2000年11-12月のWhat's New!


最新のWhat's New
ここからしか飛べない過去のページもあるよ。


12 月 25 日: 長椅子は歌いはしない

長椅子は歌いはしない,
椅子に坐る人がいなければ,
床は歌い出しはしない,
床を歩く人がしなければ,
窓は演奏しはしない,
窓の主人 (あるじ) がしなければ,
テーブルの端は音 (ね) を出さない,
テーブルの端の人がしなければ,
煙突は響かない,
煙突の下の人がしなければ
「カレワラ」(小泉保 訳, 岩波文庫)
カレワラの婚礼, お客さんも一緒に歌いましょうと言っているのですね. 他にも, ビールの起源の歌とか, 読んでいて楽しくなる言葉が溢れています. 今年も, 友達だけのクリスマスでした. 長い時間スケールでものを考えて しまうことが多くなって, せっかちな人に申し訳ないのです. 書き間違えました. 自分の中のせっかちさに対して, です.

12 月 19 日: ジャンク

そうそう, 仕事場のプリンタが 3 年ぶりにぶっ壊れまして (学位論文を書くたびに壊れる),
LP-900 を導入したため, Windows Printing System にしか対応してないプリンタを Linux から使う でご紹介しました方法が必要なくなりました. WPS はもろに PC の 性能に依存しますからねー. samba によって普通にネットワークプリンタとして 使える筈です. でも, Windows 側でドライバを入れ換えた状態のまま, ghostscript はそのまま (-r600 を -r1200 に変えただけ) で使っています. やっぱり, 速いプリンタは何かとありがたい.

どうでもいいですが, すっげぇ古い SONY の NEWS (NWS-3720), 東芝のワークステーション (AS1000/C50), それから IBM の ThinkPad (530CS) を貰いました. NEWS は古すぎる, ワークステーションは OS がない (SparcLinux も微妙に対応してないらしい), ThinkPad は液晶が壊れている, というジャンク屋状態です. 暇が見つかったらなんとかしたいと思うのですが, 欲しい方はメール下さい, タダで差し上げます, 部品とりにどうぞ, と...

12 月 18 日: noblesse oblige

わしは基本的には目の前にあるものしか信じない. これは一見, 虚業が大好きな人間にあるまじきことのようにも思われる. たとえば, 詩や小説なんてものは全て言葉のアヤではないか, と言われたら 確かにそのような一面もあるし, バッハの「フーガの技法」に感動するためには 形のない楽器, パイプオルガンでも合唱でもない架空の楽器をかき鳴らさなけれ ばならないと言われたらそのとおりだと思う. ここには一つトリックがある. 基本的には, と書いたのは, 実は目の前にないものを信じたいという 強い欲望があるというところだ. 目の前にないものを信じるには, バッハの「フーガの技法」のことを考えればわかるように, ある意味危険な 側面がある. 演奏されない音楽に感動して良いものか, というためらいを 常に持っている必要があるのではないか, という裏表の問題がある ことを指摘したかった.

目の前にあるものしか信じない方が良いと思われる最たるものは, 不動産だ. 部屋を決めるときには, 時間の許すかぎり歩いた方がいい. 他には, 政治について, 若干のためらいを残しつつもそう思う. 政治は, 虚業になってはいけないだろう.

先週末, 元首相の秘書官を長らくされている方がうちに昼食に来られて, なんでか知らんけど, そのようなことを考えていたのであった. 政治家に必要なのは何よりも人格であり, それを体現するだけのものを 持っている人というのは実際にいるものだということに感心した.

12 月 15 日: てなことを

↓12 日に書いていて、今日、論文の提出で並んでいたら、 昔からなにかと親切していただいてる K 君が並んでいて、 どうするのと訊いてみたらポスドクでアメリカに行くそうな。 ええのぉ。それはともかく、活躍を期待してます。

12 月 12 日: 新庄君の魂を称える

関西人のことはよくわからんと以前より書いておるが, 5 年で 10 何億円出すといった阪神など日本の 3 チームを蹴って、 2 年か 3 年で出来高払い込み 1 億ほどの薄給?で渡米するという, 新庄君の決断は立派だ. たとえて言うなら, イチローが「助教授クラス」で渡米するのに対して 「ポスドク」みたいなもんじゃないか.

新聞は「 『お金の問題じゃない』『優勝争いがしたい』 など、球団選択の基準を漠然と示してはいた。 が、具体的な『決め手』となると明言を避けた。 メッツを隠し続けたことで、新庄という男の イメージが悪くなったのも確かだ。」 などと書くが, わしの中では一気にイメージが上がったぞ!? じゃあ聞くけどあんたら新聞社の「ドメ」な記者諸君は, 就職する際の第二志望の面接で「実は朝日が第一志望なんです」などと言うか? 新聞業界でいえば, 毎日朝日読売と 3 社からデスクとして期待された人が いきなり「実はニューヨーク ポストでヒラの記者として働きたいんです」って 言うようなものだろう. 面白いじゃないか. 普段から日本国内のヒエラルキーしか想像できない生活をしていると こういう反応しかできなくなる. 素直に, やらせたれや.

