2020 年のWhat's New!

最新のWhat's New
ここからしか飛べない過去のページもあるよ.


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12 月 28日: オンライン,そして 1/3 返し

ご存知のように,今年はコロナったので(このサイトはお蔭様で 25 年間続いてるわけですが, 世間の誰でも知ってる話題は極力書かないようにしています,が), 動画を沢山作りました. 今年 4 月 14日: 平和をわれらに で,ヨーヨー・マ先生や実兄と 「共演」を果たしてますが(笑), 今年最後にアップした動画はこちら:

オルフェウス・ゴーシュのクリスマス・ソングです. クリスマス・ソングというジャンルは僕らは大好きで,毎年,新曲を作ってました. 4 曲くらい連続して作った.最近は,新曲がなくてごめんなさい(って誰も期待してないと思うけど 笑).

兵庫県の高校生(一部中学生)を大学の先生方がしばく(関西弁の使い方が間違ってる気がする), GSC-ROOT (グローバルサイエンスキャンパス) の動画はこちら.

当研究室で「墨」の分子動力学シミュレーション研究を行ってる高校生の 中塚さんと僕も出ています. このプロジェクトは,動画で皆さんが語っているように, 若者の独創性を引き出す,大変貴重なプロジェクトです. 来年度以降も継続できるように,サポートしてくださる皆様を探しています.

新研究科のPR動画:4分,広報係として企画・録音補助・台詞なし出演

新研究科に改組されます.ドローンを飛ばしたりして,かっこいい動画を 作りました,というか作っていただきました.

新研究科の説明:43分,広報係として司会進行,説明など

新研究科になっても,当研究室(というか計算科学コース)は 引き続き「外部(本学の理学部,工学部や 他大学の理工系学部,高専など)」から院生を募集しています. 来年度の当研究室は,新たに修士が 5 名,博士が 2 名参加予定で, 修士は合計 8 名,博士も合計 8 名になります. 博士は社会人が多いため,どうしても長期間在学となります.

スパコンで解き明かす摩擦のシミュレーション学(神戸医療産業都市一般公開 2020 on the Web ):87分,講義,BGM作曲演奏

「パッサカリア」という曲を昔,作りかけたんですが,それを BGM として使ってます. 普通に,摩擦のお話として面白い,と僕は思ってるものです.

こちらに,音楽だけを掲載しました.ご自由にお使いください. Youtube のサイトに 使用方法を書いておきました.


今年は,10 月から流体力学を専門とする特任助教の先生に参加されて (彼は,皆さんがテレビで良く見る「富岳を使ったシミュレーションでマスクが大事 ってことが判ったよ」の動画作者の研究室出身), プロ(給料に関して責任を持っている)研究者が自分以外で 4 名,秘書 1 名になりました. 今年の 3 月には,現在世間を賑わせている闇の部分と接点を持ってしまったために, 酷い目にあいました.実際に酷いことになったのは自分ではなく若手研究者です. 週刊誌上で嘆いてみせたら,ちょっとした記事になると思います. が,私は研究職人であり暇人ではない. ということで,同志の皆様と風力発電に関する NEDO プロジェクトを新しく立ち上げて, 倍返しにはなりませんでしたが,1/3 返ししました.

生きていると,ろくでもないこともありますが,素晴らしいこともあります. 概ね,素晴らしいことの側の出来事だと思っています. 来年も宜しくお願いいたします.


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12 月 14日: "PathFinder物理学" 改め,それでいいんだよ

昔,当サイトには「ネットうろうろ」というコーナーがあって, ここと似たような駄文の中でも外のウェブページを紹介する,という ものがあったのですが,大半のページが消えてしまったのと (こちらのディスククラッシュもあったし), 1990 年代のネットリテラシでは良かったのだけど,ちょっと書きすぎた かなと思う部分もあったので,現在は掲載していません. でも,最近ふと見直してみたら,20数年経った 今でも大して考えが変わってないことが あったので,再掲します. 「それでいいんだよ」と,昔の自分や,皆さんにも申し上げたい. ただ,PathFinder物理学のサイトは今でもあるのですが, というか,ますますお元気なのですが, ちょっとついていけないのでリンクは張りません (と思ったけど,科学朝日の記事へのリンクは張りました. また,読み直すと状況がわかりにくいところがありますが, 当時の研究室は一部屋で全てだったので, 指導教官と同じ部屋の対角線反対側の机でわしは研究してました. 今の当研究室だったら,教授室は自分と秘書さんなので, 落第生にはお茶を出すかもしれません).

1998年4月14日: PathFinder物理学

春が来た。

春の駒場は今年で3回めだが、この季節に生活協同組合の食堂に行くと 少し憂鬱な気分になる。面子は毎年入れ替わっている筈なのに、 こいつらは他に話すことはないのかというくらい、毎年毎年同じ 話題で、同じ顔をして騒いでいる。 曰く、自分はいかに優秀であるか、あの女の子は誰だ、どうした、こうした。

ということで、春は生協の食堂に行かないようにしているのだが、 今度は研究室に同じ顔をしてやってくる人が必ずいる。 成績をなんとかしてくれ、と。これは師の仕事であるため、 私は高周波パルス発生装置の向うの、自分の机で黙って耐えているのだが、 人ごととは思えない、繰り返される話に、ついつい気が滅入ってしまう。

かつての私より勇敢な人の中で、3日に渡って攻撃を繰り返す人がいた。 毎度、土下座をしにやってくる。師は温厚なので、答案を掘り出して来て 一つ一つ何が不足していたのかということを説明したり、ぼそぼそと なだめたりする。その時間の重さに耐えられなくなって、私は散歩を しに外に出たのだが、3日め、帰ってくる時に研究室の扉の隙間から 未だに土下座をしている彼の姿が見えたときは、たまらなかった。

まぁ、こういった一連の眺めは風景だと言ってしまっていいだろう。 しかし、それぞれの人は自分自身以外の何者でもありえないところに、 人間の喜びはある。

ずーっと以前から、こんな景色について考えている。 砂漠の中に巨大な重箱がいくつかある。 重箱の中では、人びとが「こんなところに、まだアンコが残っていた」 とか、「この魚の骨の周りは、まだ食えるぞ」とか、喜んでいる。 何人かの人は、重箱から出ていく。出ていっても、砂漠だ。 ほとんどの人が、干からびて死ぬ。 でも、重箱から出ていく理由が、それぞれの人にはある。

間違って、重箱から転げ出てしまった人の最後は哀れだ。 だから、自ら意図して重箱から出ていく人は、その理由について 何度も何度も考える。

私の理屈は簡単だ。私は、最初から通過者だったんだ。

それと、もう一つ。人はそれぞれ違うんだ。

もっとも、これには補足説明が必要である。 人はそれぞれ違うんだ、ということを前提にした社会と、 人は一緒だ、ということを前提にした社会とでは、 その結果出来上がった社会の形が全く異なる。 そこで、人はそれぞれ違うんだということを前提に生きていく場合には 知っておかねばならないことがある。 それは、世界全体では、人はそれぞれ違うということの方が 支配的であるということだ。 一様に見える景色というのは、常に部分だということ。 それを忘れないことだ。

ということで、重箱の外側に想いを巡らすということは、 さらには、重箱の外側に出るということは、 覚悟と負担を要求するが、負けるんじゃないぞ。

私は、これまで27年間、重箱の縁からこぼれそうになり、 よろめきながら生きてきた。いや、自分では、砂漠を歩いている という意識である。どちらも、本当のことである。

それにしても、こういう話を、実際にする機会が少ないように 思われるのは何故だろうか。 たとえば順序について。子供が出来てから、結婚をして、 その次に金を間に合わせても、構わないではないか。 大学を一年くらい余分にやったところで、罪びとを見るような目で 見るのはやめてくれないか。

まぁ、格好の悪い話ではある。青臭いのが転じて、本当に臭いと 感じるのも、ある程度納得が出来る。 重箱を意識することの恐怖のせいにすることだけは避けたいが。 事実として、砂漠の人口密度は希薄であるし、 砂漠をさすらうのに共通の目的というものが存在しないという こともあるだろう。

