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8 月 1 日: 音楽ノ未来・野村誠の世界

湖国近江は水口町というところにいった.

水口町は豊かな町らしく, 図書館もホールも大変立派であった. 開演までに時間があったので, 図書館を歩いていたら

  さよならサンボ―『ちびくろサンボの物語』とヘレン・バナマン   エリザベス・ヘイ (著), ゆあさ ふみえ

という本が目に入ったので, 読んでいた. 「ちびくろサンボ」は, 1899 年にイギリスで生まれ, 1990 年に日本で死んだ, のだそうだ. つまらないクレームをつけて文化を萎縮させることが大好きな 連中というのはいつの時代, どこの国にもいるらしく, 同様の事件が 1970 年代にイギリスでも起こったそうだ. そのときのクレーマーに対する出版人の返答の手紙が 傑作であった. わしも, 新聞人と大学人のクレーマーの被害にあったことが あるのだが, そのときはただ萎縮してしまった. こう咄嗟に本質を突いた名文を書ける人間になりたいと, 思った.

この本には初版全編のコピーが載っていて, いろんな意味で面白い. まず, あっけらかんとした空間が豊かに使われている. なぜか「アリス」の原典の豪華装幀版を持っているが, そういうものと比べても詰まり具合は明らかに違う. 紙が安価になったということと関係があるような気がする. これを読んだ少年少女は, たとえばタイタニック号に乗船したのだろうか. 大人になって, 第一次世界大戦に出征したりしたのだろうか.

本題は, 野村誠さんのことだった.

野村さんは, 最初に音楽について教えてくれた人である.

中学校に通っていた頃に, 不思議な部屋があった. 授業が(多分)終わると, いろいろな人々が集まって, いろいろな話を, いつまでもくっ喋っていた. 学問や芸術や政治から定番の恋愛まで, 何とも不思議なところだった. 誰にでもこういう空間があるのではないかと希望する. わしは一番年下で, 先輩たちばかりであった. その頃は, 多少なりともサヨクがかっていたわしは 学園紛争が終わってしまっていたのが残念だった. ともかく政治の話は長続きしなくて, パズルと音楽の話が延々と続いていたのであった. 今でも, 暇つぶしにわしが繰り出すパズルやクイズの類は ほとんど, この部屋でHKさんに教えてもらったものである,

そして音楽である. リーダー格だったのは TK さんなのだが, 彼は大変ピアノが上手だった. ベートーヴェンのソナタを全部弾けたと思う. ルックスからしてアートがかっていた O さんは, 安倍公房ばりの小説を書かれて驚いた. そして, 野村さんは音楽の根底にある理屈のようなものについて, はじめて開眼させてくれたのである.

それまで, わしは既にピアニストになろうと思ったことはあったし, そして既に挫折していたし, 初めての作曲も幼稚園の先生に 貰った五線紙に書いたメヌエットだったことも いつか書いたとおりである. 合唱の指揮などもした. 自分は既に, いっぱしの音楽人間だと思っていた.

そこへ, 音楽が芸術であること, 音楽の歴史的発展について考えること, さまざまな音階の存在と使用法, 和声学から オーケストレーションの不思議, たとえばブーレーズによるストラビンスキーの分析について 輪読したことなど, そういう一種の哲学のような方法論が 音楽についてありえるということを教えてくれたのである. その頃既に, ラフマニノフの三番や 「ラプソディ・イン・ブルー」を 人前で弾いていた実兄がわしにはいたのに, 兄が教えてくれなかったのは不思議なことである. 野村さんは, 次から次へと歌うように, 来る日も来る日も 音楽理論について語ってくれた. 考えてみたら, 音楽だけでなくあらゆる分野を通して 理論武装の凄さを最初に知ったのは, 野村さんの話であった.

こう書くと, 野村さんが何だか偉大な人のように思われてくる.

しかし, 実際に野村さんが音楽理論について語っていたのは あの部屋に滞在していた時間のごく一部で, 残りの大半は 本当に歌っていた. 歌というのも, 大袈裟ではない, リートでもファドでも浪花節でもなく, 幼児が お遣いを頼まれたときに購入すべき品物リストを歌にするような, そんな歌である. 「♪いいも〜ん, 僕いいもん」(気分), 「♪たこつぐ〜, のりひる〜」(人名), といったようなものである. 今でも覚えているのが不思議である.

そんな部屋で1年半ほど育ったのであったが, 野村さんとは彼の高校時代に何度かお会いしたが, 京都大学に進学されて以来, 疎遠になっていた.