正直いって, わしは素晴らしいと思うし羨ましくも思う. まぁ, 最近のベンチャー株と一緒で上場の日に急騰して, その後一気に 急落売り逃げさようなら, ということにならんとも限らんが, 実際に活躍するかどうかは彼の実力の問題であり魂の問題ではなかろう. 「レベルの高いところでやりたい」という彼の発言に対して 「じゃあ新庄は大リーグレベルなのか」などと言う人がいる. そういうことじゃなくて, 単純に野球が好きで一定以上のレベルに 達していたら, 最高レベルの環境に自分も加わってみたいと思うのは 野球小僧としては自然な考え方ではないか. それが挑戦というものだろう.

彼は今まで十分な実績を残していないし, 阪神戦でファインプレーを目撃したこともないので, わしは興味がなかったが, 彼の魂は庇って余りあるものがあると感じて今日は書いた. 「ドメ」な日本のファンが彼の足をひっぱることだけはやめてやれよと心から願う.

12 月 11 日: 世紀末? 道楽者

あと 3 週間ほどで 1000 年紀ということですが, まぁヒジュラ暦だと 1421 年だしなぁなどと思ってネットをふらふらして みたら,
2000年じゃない暦 なんて面白いページを見つけました.

全然関係ない話に飛びますが, 世間は忘年会シーズンですね. ちょっと寂しいのは, 家族ぐるみの忘年会ってあまりないんじゃないかなあと いうことです. やっぱり日本は男社会なのかな. まあ, こうした考え方は人それぞれだというのは理解しています.

ただ, 女性については女性じゃないのでわかりませんが, 子供にとっては間違いなく, 親父に連れられて いろんな大人と出会うことは良い体験だと思います. 17 歳の子供がぶちきれたり, 狭い教室や模試の結果が世界の全てだと 勘違いしたり, 大人の文化が次の世代に伝わらないのは, 子供が大人を知らなさ過ぎるのに大きな原因があると思うんですわ. 子供の頃になにげなく会話をしたおっちゃんが, 実は偉大なおっちゃんだと いうことを青年になってから知って, 妙な安心感というか実世界の リアリティを理解したり. . . そういう子供は, たいがい耳年増な 奴になるのですが, 地に足がついた成長をしておれば全く欠点では ないと思います. それから, 自分の親というのは自分にとって 特殊な存在だし, 一番顔をつき合わせている教師というのも, ちょっと特殊な人々なので, そうでない大人というのを見せてやると 親や教師に対しても子供は客観的に捉えることが出来るようになると 思うのです. そういう意味で子供と似たような環境に置かれている 専業主婦にとっても, 同様のことが言えるでしょう.

これは子供に何を習わせるかということとも関係していまして, 趣味というか道楽というか, 大の大人も本気になって楽しんでいるような ことを子供にも参加させるということは, 前節の意味からいって 非常に重要なことだと, 道楽者のわしとしては思うわけです. その意味でチェロは本当によかった. まぁ, 音楽は一般的に 「女の子にモテたい」からやるものですが (本当?), 女の子だけじゃなくて 今も昔も変わらずあらゆる年齢層社会層の人と仲良くなれるというところに 大きな特徴がある. だから, 家にこもってやるような音楽は, このような意義は少ないといって良いでしょう. チェロも, クラシックだけじゃなくてストリートに出ることによって 随分と面白いものになりました.

親父が率先して遊ぶのは道楽だが, 家族や近隣の人々を巻き込むことによって 文化になる. そんなイメージがあります. 思い当たるところないでしょうか.

12 月 6 日: 再び

「皆さんお元気ですか」状態.

「おじさん」は, やっぱり書き散らかし状態でした. どうして言葉が途切れるのだろう. 不思議だけど, まあいいや.

Canna に変わるかな漢字変換サーバ
WXG は いい感じですよ.

12 月 2 日: 「金魚は文化である」骨子

・金魚の品種はアマチュアが作ったのであり, 企業が作ったのではない
明治以降に, らんちゅうを完成させたのは石川宗家の人々や 鈴木徳次氏、宇野仁松氏といった方々で、 基本的にはアマチュアの方々の努力によって現在の品種になりました. 高級魚と呼ばれる品種は, たとえば錦鯉よりも手間暇がかかるわりに錦鯉ほど 単価が高くないのでアマチュア (愛好家) でなければ作れません. (一部, 水産試験場などで作出される品種もあります. ) 土佐錦やナンキンや地金などもアマチュアイズムの良い例です. たとえば, 土佐錦は量産が面倒なので, 企業は手を出しません. (土佐錦に似ている魚を作っている養魚場もありますが, 土佐錦は 丸鉢で飼わないと尾の反転が完成しないので, タタキで作られた土佐錦は 土佐錦「もどき」になります. ) 江戸期においては, 経済的に窮した武士が主に金魚の品種改良を担いましたが, 今ではそれが愛好家にとってかわられています. 一般に, これらの高級魚と呼ばれるものが死にやすいのは事実です.