というようなわけで、重箱と砂漠の話をしたり聞いたりする機会は あまりない。私の経験からいうと、「それでいいんだよ」と 誰かに言って貰えるだけで、どれほど勇気が湧いてくるかと 思うのだが。

吉本隆明さんの若い頃の詩に、

憎しみや迷いがあると まるでわけのわからない化学というものをやりに 今日も学校へ行かねばならない

という一行があって、「それでいいんだよ」と言われた気分に なった記憶がある。

ともかく、砂漠に出ようが出まいが、誰しも戦略を持ち合わせている。 今日、御紹介するページは、戦略というものについて意識的な 人のページだ。 この作者の長沼さんについて、 なんとなく手にとった「物理数学の直観的方法」という本ではじめて知った。 もう、10年も前の本であるから、知っている人もいらっしゃることであろう。 出版業界というのは正直なのか、大学受験の参考書のレベルでは、 手をかえ品をかえ、後々に必要なこともそうでないことも、いろいろな 方法で解説した本が出回っているが、大学の教養課程になると途端に 「使える」本が限定されてしまう。 私の場合、頭が悪かったのと 最初は生物系だったので、数学は暗記科目と化していた。 その後、何故か理論物理をするようになったので、物理数学には 非常に苦労した。その中で、目から鱗が出たのが、「物理数学の直観的 方法」であった。解析力学の章が、役にたった。

というきっかけで、このホームページを知ったので、 「PathFinder物理学」なるものについて、よくわかった上で 紹介しているわけではない。 作者の方が、どのような戦略で本書を書いたのかということを述べられた 「科学朝日」の記事 を読んで、砂漠と重箱の話を思いだした からである。

非常に、参考になる話であるので、数学に苦労していない方にも 一読をお勧めしたい。

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10 月 17日: ペンローズの本

8,140円でペンローズ本を買った.


10代後半は,文系に寄りすぎていたため,20代前半になって,「詩神の去ったアルチュール・ランボオ」のように物質のことだけをなるべく考えるようになっていました.

統計力学の数式群は,アデンの砂漠のように心地よい空間でした.たとえば10代の頃はシュレーディンガー,と聞いても,「生命とは何か」から始まって,「精神と物質」など,そっち方面ばかり読んでいたので,「はっ,ここは本来はディラックの量子物理学を読まなければいけなかったのに」と気づいたわけです.遅すぎましたが(笑).なので,このペンローズの本が1994年に出ても,まあ,「ゲーデル・エッシャー・バッハ」みたいなもんだろうと思って,あえて読みませんでした.

卒業研究の槌屋先生がテキストに選んでいたのは,ハーケンの「協同現象の数理」でした.同じ非平衡統計力学でも,みすず書房から本が出てるプリゴジンじゃないのが,砂漠に住むことを決めた僕には心地よかったです.変な思想はなくて,プラクティカルなんですね.

その後なったシミュレーション屋としては,もちろん分子動力学の一つの王道はタンパク質のシミュレーションで,そういうところから生命の本質に近づくことも可能だと思いました.バイオインフォマティクスも盛り上がってきていました.

が,そこをあえて,淡々とした物質,頭の良い皆さんがバカにしてやらないような,油,添加剤,鉄,といった,つまらん材料を選んだのは,アデンの延長だったわけです.たとえば「エナジーランドスケープ」みたいな話になっても,単に六員環が延々と連なった無機質なグラフェンを考えれば良かったので,余分なことを考えずに済みました.

それでもですね,つまんない,グラフェンみたいな皿の運動を考えているだけでも,ふっと,詩神と廻合してしまうこともあるのです.たとえば2008年12月.

>うわ,びっくりした. 「北園克衛全評論集」の冒頭の「天の手袋」(1933) という評論集の 序論の冒頭に「僕は二つの円錐の中で見事に廻転する コロイド粒子のように思索したいと思った。」とあったので. わしは実はここ何ヶ月も, 「円錐の中で見事に廻転するコロイド粒子」 の物理について取り組んでいるのだけれど, まさか,ここでそんな言葉と出会うとは思っていなかった. 12 月 29 日: 廻転するコロイド粒子

で,今なら,マテリアルズ・インフォマティクスについて,研究会の主査を拝命してるし,何か書けと言われてるし,論文は投稿中だし,ということで,この本くらいを研究費で購入しても良いとは思うのですが,こういう若い頃の苦い思い出があるため,ここは自腹で買おうと思った次第.


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5 月 28日: ブックカバー

某 SNS に書いた「ブックカバーチャレンジ」です.


第一日 は,The little house. これは,The little red caboose と悩んだけど,こっちかな.僕は根がアメリカ人が半分なので.大人のように言うとこれは都市開発で,The little red caboose は西部開拓の本.「開発」について,ずーっと考えています.「開発」は哀しみ半分だけど,喜び半分もある.ここに出てくる赤いパワーシャベルを主人公にした絵本も愛していた.自分の中で,科学・技術を「悪者」としてではなく「自然」として受け入れる素地を作った本です.「自然」という意味は,科学・技術を理解しなければ「思索者」として生きてはいけない,ということです.科学者になる必然をもたらした,ということで.

明日は,もう次の話(生命の話)にいってしまうので,子供の頃に読んだ本で自分を作っているものをもう少し挙げると.

「誰も知らない小さな国」 コロボックル物語のシリーズ.考えてみたら,これも開発モノか.でもそれ以前に「(現実がどうあれ)自分は一人ぼっちじゃない」ということを肌で知ることは大事かと.あと,SFとして考えたら「スターウォーズ」の封切をクリーブランドで1970年代に見た.「スーパーマン」の封切を三宮で見た.SF好きだったのとも関連あるかしらん.

これも愛読書だった. 「 戦艦大和のすべて」.当時は,宇宙戦艦ヤマトもあったし,戦艦大和ブームでしたよ.その後のガンダムのブームには,ついていけなかった(笑)

ガンダムと戦艦大和の違いって,前者は架空なんです.さっきSF好きと書いたけど,しょせんは空想の産物.「現実にこんなマシーンがあった」という迫力の前では,オモチャです.子供心にそう確信していた.「球形の艦首の技術は,戦後のタンカー作りに活かされた」とか,この本には書いてありました.現実の流体力学ですよ.だから,今プラモデルを作るとしたらオスプレイのモデルを組み立てたい(笑).あれ本当に飛ぶの? 実際は,戦艦の後は「城」のプラモを作ってました.

あと, 山岡荘八「徳川家康」 26巻を読んだのも,何というか,今となっては子供に「それくらい読んでおけよ」と思う本.エロい部分とか,難しい部分は,サッパリ理解できませんでしたが(笑).


二日目 は桜井良平「金魚百科」.まさに「百科」と呼ぶに相応しい本で,金魚の歴史,品種からタタキ(愛玩池)の作り方,ハネ(選別)の仕方,品評会と評価方法について,有名な金魚家(宇野仁松翁)や学者(松井佳一教授),さらには輸出データなど産業面まで書かれた,体系だった本です.明石の伯父が蘭鋳とオランダシシガシラのブリーダーだったんですが,譲ってもらって飼ってる間にどんどん勉強したというか.

幼少期は広島,アメリカ,京都,名古屋などと各地を引っ越しして連れまわされて,ピアノの先生も世界的に有名な方々に習わせてもらって,なんというか情報過多な幼少期だったと思います.普通は,留学したり,順番にグレートな人物に出会ったりして,知見って広がっていくのだと思うのですが,自分の場合はそうではなかった. なので,真に素晴らしいものは遠い宇宙の彼方にある,と考えても不思議はなかったと思うのですが,そうではない,金魚を見ている間に,ここ目の前に人類の叡智と自然の歴史と不思議がミックスされて顕在化しているのだということ,進化論があるということ,を学びました. 科学者になる対象として,宇宙論でなく分子生物学を目指したのは,間違いなく,金魚がいたからです.

博士課程のとき,ネットを見ていたら,本書では「幻の金魚」とされていた土佐錦魚の黒仔を分けてくれて,さらにネットで育て方を指南してくれるという玉野叔弘氏,川田洋之助氏はじめ皆様と出会って,金魚熱が,ぶり返しました.当時は,国際学会の出張で2週間くらい居なくなることがあったりしたのですが,エサのイトミミズを飼育する装置を開発したりして,とても充実した日々を再び送ることができました.


