morphy One (2000 年) の問題について指摘したり, IMSLP (2007 年) を挙げたりしてみた.

秦先生はこの知の流通の問題に対して,1986 年から 20 年以上も 取り組んでおられるわけで,校正から印刷,製本の仕方, 配布の仕方, あらゆる点に独創とノウハウが詰まっている. 本については,いくらインターネットが発達しても, インターフェースの問題(柔らかくて高画質,低消費電力,軽量の 電子ファイル表示装置がない)が解決していないため, 基本的には「湖の本」という方法論に大きな修正はないのだろうと思う.

もちろん,容器が先にあったのではなく,流通させる価値のある 文学という中身が先にあったからこそ容器を作られた,ということなのだが この方法自体が参考になりはしまいか. 同時代的な幸福 (心身ともにお元気で 100 巻達成していただきたい) もさることながら,複雑で広い世界を構築されたのだから, 謎であるが,アクセス可能な謎として後に残る,という点が重要なのだと思う. たとえば,ハイドンやボッケリーニの作品には「偽作」が多い. 有名なハイドンのセレナーデ (弦楽四重奏第17番) は ハイドンのファンの僧侶が作った偽作である. その一方で,真作であるのに未発見の作品が沢山あるらしい. ハイドンの c-dur のチェロ協奏曲は 1960 年代に発見された. であるから,全容は未だにわからない. さすがに,現代の作家で本人の名義で有名版元から出版されたものは実は偽作だった, ということはないと思うが,逆に紛うことなき真作なのに 入手困難,ということは良くある. であるから,アクセス可能であるということが素晴らしいのだ.

人が本になる,ということでは,先月,駒場の先生の先生にあたる 吉岡甲子郎先生が亡くなられた. 東大駒場の物理化学教室は, 吉岡,渡辺,菊地先生と教科書を書く人々の教室であった. 多分,この先生方の書かれた本は今でも一般化学の日本語教科書としては 最大部数・点数を誇るのではないかと思う. 直接研究を指導いただくには世代が離れていたため, ご自宅や国際学会など限られた機会における ご指導であったが,折々に伺ったお話を思い返すと 専門分野に限らず,広い知識と見解を 持っておられる偉大な先生であられたとしみじみ思う. どういう流れだったか忘れたが帝政ロシアの話を 延々としていただいたのが懐かしい. ご冥福をお祈りします.


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1 月 11 日: 母べえ

のエンディングにヴォカリースが入っているらしい, どんな曲だと問われて,ヴォカリース. ・習っていたときに,ヴォカリースにまつわる チェロの先生と黒髪の女生徒とのちょっといい話があって, 短文を書いてしばらく載せていたのだけれど, 迷惑をおかけするといけないので取り下げた. ・あとは, 歌のテストというのが子供の頃にあって,歌詞を覚えるのが面倒なので ヴォカリースをピアノ弾き語り?で歌ったことがある. ドイツ語,イタリア語, 求愛の仕方も判らない言語で何を歌えるというのか,などと. ・ペテルブルグの街角で,辻ヴァイオリン弾きの兄ちゃんにリクエスト したら前半を弾いてくれた.後半は,忘れたといっていた. わしも,ピアノ伴奏譜を忘れてたことに今日気がついた. ・アコーディオンの MO さんから弾いて欲しいといわれたのに, 何年もペンディングであった. そうえいば,ペンディングなことだらけだ. この録音もピアノを入れたら疲れてしまって,チェロがヘロヘロだ. ミキシングもヘロヘロだ. だけど,ペンディング.


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1 月 1 日: 年賀


あけましておめでとうございます.
今年も何卒宜しくお願い申し上げます.


この写真の「牛」は,蒜山高原にいたジャージー牛です. ジャージー牛は,犬みたいでかわいいです. 腹を押さえると「モー」と鳴きます. バーテンダーセットは,10年前にボストンで見つけたものです. 実は 去年の写真 の方が「牛肉」そのものだったわけですが, 今年は牛乳,ということで若干穏やかになりました. グラスの中にはいただきものが多数ありますが, 下さった方はお気づきかしらん.




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