・逆に, 企業で作られる魚の方が「丈夫」.
企業は, すぐ死ぬような魚を一般人に買わせるというのは完全な誤解です. (「おじさん」が唯一お読み下さったわしの小文 「
香港金魚街を覗く」 にはそんな記述がありましたか?) 企業で大量に作られる和金, 琉金などは死ににくい金魚の部類です. もともとは高級品種であったオランダシシガシラは今は大量に流通していますが, それは企業努力によりこの品種が死ににくくなったためです. しかしながら, この企業努力により, 従来の長手 (胴長) の品種に変わって 丸手の品種が主流になってしまいました.

・それでも何故, 死にやすい品種を飼うのか
企業が手を出さないような高級魚は, 飼育が面倒です. つまり 死にやすいということです. それでも何故, 愛好家は飼うのかといえば, そこに一種の芸術的な価値, 美的価値があるからです. 丸手のオランダより長手のオランダの方が優雅だ. こういった価値観は, 多分に主観的なものですが, このような美的な 主観に殉じるのが文化というものではありませんか? 人類の文化のはじまりには言葉の発明というものがありますが, 人類は言葉をただ単に環境から守るといった機能的な面だけでなく, 美的なものに鍛えあげていったという側面があります. しまいには, 文学作品に命をかける, 言葉に殉じるような人も出てきました. 金魚愛好家は, 美的価値を高めるために品種改良と品種の固定に命をかけるのです.

・金魚自身にとっては迷惑かもしれない
当然です. こういった品種改良, 品種固定のために不具合魚を選別するという 作業 (時には一腹分の稚魚全てを捨てる) は, 淘汰される金魚の側からみると単なる「殺し」です. 人間の勝手です. しかし, 金魚に関していえば, 1500 年前に中国の宮廷で 緋鮒 (赤い鮒) から最初の金魚を作ったときに, 金魚の遺伝子は 野生から切り離されてしまっているのです (テツギョなどの例外はある). もう, 野生に戻すことは出来なくなっているのです. その意味では金魚は, 最初期に金魚の品種改良をはじめた 人間から脈脈と受け継がれている「原罪」的存在なのです. そう, 「おじさん」の提起しようとしたような金魚に纏わる議論は, 原子力発電の議論と似ています. 石器時代に帰って全ての文化的欲望を捨てるか, という. もちろん, 金魚の飼育をやめるのは原子力発電をやめるより簡単でしょうが.

・しかし丈夫な金魚だけを育てればいいのか
土佐錦魚でも, 丈夫なものは出ます. そういったものの大半は退化型と呼ばれ, 尾が反転尾でなく鮒尾だったり, 体が丸くなく流線型に近かったり, つまり 鮒の原種に近い形のものです. 金魚の遺伝子は, 表現形質においては 他の魚類よりも突出して不安定です. つまり, 丈夫なものばかり選別していけば, 徐々にその品種特有の形質を失っていき, 野生に返せるような品種になるかもしれません. しかし, そうしたら今まで重ねてきた品種改良, 文化の蓄積, 殺された多くの 金魚の命はどうなってしまうのでしょうか. それが, 人間の勝手によってこれまで殺されてきた金魚たちに対する贖罪に なるのでしょうか. わしは, それが正しいとは思いません. 正しい道があるとするならば, 文化を継承して, より美しく完成された 金魚を造ることしかないと思います. 文化が成熟するということは, かほど罪深きものなのです. それを受け入れるしかないと思うのです. もちろん, 美しい上に丈夫であればなお良いのですが, 品種改良の途中では美しさの追求を優先せざるを得ません. 因みに, 土佐錦魚は美的観点からは品種固定の途上にあり, 完成されたものでは ありません. 他の品種も多かれ少なかれ品種改良, 固定の途上にあるといえます.

・私は冷静にのめりこむ
もちろん, 原子力発電と違って金魚を飼うことは, その存続か廃止かを選択 することについては個人の手に委ねられています. さらに, 金魚の場合は愛好会を通じて 品種改良, 品種固定に参加するのではなく, 単に消費者として販売されている 金魚を飼うということもできます. その場合は, 企業を信頼して, 丈夫で長生きする品種を選んで, 可愛いがって育てればいいでしょう. うちの「 ハナちゃん」も, そういう存在です. しかしながらわし自身に関しては, 「おじさん」の希望を受け入れることは 残念ながら出来ません. それはあなたが書きっ放しだからといった問題ではなく, わしは, 生まれながらにして文化に殉じる覚悟を決めているからです. 金魚だけでなく, 音楽, 文学, 科学, 全てについて そのような生き方を選びました. そういう人が世の中に少数ながら存在することをお許し下さい. 文化というものは, その人の肉体を離れて社会の中に蓄積していくもの でもありますので, 冷静な部分がなければ創造はできません. また, そのような次第で「常識」というものも冷静に突き放して捉えておりますので, あなたの希望する「常識」を満たすという保証はできません. 毎日このページを読んで下さっている奇特な方々のために, あえて普段からの姿勢を明確にするきっかけとして利用させて いただきました.

