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「失敗」しても,しぶとく生きていくために
履歴書の「ずれ」
当研究室の メンバー 欄に, 筆者の略歴を載せています. これは,研究者の web ページを見ると, 多くの人がこういう風に書いてるからです. 自分の立場でも,その人は,どういう経歴 (専門分野,職歴など) を辿ってきたかわかると, 書いていることの内容についても理解が深まります. ときどき,ネット上には中途半端に省略している人がいて, 別途調べるのが面倒ですよね.で,こうして筆者の略歴をみると, まあ無難そうな経歴にひょっとして見えるかもしれません. 企業研究者を経由して, 大学教員になるという人も, 理工系には沢山おられます. 出版社にしても,筆者の卒業した出版社の先輩には, 放送大学の教授になった人や, 芥川賞作家で九大特任教授という人もいるので, 有り得ない話ではありません.
他人の履歴書を読むときに注目すべきは, 書いてあることだけではなく,書いてないことです. たとえば,89 年に高校を卒業して,96 年に学部を卒業している, ということは,学部卒業までに 7 年かかっています. 簡単にいうと,この間は 2 浪人 1 留年していました. 筆者の尊敬する現代詩人には,7 年かかって大学を出た人が多いので, ある意味これは誇るべきことですが, 実際問題として浪人の間,辛くない人など居るわけがありません.
人生,失敗なんていっぱいある
浪人をすると,挫折感でいっぱいになります. 高校受験の頃は,県内で一桁の成績で(なんと中 3 全員が受ける試験があった), 県内で一番難しい私立高校からも特待生で合格したりして, 自分は勉強が出来るじゃないかと思っていたのですが, 音楽や現代詩,人文学の読書にのめり込みすぎて, 高校を出る頃には校内で下から数えたワースト 10 になっていました. それでも,当時は浪人をするのが多数派だったので, 1 浪するまでは平気だったのですが, さすがに 2 浪目に突入すると,大丈夫かという気になってきます. 周囲にも,真面目に生きている人が減ってきます. 現代詩ばかり書いている場合ではなくなってきました. 国外に脱出しようと,国際センターという所に行ったのですが, 高校の成績が悪すぎるためにどこへも行けないことが判りました. 予備校も,一年目は無料になったのですが, 二年目はそれも効かず,自動車免許を取得して, ふらふらとアッシー君 (死語) として遊んでいました.2 年後,やっと東京へ出たら,今度は年下の人々が, クン付けで,タメ口をきいてきます. その頃には,プライドなどもうありません. 目の前にあるのは,「学ぶべきこと」だけです. ガツガツと,格好つけずに何でも学ぼう,という感じになります. しかし,日本の大学は理学なら理学,だけを学ぶように, カリキュラムができているので, 音楽や現代詩についてガツガツ学んでいては, 進級できません. 父親を亡くしたり,彼女ができたり, プライベートで忙しくなったら, それもまた学ぶべきことです. フリーターマップ の項目で書いたように,親を亡くしたら, 完全に自活せねばなりません.
自分の時間は自分のものだ
要するに,大学の勉強だけに集中しない言い訳は山のように出ます. 留年したときに,大学の必修科目の先生に泣きつきにいった際の, 先生の冷めた表情が今でも忘れられません. あなたには判らんだろうが,こっちはこっちでいろいろあるんだ, と吠えてみたところで虚しいだけです. ともかく結局,「自分の時間は自分のものだ」ということに, 思い至ったのです. こう書くと,自分勝手に自由に生きる, というポジティブな印象を受けるかもしれませんが, それだけでなく,人生には失敗がつきもので, やり直しは効くかもしれないが, 一度失敗した事実は消せない. その運命を受け入れて,生きていくしかない, という,あまり嬉しくないニュアンスも含んでいる, ということです.ちなみに,この「自分の時間は自分のものだ」という言葉は 現代詩人の鈴木志郎康先生の言葉です. 一度や二度,他人からみて失敗していようが, 自分は自分の時間を生きるしかない, そもそも,人生の最初からそうなんです. 個性的に生きる,とか,かっこいい話ではありません.
当然,就活だって失敗の連続
大学院では恩師に巡り会えたこともあり, 研究そのものは,比較的スムーズに進みました. ただし,アルバイトでプログラム開発のデスマーチに参加してしまい, 修士を年限内に修了できないピンチはありました. 先生や家族,友人にご迷惑をおかけしました. が,ともかく,研究テーマはチャレンジングではあったが, 先生の導きが良かったため,無事, 修士と博士を年限以内に修了できました.恩師は「政治家」という言葉とは,最も無縁な人でしたので, 修了後の就職は苦労しました. これは,修士に入る時点で既に先生から予告されていました. この部分,すなわち就職のお手伝いに関してだけは, 筆者は恩師よりも頑張るつもりです.
