2007年のWhat's New!


最新のWhat's New
ここからしか飛べない過去のページもあるよ.




----------------------

12 月 30 日: レモン仁丹


実家を整理していたら,中坊の頃に 一番最初に買った LP レコードが 出てきた.フルニエとマルティノン指揮ラムルー管 によるラロ,サン=サーンスの1番,コル・ニドライ. 先生がフランスで修行した人で これはフランス人の録音だし,一番安かったし, と思って買った記憶がある. 未だに,このレパートリーではベスト盤かもしれない. 改めてジャケットを見ると,エンドピンが短い. わしも短いエンドピン族なのだが,この方もか. どうでもいいけど,背景の木目は 11 月 21 日の アンティークのダイニングテーブルで最近のお気に入り. 年賀状の背景も,これを使った.

今朝,妻が買ってきた森下仁丹の製品を見ていて 「遠足のおやつにレモン仁丹を持っていった」と いう話をしたら,不気味がられた. いや,祖母が仁丹を常用していたため仁丹に 目覚めた時期があって, 小学校高学年の頃に遠足のオヤツに関しても 「通」の領域に達していたため, 仁丹を 300 円ほどの予算の中で買えるだけかって 持参した. 当時から,コンパクトなものが好きだったのだな. 仁丹も,レモン仁丹とか梅仁丹とかがあって, いろいろ愉しんでいた. 仁丹って,洋風にいえば「Frisk」の客層と被るんじゃないか? ハッカ系が苦手な妻には判らない世界だが, 今でも需要がないとは思えない. でも,現在ではレモン仁丹は売ってないようだ. こういう話題がなければ,永遠に誰にも語らずに 終わるところだった.別に語らなくてもいいんだけど.

一度 Bowden-Tabor の教科書をきちんと読もうということになって, Cambridge UP から復刻されてる版が届いたんだが, Bowden 先生というのは,コロイドの研究室で 電極の実験により学位を取得した物理化学者なんだな. なんだ,わしと同じじゃないかと驚いた次第.

この 3 つの話は,全く脈絡がないように思えるが, フルニエは 1906 年,祖母とBowden は 1903 年の生まれで 同時代人なのだな. 肌や声の感じというか,時代の質感のようなものが 想起されるでしょう.ほんまかいな. ともかく,もうすぐ 2008 年.


----------------------

12 月 24 日: washizu.orgなので

どうも昔から名古屋本や名古屋論には「痛い」ものが多い気がして, あまり読まないように, 語らないようにしてきたのだが, なごや四百年時代検定 の参考書は, 検定問題作成を前提とした分担執筆で, なかなか充実していたので読んでみた.

太古の東海地方の歴史から現代まで書かれているが, 1615 年が名古屋開府ということで, それ以降の話題に比重がおかれている. それは結構なのだが, 尾張藩の藩校である明倫堂については, 初代督学 (校長) の細井平洲の名が章末の注に辛うじて 書かれているだけで, 「名古屋文学史」, 川島丈内, 1932, 松本書店 により江戸時代の名古屋の文学を一読した者としては 物足りなさが残った. どうも, なごや四百年時代検定は建築, 美術, 政治の他は いわゆるサブカルチャーの話題が多く, 儒学や漢文学といった当時のカルチャーの側の話題は 避けられているようである. 何度か書いているが, 日本はサブがつかないカルチャーが 結局は好きじゃないようなのだ. あるいは, 出版社が読者をなめているだけかもしれない.

などと頑張って書いてみたのは, 明倫堂の最後の督学は鷲津毅堂であり, 一言くらい書いてあるかなあと期待したためである. これを機会に, わし個人で washizu.org を占有していて 申し訳ないこともあるし, 2000 年頃に 訪問者の部屋 で鷲津さんが 集結したこともあるし, アレックス・ヘイリーじゃないが 博士論文書誌データベース で 毅堂と同姓の人を探すと 鷲津が 8 人, 鷲巣が 3 人, 鷲頭が 1 人 であり, わし以外の 11 人は, 亡くなっているか 忙しそうな立場の方ばかりなので, 僭越ながら知っていることを web にまとめておこうと思った. (ちなみに, わし自身と幽林との関係については, 遠い親戚筋かもしれないという程度である. )

全国の苗字 サイトによると, 鷲津さんは 546 世帯ということで, 平均世帯人数の 3 人弱をかけると 1,500 人くらい 世の中にいることになる. 鷲巣,鷲頭さんも,それぞれ同数程度いるらしい.

washizu さんが, 最初に歴史に登場するのは 平治物語であり, 源義朝が平治の乱で敗走する際に, 岐阜県の赤坂の杭瀬川あたりで 地元の鷲巣玄光という家臣 (坊主?) に助けられ, 桑名経由で知多の野間に渡った. その後は, 地元の長田忠致を頼ったが 忠致に謀られ風呂場で非業の最期を遂げた, という有名な話に続く. 養老郡養老町には鷲巣という地名があり, 近所を杭瀬川が通っており, 何らかの 関係があると思われる. 養老山地にかつて猛禽類の鷲がいたかどうかは知らない.

毅堂は, 幕末から明治の人なのだが, もともとは一宮市丹羽において有隣舎という 私塾を開いていた鷲津幽林の子孫である. 有隣舎は宝暦年間 (1751〜64) に作られものであり, 藩校の明倫堂よりも古いが, 明倫堂が出来ると幽林もそこでも教えたという. 有隣舎は幽林以下, 子の松陰, 益斎, 毅堂と 100 年以上にわたり受け継がれていく.

このあたりの事情は, 先の 川島丈内「名古屋文学史」に詳しいのだが, これを web に入力しなおして青空文庫にでものっけたら, 江戸時代の鷲津さんたちも少しは浮かばれるかなあと思い, 川島氏について調べてみた. 氏の他の著書は 中国十大詩人伝, 川島清堂 (丈内), 1960, 芸文社, それに, 名古屋雑史其他, 川島清堂, 1963, 無逸軒 であり, 1963 年までは確実に執筆活動をされている. その後, 沖縄吟草, 村瀬一郎, 名古屋市/川島清堂先生主宰清和吟社同人号九功, 1966, 其弘堂, という本も出ていることから, この時分まで健在だったと思われる. ということで, 著作権が切れるのは先らしい. ちなみに, 名古屋文学史は古本屋で何度かみかけたので 今でも結構な部数が流通していると思われるが, さらに 1982 年に東海地方史学協会から復刻されているようだ.

ところで, 文豪の永井荷風は, 毅堂の外孫であり 毅堂について「下谷叢話」で詳述しているそうだ. あれ, これ未読だった. 2000 年に岩波文庫になっているというのに!


----------------------

11 月 21 日: 家具

今日は家具のリンク集.