12 月 1 日: 議論大歓迎, ただし

一時期に比べて 訪問者の部屋 に書き込み下さる方が増えて, とても嬉しいです. ただし, 議論めいたことを書かれる場合は, 以下のことを守って下さいね.

● 単なる荒し, 意味不明な匿名者などについては, もちろん無視します. 掲示板の書き込みは投稿者に予告なく削除することがあります. 修正については, 投稿者からの依頼があれば作業しています.
● その上で, 私が何者か, 何を言っているか, ということを最低限 でいいので把握して下さい (わしの基本姿勢は 2000 年 5 月 1 日 , 10 月 28 日 の本 What's New! にあります 見出し一覧からもどうぞ). わしはサーバの管理者 (プロバイダーの人と考えて) なので, 書き込みをされた方がどこのページを御覧になった上で発言されているのか 知っています. この点が多くの他のサイトの著者と違いますので用心して下さい.
● もっとも, 今月は忙しいので後回しにすることがあります.
以上のことは, 個人のページでは当り前のことだと思いますので御理解下さい. で, 一応わしは今のところ discussion (つうか一日中原稿を書いているので疲れた ピー) をするのが本業ですので, 議論は大歓迎なのです. 今まで, こんなに社会的な蘊蓄も述べてきたのに, こういう音楽以外の話について 友人以外から応答がないのが不思議なくらい. まぁ, 基本的に当たり触りがないのと, 特殊な個人的事情だからだと思うのですが.

中でも, 金魚話についてはコアな皆様にはご存知かと思いますが, 今一番ホット な話題ですので宜しく. . 最近の, この What's New! は「崩れ博士の, 錦魚にひっかけた怠惰な 日常の記録」と化しています. 読んで下さっている方はもちろんご存知ですね. 因みに, わしの金魚の相談相手は 「土佐錦に命をかけている」方です. これ, この師匠を知っている方は 御承知かと思いますが, 彼は本当に命を懸けているのです. 一つ間違えるとギャグになってしまうくらい. その迫力には, 背筋が凍ったこと もありました. 「どういうふうに命を懸けているの?」などとお尋ね下さい. 答えられる範囲でお答えします. まぁ, わしの周囲には錦魚でなくて他の分野でも そういう方が何故か多いのですが. . なので, わしにしても金魚に対して生半可な接し方は 出来ないのです. 「経験」は少ないですが, 得意の「調査」と「思索」 (思い込みともいう) は存分にしているつもりです. それでも, だからこそ, 「 Web の情報を鵜呑みにしてはいけない」と冒頭で宣言しているのです. 宜しいでしょうか?

[お知らせ]  当 What's New! の過去ログの検索 が出来るようになりました. 出来るようになりました, と言われたからって検索するようなあなたは よほどの暇人です. はい.

11 月 30 日: 床屋談義

THE ゴルゴ学」(小学館) を買っちまいました. これからしばらく夜のお友になるのは間違いない. 昨日だか一昨日だか, 新聞にビル ゲイツの資産が 500 億ドルなどと 書いてあって, 反射的に「ゴルゴが国連に寄付したのは確か 200 億ドルだよなぁ」 と言ったら, 近隣の人に爆笑&軽蔑されてしまいました.

いやはや, 第 400 話は読みましたか? わしは単行本しか買わないので, まだ知りませんが, マニアの間では評判が今一つのようです. なんでも, デューク東郷のクローンが出来る話だそうで, その扱い方が駄目だとか いうのですが, ゴルゴが実は SF としては今一つなのは昔から判っていた ことではありませんか. 同時代の SF としては, 「家畜人ヤプー」の方が 素晴しいと思います. バイオテクノロジーの今日を予見している. 劇画と小説の違いはあるが, どっちもセックスしまくり. はは. . と SF 話を続けると, 「パラサイト イブ」批判をはじめてしまうのですが, これは 5 年ほど前から口走っている話で, このページには未記載でした (HDD が飛んだときに亡くなっていたのかも).