三日目 は「ウェルナーチェロ教本」.三日目にやっと音楽の本が出てくるのは変なんですが,それはつまり,楽器やってる皆さんにありがちな,音楽については「気がついたらやってた」状態だったので,「始めた」という記憶がないのです.ですが,小学校の頃に一度音楽から離れて,高学年になってからチェロで re-start しました.

なので,この本を「買った」のは,凄く意識的でした.レッスンではほとんど使わなかった(第二巻の親指のポジションのエチュードは結構習った)けど,当時は有名な本なので,これかなと思って買った記憶がある.以降は,中学高校と,楽譜や音楽の本ばかり買ってました.ピアノについては兄も姉もいたので自分の本を買い足す必要があまりなかったのですが,チェロは自分だけだったので,エチュード,組曲,協奏曲,ソナタ,あらゆる楽譜を買いました.ビオラ弾きの父が持ってたスコアにつぎ足すように,小型スコアも買いまくった.楽典,和声,管弦楽法や指揮法,武満徹さんの本なども(ほとんど図書館で済ませたけど)買った.でも,周囲を見てたらレベルが高すぎて自分がプロになれる気配はなかったので,これは趣味なんだと最初から自覚していました.音楽自身は何も悪いことをしてこないのに,そう思うのは辛かったです.


で,音楽の本を何か一冊紹介するとしたら(だって,ウェルナーは,まあいいでしょう),Le Guin さんのこの本です.洋の東西を問わず,音楽について何か発言権のある人でチェロ弾きというのはほとんどいません.また,チェロ弾きでもボッケリーニについて,こういう風に総合的に理解している人もあまりいないのではないかと思います.結果的に,ボッケリーニについて誰も知らない,という状況が長らく続いています. Luigi Puxeddu さんが Brilliant レーベルに沢山録音されてるソナタや弦楽五重奏(ピアノ五重奏やクラリネット五重奏と同じ言い方でチェロ+SQ「チェロ五重奏」)が,最近のガイドにはなると思います. こちらが,この本の紹介. (心理学的な言い回しが多くて読みにくいけど,そんな本書の書き方自体が独創的.研究所に居る頃は暇だったので,こういう本を沢山読めた.今は全然音楽の勉強ができない).

全部含めて, レクチャーライブで僕が喋ったレジュメ


チェロの恩師の本.下の二冊は息子がレッスンで使ってだいぶ使い込まれました...

ピアノの恩師の本.けど,音楽の場合,実際に習った先生から教えていただいたことは,本一冊よりはるかに多いわけで,なんというか,これは参考,と申しますか.


四日目 は鈴木志郎康「現代詩の理解」. 志郎康先生は僕の現代詩の先生です.増進会出版社(いわゆるZ会)の「ZE.T.」という英語雑誌があって,その最後のあたりで毎月,志郎康先生が現代詩の添削をしていたので,受験生で暇だったときに「作品」を送って添削していただいてました.この方式は,「ユリイカ」でも「現代詩手帳」でもポピュラーな方式で.その投稿欄の前に,現代詩について書かれていた文章をまとめたのが,上記「現代詩の理解」.

昨日述べたように,僕は音楽から生まれて音楽で育ったので,美術とか文学はサッパリだったのですが,高校3年のときに目覚めたというか.「ZE.T.」出身で有名になった先輩には田中庸介さんがおられます.それ以外の人はペンネームだったので知らないのですが,同じく実名だった谷ひよりさんとは,その後,実際に会うようになって,一緒に志郎康先生に会いに行きました.新宿の「トップ」で,2時間ほどお話しさせていただきました.それが実際に志郎康先生にお会いした全てです.でも,志郎康先生は早稲田とか多摩美大で教えていらしたのでお弟子さん?も多いと思うのですが,この「現代詩の理解」を熟読してるのは珍しいのでは...

ということで高3,浪1,浪2の3年間は,とても文学的な時間を過ごして,暇に飽かせて日本の全ての現代詩を一通り読んでしまいました.飯島耕一とショスタコーヴィチの関係について論文を書いたりして送ったのですが,誰にも相手にされなかったのも良い思い出です(笑).当時,作ろうとしていたのは当然,純文学なわけですが,その後,東京に出て,アコーディオンの段ちゃんと出会って作った「昭和歌謡」の歌詞は,わかりやすく,心に響く(などという言い方が,志郎康さんからもっとも遠い)数々でして,今の朝ドラの主人公の葛藤が良くわかります.

大学に入ったら,小説家の秦恒平先生がいらして,先生の研究室に出入りをしていました.今,ふと気がついたのですが,留年したときに実験をさせてもらった星研と,秦研にいた時間の方が,B4 のときに自分が所属した槌屋研にいた時間よりも長いかも.

秦先生の本は50冊くらい.不思議なもので,秦先生には現実にはいろいろ教わったにもかかわらず,文学そのものについては,ずっと眩しすぎた.現代詩は,北村透谷⇒宮沢賢治の変化を考えてみたらわかるように,言葉の貧困とずっと向き合ってきた.東北的,関東的.僕が和歌や俳句,漢詩に行かなかったのも,重層的かつ豊穣な「京都の言葉」と真逆の方向に自分の居場所を感じていたからです.という,暗い3年間を過ごして東京に出てみて,現実の文学をやってる人として出会ったのが,The 京ことば,とでもいうべき秦先生だったので,眩しすぎたという次第.

けど,ついに関西人になって, 秦先生の本とも,もっとリラックスして向き合えている気がします. 名古屋の管理教育や工業的な空気が嫌いで東京に出てから10年経って名古屋に舞い戻り,そういうものと(勝手に 笑)和解したわけですが,このたびは,関西独特の重苦しい文化的重圧と和解できつつある気がします.


五日目 は聖クルアーン. 大学に入って3年目に,在東京エジプト大使館の外交官だった友人のカレッドさんが国に帰ってしまったので,エジプトに会いにいこうということになった.せっかくだからアラビア語を勉強しておこうと,半年間ほど広尾のイスラーム学院に通った.最後に,アブドゥルアジーズ校長先生にいただいたのが本書.

クルアーンは,アラビア語以外で読むのは本当ではないということが強調されていますが,本書は,異教徒にイスラームを理解させるために翻訳された一冊だと書かれています.ということで,無宗教の罰当たりな自分が読んでも許されると思っている次第.朗誦したテープなども持ってますが,本当に美しい.

本書を五日目としたのは,僕らの世代の青年期って,新新宗教の時代だったから.20-30 年ほど年長の人々にとっては,現実が「こうじゃない」と思ったときに惹かれる対象としてマルクス主義があったのに対して,僕らの世代は新新宗教だった.出家した同級生もいた.僕も朝までファミレスで信者と対話したことがある.警察が家にやってきたこともあるし.

「世紀末」だと思っていた人も多いのではないかと思う.僕自身は,ユダヤ教の幼稚園を出て,キリスト教の音楽にどっぷり嵌って,高校時代は「原理の研究」(統一教会の問題点を分析した本),「チベットのモーツアルト」,そしてクルアーンを愛読していたので,新新宗教の手口については比較的良く理解していたのではないかと思う. ということで,大学入学後にはまりかけた同級生を助けたこともある.

そういうときに,いつも思っていたのは,真面目な人で,仏教でもキリスト教でも救われない人は,ムスリム・ムスリマになればいいのに,と.ファッションも生活スタイルもそれなりに斬新だし,アイディアも日本の常識からすると「新しい」.その癖,1400 年来の伝統と実績がある.そもそもキリスト教のいうところの「三位一体」というのはわけわからん.父と子は別やろ.イエスは人間だ.というか,預言者だ.そう解釈したクルアーンの方が,論理的にすっきりしている.

多くの日本人にとってクルアーンが大事なのは,文明を相対化できるからではないでしょうか.日本で暮らす事象は,東洋文明,キリスト教文明に大半は含まれるわけですが,そうではない,イスラームの思想が世の中にはあって,たとえば「神曲」におけるダンテはあんなに嫌っているわけです.はからずも,文明の衝突の時代になってしまいましたし.欧米を相対化してみるためには,イスラームという座標が必要です.