1930 年代のイギリス製猫脚のダイニングテーブルを 四日市と梅森坂のアンティーク家具 フランドル で, 買ってしまった. 生涯保証だし座面などの革のはりかえもしてくれる店. 机だが, いまどきのラッカーやウレタンで加工してあれば, ざっざっと水拭きできるのだが, こいつはチェロと同じく ニスなので, 空拭きしか駄目で, ワックスが欠かせない. そもそも, モダンの枠内に居れば, 手入れするにしても家具を探すにしても 問題はなかったのだが, 夫婦で変な方向性を持ってしまったのが運のツキ. なかなか良い店がない. 三宿のアンティーク家具 グローブ で, ガレ風の照明を探していたのだが, 結局毎回スコーンを食べていた. 食べられるだけじゃなくて泊まれるアンティークといえば, 鴨川のアンティークホテル ら・みらどーる. ここのマダムはアンティーク好きとしては類稀な幸福な 立場だと思われる. アンティークに拘らずクラシック調ということでは, 自由ヶ丘の輸入家具 ネオ・ダ・ヴィンチidpの ソファーを買った. 素性のはっきりしたイタリアものだし サービスも安心. これも, 総革なので手入れが必要. あと, よく立ち寄るのが青山と松坂屋北館の輸入モノ メゾン・ドゥ・ファミーユ. 旦那はゴテゴテのラブラブのものが好きなのだが, 嫁はシックでクラシックなものが好きなので, このあたりが落としどころのような気がする. ともかく, 長持ちはするが手のかかるものばかりが 集まってきた.


----------------------

11 月 9 日: そもそも 2

6 月 15 日: そもそも で述べていた話をまとめたものを 日本機械学会誌トピックス (pdfファイル) に書かせていただいたので, ご参照ください.


----------------------

11 月 8 日: IMSLP が閉鎖

International Music Score Library Project が 10 月 19 日に閉鎖されていた. 本年 3 月 12 日の楽譜のオンラインサービス一覧では 挙げていなかったが, IMSLP は楽譜の青空文庫 (あるいは Project Gutenberg) の楽譜版であり, この 1-2 年の間に急成長したサイトだ. チェロの曲は, ドヴォコンやシューマン, エルガーといった わしにとっては何十年前から所有している楽譜ばかりがアップされていたので, あまり面白くないなあと思っていた. その一方で, ピアノ曲は随分沢山あったように記憶している. ヴァイオリンに関しても, 協奏曲からエチュードまで充実していた. これを見て, チェロ人口は少ないんだなあと, しみじみ思ったものだ.

そんな中, なぜかネルダ (Franz Xaver Neruda; Wikipedia にすら項目がないが, キャンベルの本では少々触れてある) の作品については, 5 曲のチェロ協奏曲 をはじめ, 小品に至るまで, ずいぶんと充実していた. 多分, 誰かネルダ好きの人が頑張ったのだろう. 逆にいうと, 特定の作曲家に対する愛情がある努力家が一人でも存在したら, IMSLP は, その作曲家を世界に紹介する窓口として機能するわけだ. ちなみに, ネルダは 1915 年に亡くなっているので, どこの国でも著作権フリーであるし, そもそも出版されたチェロ協奏曲は 5 曲中の第 2 番 (19 世紀に出版され現在は絶版) しかなくて, IMSLP に掲載されていた残りの協奏曲は自筆譜のコピーであった. わしはこの夏, ソロパート譜のついていた 2 番を弾いてみたりもしたものだ. 19 世紀の自筆譜や出版物をコピーして web に載せることの何が問題なのか. 自筆譜については出版社の版面権も糞もないし, そもそも掲載作品の多くは MusiTeX のような楽譜作成ソフトでボランティアが打ち込んだ ものだったから出版社の権利は関係ない. 8 月 8 日 に熱く語らせていただいたように, 埋もれてしまった, 19 世紀のチェロのヴィルトゥオーゾを人類の宝として再発見するためには, IMSLP ほど適切な方法はないと思う. ただでさえチェロの楽譜の購買者数なんてたかが知れている上に, こんなマイナーな曲については, 今回ケチをつけた Universal Edition (UE) のような版元としては 出版してくれないではないか. ならば, 愛好者同士が連携するしかないではないか.

このサイトは, カナダの学生が一人で運営していたという. 閉鎖の経緯はここに詳しい. 驚くなかれ. こういうサイトは, 孤独な兄ちゃんが一人で 無償でやってるものなんだよ. それを, 新聞社だとか出版社が殺して良いものではない. おっと, 書きすぎた.

ちなみに, わしはコダーイの無伴奏ソナタやカサドの無伴奏組曲などは 普通に UE 版を購入して使っている. 版元も辛い中で商売をしているであろうことも想像に難くない. しかし, 版元側としても 01 年 7 月 27 日: 「星夜に帆をあげて」を読んで で田崎晴明さんの熱力学の教科書の作り方を例に提案したように, 愛好者と共存することは出来ないのだろうか. ベーレンライターの 新モーツアルト全集 ほどの偉業は求めないので.

(2008/07/10 追記: いつのまにか再開していた.関係者の努力を称えたい.)


----------------------

11 月 7 日: 鳥小屋

ボッケリーニの弦楽五重奏曲ニ長調Op.11-6,G.276「鳥小屋(L'uccelliera)」 を聞いていたら, 北園克衛を思い出した. ボッケリーニの弦楽五重奏曲は, アンナ・ビルスマが上手に述べたように, どこかでヴァイオリンが唄っていたら, 別のところでヴィオラがひたすら刻みをいれている, というように, 楽器がそれぞれ気持ち良く鳴ること, 言い換えれば音型のフェティシズムによって曲が成り立っている. これは, 楽曲の構造性を優先したハイドンからベートーヴェンに至る いわゆるウィーン古典派の室内楽と異なるものだ. あるフレーズがあったとして, それが, より偉大な全体的な構造を 成り立たせるための一モチーフであると考えるのか, それとも, そのフレーズが気持ち良いからそこにあると考えるのか, という違いだ. 後者の方が一見頭が悪そうだから, ボッケリーニ作品の扱いは比較的不遇であった, と簡単にまとめられよう.



泡だつ円錐
の襞

(死と蝙蝠傘の詩)


北園克衛の場合も, 修辞というよりも構造, 構造というよりも 言葉に対するフェティシズムが作品そのもののありようと 密接に関係している. いや, 本人は構造だと思っているのだと思う. 「消えていくサラバンド」「ある種のバガテル」 などという作品があるが, サラバンドは多分バッハを指向していて, バガテルは, 戯れ, というほどの意味であるが ベートーヴェンとウェーベルンの得意だ. いずれも, ボッケリーニ的な音のフェティッシュの世界という よりは構造性, を目指すものだ. しかし, たとえばこの「死と蝙蝠傘の詩」における 「の」に対する偏愛は, ボッケリーニの「刻み」や「鳥の さえずり」と同種のものと思われて仕方がない. 砕いて言うと, 「ぶっちゃけ, 面白いから使ったんでしょ」と 感じるのだ. 「の」の文字の形を見てごらん, 見てごらん, と 迫ってくる.