で, Web サイトを開いている喜び, なのであるが, 数年前に突然メールをいただいた. ちなみに, この部屋で出会い, 今は銀行人としてロンドンで活躍されている HK さんからも, Web を通してメールをいただいた. こうして, 先輩方が思い出してくれるのは, わしの名字がレアであるからだ. ご先祖様に感謝したい.

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野村さんからメールをいただいたのは, 転職した年の夏で, 結局そのときはお会いできなかった.

そのときに知ったことは,
・理学部を出たのに科学者にならずに音楽家になったこと
・イギリスで音楽教育, 子供に作曲させることを学んだらしい
・帰国後, 鍵盤ハーモニカでストリートをはじめて, 本まで出版したらしい
・新宿で熊沢段に会ったらしい
・京都で女子大の常勤講師になって女学生に教えているらしい
ということだった.

つまりそれって, わしの理想の先輩ってことじゃないか.

15 年以上会っていないのに今でも先輩とは, なんという輩だ. それはともかく, そのときに京都でセッションしようと仰ってくださったのに, 転職のどさくさで行けなかったことが残念だった.

出版された本というのが, ストリートについて書いた「路上日記」という CD つきの本だということだったのだが, その内容よりも ペヨトル工房の最後の本だというのに, 再び泣いた. 雑誌「夜想」「WAVE」をはじめとするペヨトル工房の出版物は, 10 代のわしらの知的好奇心の中心にあったといっても言いすぎではない. 思い出すだけでも, グレン・グールド, ベルトリッチ, 18 世紀の古楽, バロック過剰の美学, バイオと農業なんてのもあった, 活字の量やアカデミックな面ということでは ユリイカや現代詩手帖に負けていたが, そこには知ることについての奔放な快楽があり, どのページも版面のデザインが美しかった. 版面のデザインの違いだけを言えば, 「アリス」に対する 「ちびくろサンボ」のようなショックといえようか.

あの, ペヨトル工房から単著を出せるなんて!

ところが, 「路上日記」はなかなか手に入らなかった. 版元がなくなったからである. ペヨトル工房の廃業については騒動があったらしくて, ネットで検索していただければ容易にたどりつくが, 田舎でボケっとしていたわしですら上に述べたように 思うくらいなので, 騒動になったのことに不思議はない. ご本人から購入するのは, なんとなく遠慮された. そういうときは感想を述べるべきだし, 感想を述べるだけの心の準備というものが必要だ.

ということで, 聞かず終いで, 会わず終いで今まできてしまった.

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やっと当日だ.

野村誠さんの「現在」を体験するということは, モーツアルトでいえば, ザルツブルグ時代に交流があった人のところへ, 「魔笛」初演時にワープするようなものだ.

その心配は, 冒頭の映像作品を見て解消された. 「動物との音楽」は, 文字通り, 動物と共演するというプロジェクト. 前半は, カモの群としゃがんで鍵盤ハーモニカを吹く野村さんとがコラボレートしている. わしにはコラボレートしているように見えるのだが, もっとも, 傍らの女性によると「これ, あなたと一緒ねえ」ということで, そう言われた途端, 画面を正視できないくらい打ち震えていた. たしかに, わしもこのあいだ水戸城の堀のわきで鳥を追っていた. なんだ, やっぱり先輩じゃないか. でも, 映像がきれい. どんなふうに撮ったのかしらん. 「動物との音楽」には, イギリスで撮影した篇もあるそうなのだが, 空の色などは違うのだろうか. それから, 録音もきれい. 生録とは思えない不思議な鮮度. 曲も, 即興的で断片的なのだが記憶に残るような音楽だ. 「♪いいも〜ん, 僕いいもん」から変わっていない. 何かが溶解していくような感じがした.

つづいて, MU 楽団による 4 曲は, コンポーザとしての野村さんを よく示していた. まず楽団の編成である. Pf. Vl. Cl. Vlc. Perr. という 5 人組なのだが, これってつまり, わしらの大好きな バルトークの「コントラスツ」の編成の 3 人, あるいはメシアンの「世の終りのための四重奏曲」の 4 人に, 同じくバルトークの「2 台ピアノと打楽器のソナタ」を複合した ような組み合わせではないか. 別の言い方をすれば, 去年の当ページで力説した 室内楽の黄金の編成であるピアノ四重奏のビオラを クラリネットで置き換えて色彩豊かにしたものに, そこにマリンバを加えることで, 広がりと攻撃性と現代性を加えたという, 黄金律にのっとった組み合わせだといえる. MU 楽団という人々は基本編成はないようなので, この編成は 野村さんの意図なのだろうか. それにしても, いろんなことが出来そうだ.