それはさておき, そのようにガチンコで研究者になろうとしても, 現代ではいろいろ難しいです. 高専を中心に 10 箇所以上のパーマネントの教員・研究員の公募に応募しましたが, ことごとく敗退しました. 同期の大半は国内外のポスドクになったのですが, 自分はもう 30 歳だし,東京勤務の国家公務員と結婚をしているため東京を離れるならパーマネント,と 思ったために受けませんでした. 民間企業では,医療機器業界で業界一位の会社にご縁があって (趣味で飼っていた金魚の師匠から繋がりができた), 研究所長の前でプレゼンする機会を与えていただいたのですが, 「うーん,君の研究はレベルは高いが,うちには必要ない」 と言われてしまい,このような名門企業でもダメだったら, どこも民間では無理だと思って,諦めました. 結局,生体高分子の物理化学の分子シミュレーションを行っている, ということは, 物理,化学,生物,それからシミュレーションということで 計算科学・計算機科学についても詳しい,一種のオールラウンダーだという ことに気づいて,自然科学系の総合出版社でそのことを力説したら, 採用していただけました.
最終的には素晴らしい出版社に入れましたが, 当初の目的は研究者になることだったので, 就活も失敗の連続だったと言わざるを得ません.
会社に入っても失敗は続くよ
30 歳で,世間的にいうところの「社会人」 にやっとなったわけです. それ以前から筆者は自活していましたから, 「社会人」というのは「会社人」だというだけのことではないか, と,今でも思っていますが,まあ世の中の常識は変えられません.ともかく,出版社の先輩方は素晴らしい人々で, 中には今でも連絡をとっている方々もいます. 数ヶ月の出版社生活でしたが, 数年分くらいの経験値があがったと思います. 細かいことは, 以前書いたことがある ので,ここには書きませんが, 今でも自然科学系の出版社への就職は, 皆さんにお勧めできます. いろいろありまして,その後,別の分野の研究者として, 民間の研究所に入って研究生活を再開しました. 自然科学系書籍編集者としては, 途中でドロップアウトした,失敗だったと言わざるを得ません.
業績一覧の「ずれ」
冒頭の話に戻ると,研究者の web ページには, 略歴と並んで,業績一覧を書くことが多いです. 筆者の業績一覧はこちら ですが,自分がどういう分野の研究者か知ってもらいたい, 自分の論文を沢山読んでもらいたい, そういった点で載せるものだと思います.実は,業績一覧に関しても,読むべきところは, 業績そのものではなくて,業績の間にある空白です. 筆者の場合は,原著論文ではわかりにくいかと思いますが, 「学会発表」 のところを見ていただくと, 2000 年の 11 月に化学ソフトウェア学会 2000 年会で報告したあと, 2004 年の 5 月まで,3 年半ほど発表していないことが判ります. これは,会社に入って研究はしていたのですが, していたどころではなくて,分子動力学シミュレータを作成して, 新しい知見を次々に得ていたのですが, 上司の考えで,外部には発表できない期間だったのです.
企業勤めはそこが辛いです. 正直,挫折を感じ,かなりやる気をなくします. 筆者の研究スタイルとしては,完成度は高くなくても, とりあえず学会で発表して,その場で先生方に叩いていただいて, 微調整をしながら投稿論文にまとめていく (当然,国際雑誌の英語論文です) というスタイルなのですが, その最初の一歩を否定されると本当に辛い. まあしかし,給料がもらえなくなるわけではないので, 経済的に我慢しろということはありますが. このあたりの感覚は,上司によります. ですので,後輩が入社したときは,そのような苦労を感じさせないように, 入社した年からどんどん論文を書けと,はっぱをかけました.
他人の業績一覧を読むときは,こういうことも 「愉しみ」といったら語弊がありますが, 辛さをわかちあうツールとして使えます. 筆者の勤務先にも,グレートな研究者だったが, 入社して 7 年ほど同様に外部発表がない人がいました. あんなにグレートな人でも発表させてもらえなかったのだから, 自分も我慢しよう,と一人で自分を励ましていました.
再度,自分の時間は自分のもの
ということで,完全に順調な人など,なかなか居ません. 筆者の友人の研究者の中の最も幸せそうな人で, 大学に入って助手までストレートできて, 筆者と同じ企業に移って,次々と成果をあげて, 今は某国立大学の教授を務めている人がいますが, その方は,趣味のワインのソムリエの試験に落ちたことだけが, 「落ちる」経験だということでした. 中にはそういう人もいますが,大半の人はそうは生きられません.研究者をしていると,論文や研究資金の申請, 教員公募などをリジェクトされることなど日常茶飯事です. 「落ちる」ことを,どう上手に受け止めるかが, 研究者としての能力といっても良いくらいです.
就職活動は大変だと思いますし, それ以前に,大学に入るのも,進級することも, それぞれ困難があるかと思います. しかし,世の中は困難にあふれている, ということの方がデフォルトだと思います. お釈迦様も,人生は苦だと言っています. どうか,苦の中にも喜びを, 停滞の中にも進歩を, 困難の中にも生きていて良かったと思える一瞬を, 探していただけたらと思う次第です.
それでは,人間は,あるいは大学院を目指すような (比較的) 頭デッカチな人が, 良かったと思える (職業) 人生を送るためには, 何があれば良いでしょうか. 筆者は,それは「 ストーリー」 だと思います.これを次章で述べます.