先日カルフォルニアで寿司バーに行ったが, そのメニューの赤い表紙に大きく金色で「ら」と書いてあった. これも, どう考えても 「ら」という文字が面白いから使ったんでしょ, としか思えない. 北園の詩における「の」, あるいは, ボッケリーニの五重奏における♪について, たとえば「の」をその場所に配置するという作詩上のフォルムについて 議論することはできても, 「の」の字から誘起され実感される快楽について 説明することは困難である. フェチというものは, きちんと説明できるものではないのだ. したがって, ベートーヴェン的な偉大な構造性の前には退散するしかない. いや, ベートーヴェンにも交響曲第 7 番のように フェチっぽい作品はあるんだが, それは話をややこしくするから措くとして. 北園さんには「鳥小屋のメヌエット」とでも題して 一つ作ってもらいたかった.


----------------------

11 月 6 日: 当り前

ドラゴンズが日本一になったことが嬉しいと, ここに書いていなかった. 以前は世田谷に居て情報があまりなかったので, いろいろ書いていたが, 今では話す相手も多くて当り前になってしまったので, ここに書かなくなったの哉. 落合監督は素晴らしいと思う. 彼は部下を殴らないし, 本業に関して一徹であり場外で余分なことを言わない.

当り前のことを本にした, という意味で秀逸なのは "数量化革命", アルフレッド・W・クロスビー 著, 小沢 千重子訳, (2003), 紀伊国屋書店. 既に 99 年に12月10日:貪欲 で述べたように, 西洋文明の凄さは世界を等号によって結びつけ知の可搬性を高めたことであり, こんなことは音楽と物理に対して真剣に向き合っている人には公知なのだが, 本書はそれを丁寧に解説している.

この「当り前」は人によるわけで, わしは pilgrim たちが最初にアメリカにやってきたときに インディアンはトウモロコシの作り方を教えてくれて, そいつが thanks giving day の根拠なのだと現地の学校で教わった. チャールズ C.マンさんによると, 今でもそう教えているらしい. その背景にある常識として, インディアンたちはプリミティブな 状態であったこと, もう一つ, 疎, であったことがある. "1491 ―先コロンブス期アメリカ大陸をめぐる新発見", チャールズ C.マン著, 布施 由紀子訳, (2007), 日本放送出版協会 は, その常識を覆してくれた本だった. 著者は Science 誌の記者で, 半世紀にわたる 様々な分野の基礎研究の成果を まとめたのだという. 「へぇー」の連続なので詳細は省くが, わしが一番なるほど思ったのは, イギリス系アメリカ人たちが自由と平等を習った相手は インディアンだったということだ. 00 年 4 月 11 日:花見, モンゴルで 書いたように, 歴史的な帝国というものは 「俺も帝国の一員になれる」自由があるというシステムであって, アメリカが旧大陸と最も異なる部分はここだ. そうか, インディアンなのかと納得した次第.

で, そのアメリカがどう現在のアメリカになったのかを 住環境という点から解きほぐす本が "In the Victorian Style", Randolph Delehanty 著, Richard Sexton 写真, (2006), Chronicle Books. わしの今住んでいる家はビクトリアン・ハウス(商標登録済) という Victorian な建築で, その元祖はサンフランシスコにあるのだが, その Victorian house がどういうものであるかを サンフランシスコの街の発展とともに説明している本. 農場と寒村だったサンフランシスコ半島が 1846 年の合衆国によるカルフォルニア征服により開発されはじめ, 50 年代のゴールドラッシュを経て 19 世紀後半に Victorian house の建築ブームとなる. 10 年とたたない周期で Italian, Queen Anne などと 次々と新しい建築様式があらわれる. だが, 1906 年の大地震で Victorian 様式は一旦収束し, モダンになる. 1920 年代には, 「登るにも面倒な建物, 人も入れないゴテゴテ装飾された塔, 直に道に面しているので兵隊が守備しようもない」 などと酷評される. しかし, 狭い土地を有効活用するためには 縦に高くし, 庭を削り塀を排除するしかない. また, ゴテゴテの装飾は 狭い row houses で楽しく暮らすためのせめてもの慰めだ. 景観は大事だ. ということで, 本質的に都市に適応した住宅が Victorian house なのだ. しかし, 第二次大戦後の郊外の発達によってこれらの住宅群は うち捨てられ, 他の大都市に違わずサンフランシスコにおいても ダウンタウンは荒廃する. それを救ったのは 60 年代後半のゲイの人達だ. 彼らが都心部の古い住宅に目をつけ, 修復し, パステルカラーの ご機嫌な色を塗って, 転売するという作業をはじめた. しかし, 70 年代初頭においても市の消防局によって防火訓練の材料として 燃やされてしまったりしたが, 70 年代後半から徐々に上記の特徴が認められはじめ, 今では街の文化財兼住宅街となった. これだけ語るだけで, 結構アメリカの歴史がわかる.

アメリカ人はこの手の歴史を振り返るのが大好きらしくて, 幼少の頃のピアノの先生の家にも合衆国の鉄道の発展を写真と地図で 示した本が置いてあり, 毎週読むのを楽しみにしていた. その彼らにとって, 上記の "1491" はどのように読まれるのだろう. なにせ, ヨーロッパ人がもたらした疫病が, ヨーロッパ人よりも 人口的に多かった北米インディアンや中南米インディオを絶滅寸前まで追いやった, というのだから後味が悪い.

そういえば, 当り前のことが知られていない, という面で 赤木智弘さんの 「丸山眞男」をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。 を読んだ. 今年の 1 月号の雑誌論文なので, 今さらながら, という気もするが, 本日紹介している出版物のタイムスパンからすると 大したことではない. 本業の自然科学では「しらない」では済まされないことが多いわけだが, 本を読むのは本来自由だ. ともかく, コンビニのおにぎりを 100 円で食べられるのは, 年収 150 万程度のフリーター 400 万人が黙々と働いてくれているお蔭だ, なんてことは, 12 年間フリーターだった同時代人の わしからすると当然すぎること なのだが, 論壇?には衝撃だったらしい. 知識人, たちが, 気持ち良いくらいなぎ倒されている. わしも, 定職を得たあとで労組に入ったのだが, そのとき 「労組を必要としているのは私ではない」と言ってみたのだが, まあ言ってみただけなんだけど. 赤木さんの主張で面白かったのは, 年収が 500 万の中流になったら何をするか, という質問に対して 「弱者女性と結婚する」と答えたことだ. とりあえず, 強者は弱者と結婚しろよ, と. 自分は弱者男性なのだから, 強者女性は結婚してくれ, とも述べているが, まさにヒモになったわしは強者女性に拾われた弱者男性だった, ので 納得した. わしの友人でいてくれた多くの音楽家や, 知識人, であるはずの大学院生には, まだ自己責任論を適用する 余地があるが (お前らは賢いんだから専門を変えるなりして生き延びろetc.), 明らかにそうではない, 時代の負の部分を押しつけられた層が存在して, 彼らに自己責任を押しつけるのは胸糞悪い.