その論旨を書きますと, プロットそのものの批判です. ミトコンドリアが 思考するわけがない. あれは単なるオルガネラ (細胞内小器管) の一つです. 思考を形成するためにはまず回路が必要です. 神経回路でなくても, 電気回路であれ. その意味では一つ一つのミトコンドリアは素子にすぎない. 逆にいうと, たとえば地質学的な回路を想定すれば 天体 (惑星など) が思考するといったプロットは SF としては可能です. では, ミトコンドリアが集まればいいじゃんかということになるが, マーグリスの共生進化の逆が起こったとして, つまり真核細胞から ミトコンドリアばっかりが自発的に分離精製されたとすると, 人間の細胞由来だというのが ネックになる. 人間に復讐するためにミトコンドリアが決起したという 話にしてしまうと, あの主人公の妻が死ぬ前から個別のミトコンドリアが 彼女の体内で思考していたということになり, 不自然, 順序が逆なんです. つまり, ミトコンドリアが集まって回路を形成してから, 思考がはじまり 長い思考の末に, 自分達, は共生ではなく単に利用されていることに気づき 人間に復讐を誓った, というのだったら, まだ SF として許されます. この点において, 設定が甘いというか安易なんです. どうせなら同じ寄生話でも「寄生獣」のように, その理論的な部分を ブラックボックスにしておけばよかった.

何故, 安易になってしまったのかというと, 「好気性原核生物由来のミトコンドリアと共生することにより 真核細胞は好気性になった」という「お話」をべたべたの地でやっちゃってる からです. 分子生物学にはこういう「お話」が多すぎる. ドーキンスにしても然り. そうすると 素人 (大学院生程度でも) が判った気になっちゃう, 生き物について. 分子生物学の, そういう使われ方がわしは嫌いなのです. 「なんとなく専門用語が多いから偉い」といって, 読者はともかく 批評家までも丸め込まれてしまう, 「立花隆業界」と名付けますが, これをなんとかしたいものです.

まだ, 作者がそのことについて斜に構えて, ゴルゴ 13 的な言い方だと 「常に第三者の目で見て」いるならば, 人間関係の物語として楽しむことが 出来ます. しかし, あの小説の「売り」は実際にラボで実験をしている作者が 描いてるからリアリティがある, ということになっちゃってる. 読者はこういうのに騙されすぎ. それはともかく, 描かれている研究者の人物像がつまらない. このつまらなさが, 自らの体験に基づく (研究室の人達ってつまらないなぁという) もので批評的に描かれるのなら文学として意味があるが, 単に自分が つまらない人だからそういう表現になってしまっているというのが問題なのです. だから, その研究者の奥さんとの愛も, 伏線としてであれ描ききれていない.

その点, 「THE ゴルゴ学」に掲載されている, 作者のインタビューは意味深長. 聞き手は鈴木邦男さんという 30 年間?, 右だとか左だとかの勘違いをされていた という方なのですが, だからこその右も左もない, 徹底して個人しかないと 30 年前 から悟っていたというさいとう・たかをさんの言葉が引き立っていました. 最初, インタビュアーのミスキャストなのかと思いましたよ. いやはや, ゴルゴの 80 年代の作品には, 「フロッピースク」などと 書いてあったりして, SF としてはほほえましいほどの設定なのですが, 個人しかない, という 30 年以上にわたる一貫した思想があるので, あたしゃ支持するわけですよ. それから, 細かいことですが「デューク東郷」の東郷とは, 中学校の恩師の 名前だそうです. わしが下に書いた大矢先生の話とちょっと似ている話が ありました.

でもまぁ, 実は, 最近の忙しさの中で寝る前に一話一話読めるから, って だけですが. これって, 床屋さんにゴルゴが置いてある第一の理由だそうで. そういえば, わしも 80 年代に「ヤマテのおっちゃん」の床屋さんで, はじめて 出会ったのであった. はは. .

11 月 29 日: ぶんぶんぶん

らんちゅう 3 尾のタライは室内にあるので, 寒さが増してきた霜降月の末でも毎日ちょっとずつ餌をやっています. サイコロ状に固められた冷凍赤虫を一つ投げ込むと, 水の中で自然にほぐれます. ところが最近, 一番体の大きい“だいちゃん”が, ほぐれるのを待ちきれなくて, 水に投げ込んだ途端に赤虫の固まりの端を口にくわえて, 「ぶんぶんぶん」, と体全体を左右にふって積極的に融かしてしまうようになりました. さらに, 昨朝目撃したのですが, まだ完全に融けきらなくて残っている芯の 固まりを「ばく」っと一気に食べてしまいました.

なんだかんだ言っても冷凍食品ですので, 口の中や喉が凍傷にならないか 心配ですが, だいちゃんは平気なようです.

閑話休題. 先日のアメリカ大統領選挙. フロリダ州の投票者の数が 10 6 の オーダーで, 不確定な票が 10 3 のオーダーということは, 母集団の平方根が誤差という, 確率論的に予測される完全にランダムな投票が行なわれた ということですね. 統計学者は偉大だ (笑). 因みに, 外場があれば通常どおり分極したのではないかと思われますが, 今のアメリカには それがないのでしょう. という解説をしてみたり.