僕にとってクルアーンが大事だったのは,「詩的」だからです.とくに後半に書かれた,聖ムハンマドからすると最初の頃の啓示は,とても詩的です.断片的で,抽象的で,示唆的で.まるで志郎康さんや,Nick Cave の初期の詩のようだ.それに比べると,前半の「牡牛の章」などは,とても社会的で,散文的.ひょっとすると,「表現」をする人間は,常に混沌からそのように生まれてくるのではないか.名状しがたい詩から生まれて,散文として死ぬ.異教徒からみても,こんなに説得力のある,それこそ神がかった,一冊の本はないのではないか.

詩人,作曲家,ひょっとすると科学者も,このように生まれてこのように死ぬ,という表現の本質があるのではないかと思っている次第.

純粋に宗教としては,僕は臨済宗のお坊さんの孫なんですが,友人に浄土真宗の住職がいて,親鸞について,そのラディカルな思想についてずっと考えてきました.死ぬときに何かに改宗するとしたら,浄土真宗かイスラームなのではないかと思っていました.

勉強したアラビア語のテキスト.英語でアラビア語を習っていたので,英語の勉強にもなりました.しかも,サウジ政府の支援で開かれた学校だったので,授業料が無料!当時は,父が他界したので,大学の授業料も無料だった.そうだった,今日も真面目に働こうと思った(笑).


六日目 は Fumio Osawa「Polyelectrolytes」.大沢文夫先生は名大教授と阪大教授を同時にやっていた凄い人で,退官後は愛知県芸で教えていらしたので音楽友達でご存知の方が多いという.

生物物理で人材を育てられたためにそっち方面で有名ですが,僕にとっては博士研究のテーマである「対イオン凝縮」および「対イオン分極」について初期の仕事をされた大先輩です.この本も,院生の頃は先生からお借りして,会社では図書費で購入,そして現在また購入と,3冊目です.Manning 先生がこの手の本を書かれてないので,今でもこの分野では(日本というより外国で)バイブルです.

「対イオン凝縮」は,イオンに着目した系の不安定性から導かれる現象なので,「高分子電解質溶液論」です.これがまた人気がない.たとえば,DNA は疎水性相互作用や水素結合といった近接作用によって二重らせんを安定化させているのですが,その結果としてリン酸基が 0.17 nm の狭いピッチで存在する,強相関クーロン系として特殊な存在になります.その表面負電荷が「密です」という熱力学的不安定性により対イオン凝縮が起こる,わけですが,本当にこれ,物理化学者でも理解してくれている人が少ない.

たとえば,前職の鷲津グループの部下にも,今まさに共同研究してる特任講師氏にも,なかなか伝わりませんでした.自分より頭の良い人に,自分の話を理解してもらうのは難しい.というのは半分冗談で,前職では「平板間の対イオン凝縮」,今回は「ナノポアの中の対イオン凝縮」と,まさに一貫したテーマを,僕としては 30 年弱ずーっとやってるつもりなんですが,「ナノ輸送です」とか「水の科学です」とかその時々の表のテーマが違うので,まさか僕が何十年もずっと同じテーマで研究しているとは理解してもらえないし,最近わりとどうでも良くなった(笑).

この「対イオン凝縮」をそれぞれ独立に発見したのが,大沢先生と G. S. Manning 先生です.実は,大沢先生に最初にお会いしたのは極最近の 2014 年で,「朝倉-大沢理論 60 周年」という国際会議です.こちらは,出版から40 年間無視されてきたけど,その後再発見されて,今は大流行しているという枯渇現象.大沢先生の話を聞くと,これも「溶液中の "複数の相" の話」として対イオン凝縮などと一貫したストーリーが彼の中にあったのですね.

パーティーの後で,Polyelectrolytes を先生のところに持っていったら,朝倉先生が「これは難しくて,僕はまだ読めていません」と仰っていて,大沢先生は,僕の名前を聞いて,書き込んで,「いまは何年ですか?」と聞くので「14年です」と申し上げたら「1914 年」と書かれました.当時 92 歳.

Manning 先生は,大沢先生よりもう少し若くて,しかも,途中で高分子電解質溶液論を止めてしまって生物物理に移った大沢先生とは異なり,ずっと,この分野にいらしたので,学生時代も何度もお世話になり(というか僕のボスと仲良しだった),2016 年にウィーンで再会して,それ以来,共同研究を続けています.

星先生が以前,誰かひとり偉大な人の論文を全部読むと良い,勉強になるから,と仰っていたので,Manning 先生の論文はほぼ全部読みました.1969 年の論文のちょっと前に,BBGKY ヒエラルキーでクーロン力を正面から計算しようという論文が 2 本くらいあるんですが,難解でした.その後,ふっと,例の 2 状態仮説をひらめいたのでしょうね.やっぱりここでも,クルアーンの構成,詩から散文へ,を想起させます.

生命を物質論的に語ろうとすると,メソスケールからの枠組みとしては,高分子電解質溶液だと言ってしまって良いと思います.U. Mass. の Mathukumar 先生は Coulomb Soup だと言ってるアレです.最終的には,ボトムアップの近接相互作用の溶液論(量子論を含む)と,Coulomb Soup 論が融合して,生命現象の物質論が出来上がると思っています.これが本当にやりたい仕事です.


最終日七日目 はデカルト「方法序説」「屈折光学」「気象学」「幾何学」. これまで私は「どこから来たか」という話をしてきたわけですが,最終日は「どこに行くか」について考えてみたいということで.過去に大きく引き返すことによって未来を考えるという常套手段によって,どこまで遡るか,を考えると,今こそデカルトなのかな,と.

以前からいってるように,この本は哲学の本ではない.「理性」だけをよりどころとして,あとは書物によらず,実際の自然を観察することによって自然を理解しようという,いわゆる,自然科学の方法について世界で最初にきちんと述べた,アジテーションの本です. こちら詳しく書きました. だから,論文の言葉であるラテン語でなく,母国語であるフランス語で彼は書いた.これは,実際に測定する技術者の皆さんにとって判りが良いようにするため,です.つまり,科学者だけじゃなくて技術者へのアジテーションであったわけです.そういう目的ですから,こういう実験装置の図も沢山,書き込んだわけです.

彼は「光学」で,光の運動を機械的に議論している.万物をメカニカルに,かつ細分化して研究しようという,現代科学の基本的な方法を述べているわけです.が,自然現象をどう理解・把握するかについては,大規模シミュレーションおよび圧倒的なデータ科学の時代になって,意味が変わりつつあります.AI は「理解」して正解を出すのか,とか.これに伴い,トンデモ系が跳梁跋扈しはじめています.

そこで,ベーシックな自然科学,つまり万物の関係を記述する数式があって,数学で世界を理解するという方法の原点としてのデカルトを読み直して,大した才能もない人が間違いなく貢献できる体系(本当に,こういうことが方法序説に書いてある)としての自然科学って何だっけ?ということを理解したいと思った次第です.

幾何学というより,代数と幾何をどう統合するかって話で,いわゆるデカルト座標に直接つながる話が書かれています.僕らは自然を観察して,グラフに書く,ってアレです.

ユニークなのが,たとえば気象学で虹の構造について考察したあと,「じゃあ実際に庭園に虹を人工的に作るためには」って,議論をはじめるところ.僕らは理学部であってもデカルトの子,なのだから,こういう観点は必ず必要ですよ?

で,僕がブヒブヒになるところはこの辺り.「塩の油」って,イオン液体ですよ(笑).


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5 月 23日: SARS-CoV-2 6lu7

例のウイルス分子がやってきました!

コイツです... ここで購入できます.1800円とお手頃で,COVID-19 研究への寄付にもなります. 山形大学の川上先生の「川上モデル」です.3Dプリンタで打ち出したアクリル製.教材にもなります!