----------------------

11 月 1 日: トラッド

itojun さんが 亡くなられた. 90 年代を UNIX 界隈で過ごした人なら一度は綴りを目にしたことのあるはずの 偉大なハッカーなのだが, わしと同年齢だということをはじめて知って驚いた. もう少し上かと思っていた. 幼稚舎から慶應で, 塾高の頃から既に活動していたようなので, そりゃあ長い. IPv6 の記事をいくつか読んでいたので大学教員でもしているのかと 思っていたが, 経歴としてはソニー界隈におられて, 次に先月まで IIJ だったそうだ. わしもプログラマーもどきをしていたので, 我々東工大や東大とは違った 慶應の独特のオーラや, ソニー界隈のユニークな雰囲気などは, 間接的に感じとっていた. そこには, 情報工学的な諸々によって新しい社会を作るという活気があったように思う.

一方で, わし自身はそういう新しいものに憧れる反面, 伝統主義者なの だろうな. 結果的に選択してきたものは物理, 化学, 機械工学だから, 分野自体がトラッドともいえる. バイオが絡んでいるのに, 結局その 新しい部分の中心には行かなかった. 機械工学で飯を食う方法は, ほぼ確立しているから, 業界のルールについては悩まない. 田舎者でも大丈夫. どうして, 自分と対比させて考えたかというと, 少年(???)は荒野を目指す part 2 という告白を読んで, この人は魂の問題が, 未だに(???)全面にある, なんだか戦っている, その果てに今回の出来事がある, というように感じたからだ. こういう生き方は民間企業じゃ辛いだろう, と機械工学トラッドを 選択したわしは思うわけだ. しかし意外と情報工学の 90 年代ではそうではなかったのかもしれない. この 10 年で, 情報工学界隈がじわじわと「トラッド」化して きたために彼の生き方と衝突を生じた, ようにも読めまいか.

個人的には存じ上げないので, これ以上の何も言えないわけだが, 飯の記録などを読んでいると, 同じ店で食った記憶がかなりあったりして, なんだか切なくなる. ご冥福を祈ります.


----------------------

10 月 18 日: canna

/.の ATOK X3 for Linux、11月30日発売 などという記事を読んだり, 当サイトのアクセスログを読んで 相変わらず linux 関係へのアクセスが最も多い (が更新していなくて 済まない) ことを実感したりしていると, 「現在 canna を IME の主力に使ってる人って, どれくらい居るのだろう?」と いう疑問がわいてきた.

わしは, 未だに日本語は canna で入力することが圧倒的に多い. emacs あるいは kterm + kinput2 のどちらかによって文章を書いている. 句読点は「. 」(ドット+半角スペース)「, 」(カンマ+半角スペース) なのだが, MS-IME ではこの設定ができないし, そもそも主たる作業環境が linux だし. 最近は, 大型計算機のフロントエンドも大半が linux になってきたので, 何をするにも共通していて便利だ.

それにしても, linux のページを見にきてくれるのは嬉しいのだが 新しい情報をほとんど供給できなくて辛い. 何か業務上の秘密があるわけではなくて, kterm & emacs な環境を実現さえしてしまったら, あとの 細かいことは, どうでも良くなってしまった. 研究室周辺でも若い人は, 昔の自分のようにガシガシとオタクな努力を しているのだが, 最近は emacs でコードを書いて計算して結果を古い gnuplot で出して emacs + pLaTeX2e で論文さえ書ければ, 良くなってしまった. 業務上, MS Office などを使うときでも, 長文は linux の emacs 上で書いて, 貼り付けている.

SKK ほど原理主義っぽくなくて, 中途半端な canna.
もうサポートされているかも謎な canna.
たまには感謝を述べておきたい.


----------------------

10 月 1 日: お小遣い楽団


大人の科学 17号 にテルミンが登場!(定価 2,300 円), ということで 早速入手しましたよ. テルミン博士は, チェロ弾きでもあり科学者であるという, なんとも親近感を感じる存在ではあった. もちろん 竹内氏の本 「テルミン エーテル音楽と20世紀ロシアを生きた男」 は入手済だし, OHM+ the early gurus of electronic music という素晴らしいCD+DVD+本の洗礼も浴びている. しかし, なにせ本物のテルミンは 10 万円くらいするので これまでギャグで買うには高すぎる, ということで 電子楽器については通常のシンセサイザー (KORG 01/W ProX) で 我慢していた.

思い起こせば, 電子ブロックにもシンセサイザーの元祖みたいな 回路があって, 音程は「紙の上に鉛筆で塗りつぶした線」上に 2 つのリードを置いて, 距離を変えることにより調整するという 素晴らしいものだった. このような電子ブロック少年にしてみると, 「大人の科学」は, 心動かされないわけがない代物であり, メガスターが出たときなどは特に衝動買いしそうになったが, この「大人の科学」という企画自体が あまりにあざといではないか, と妙な反発を感じていたので 購入までには至ってなかった. だが, 今度のテルミンは我慢できなかった. . .

写真右側のマーシャルアンプは, 昔から知る人ぞ知る名器であり, 掌サイズなのだが 5,000 円くらいしたと思う. 当然, わしも所有していたよ (いや, 単に偶然なのだが SK1XGなどにつないで遊んでいた). テルミンに対してこれを使うのが王道だと学研のページにもあるが, 面倒なので, まだ改造はしていない.


そういえば, 我が家には素晴らしい楽器どもが他にも沢山あって, 子供連れの家族がやってくると音楽会を開かずには帰してあげない ことになっているのだが, その中でも品質の対価格比が一番だと思う楽器がこれ. 1,000 円のソプラノリコーダーながら「YAMAHA」謹製である. ちなみに, ダイソーの 100 円リコーダーも所有しているが, ちょっと音程に難がある. その点, YAMAHA は最高だ.

そこで, ふとひらめいた. 「そろそろ子どものお小遣いでも買える楽器による合奏が出来るのでは!?」.


これは, ちょうど 2 年前に入手したアコーディオンと, 1 年前 に入手したオカリナ.

厳選すると, この 4 つくらいになるけれども, 他にもカリンバやブルースハープ, ハーモニカなど 2,000 円未満の楽器が沢山ある. ジャンベは 8,000 円くらいしたので除外. 拍板は, 価格を思い出せない. 鍵盤ハーモニカはもっと高級.

