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メンデルスゾーンその1
メンデルスゾーンその2
7 月 17 日: メンデルスゾーン続き
最近外で摩擦の話をすることが多くなって、ここにも少しくらい書いていいと
思うのだけれど、摩擦の研究をするようになってうれしかったことの一つに
ヘルムホルツに"再会"したことが挙げられる。
ヘルムホルツはご存知のように、統計熱力学で最も重要な概念である
自由エネルギーを最初に提案した物理学者なのだが、
「楽器の物理学」(フレッチャー、ロッシング著)なる分厚い本を手にとってみると、
実は彼は熱力学のような純粋な物理学の分野のみならず
音楽にまつわる科学でも大活躍していたことがわかる。
物理モデリングシンセの基本原理とも関係のありそうな
ヘルムホルツの共鳴器、ヘルムホルツ共振、など彼の名をとった
振動理論は多い。
さらに、擦弦楽器の摩擦に着目して、バイオリンの弓の運動が
現在でいうところの
stick-slip motion であることを見抜いたことは驚嘆に値する。
わしは、そんな博物学的なヘルムホルツが大好きになった。
世の中には、原理主義者がいる。
原理主義者のいけないところは、本質(だと自分が信じるもの)を
追求することが何よりも重要であり、
それ以外のことに価値がない、あるいは
それ以外のものに走ることを堕落だとみなすような
姿勢があることである。
そういう意味での原理主義者からすれば、
ヘルムホルツが熱力学だけではなく楽器の物理学にうつつを抜かした
ことは許されざること、ということになる。
ちなみに、仲間のボルツマンはコテコテの原理主義者だという印象がある。
多分、彼にとっては統計力学の完成こそが全てであり、
だからこそ最終的には自殺することになったのだと思う。
世の中には原理主義者は必要であるが、
原理主義者に歴史を語らせるといけない。
なぜなら、原理主義的なストーリーに合わないものを
否定してしまうからだ。
たとえば、ヘルムホルツの例でいえば、
自由エネルギーについて語られることが 99 だとすると、
バイオリンの研究については 1 も語られないという事態になる。
わしは彼の伝記を読んでいないので詳らかではないが、
予想では、熱力学に費やした工数と同程度あるいはそれ以上の
ものを音楽的研究に費やしているのではないかと考えているし、
同程度の重要性があると彼自身考えていたのではないか。
しかし、そのことは科学の歴史からきれいに省かれている。
わしは、最初に室内楽に出会ったときに、室内楽について音楽の友社の
「最新名曲解説全集」を頼りにしてきた。
大変頼もしい作品解説集なのであるが、
最近読み直したメンデルスゾーンの室内楽の部分(門馬直美氏)は
全く同意できないものであることに気がついた。
まず、チェロソナタをはじめとする
二重奏ソナタが一曲も取り上げられていない。
それから、全般的に、メンデルスゾーンの作曲のピークは
(1) 弦楽交響曲を書いた14歳頃、
(2) 有名な弦楽八重奏を書いた18歳頃、
(3) 最も有名なバイオリン協奏曲を書いた30歳前後、
(4) そして30代後半の晩年であるが、
そのうち一貫して (2) に作曲のピークがあるかのような
書き方をしている。
弦楽五重奏では最初の作品18が人気が高く、
晩年の第二番は"出版されなかった"と書いて
作品解説を拒否しているが
それは作者が出版前に死んだからではないのか。
弦楽四重奏にしても、全室内楽作品を通して聞くと
作品 44 にピークがあるようにわしには思われるが、
その中で最も重要な第一番ニ長調には"ほとんど演奏されない"としか
書かれていない。わしは、このニ長調に感動しましたよ。
第一楽章の飛翔するようなテーマは、
メンデルスゾーンの最も勢いが良いときに現れるテーマであるし、
第三楽章のメランコリックな曲想はぞくっとして、
何かに似ていると思ったら、ブラームスのクラリネット五重奏の
最終楽章に似ていると。演奏者を見てみたら
バルトークSQではないか。これは昔から親しんだ
クラリネット五重奏と同じ楽団だ。で、メンデルスゾーンの曲の方が上品だ。
6 曲ある完成された弦楽四重奏では、とにかくこのニ長調が最高じゃないか。
その次は、姉が死んだショックの中で書かれたというヘ短調。
とくに、二楽章のスケルツォを体験して欲しい。
この切迫した音響の中に何故か優雅さを湛えている構造は、
モーツアルトの有名なハイドンセットのニ短調のメヌエットの
正当な後継者たるものだ。
音楽史を通してみると、直後にロベルト・シューマンが高度な言論と
"自暴自棄"攻撃をしたことと、ブラームスが手際よく
ドイツ音楽史を"総括"してしまったことと、最後の打撃として
シェーンベルクが作品番号なしのニ長調の弦楽四重奏で
メンデルスゾーンの
正当な後継者としての名乗りをあげながら
全く別種の"発展"を示してしまったことで、
メンデルスゾーンは矮小化されたのではないか。
たしかに、作品 13 の弦楽四重奏のように、
ベートーヴェンを"勉強"した後が濃厚に見られる
作品を書きながら、ベートーヴェン的なるものを発展させるわけではなく、
何といえばいいだろう、モーツアルトにはあるがベートーヴェンには
ない典雅を取り戻すかのような作風に落ち着いたことによって、
後付けの音楽史の本流からそれてしまったのかもしれない。
要するに、
"原理主義者のストーリー"からはみ出てしまったのではないか、
ということだ。
念のために書いておくが、わしは別にアリアーガについて
語っているのではない。天下のメンデルスゾーンの話である。
谷川俊太郎をネグって現代詩を語るようなものである。
原理主義者のストーリーは、10 代の多感な青少年には
是非とも必要なものである。
自殺しないための方便というものは必要だ。
世界が広すぎるからわけがわからない、と発狂しそうになる
人のために、すっきりとした一本の筋道を示すことは貴い作業だ。
そういう場合は、ベートーヴェンの後は
シェーンベルクとドビュッシーとバルトークが続いて、あとは
20 世紀の話で十分だ。
しかし、わしにはヘルムホルツがバイオリンの弓をギコギコしながら
メンデルスゾーンを楽しげに弾く姿が妄想されるのである。
後記: 書いてみたあとで気づいたのだが、音響学の分野では
ヘルムホルツは十分有名であるし、さらに最初にとった学位は
医学だったそうだ。原理主義者はわしの方かもしれない。