シミュレーション学研究科の者としては,それだけではちょっと許されないので,PDB から 6lu7 をダウンロードして, OVITO で可視化してみました.これは理系の人だったら誰でもできるのでやってみて.CIF フォーマットを pdb に変換するのに こちらのサービスを使わせてもらいました.

pdb のサイトを超久しぶりにみたら,COVID-19 ネタで大変盛り上がっています. (政府から学内に至るまで,研究予算もモリモリついていますが,僕は波に乗ってません...)

PDB; Protein Data Bank は,世界中の研究者がタンパク質の立体構造を実験的(SPring-8 とかを使って)に明らかにすると,得られたデータをアップロードします.すると,誰でも即座にダウンロードして,自分の研究に使えるのです.素晴らしい.もう,僕の学生の頃からあって(その頃にできた?),僕も,東大駒場の学生実習で,pdb からダウンロードしたタンパク質を rasmol で可視化するって授業を TA としてやってました.

そうそう、今日は別の分子模型の話をするつもりでした。 丸善の分子模型 が来た!(右の小さい方)

ちなみに,この模型で上のプロテアーゼ(タンパク質)を表現しようとすると,2502原子なので,20箱くらい必要?14万円.まあ金を出したら行けそうなレベル.パソコンの方が貧者の武器ですな.

この大きい方 (Molymod) は新型なんですが、フニャフニャすぎてダメなんです。小さくてカクカクした旧型の方が,分子構造と運動のイメージがつかみやすい.いえ,現実の分子運動はフニャフニャで確率論的に「硬さ」が表現されるのですが,イメージでつかむには剛性があった方がいいのです. 小さいピンクの奴の方が「カクカク」っとしてて「メチル基(指でさした部分)が重い」というのがわかるでしょう.大きい方は,フニャフニャしてて何がなんだかわからない.


環反転がトラクションオイルの研究で大事だと言うことは,会社で,この分子模型を遊んでて気づきました. 写真はマクマリーの教科書で,僕の論文は
H. Washizu, T. Ohmori. "Molecular Dynamics Simulations of Elastohydrodynamic Lubrication Oil Film", Lubrication Sciences, 22, 323 (2010).

まさにこの分子を実験で擦ったんですが、他と様子が違う、、と。有機化学の教科書に書いてあるじゃん、と。

これが,川上モデルと同じ方向からそれっぽく rasmol で描画したものになります.黄緑の部分は 02J 5-METHYL-1,2-OXAZOLE-3-CARBOXYLIC ACID これが N3 阻害剤?

ちなみに,今は特殊なソフトを入れなくても, PDB に行くだけで 結構立派な絵で遊べます.

こちらが,このタンパク質についての 原著論文.


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4 月 14日: 平和をわれらに


Play with Yo-yo Ma! Dona Nobis Pacem "Grant us peace" for 2 Cellos.

チェロをはじめたきっかけは, 恩師の林先生が,父親がヴィオラを弾いていた楽団の チェロパートのトレーナーをやっておられたためですが, 初期において一番感銘を受けたのは,間違いなく, ヨーヨー・マの 1983 年の昭和女子大学人見記念講堂で行われた コンサートの FM エアチェックです.バッハの 6 番,フランクのソナタ, パガニーニのモーゼ変奏曲,フォーレのエレジーなど. 今から思うと,初学者にとって非常にバランスのとれた演目. 擦り切れるほど繰り返し聞いた. チェロが表現できることが,いろんな方向に広がってみえた.

その後に感動したのは,1986 年にロストロポーヴィチが来日して 名フィルとドヴォコンを演奏したものを生で聞いたときです. 3 番目はゲリンガスの来日公演かな. いやはや.

4 月 18 日 追記:

冬野ユミ True wing (NHK連続テレビ小説 「スカーレット」 劇中音楽 )

こちらは,兄がピアノ伴奏を送ってきたので,チェロをつけたもの.


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4 月 13日: 何故,電車通勤を続ける?


この図は,12年ほど前にトヨタ自動車の渡邊浩之技監の作られた「 モビリティ性能係数 」(リンク先 p.9 より引用)についての説明です.Tundra は Corolla よりも燃費は悪いけど,ロスアンゼルスの方が東京よりも車の平均車速が高いので,傾き(モビリティ性能係数)は同等だよという見方をします.ヨコ軸でみると,東京を走る大型バスの燃費や平均車速は一定なので,乗客を乗せれば乗せるほど,一人当たりのエネルギー消費は少なくて済むということです.

さて,首都圏や京阪神のみなさんの乗ってる電車のモビリティ性能係数は約7以上で,まあ皆さんを輸送するエネルギー効率が良いわけですが,どうも健康上の安全が確保されていないっぽいんだから,係数1の車で通勤した方がいいんじゃない?経済を止めずに疫病を止めたいんだったら.通勤電車で通うことが「当然」になってしまっていないか.モビリティ工学の専門家からしてみたら,これは,この図の傾きの大小でしかないのだよ.というのが,本日申し上げたいことです.

で,「私は東京暮らしなんだから車なんて持ってない」とかいう人は,通勤したらダメなのでは.何故,今まで自動車を買わなかった.僕は大学院生の頃から,現在に至るまで,ずっと車を持ってます.最初の車は本体価格5000円(15年落ちのダイハツ・ミラ)で,今はカローラクラスで,別に全然金持ちじゃないけど車を持っている.駐車場が高い?三軒茶屋の僕の家から歩いて5分のところは5万円,10分のところは3万円でした.じゃあ,と,二子新地まで引っ込んだら月5000円でしたよ.それなら,貧乏学生でさえ車を所有できた.親がいない大学院生より金がないってことはないだろう.まあ,僕は音楽をやっていて88鍵のフルサイズのシンセサイザー(01/WproX)を運搬する用事があったからですが,まあ,この際だから車通勤したらいいじゃないですか.そんなに大事な仕事だったら.

なんでもかんでも電車中心に街作りを考える(富山のスマートシティとか)のは,早晩破綻するだろうと思っています.日本人は,マイカーのありがたみを知ってしまっているからです.友達の家や病院や勤務先に行くのに,駅までバスでいって,電車で移動して,駅からバスで行くのかい?って.東京ほど電車がないのに.

それよりも,自動車の自動運転と更なる低燃費化を目指した方が,人間の欲望と持続的成長の両方を満たせるのではないですかと.

電車やバスは,こういう危機に対してロバストじゃなかった,ということでしょう.ほぼ全員が電車通勤をすることを前提に構築された東京一極集中のシステムはおかしかった,ということでしょう.都市の過密は,せいぜい名古屋や大阪くらいが最密だったということで.

みんな頭の中ではモヤモヤっと理解できつつあるのではないでしょうか.役所の中の人も,たとえ思っていたとしても言えないでしょう.一方で,自動車会社の人がそう言ったら何だか嫌らしいので,僕が言ってみました.

「そんなこと言ったって勤務先に駐車場がないじゃないか」って言う人もいるかもしれません.あったとしても,1日1万円もするよ,とか.そうだとしたら,配偶者に送ってもらうとか,したら良いのではないかと思う.僕は「主夫」だった頃,都心部勤務の妻を迎えに何度も議事堂前まで車で行きましたよ.東京って,皆さんスペシャルだって思ってるかもしれないけど,街のサイズ自体は大阪や名古屋と大して変わらない.246でピューっですよ.京都より走りやすい.東京がスペシャルだって考え方から抜けられない人のことを,頭狂人,って言いたい.役人や大企業の皆さんが,その考えを改めたら,一極集中はおさまる.

で,今やらなきゃいけないことは,人と人の接触を8割減らした上で,経済を可能な限り回していく,ということなのだから,「通勤電車に乗らずに仕事場に直行する」という考えは,基本なのではないかと.


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4 月 12日: 今年も高校生が当研究室に配属

今年も高校生が当研究室に配属されました. 数年前から神戸大学が中心となって実施している GSC-ROOT という文科省プロジェクトをお手伝いさせていただいています. GSC: グローバルサイエンスキャンパスは, SSH: スーパーサイエンスハイスクールが高校にお金を出して 科学教育するのに対して,大学にお金を出すプロジェクトです.