ここまで考えて思い至ったのだが, これらの楽器って, 高音部の楽器ばかりじゃないか, ということ. 作曲するに際して, ベースがない. ベースを任せられる楽器で 2,000 円未満というものは, 思いつかない. というか, 1 万円以下でベースってあるのかなあ. もちろん中古は除く. 楽器屋さんで売ってる最低ラインのエレキベースも 2 万弱する. チェロも, 冗談みたいな中国製楽器を選ぶにしても 1 万円では無理だ. 考えてみたら, 小学校や老人ホームで行われる器楽合奏というのも, ベース楽器はほとんどない.

つまり, ベース楽器を演ってる, ってことは, それだけで大変リッチな出来事なんだ.
カエルども (モテるために, どんどん声が低音になっていった)に 教えてやらねば.
という, 思いもよらぬ結論に至った.


----------------------

9 月 15 日: 文献

と, ボッケリーニの悦楽について書いていたら誰か似たようなことを 言ってる人が居ないのはおかしいなあと思い, "One hundred years of Violoncello, A History of Technique and Performance Practice, 1740-1840", Valerie Walden, (1998) Cambridge University Press を購入. これは面白い. ボッケリーニ以前からロンベルクまでの チェロ奏法について徹底的に議論している. もちろん, トゥルテ弓に基づく奏法についても詳細に書いてある. しかし, 「トゥルテ弓がオーケストラに変革をもたらし チェロ協奏曲におけるボッケリーニの悦楽が終焉した」という見方では 議論していなかった. あくまで, 協奏曲のソロパート (や教本やソナタ)に使われるチェロ・パートの分析にとどまっている. あと不満なのが, 1840年までを扱っていながらセルヴェに ついての分析がほとんどないこと. しかし, Corrette, Cupis, Baudiotなどのフランスの作品について 良く書かれていて興味深い. DuportとBrevalという偉大な例外を除いて, 教育用に残っているのは ドイツ系ばかりだからなあ. ところで, この本の邦訳が出ないのは, 三木敬之のような出版社に対して力のある (としか思えない)マニア(藝大教授)が現在は居ないからか?

調子にのって, "The adventures of a cello", Carlos Prieto,(2006) University of Texas Press も買ってしまう. こっちは研究書というより現役演奏家のエッセーなので, 部数が出るためか安い. ハードカヴァーなのに$24.95だもんな. "One hundred years..." の方は 7,000円以上したからな. それでも, 高分子電解質や分子計算の本よりは安いのは, これが「音楽」だからだろうなあ. ともかく, ピアッティの弾いてたストラドを入手した メキシコを代表するチェロ弾きプリート氏の話なのだが, 彼の音楽に思い入れがまだないので斜め読みしかしていない.

さらに単価の安い本で, 683pもあるのに上と同じく$24.95だから 買った本で, "Mendelssohn, A life in music", R. Larry Todd, (2003) Oxford university press というのが今日届いた. 新書版 200p あまりで2400円の尾山真弓訳のWorbs本を 質と量ともに塗り替える存在だな. Todd さんは, 1979 年に Yale 大学に提出した学位論文の テーマからしてメンデルスゾーンなので, ここ5年くらいで やっとメンデルスゾーンの真の偉大さに思い至ったわしとは 比較にならない愛を持っていることが推測されるわけだが, それにしても, 斜め読みしたところでも, わしの見方とはちょっと違う. 図々しくいえば, わしの見方の方がちょっと面白いのではないかと思うので, 後で書いてみようと思う.

ところで, 欧米の書籍は専門書でも娯楽の書でも, ハードカヴァーが出てから数年後にペーパーバックが出る. 時流の最先端をフォローしていない者, 時流の最先端をキャッチアップしようとする者とくに 学生にとってはペーパーバックはありがたい. 原価の差額 (一応出版社時代に検討したので知ってる) 以上にペーパーバックを安く設定しているのは, 文化的行為以外の何者でもないと思う. いけてる文科系の本は日本でも文庫になるが (これでも, ほとんど Dover の世界だが), 是非, 専門書にもペーパーバックの文化を導入したらと思う. 吉岡書店の POD 版は素晴らしい.


----------------------

8 月 8 日: ボッケリーニの悦楽

最近, マイナーなチェロ協奏曲の収集を続けているが, ゲルハルトによるドイツロマン派チェロ協奏曲集 は, シューマン (1851 年) およびそれ以降の興味深い曲を 集めていて面白かった. フォルクマンはポスト・シューマンの最も有力な協奏曲とされていたし, FAEソナタで有名なディートリッヒ, 世紀末のゲルンスハイムと, いずれも力作ばかりだ. この CD の解説によると 19 世紀のチェロ協奏曲はシューマン (1851 年) に至るまで 何も作品がなく ( ロンベルクを唯一の例外とする可能性はあるものの), シューマンの作品は突然変異のように現われた, と 説明されている. 6 月 18 日に述べたように, シューマンの個性を考えると 本質的には当たっている ("超個人的な協奏曲" という意味で) のだが, チェロ協奏曲の歴史を考えると 少々違うような気がする.

このシューマンの名曲を解説する際には, チェロ協奏曲の歴史はこのように語られることが多く, 現在実際に演奏会にのぼるレパートリを見ても, 確かに 19 世紀前半のチェロ協奏曲はほぼ皆無である. 実はこの時期, 1803年の 4 番, 1824年の 9 番など, ロンベルクは 20年以上にわたって名作と呼べる作品を書き続けているし, デュポールの 4 番から 6 番も 19 世紀に入ってからの作品であり, 1839 年にはセルヴェにより, ついにパガニーニに匹敵する作品が 書かれており, もう一人のチェロ版パガニーニである オッフェンバックがチェロを弾きまくっていたのもこの時期であり, ドッツァワーも 9 曲の協奏曲を, またメルクも作品を残している. たしかに, 19 世紀後半のレパートリーはシューマン, ラロ, サン=サーンスからドヴォルザークと錚々たる作品が書かれているが, 前半においても決してチェロ協奏曲の歩みは止まっていたわけではなかった. 念のために, 室内楽については, 1795-1817年までベートーヴェンが, 1824年にシューベルト, 1838-46 年までメンデルスゾーンやショパンといった 文句無しの大作曲家がソナタを残しており, 不毛の時代ではない.

では, チェロ協奏曲の 19 世紀前半問題とは何なのだろう? これを理解するためには, 18 世紀のボッケリーニまで遡らねばならない. ボッケリーニは 作品表を見てわかるとおり, 1770 年代に協奏曲, ソナタ, および弦楽五重奏を 書きまくっており, 80年代以降も 1805 年に亡くなるまで 作品を書いてはいるが全盛期は 70 年代だといって差し支えないだろう. これらのボッケリーニの作品はチェロ弾きにとっては最高に愉しい. その理由の一つがチェロにとって「唯我独尊」状態だからだ. 協奏曲では, 1st, 2nd ヴァイオリンを従えて 高音の速いパッセージを弾く箇所が多い. 弦楽五重奏では, これまたヴァイオリンを押し退けてハイポジションで暴れまわる. ヴァイオリンから, 完全に「お株を奪う」状態だ. しかも, ヴァイオリンはソプラノでキンキン鳴るしかないのに, チェロには豊かなテノールおよびバスの 低音もある. こんな最高の楽器はない. 現在に残っている大半の合奏曲のレパートリーでは チェロはヴァイオリンに押されっぱなしなのに, ボッケリーニにおいては, チェロこそリーダーなのだ.