11 月 27 日: 野菜の山

を伯父が送って下さった. ありがたや. 当分, 毎日鍋だ. 最近は妻に全部料理してもらっている. 段ボール箱いっぱいの野菜を, 暖房のない玄関の脇に置いているのだけれど, ときどき居間のソファーの上で見慣れない甲虫やイモ虫を見るようになった. 一緒に旅をしてきたのか. それに対して, 妻が冷静に対処するようになった. いろいろ鍛えられたようだ.

日曜の昼間に TBS でやっている, 料理を若い姉ちゃんにやらせるコーナー, あれ, 以前から「スタジオで笑ってる親父に同じことやらせてみぃ」と 思っていたのだけれど, 並べられた 5 尾くらいの青魚の中から 秋刀魚を見分けることが出来ないのは重症だと言わざるを得ない. いや, だって定食屋なんかで他人に料理して貰っても, 秋刀魚って ほとんどの場合, そのまんまの形で出て来るじゃん.

駅前の小売商店がコンビニになってしまって, 八百屋や肉屋が惣菜屋として 出来合いのモノしか売らないようになって, それを危惧する声があり, その気持ちはとてもよく判る. しかしながら, 下手に姉ちゃんや兄ちゃんが 秋刀魚を自分で焼いて火事になっちゃうより, 出来合いのモノで済まして いただいた方が安全なのではないかと, 防災の立場から考えたのであった.

「最近の若者は」みたいな話を書いている. 図体だけがデカくて基本がなってないクソガキを非難している. あー, 今日だけ言わせて.

11 月 22 日: みなさんお元気ですか?

状態.

11 月 13 日: 秋の空気

10 月中のいつかに, 夏の空気と秋の空気が一挙に, 開け放った窓の内外から押入の隅まで, 果ては封印した筈の段ボール箱の中まで, 入れ替わる日が, 例年はあるのだけれど, 今年はその日を感じることが出来なかった. その日が来ると, いつもわしは大声で泣くのだけれど, 今年は, いつのまにか, 秋である.

蘭寿の方が色づきが良くて秋の充実感を感じさせる. 土佐錦は, 生まれが少し遅かったのか, まだ成長途中だという感じがある.

11 月 10 日: 足し算と引き算

先日の考古学者 藤村さんの「事件」に関して, このサイト内の掲示板でちょいと盛り上がっていたので, この件について, ここ数日の間考えていた. 興味深かったのは, 大学などで理工系の学部にいた, つまり 実験というものをやったことのある人の方がそうでない人よりも 真剣にいろんなことを書き込んでいたことだった. どうも, 実験をする (していた) 人としない人とで, その捉え方に温度差があるように思われた.

一度でも真面目に実験というものをしたことのある人ならお分りかと思うが, 実験というものは思った通りにいかないものである. 「実験は思った通りにいかない」という言葉そのものは, 何度も何度も 書かれ, 伝えられているので, 今さらなという気がするかもしれないが, 実際に実験をしてみると, そこから派生する諸々, 感情の動きを含めた ダイナミズムは非常に多彩だということがわかる.

まず, 理論との関係. 理論というのは仮説の集まりである. 良くできた理論ならば, 実験で観測される現象を万遍なく説明してくれる こともあるが, 大体の理論はその一部を説明するだけである. 条件が変われば適用できなくなる. なんとか, 理論で予測される枠内に 実験結果を押し込めようとすると, 「思った通りにいかない」ということになる. これが学生実習などで体験する実験というものである.

実験屋を続けていると, 押し込められなかった部分から新しいことを 発見することもある. その新しいことが系統だって示されれば, 実験屋は現象論的な仮説としてとりあえずその結果をまとめて, 論文にする. そうして発見された現象論的な仮説を集めて, より適用範囲の広い, 深い仮説に鍛えるのが理論屋の仕事である. つまり, 通常は理論には二段階の深みがあることになる.

理論屋と実験屋は兼業のこともあるし, 分業の場合もある. 分業の場合は, 役割の分担がこれまた難しい. 往々にして, 理論だけ, あるいは実験だけが進歩することがある. 理論的に予測されたことが数十年といった後に実験的に証明される場合や, 逆に実験結果は次々に出てくるのだが理論は現象論的な理解に留まっている 場合である. わしの偏見によれば, 素粒子論などは概ね前者で, 生物学は全般的に後者だと思うのであるが, これは余談である. ともかく, こうした理論と実験との進歩の 偏りが大きいときに実験屋あるいは理論屋の 屍の山が築かれるのが科学というものだと思う.

このような時間的なダイナミズムを抱えている科学という 方法の場合, 実験屋と理論屋の両者に必要なのは深い洞察力であり, さらに実験屋に求められるのは誠実さである. 理論屋自身は誠実でなくても, 実験屋が誠実である限り実験結果によって生かされたり殺されたりする. まぁ, これが物理系の方が化学系より人格破綻者が多い理由だと思うが, これも余談である. ともかく, ここで言う誠実さが, 普通の社会における誠実さとは 随分趣きが異なることが少しは示されたかと思う. 時間が経過すると価値がなくなるかもしれないという恐怖に負けないで, 観察記録を残すということなのであるから.