我々のプロジェクトでは有志の高校生(一部中学生)を集めて, 初年度は 40 人に対して,様々な施設(兵庫県だと SPring-8 や京コンピュータなど) を見学したり,英語や科学的思考について鍛えたりします. そして,研究計画を提出してもらい, 参加 4 大学(神戸大,甲南大,関西学院大,兵庫県大)の教員が審査し, 8 人ほどを選抜し,研究してもらいます. 正確に言うと,当研究室に配属された子は, 現在は仮配属で,正式な研究計画書を書いてもらっている段階です.

実は 2 年前も県立大学附属高校の生徒が僕の研究室に配属されて, 研究をして,シアトルのワシントン大学で開催される学会で発表しました (当 What's New! には書いてないけど,いろんなことをしている). 頑張ったら,文科省のお金で海外研修ができるのです. 彼の場合は,赤血球の力学モデルを作って,崩壊する様子をシミュレート することを目指したのですが(まだ研究途中), 何が良いって,その動機が,彼が陸上部のキャプテンであって 外因性の溶血が問題になっている,その理由を解明したい, というところです. よっしゃ,頑張れってことで,うちの研究室で計算しました. 僕らの研究分野に赤血球の力学特性なんて分野はないんですが, バネ=マス系の力学の計算なんだったらやってるので, 教えられることもあるでしょうっと.

動機が素敵でしょう. 彼がやったのは「研究室のテーマの手伝い」ではないのです. 僕らの研究室では年間 50 回くらい学会発表していますが (今年は酷い状況ですが),その研究の動機なんて 「SDG's によると省エネルギーが求められている.だから低摩擦化による 省エネルギーを研究したよ」って,まあ嘘ではないし,大事なことなのですが, 自分ならではの自発的な動機では決してありません. トライボロジー学会員なら誰でも言ってる.迫力がない.

「巨人の肩に乗る」という言葉があって,大学院生のような セミプロの人々は,トライボロジーという偉大な学問の上に乗るべきです. しかし,高校生にはそんな義理はない. だって,その分野で就職をしたいとか,不純な動機はないのですから. 自分の頭で考えたことを述べるべきだよね.

神戸チームは,この点がいけてるのです. きちんと各人に考えさせる. 今回の生徒さんも,きちんと自分のアイディアを提出しました. 魂の問題なので,書いておきました.

追記: 僕らが何故 GSC をやっているか,ということですが, 2009 年 12 月 25 日: 世のため人のため で紹介させていただいた, 日系二世の女性研究者の Y さん,エレーン山口さんの活動に 感銘を受けたからです. そのため,SSH の手伝いをしていました. 愛知県の明和高校が 6 番目の SSH 校に選ばれたのですが, 名古屋大学はじめ公的な大学や研究機関は既に他の高校と 組んでいたため,愛知県はモノ作りの県だということで, 知り合いだった教頭先生に誘われて, 民間企業ながら組織としてお手伝いすることにしました.
生まれ育った環境が,科学技術者になるために厳しい環境だから といって,才能のある子が諦めては,社会の損失になるのです. 僕自身は親が大学の研究者だったから, 家にも父の友人の科学者が遊びにきたりして, 子どもの頃から高校の先生と大学の先生(科学者)の違いを 実感しながら育ちましたが,普通はそういう環境はない. ならば,そういう仕組みを作って,一人でも多くの子供たちに 本物の科学者というものと触れ合う機会を作りたい. ということです.


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3 月 30日: 帰ってきた博士院生

わしの研究室で博士号を取って企業に入社した A 君が, 4 月から社会人院生として研究室に帰ってきました. 研究室を開いて以来,目標を一つ達成しました.

って何のことか,と思われるかもしれません. 僕の研究室では8人目の博士合格者なんですが(うち1人はアメリカに留学して辞退),A君は初めての,「うちの研究室で修士を取って,優良メーカーの研究員になって,また社会人博士として戻ってきた」人なのです.

これまで来られていた社会人博士は,皆さん優良メーカーの優秀な人々なのですが,東大や名大で修士を取った人々でした.半分,お客さんみたいな感じになるのは仕方がない.

他大学で修士を取った人に,うちで博士号を取ってもらうことは一定の価値はあると思います.というのは,日本は博士を大事にしないとか言われているが,それは,社会の役に立たない分野の人々が嘆いていることであり,学位を取りに来る側の人からしたらある意味,仕方がないのです.僕みたいに奇特な人間しか,理論物理とバイオの交差点みたいな専門分野で学位なんか取らないでしょう.死にたくないですから.

このことは,逆にみなければなりません. 「役に立たない分野で修士を取った人が,一流メーカーにポテンシャル採用されて,トライボロジーで博士を取る」というのは,一種の生まれ変わりであり,サナギを経る昆虫のように二回発生を行う,日本特有の素晴らしい制度なのです.そうやって捉える人が少ないのは,言論人や,メーカーの偉い人々のマジョリティが,まだまだ博士号を持たない(本来の語意での)低学歴であり,わけがわかってないことと,役に立たない側の学者の皆さんが触れたくない事実だからです. 僕の研究室は,まさにサナギのような研究室を目指していて,良い意味での「degree mill(笑)」なんです. そういう研究室が増えないと,日本の大学の活力低下は止まらないと思うので,あえて述べています.バイオ市場の拡大が見込めない以上,バイオの博士を増やすのは限界です.

だから,外から社会人学生が来るのは素晴らしいことなんですが,僕にも欲があって,それは修士と博士と足して5年以上時間があったら,もっと教えられるのに,という欲です.そのためには,研究室にずっと居ていただかねばならないが,そうするとやはり就職が心配だから,「一度社会に出て」来る人こそが貴重なのです.

もう一つは,修士に来る学生さんたちへの励みになることです.自分たちも優良メーカーに入って,いつか学位を取るために鷲津研に戻れる,ってのは魚の回遊のように,素晴らしいことです.博士号を持ってる上に,まともな研究開発職に就いている.自分の人生が科学技術とともにある.一度,研究者でなくなった経験がある僕としては,これこそが最良のギフトなのです.

以前「 博士号 価値」でググると,当研究室が 1 位に出てくるということを述べました. この検索結果などを,定点観測しているのですが,最近 3 位に現れた 篠原さんの blog があります. ケンブリッジ大学で物性物理で PhD を取られて,日本の IBM の Promontory Financial Group に入られたということですが, こういう最先端?の方でさえ理解していないことは, 「日本の博士課程は二回発生プロセスである」ということです. 日本の大学業界(とくに理学系)は自由すぎるから, 誰かが設計したとは思えませんが(そういう研究があれば教えて欲しい), 産業界主導で二回発生プロセスが実質的に導入されているのです.

その意味で,日本社会では課程博士修了者が軽んじられていると言われたら, まあそういう風に見えなくもありません. 企業研究所で実際,博士の方の研究分野が直接は役に立たない場合が多いので. また,外資だろうが日系だろうが,物性物理の人がファイナンス関係の 就職を希望してきたら,財務諸表を読めるのだろうか,などと訝しまれて 「社会人経験はありますか」と質問されても仕方がないでしょう. 18 歳で医学部にさえ入れば,「何でもできる」と勘違いする人が 痛いように,PhD は無敵ではないというだけのことです.

わしの研究室には,博士課程に学生が 7 人おられて,そのうち 5 人が いわゆる社会人であり,そのうち 4 人の勤務先が授業料を負担されています. 正社員として普通の給料ももらっておられます. あとの 1 人は文科省の国費留学生で,1 人だけが通常の課程博士です. 大学教員の立場としては,全員にフルタイムで研究室に来て欲しいかといわれたら, そうでもありません.たとえば我々はシミュレーションの研究室なので, 実験におけるリアルを把握していてもらうことは,ありがたいことです. 「課程博士が正しい」という観念から,多少,自由になる必要があるのでは ないでしょうか. 課程博士の学生の待遇改善については,別途尽力しています(また 書ける時期がきたら書きます).

じゃあ,会社で研究をやればいいではないか,という意見もあるでしょうが, やはり,社会人とはいえ大学院の博士課程でやる研究は,基礎的なものです. 今度入ってくる A 君も,ペンシルヴァニアの大学との共同研究ネタを遂行してもらいます. 当然,彼らには論文もバリバリ書いてもらいます. そういう努力を重ねなければ,現状の日本の「論文数が減少している」という 状態を打破できないと思います.