この, いわば「ボッケリーニの悦楽」は, 18 世紀末になると終焉する. 良く知られているように, ボッケリーニの晩年は酷いもので, 楽譜出版業者となっていたプレイエル (彼のチェロ協奏曲も捨てがたい 作品であるが) が "印税" を払ってくれないため, 頼むから払ってくれと下手に出ている手紙が残っている. しかし, わしは, このボッケリーニの晩年の没落の本質は, プレイエルの意地悪や, 勤務先のマドリッド宮廷の問題でもなく, 「弓」の問題だと思う.

1782 年に, ヴァイオリンの名手ヴィオッティと 弓の制作者トゥルテがパリで出会う. ヴィオッティはトゥルテの製作した腰の強いトゥルテ弓を用いて, ヴァイオリン協奏曲を 20 曲以上書いて弾きまくる. トゥルテ弓は現在に続く弓の革命的な形態であり, これにより, 腕の重みをフルにかけた大音量が可能となり, 跳びまくるスピッカート, 一弓の連続スタッカートなど 派手な技巧が可能となった. これを最も有効に活用したのが 1780 年生まれのパガニーニであり, これにより器楽における 19 世紀ロマン派が誕生したのは 以前に述べたとおりである. トゥルテ弓によりヴァイオリンの音量が大きくなると, どうなったか? 大きなコンサートホールでの演奏会が可能となる. オーケストラの管楽器がオーボエとホルンそれぞれ 2 本ずつの地味なもの (ハイドンやモーツアルトの中期までこの形態, モーツアルトでいえば「パリ交響曲」がはじめての 2 管編成) から, 2 管編成, 3 管編成と巨大化していき, ついにベートーヴェンの "第 9" や ベルリオーズの幻想交響曲を生み出す.

ちなみに, この流れを理解しなければ, モーツアルトが何故 1775 年 18 歳で最後のヴァイオリン協奏曲を 書いて以来, ウィーン時代にはピアノ協奏曲ばかりで ヴァイオリン協奏曲を書かなかったか, という問題も理解できないと思う. モーツアルトは, ピアノの急激な進歩には対応していったが, ヴァイオリンの進歩=トゥルテ弓による奏法拡大には 対応できなかったのではないか. オーケストラ楽器としてのヴァイオリンの大音量化に対応しては, 派手な管楽器群とピアノが繰り広げる, あのモーツアルトの 協奏曲の世界を作ったわけだが. ソロのヴァイオリンの進歩は, ヴィオッティからローデ, クロイツェル, シュポーア, パガニーニへと受け継がれていく. ベートーヴェンはヴィオッティに学び, クロイツェルのために書いている.

一方で, 我らがチェロはどうなったか? 比較的早い段階からトゥルテ弓に対応したチェリストとしては, ヴィオッティの盟友であった デュポール兄弟が挙げられる. 彼らの有名な練習曲の 10 番は トゥルテ弓を用いたサルタンドの妙技に捧げられている. デュポール兄弟が活躍したベルリンの宮廷には ベートーヴェンのボン時代の同僚のロンベルクも訪れている. ロンベルク自身の作品, あるいはベートーヴェンの変奏曲やソナタなど ベルリン宮廷関係の作品群を考えたとき, 両者も確実にトゥルテ弓を用いていたと思われる. しかし, ボッケリーニは, ソナタ集を見ても協奏曲を見ても, この変化に対応したようには見えない. 今や, 音量が増大して派手になってしまったヴァイオリンの前に, チェロは敗北した. チェロがハイポジションで吠えても, ヴァイオリンにやりこめられてしまう. だから, ロンベルクの協奏曲を見ても, ボッケリーニほど 高音を活用していないし, ロンベルクの個性としてスタッカートを嫌ったらしいので, パガニーニ的な一弓連続スタッカートを生み出すこともなかった. ベートーヴェンはというと, ロンベルクに 「ベートーヴェンさんともあろう方がチェロ協奏曲を 書くには及びませんよ, 私の作品があるじゃないですか」と言われて 書かなかったから, 後世から怨まれているわけだが, ともかく, チェロマニアとしては室内楽の方面に走ってしまった. ピアノとチェロが対等にわたりあう二重奏ソナタは, 真の "室内楽二重奏ソナタ" の完成を意味し, それはそれで感動的な出来事なのだが. もう, 多分ベートーヴェンがどんなに頑張っても, オーケストラのヴァイオリンパートを圧倒するチェロパートというものは, 技術的に書けなかっただろう.

結局 19 世紀前半は, パガニーニからヴュータンや メンデルスゾーンに至るまで, ヴァイオリン協奏曲にとっては夢のような 時代が訪れ, チェロ協奏曲は「埋もれて」しまった.

しかし, 最近, ここ 10 年ほど, 本日冒頭で紹介したゲルハルトの CD のように 19 世紀のマイナーなチェロ協奏曲がどんどん発掘されてきている. その中のいくつかは, ポッパーやフォルクマンのように チェロ弾きの間では有名な曲であるが, 20世紀末に発掘初演されたラフの 2 番や, アルテンブルクがその大半を 自筆譜からおこしたネルダの協奏曲全集のように "新しい" 作品もある. これらに共通することは, 独奏チェロの真ん前にマイクが置いてあり, デジタル編集バリバリのCD であるため, 「作曲者の思ったとおりのバランス」で聴ける, ということだ. 本日述べた理由により, ただでさえ, 独奏チェロの音量は オケに負けてしまっていたわけだが, それに加えて, 作曲者がチェリストでありオーケストレーションのプロでは 必ずしもなかったケースも多いように思われる. 生演奏至上主義からすると邪道なのかもしれないが, こうした 19 世紀の宝物を心地よく愉しめるのは, ある意味, ボッケリーニ以来の悦楽であるともいえる. 今後は 19 世紀前半, セルヴェのレコーディング, ロンベルクやドッツァワーの全集が期待される. セルヴェは, シューマン以前のロマン派にシューマンとは 別の意味で, つまりパガニーニ的なヴィルトゥオーゾが 存在したことを実証することになるし, ロンベルクは「つまらない練習用協奏曲」の代表と呼ばれるところを 汚名返上していただきたいし, ドッツァワーはビルスマらによる室内楽の復活録音で 単なる練習曲作者ではなく, ドイツロマン派の重要人物であることが 示されたので, 是非聴きたい. ということで, ロマン派のチェロ協奏曲は, シューマンの独創ではないということが 示される日は近いと思われる.