ここまで来ると, 藤村さんの「事件」が少しは判ってくるのではないか. 考古学の場合は本来, 理論よりも実験の方がどちらかというと進んでいる, という側に分類される学問なのではないだろうか. 良く知らんけど. しかもその理論というのがサル学に近い生物相手の理論だから, 科学の一分野としてみると, おそろしく非線形, 複雑系, 本来は理論屋の屍の山が 自然科学よりも多い筈で, 理論屋というのはあまり信用しない方が いい筈のところなのに, 理論屋を実験結果によって葬る前に自分の 誠実さの方を葬ってしまった, というところなのではないか?

ということで, 実験をする経験のなかった方々に一番いいたいのは, このように実験をして何かを理屈づけるということは, 本質的に 屍の山を踏み越えて人々の精神が徘徊していく作業なのであるから, たとえば同じ「勉強」でも受験勉強とは全く違うということである. よく言われていることだが, 受験勉強は満点からの引き算で, 科学というものは零点からの足し算である. だから, たとえば会社の不祥事を議論するときのような論法は 使えないのである. マイナス 10 点の損失を食い止めるための不正と, プラス 10 点を獲得するために不正を行なうこととの違いである. 前者の不正を糾弾するときの方法を適用したことに対して違和感を持ったというのが, 冒頭で述べた温度差の由来なのではないかと思う.

考古学者に対する過度の期待が背景にあった, などと言われているが, それ以前に, 何でも一般に受験勉強の延長で「勉強」が語られる社会において, こうした科学の勉強論を周知のものにすることが必要だと思う. 「過度の期待」を一実験家に求める方が不自然なのだから. では, たとえば教育の場で, 後者の不正の意味を教えるということは 可能なのだろうか?

勉強というものは零点からの足し算である, ということを教えてもらう だけでも, 随分と違いが出るように思う. わしが小学校の高学年のときの教師に, 大矢先生という人がいた. 彼は変わった人で, 休み時間になると自分の居城の図画工作準備室で 「エコー」を吸いながら, どうでもいいことばかりを教えてくれた. たとえば, 割礼についての話を聞いて, はじめて友達のユダヤ人の 先っちょが自分と異なることについて理解した. 必要なときには殴る人で, 防災訓練のときに雑巾投げをしていたら, 運悪く自分が持っているときに見つかって殴られたことがある. わしは, 昔からこのように意味不明な言葉を吐き続けていたので, 彼以前に出会った教師には, 他の判りやすい子供のように扱ってもらえた ためしはなかったが, 彼ははじめて人として扱ってくれた. そして, テストの用紙の裏に, たとえばカニの不思議について書いたりすると, 105 点をくれたりした.

一人だけでいい, こういう教師がいると, あー, 自分のような ものでも生きていていいのだということを理解するし, 決して世の中は減点されるばかりではないのだということもわかるようになる.

今回の件をきっかけに, 制度の問題が云々されるようになった. 発掘調査について検証可能にするといった制度の改良は当然であるが, それ以上に, 子供たちに, 発見し記録するという実験の楽しさと厳しさを 体に染み込ませることのほうが根本的な課題なのではないか. そして, より発見をした子供を評価し, 当然, 不正というものについても そこで教える. 勉強することは足し算なのだということを教えることは, そんなに難しいことなのだろうか.

11 月 9 日: 精度よく

アメリカの大統領選挙の決着がなかなかつかないことに関連して, あそこの人々は, なんともすごいバランス感覚ですねぇという話をしていた. 上院の両勢力の比率は 51 対 49 ということだし, 結局の票差は 数千票の差だというのでみてみたら, それはフロリダ州の 290 万 7 千 と 290 万 9 千の違いだというではないか.

アメリカの人口 2 億人ほどで精度よく決められないのだとしたら, 大規模シミュレーション屋の発想としては, サンプル数を増やすしかない. 世界の人口 50 億だか 60 億で投票すれば決着がつくだろう. 世界中が経済, 軍事, 文化的植民地のようなものなのだから, 「参政権をくれ」という植民地人の主張には, 彼らもひょっとしたら 理解を示すかもしれない. かつては彼ら自身が植民地人であったのだから.

ともかく, これとは全然関係ないのだが, 広い意味でのサンプル数を増やすだけで, 白黒をはっきりつけることが出来る方法がある. 方法はあるのだが, 実現できない. あー, もったいねぇ.

わし版, 「時事ネタを書かせるとこうなっちゃう」でした.