こういうことを述べる人が,院生でも大学教員でも,あまりに少ないので, 最近,繰り返し述べている次第です. わしは,アメリカ育ちなので,大人になってから外国にいって 開眼した人々の言い分が良くわからない,ということと, 課程博士としてあまりに不幸だったのと,商業主義に汚染されたので(笑), それを通り超えて自在になったということかしらん.

ともかく,一度社会に出た院生が戻ってきてくれた. これは僥倖である.


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2 月 16日: Nick Cave の新作 Ghosteen.

15歳で亡くした息子へのレクイエム.Teen の Ghost.泣けるぜ...

ちゃんとした仏教徒だったら知ってるはずの(わしは初めて知った)「キサーゴータミー」の説話.死児を抱えたキサが,この子に薬をくれと嘆いて村を歩き回るんですが,村人はブッダを紹介する.ブッダは「村の家を回って辛子の実をもらってきてください.でも,死んだ子がいない家からね」という.家々を歩き回ったキサは,無常について理解する.

このキサの話が最後の曲「Hollywood」でファルセット(ミドルヴォイス?)で歌われます. Nick Cave の作品はいずれも,物語歌謡とでもいうべきジャンルでして,たとえば 1996 年のアルバム「Murder Ballads」では,殺人に関する8曲の後に,14分以上かかる大曲 「O'Malley's Bar」 が配置されている.そこでは,酒の順番に怒った主人公が酒屋の店主と客を順番に殺していくという歌. 今回は,アルバムは2部構成になっていて,後半部にはタイトル曲の「Ghosteen」と「Hollywood」という,10分以上の長大な物語歌謡が配置されている.

「Ghosteen」は,誕生を描いている.まるでハイドンの「天地創造」のように,音楽的な混沌の中から,生まれる.何が生まれるかといったら死児の幽霊なんですが.掌のなかで踊る.とても美しく,この世は良いものだよといって踊る. 一方で「Hollywood」では,死児の姿は既になくて,遺されたオッサンの彷徨と,旅立ちへの希求が歌われる.

この構図は,1990年のアルバム「The Good Son」と同じだ.そこでは,麻薬を絶ったことによる,愛する人との断絶が描かれている.その絶唱が「Lucy」.愛の告白.そして,アルバムの最後の「The Train Song」では彼女が去ってしまった後の駅のホームで,行きかう人に尋ねてまわるオッサンの姿が描かれる.あの汽車に彼女は乗ったの?どんな汽車だった?と.

ドラマ性という意味では,「Hollywood」はThe Good Son の中でいうと「The Witness Song」に似た位置づけでもある.メロディの上でも.

どっちも「別れ」をテーマにしているわけだが,恋人と息子とどっちとの別れが辛いかといったら,自明だわな.これが,今回のアルバムの深い深い影を造影しています.

ところで,Warren Ellis はあまり好きじゃない.そういう人は多いのでは?

カイリーミノーグとデュエットして,普通の飲み屋のMTVでも見られるようになった「Where the Wild Roses Grow」の頃に,横でフィドルを弾いてる奴が Warren Ellis だった.荒涼としたカントリー風の感じが出て,良い感じだった.が,1998年のFuji Rock (楽屋を壊してその後バンドごと出入り禁止になったらしい)を見に行ったら,王様の横で道化のようにフィドルを弾いているのが彼だった.その前に行った川崎のチッタでのライブでは,Blixa がアンプの前にギターを寄せて黙々とノイズを発生させていたのに対して,何というか,「社会」を感じた.

そうそう,もともとの The Bad Seeds は,盟友の Mick Harvey と Blixa が支えているバンドだった.Mick が基本の音作りをして,Blixa がかき混ぜる.ところが,Blixa が元の鞘であるノイバウテンに戻って?,そして Mick もいなくなって,Warren の天下の「道化と王様」の二人みたいなバンドになっちゃって久しい. Warren Ellis は,ただでさえ演奏の難しいヴァイオリンを弾いて,映画音楽も書いて(スコアが書ける!),さらに論文まで書いて,とってもインテリジェントだ.Nick の音楽の本質を「野生と知性の同居」と言った人がいたけど,野生の Nick に何か足りないインテリゲンチャな部分を満たしているのが Warren なんだ.Nick が彼に頼るのもわかる.でも,そんな心配しなくていいのに,Nick,とインテリゲンチャの端くれのわしとしては思う.Warren への嫌悪は,わしからすると同族嫌悪なわけだ.

けど,まあ,出てきた作品が良ければ,どうでもいいのかな?っていうのが,今日の結論かもしれん.


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1 月 18 日: 博士課程のインターンは,増やしても意味がないのでは

採用つながるインターン、理系大学院生で推奨へ 政府方針 ということで,
修士論文審査後の3カ月程度を想定し、有給のインターンで企業の研究開発現場で研究に携われるようにする。大学院生が研究に打ち込める環境を整え、専門知識の取得と研究力の強化につなげる。2022年の実施をめざす。 博士課程でも同様にする。後期課程3年間の間に1年のインターン期間を設定し、複数回経験できるようにする。
とのことですが.

博士になりたいとまで思っている理学バイオ系,博物学とか基礎物理系の人々とかに,無理やり化学メーカーとか行かせても,マインドは変わらないです.一方,化学系の理学博士はメーカーでインターンさせなくても即戦力なので,行かせる必要はないです.大学の研究室の方がレベルが高かったりするわけだし.

いつも言ってますが,現行制度でいいんですよ.たとえば,うちの研究室に来る社会人博士は,「役に立たない」分野の修士を取っている.ブラックホールの研究とか.で,修士卒で機械メーカーの研究所とかに入って,「役に立つ」研究をして,僕のところに来ている.要するに,彼らは「生まれ変わっている」.発生学でいうと,サナギになって二度生まれているようなものなんです.そういう荒治療をしないと人間のマインドは変わらない.

一方,「役に立たない」分野の博士学生も必要なんです. このたび, チバニアン がめでたく認定されましたが, 役に立つ,ことばかり言っていたら, 誰がチバニアンの研究をするわけ?

世界的にみて日本人は博士課程に行かない,博士を取っても企業の役に立たない, ということが問題視されていますが,これは整理して考えなきゃいけない. 日本の若手科学者は,修士までは,結構平気に,「役に立たない」基礎研究分野で 進学します.そして,青田買いっぽい形でメーカーに就職します. そして,分野を変更します.それで,メーカーの研究は回っています.

足りないのは,メーカーの研究者に占める博士号取得者の割合です. ですので,最近は大学の「役に立つ」研究室に社会人博士としてやってきて, 学位を取得していっています.これを「第二の発生」「さなぎになる」と たとえたわけです. ある意味,日本の技術者育成環境は,世界にも稀な「二回発生型」の 進化型であるともいえるのです.

一方で,従来通り,役に立たたない(けれどもチバニアン研究のように 社会にとって大事な)研究者の卵は,相変わらず一定数,博士課程に 進学します.この人たちに対して「役に立たない」だの「メーカーで働け」と いうのは,筋違いです.1年間もメーカーに行ったら,研究が遅れるでしょう.

チバニアンの研究も日本の社会にとっては必要で,まあその何割かは定職につけないけど, それは仕方ないです. 大学とか極地研とか博物館とかに就職できない人は, 出版社やマスコミとか「文科省(役所も博士を採用したら)」とか 高校とかに行けば良いわけで,メーカーじゃなくていい.

このように,日本の博士には二種類「役に立つ博士」と「役に立たない博士」の 二通りがあるという現実を理解するべきです. また,マスコミなどは,このことを議論する際に,混同してはいけません. いつも,ここで議論がわけがわからなくなる.

また,この役に立つ立たないの境界は流動的です. 20 年前だったら,摩擦の分子計算(わしの分野)は,「役に立たない」側 だったでしょう.今は,わりと役に立つわけです. そうやって,学問や技術は進歩していきます. なので,チバニアンの研究が産業の役に立つ時代が来るとは思えない (しかし,環境アセスメント的な分野では,今でもこの勉強をした人は 経済の役に立ってるのでは)けど, それ以外の,とくにバイオ技術は,まだまだ様子を見る必要が あると思います.そこで気を長く待っていられるかが, 先進国としての矜持のようなものではないかと思う次第.