蛇足ながら, 以上のようなチェロ音楽の歴史というのは, 無理がないように思われる. 自分としては, 「ボッケリーニとは何だったのか?」 「19世紀前半にチェロ協奏曲が"ない"のは何故?」 といった素朴な疑問への, 明確な解答だと思う. が, 誰もこういう説明をしてくれないのは何故か? という疑問が次にわきおこる. まあ, 当然, 問題設定がおかしい, 解答が間違っている, ということもあろう. しかし, それ以上に, チェロについての書き物の多くは 本当にチェロを愛する人によって書かれているわけではないことが, 理由にあると思う. 本当にチェロを愛していない人にとっては, こんな問題はどうでもいい. たとえば後者の問題については 「ショパンやリストのピアノ協奏曲に匹敵するチェロ協奏曲はないでしょ?」 で, 終わってしまう. もちろん, ショパンやリストに匹敵するのは シューマンやドヴォルザークのチェロ協奏曲だ. でも, このような「どこに出しても恥ずかしくない名作」だけでは 楽しくないじゃないか. わしはドヴォコンを100回弾いたり聴いたりするより, セルヴェやドッツァワーの協奏曲も数回は混ぜて遊んでみたいな.


(2010 年 1 月 12 日追記: Horr によるデュポール弟の 4-6 番の録音を聞いた. チェロにおけるヴィオッティ (1755-1824) の正統な代理人が デュポール弟 (1749-1819) であることがわかる. 年齢的には逆であるが. たとえば 1801年の第 4 番などは,1795 年の有名なヴィオッティ 22 番そっくりな パッセージに溢れている※. たとえば 1 楽章の主題の提示が終わったあとの 16 分音符など. この録音の弦楽器群として 2-2-2-2-1 の小編成が選ばれた ことからわかるように,せっかくのヴィオッティばりの協奏曲なのだが, オケとのバランスはきわめて悪い. 実演で,19 世紀初頭に既に厚くなっていたオケ (たとえばハイドンの初演を行ったザロモンのオケを) を使ってしまうと, 聞き栄えのしない曲になってしまったということだ. ただ,ボッケリーニ (1843-1806) とほぼ同時代人であるにも関わらず, 20 年くらい遅れて,50 歳を超えてからデュポールが全盛期を迎えられたのは, トゥルテ弓のお陰であるともいえるだろう. 協奏曲第 4 番の 2 楽章あるいは 1810 年作曲のロマンスなどの世界は, そのままシューベルトのアルペジオーネソナタの第 2 楽章につながる "初期ロマン派" と呼びたくなるものだ. 考えてみたら,アンダンテよりも遅いテンポで 4 分音符を 5 つ,6 つ以上つなげて,途切れず,エスプレシーヴォで歌うためには 先弓に至るまで 弓の圧力が必要である.トゥルテ弓は,速いパッセージだけではなく 遅い場面でも近代化をもたらしたのである.

※ 蛇足だが,解説にはベートーヴェンやらモーツアルトの影響などと書いてあるが, これ,どう考えてもヴィオッティそのものでしょう. これはいわば「オケ・ピアノ中心史観」であり,チェロの歴史を考える上では 唾棄すべきものである. モーツアルトはチェロの歴史的に考えると本当に 存在が小さい.小さすぎて泣けてくるくらい,どうでもいい人だ. なぜなら 1 曲すらソロ曲を書いていないのだから. あと,良く言われる 3 曲の弦楽四重奏のチェロパートが多少技巧的であることなんて, 本当にどうでもいい.)


----------------------

8 月 8 日: そして君もタコに

先日, 某学会を 2008 年名古屋で開催するので, 何か標語を, といった話になった. 「せっかく丸八年に名古屋でやるんだから, "◯八名古屋は末広がり"をどこかに入れよう」と口に出してみて, ハタと気づいた. 88年に高校の文化祭のテーマ 「'88そして君もタコになろう」を提案してから20年経つのか.

当時は木村資生の進化論 (分子進化の中立説) に凝っていた. タコと二枚貝は同じ軟体動物なのに, タコの脳は発達している一方, 二枚貝は大したことがない. これは, タコは自分の殻を持たなかったため, 自分自身で知恵を持たざるを 得なかったからだ. さて, 君は自分の殻に閉じこもっていないか, 八本足のタコになれるか, みたいな話だったと思う.

それに比べると, ◯八名古屋は末広がり, ではインパクトが薄い. 思想としても浅い. 無理矢理いうと, 持続可能な成長, が八の字の形をしてればいいのか. あと, 名古屋市のマークが◯八であることは, 来訪者にとっては どうでもいい. つまり, この提案は内向きである. わしも, 名古屋とは一度決別し, 最近和解したとはいえ, 無意味に迎合する気はない. ということで却下しようかと思う.

そういえば, 名古屋と和解した, ということを何も書いていなかったので 簡単にまとめておくと. 子供の頃は名古屋が嫌いだった. ポイントは 3 つほどあって, 1. 管理教育で息苦しい, 2. 田舎特有の内向きな社会, 3. 文化が未発達, である. 1 点目について考えると, 愛知は工業県だからなんだな. 朝 8 時 30 分からきちんと学校をはじめる, というのは 真面目に工場を動かす, ということの子供版なんだな. 工場が動いているから僕らが暮らしていける. 自分の県に産業がなければ, 他県に出稼ぎに出るしかない. 良くも悪くもこれが現実だ. 2 点目は, 匿名性がない街であり, 未だに何とかならないかと思う. でもまあ, 自分の職場は全国から人材を集めているため, 個人的には救われている. 3 点目については, これは仕方がない. 関西は 2000 年近い歴史があり, 文化と富の蓄財がある. 関東にしても 400 年だ. 明治以降に限定しても 100 年以上も都だった. 名古屋は未だに都ではない. 日本の地方文化を考えると, 京都を起点に日本海側と太平洋側とで およそ対称的に発達している. 鳥取と岡山, 金沢と名古屋, といった感じ. 太平洋側は太平洋ベルトのお蔭で経済的に偉そうにしているだけなのだ. ということで, 名古屋は金沢ほどの文化があれば上等, と謙虚にならねば ならない. そう考えると, まあこんなものじゃないの, これから 100 年, 工業の都として栄えたら, 富も文化も蓄積されるのではないかと 思う次第.

ともかくも, 20 年たっても自分はあんまり進歩していないな.