などと硬いことを書いてしまったが, 舞台をみると, 最初の「ごんべえさん」「はないちもんめ」では, この楽団の前にリコーダーやペリカンなどを持った人々が 座り込んでいるので, ついつい会場の子供が舞台にあがって しまうような, そんな空気ができあがっている. ちなみに, この手のオモチャの楽器の利用については, くものすカルテットは負けていないと思った. 「ごんべえさん」は, 新古典主義的な残響のかすかにする, 爽快な音楽だ. あと, 演奏者が誰も上手だ. 「はないちもんめ」は, 音のゲームだ. ああ, そうか, パズルだ. 打楽器から管楽器, 弦楽器といったようにフレーズを受渡していく. そのときに, 一度弾いたときに, 移調すれば重なっていたのに, 元と同じ調で弾き直した人がいて, 愉快だった. つづく, 「自閉症者の即興音楽」は, 楽譜をみたい. 何かが輸送されていく感じがする. ff になるとチェロが聞こえない. 「Fresh Air with Air-conditioning」は, 朝もやの音楽なのだろうか.

「Shogi Composition in the Grundy Art Gallery」は, イギリスの美術館でガキオケのような楽団の子供たちと, 即興演奏をしている映像であった. 子供達も嬉しそうだし, 大人達も嬉しそうだ. 最後のカットで, 野村さんがグリーンスリーブスを ピアノで弾いていた. そういえば, 昔, グリーンスリーブスの主題による 長い長い変奏曲を作曲したことを思い出した. 今でも主要な変奏は覚えているのだが, あれは何処へいったのだろうか.

休憩のあとは, ジャワガムランのグループ「マルガサリ」による ガムランの演奏であった. ガムランというものを生で聞くのがはじめてだったので, 彩りも豪華に並んでいる楽器を眺めているだけで愉快であった. 20 人ほどの奏者による, 打撃の連続である. 天上の音楽は, 打撃なのだ. はじめて聞くガムランが, 日本人作曲家の現代曲だというのも 愉快である. 楽譜はないけれども, 劇音楽「桃太郎」からの組曲ということで, なんだろう, 昔わし, 坪川, トムさんで作った芝居の「百鬼夜行」 につけた音楽のような感じで作っていたのだろうか. ともかく, 録音されたガムランは全般的に静かな印象の音楽だが, この「桃太郎」は大迫力だ. さらに, ワークショップによる新曲ということなのだが, 野村さんがとても嬉しそうに走り回っているのが印象的であった. そう, 音楽は嬉しいことなのだ. 以前ラバーバの話 に 書いたけれど, 「ほら、子どもの頃って、面白い楽器があると、とにかく触ってみたかった でしょう。で、大人になるにしたがって、楽器奏者に対する敬意と、 大人の自制心のようなものが大きくなってきてしまう。。」 ということなのだ.

この, 子供の好奇心とファインアートのようなものとを, 戦略なしに合成してしまうと惨めな結果に終ることが多いのではないかと, わしは普段から危惧している. そこで現代の表現者たちは, アカデミズムのバリアーの助けをかりるか, 砂漠の放浪者として未踏の土地へと旅立つか, という選択をする. アカデミズムのバリアーというのは, 格好をつけた言い方をしてしまったが 簡単なことだ. 最近, とある大学で集中講義をさせていただいたが, とてもたくさんの質問を受けた. 質問の中には, 素朴すぎて, 学生時代の自分だったら質問しないだろうな, と思うようなものも 含まれていた. この, 「学生時代の自分だったらしない」という部分の虚飾が, バリアーの本質だ. すればいいのに, アカデミズムとは代表的な一人に質問権を委任するような ものなのである. たしかに委任することによって重複がなくなり, 効率化, 総体としての高度化が達成される. しかし, 難しくてつまらなくなる. 後者の, 未踏の土地へと旅立ちというのは, わしらが良くやっていることである. オアシスから 5 km 程度の地点でのたれ死ぬ. 屍を拾う者はない.

わしが勝手に考えると, 自分ならこのような困難を感じるところなのだが, 下北沢駅前で武満を, 子供達とガムランを, 自在に「のせる」野村さんの 音を聞き姿をみていると, そういう悩みは何だったのかしらんと思われるのだ. 考えてみたら, これって, 自分が東洋人であるのにピアノを弾いているという, 明治以来の悩みよりも大きな問題だったのではなかろうか. また一つ, 何かが着地したような感触があった.


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