【蛇足】ちなみに,「企業で院生のインターン生を受け入れるべき」という 企業サイドの話だとすると,大いに賛成します. 企業時代のわしの研究室では,PI になってから 3 年間にわたり, 毎年インターン生を受け入れてきました. 最初は 3 か月,近所の旧帝大の博士課程院生に来てもらって, 一緒に研究をしたところ,彼の博士論文の 1 章分になって, 原著論文 Trib. Intl. 1 報になりました. 次に,3 週間,同じ研究室から修士学生が来ましたが, それも Phys. Rev. E の論文になりました(ちょっとした自慢). 次に,3 週間,関東の大学の研究室から博士学生が来ましたが, それも原著論文(まだ投稿できてない)になる研究をしてくれて 国際会議などでは報告済みです.最後の院生は,自分の会社には 入りませんでしたがグループ企業の研究員になりました. 企業側としても優秀な人に来てもらえたわけです. ただ,彼らの研究分野は機械工学や化学なので, 上記,日経新聞の記事のイメージする対象者とは多分違います.


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1 月 15 日: 汎トライボロジー

年末締切でサボってた仕事で,3月に開催される某トライボロジー関係の研究会(何百人もお客さんが来るらしい,ほんまかいな)で基調講演を拝命したのですが,ストーリーを作ろうと思って,ふっと,良いことに気づきました.

自分はトライボロジー屋として,大変なコンプレックスがあって.それは他でもない.「トライボロジーのちゃんとした研究室を出てない」ってことです.会社の研究室の皆さんが,東大の名門研究室,東工大の名門研究室(機械系と化学系の二つ),東北大の名門研究室,名工大の名門研究室って,皆さんサラブレッドなのです.それにひきかえ,おいらときたら,謎の高分子のシミュレーション屋で,しかも先生は実験屋から途中でシミュレーション屋になったという微妙な経歴で. ちゃんとトライボロジーの名門研究室を出ていたら,こんなに就職に苦労したり,学会に出ても最初の頃は友達が全然できなくて,みたいな辛い目に遭わずに済んだのに,と思っていたのです.20年くらいずっと.

ところが!今ふっと思ったのです.僕らは,自慢じゃないですが,ここ数年,トライボロジーの根幹にかかわるような発見を連発しています.層状化合物の低摩擦の原理.Less is more の研磨の原理,境界潤滑膜の形成の初期過程における基油の効果,防錆剤の選択的吸着機構,油性剤と極圧剤の作用機構の違い,など,どれも学生がやって賞を受賞している内容ですが,何というか,そりゃそうだよな,といったら傲慢ですが,トライボロジーの根幹に関わると思ってやっていて,わかった,素晴らしい発見だらけです.

たぶん,これらの知見は,トライボロジーにおいて「何が問題であるか」を知ってるから,問題を設定できると思うのです.では,何故,僕らみたいな「外様」だと思われる人々がこの問題に対応できるのか.実は上記の問題の半分は,日本を代表する石油メーカー2社との共同研究です.彼らは本当にトライボロジーを良くご存知です.それは確実にあります.三菱重工や,最近はミネベアミツミさんとも面白い結果を得ています.

なのですが,もっと大事な話があった.それは,モーツアルトが何故,汎ヨーロッパ的であるか,という話とつながります. モーツアルトは,ザルツブルグで父の教育を受けるわけですが,ほどなく,ローマとミラノで秘曲とオペラを学び,ロンドンでバッハ一族の薫陶を授かり,パリで大交響楽を知って,旅によって,彼自身になっていった,というのはモツ絶賛系の本を読んだら書いてあります.モツの音楽は ”汎ヨーロッパ” だから感動できるんだ,みたいな話です(そうやってヨイショする論調が嫌いですが,今回は乗っかって).

会社の自分の環境も,そうだったのではないか?と気づいたのです.皆さん,上に書いたように,名門の研究室の出身の方々です.笹田研の人もいれば加藤康司先生の弟子もいる.こんな,なんというか,日本国内限定とはいえ "汎トライボロジー" な環境って,なかなかないんじゃない?って.彼らは,意識,無意識を問わず,自分のバックグラウンドを研究そのものやディスカッションの論法に使っているわけで,考えてみたら,居ながらにして,モーツアルトに匹敵する学習環境に置かれていたのではないか?(笑)と.普通の大学の研究者として育っていたら,こんなに多様ではないだろう.いえ,自分は「会社でトライボロジーを勉強した」とは思っていましたが,「会社で学んだトライボロジーは ”汎トライボロジー” であり,普通の大学教員のキャリアパスでは得難い経験なんだ」とまでは思い至りませんでした.コンプレックスを感じるのは,おかしい.これを,基調講演で言おう.うん.


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1 月 5 日: 師範代

本年も宜しくお願いいたします.

最近は大学の話を,結構思った通りに書けるようになって, それは,「進行中のゲーム」と以前書いたように,今でも当然秘密は沢山あって, 目下最も深刻な問題については書かないのであるが, そうでない話については適切に書くのであれば, 書いてもいいのではないかと思った次第でして.

今年度,一番うれしかったのは「助教」というか「師範代」っぽい方々が 二人も研究室に参加してくれて,研究室が,大学の研究室っぽくなったことです. これまでも,ベトナムから来られた特任講師の先生や, 東大時代の後輩の研究員の方はいたのですが, 前者は研究者として研究して論文を書いたりする分には 十二分の活躍をされているのですが,やっぱり学生とコミュニケーションを 取るのは難があり,後者の方は常駐していないので, やはり研究上は無問題でも研究室の一員としては, ちょっと厳しいかなという感じでした.

今年度は,客員研究員の方が月に 1 度程度の輪読の会に参加してくれて, その方は元々早稲田の助教だったので,とても普通に, 師範代っぽく,学生やわしに対して突込みを入れてくれました. これは大変助かった.というのは,わしが何かを指摘したとして, 学生の立場だと,なるほど仰る通り,と反応せざるを得ないところ, 師範代の先生だと,ちゃんと突っ込んでくれるし, 逆に彼が知らないこともあったりすると,なんだ師範代先生でも 知らないんだから自分も知らないことが恥ずかしくないと, 議論が盛り上がるようになりました. 1 月からは,特任助教の先生が赴任されて, 普通に毎日来られるようになります.

わし自身のキャリアにおいて,自分の研究室に助教あるいは 助手という方がいたことが,実はほとんどなくて, 最初に留年時に潜り込んだ星研には二人もおられましたが, その後の卒業研究の研究室,大学院の研究室, 企業研究所の研究室と,ずーっと,いませんでした. このことに気づいて,改めて学生に聞いてみたら, そうですね,これまでうちは研究所の研究室みたいだったですねと, 述べていました.

師範代の先生がいてくれることは,本当に素晴らしいです. 上述のように議論が盛り上がるし, 院生に対して科学の常識はこうやで,と教えてくれるし, そういったことを複数の人から聞くのは, 混乱することもあるかもしれないけど, 平均をとって,文字通り「常識」を身に着けることになります. わしも,若いつもりですが気がつけば現実問題としては オッサンなわけで,世代が近い人がいるのは良いことです.

師範代っぽい先生が二人も来てくれて,とても良かった, という話でした.お二人は,科学技術の未来を担う 優秀な方々なのは間違いありません. もう一つ,うちの研究室は年初に OB 会を開くのですが (というか学生が勝手にそういう習慣を作った), 卒業(修了)した人,全員が,一流企業の 研究・開発職として活躍していることがわかりました. 自動車や機械メーカーで,エンジン・駆動系・軸受などの CAE をやっていたり,材料メーカーで潤滑剤を作っていたり, 分子シミュレーションのソフトウェアを開発しています. これは,研究室を運営していて一番うれしいことです. 次は,そういう社会に出た OBOG が, 再度,博士課程に戻ってきてくれるような 大きな循環を作れたらと思いました. 宜しくお願いいたします.