11 月 6 日: 鯆, サーバ

International Forum on Electro-optics というサイト出現!日本語, 英語, ロシア語, ブルガリア語の ML も 同時にはじまりますよ. 興味のある方はこぞって御参加下さい.

そうそう. このサイトも来年 3 月でもって移転することになります. どこにサーバを置こうか, ということで, washizu.org とか, washizu.jp だったら取得できるようですが, こんなものに年間 数万円払ってどうするや!? 80 MB くらいあるんですよね, ここ. 存続に賛成の方は励ましのメールを下さい(笑). いやぁ, 大学って良いネットワーク環境だったのですね. とほほほ. . .

それにしても, おっさんになっても, こういうことを書き続ける人というのは ある意味貴重なんですよね. 直リンク張りませんが, 某研究者のサイトとか, 某同窓会のサイトとか. 普段は, おっさんが何を考えているかというのは なかなか聞けるものではありませんから. あー, あんな立派なおっさんでも ああいうふうなんだな, とか, さすがあのおっさんだけのことはある, とか. おっさんだけじゃなくて, おばさんでもいいんですが. でもって, おっさんになってもぐたぐた書くというのは, とても恥ずかしいこと ですね. 書く側にとっては. うん. (何故なら, 生きれば生きるほど他人と関係を持つからです. だから, あんまり生きてない癖に自殺してはいけません. ) それでも, 書いてるおっさんというのは とても貴重なんです. だから, わしはおっさんになったら書かないですね. まだ, おっさんであるという気分が湧かないのが問題なのです.

先週末は, 久しぶりに筑波にいってきました. うーむ, 相変わらずソ連チックな街だ (近未来的という意味で). 東京に戻ってから, 大先輩のお勧めのお店にいってきました. 普段食べないようなものばかりいただきました. やっべー. . .

11 月 2 日: 本屋

Web 本屋の Amazon.com が Amazon.co.jp として日本進出, だって. 日本支社が出来るメリットとしては, 輸送費が安くなることでしょう. そりゃ. まぁ, アメリカからの輸送費は 500 円くらいなので, 5000 円から 3 万円くら いする洋書の場合は大して気にしていなかったのですが, これからは 数千円代のちょっと見てみたいだけの本でも買ってしまおっかなぁと 思われるようになるだけでも, 宜しいのではないかと思います.

が, 「年内は全商品の日本国内の送料無料! 」って よく判らんぞ. わしが最初に思ったのは, 「日本のアマゾンから家までの送料だけが タダになる. アメリカから日本までの送料は今までと一緒?」ということでした. 実は, 年内は日本国内の購入者への送料は全額タダになる, つまり 本の代金しかとりませんよ, ということのようです. 実際に注文してみたら, そのようなことだとわかった. でも, 来年からは送料をどれくらいとられるのだろう? Powells.com は, 確か $ 50 以上の本を買うとアメリカからでも送料無料になります.

ともかく, ネット本屋の価値は扱ってる件数が膨大だということと, 簡単に検索できるということです. それが最大のメリットです. だいたい洋書なんてマニアックな本しか買わないし, 欲しい本が なければ, その本屋とは縁がない, ということになるわけですから. 因みに先の Powells.com は, 理工系の書籍には弱いので, 縁がありません.

ということで早速, 検索してみる. 最も最近, Amazon.com で買ったのは, Physical Chemistry of Electrolyte Solutions J.M.GBarthel 他著 Springer ISBN 3-7985-1076-8 なので, キーワードや著者や, 最後に ISBN で検索するが, 扱っていないという. えー!? アメリカと日本とで, 和書はともかく洋書のデータベースが違うの? 同じ会社じゃないのか? お主は. 今まで買った数冊の本を入れてみるが, ほとんど検索にかからなかったです. これは, わし的には評価がかなり悪いっすよ. だって, Amazon.com のウリといったら, 変なコップだの絵葉書だのの おまけがついてくることでもなく, 突然定価より 30 % 割引してくれる ことでもなく, 世の中の絶版書以外は必ず取り扱っているということなのですから. 日本のアマゾンよ, アメリカと同じデータベースにして, 送料が多少安くなると いう存在意義を誇ってくれ.

因みに, 日本の古本は 紫式部 で探しましょう. Amazon.com でも, 絶版の本は古本のデータベースを探してくれるそうなのだが, マニアックな専門書の絶版本だと, 入手するのはかなり困難です.

そう, わしが本屋さんに期待するのは, 良い本は必ず入手したい, ということで す. そのなかには, 使いやすいデータベース, 絶版をなくすこと, 稀少な本でも 気合いを入れて出版すること, などが含まれます. 俺がやったろか, と, 最近ふと考えます.

11 月 1 日: 霜月

って, 「霜降月」なんですねぇ. うー, なんだかうまそうに思えるのはわしだけ?

他には, 暢月(ちょうげつ)/雪見月(ゆきみづき)/神楽月(かぐらづき) /露隠葉月(つゆごもりはづき)

だって.