----------------------

8 月 2 日: ボッケリーニとメンデルスゾーン

(1) ボッケリーニ死去の時期(1805年: わし注)は, ロマン派が若い世代の関心を占めていた. シュポーアはボッケリーニの音楽にあまり価値を認めなかったし, メンデルスゾーンはボッケリーニの五重奏曲の一つを評して 「人の好い, にこにこ顔の老人のかぶったかつらのようだ」と 語っている. 「名チェリストたち」, マーガレット キャンベル著, 山田 玲子訳, 東京創元社 (1994)

(2) 作曲家としてのボッケリーニが, 著名な音楽家たちからなぜ軽視されたのか, 理解に苦しむところである. たとえば, シュポーアにしても, ボッケリーニの五重奏曲については ごくわずかの評言しかしていない. しかしシュポーアは, ベートーヴェンに対する評価でも間違いを犯している. メンデルスゾーンは, ボッケリーニに対してすでにある程度の 評価をしていた. 「バイヨー家での夕べは, ボッケリーニの五重奏曲によって始められる. それは時代遅れのかつらかもしれないが, その下から, 愛想のよい 老人がほほえんでいる. 」(1830-1831年の旅便り) 「世界の名チェリストたち」, ユリウス・ベッキ著, 三木 敬之, 芹沢 ユリア訳, 音楽之友社 (1984)


(2) の本は出版されたときに読んだ記憶があるが, 当時は文庫本・新書と 古本しか買えなかったので手元になかった. 最近は, 大人買いをするようになって (1) の本を持っていた. (1) の方は, 情報量も多く新しいため, まあ (2) はなくても良いかと 思っていた. メンデルスゾーンがボッケリーニについてどう思っていたか, についても (2) のうろ覚えの記憶を (1) が塗りつぶしていたため, 「あー, わしの好きなメンデルスゾーンも同じく好きなボッケリーニに 対して厳しい見方をしていたんだなあ」と理解していた.

しかし, 再び読んでみたら, 大きな違いではないか! ボッケリーニの室内楽がヨーロッパ中でもてはやされたのは, 彼の楽曲が当時台頭しつつあった市民階層の 趣味に合致したからだと言われている. 約束事の多い通奏低音を排し, 単純明快にしたこと. 弦楽器たちを直感に訴えるパッセージで満たしたこと. ボッケリーニはその意味での室内楽の創始者の一人であり, ハイドンとモーツアルトで頂点を迎える. そこで, そもそも, 家庭内の音楽環境が恵まれており, 室内楽(どころか 家庭内管弦楽まで)を愉しんでいた「育ちの良い」フェリクスが, 同じく趣味の良いボッケリーニの室内楽を理解できないはずがないではないか. また, この二人はチェロを愛好したこと(フェリクスの場合は弟が チェロを弾いて自分はピアノを弾いたわけだが), 作曲家として「最初から完成されている(発展性が乏しい)」と言われていること, 「深刻さが足りない」と言われていること, など共通点は大変多い. シューベルトが弦楽五重奏曲で直接ボッケリーニからの影響を受けたような 形での影響はメンデルスゾーンに対してはなかったかもしれないが, ボッケリーニの音楽, ハイドンとは異なる古典派音楽のありよう, などは理解していた筈と考える. そもそも, メンデルスゾーンの父親はプロの作曲家としてのデビューを認めるか どうかの判定をケルビーニに委ね, ピアノ四重奏を提出した. ケルビーニは, ボッケリーニより少し後に彼同様イタリア出身であり パリで成功した音楽家である. 器楽とオペラという違いはあれども, イタリア的な歌謡の魂を 古典形式に落としこんだという意味では同じ類の仕事をした人だ.

(1)の著者のキャンベルさんはジャーナリストであり, (2)のベッキさんはチェリストである. (2)では, チェロの立場に立った物言いが, 他の部分にも多い. チェロにまつわる言説は乏しく, その数少ない資料もこのように 歪められている場合が多い.

その最たるものが「チェロにとって19世紀は暗黒の時代であり, 20世紀にカザルスが光をもたらした」というような言い方だ. 落ち着いて19世紀ロマン派の時代を俯瞰してみると, 決してチェロの音楽が途絶えたわけでもなく, カザルスが救世主として全てを救ったわけではないこともわかるはずだ. カザルスは確かに右上腕の動きを自由にしてボウイングに自由をもたらし, 左指の叩くようなフィンガリングによって明解さをもたらした. 結局, コンサートでチェロがいくぶん派手に鳴るような工夫をしたのだといえる. たしかに19世紀のチェロは酷い言われ方をされていた. その根本的な原因は 「コンサートで聞き取りにくい」ことによる. 音の通りで, ヴァイオリンやピアノに負けてしまう. 先日も, 堤剛さんと竹沢恭子さんのチェロとヴァイオリンを聞いたが, 竹沢さんの音に圧倒された. ストラッドなのかしらん. でも堤さんもゴフリラーを弾いてるそうだから, 楽器の挌の問題ではない. 60代の堤さん, ノリノリ30代の竹沢さんという年齢の違いはあるかもしれない. しかし, やはり根本的にチェロは未だにどんなに頑張ってもヴァイオリンよりも 音が通らない楽器なのだと思う. 多分, これは事実だと思う. 19世紀, カザルスが現われる前は, この差はもっと大きかったのだろう. だからチェロは叩かれたし, カザルスの存在は大きく見えた筈だ. もう一つ, カザルスの現われた時代は SP レコードの黎明期であり, レコード会社の宣伝の効果も世間のカザルス評に対しては大いに 含まれていると思う. バッハの無伴奏チェロ組曲を「発見」したという逸話についても, この手の作為を感じる. それ以前に, たとえばクレンゲルなどは 教材として普通に使っていたのだから. まあ, そうした余分な効果を除いても, カザルスは十分偉大であり, 芸術家の存在価値が今よりもはるかに大きかった当時の 世界の平和に対しても重要な存在であるとは思うが.

ごちゃごちゃになってしまったが, 要するにチェロの音楽について 考えるときには, 書いてあることを鵜呑みにするのではなく, チェロが鳴ることについてもっとも近い立場にある人達が どのように取り組んできたかを冷静に見極める視点が重要だと 言いたかった. だから, 最も多くの情報が含まれるのは楽譜であろう. ということで, つぎに楽譜を眺めながらボッケリーニから ロマン派に至る流れについて考えたいと思う.


----------------------

7 月 12 日: 金子万久先生を悼む

アコーディオンの金子先生が昨日亡くなられた.

金子先生はオルフェウス・ゴーシュの相方の段の師匠?であり, それ以前に, 赤坂のビアホールで歴代総理大臣や有名人の前で アコーディオンを弾き続けた, まさに昭和を代表する アコーディオン奏者である. 金子先生は, アコーディオンの深さと広さを示してくれた恩人である. オルフェウス・ゴーシュとして最初に立たせていただいたステージが 金子先生主催の「アコーディオン・パラダイス」という会であり, そこから, わしの音楽人生の第3幕がはじまった. ちなみに第1幕はピアノで第2幕はチェロと出会ったことである. その後も, アコーディオン・ジャーナルで取り上げて下さったり, 演奏会に来て下さったり, 数えきれないほどお世話になった.

アコーディオンは, 大人の楽器だ. 大人になってから楽器をはじめるなら, 断然アコーディオンを勧める. ヴァイオリンやチェロは難しい. まともな音が出るまで時間がかかりすぎる. ピアノは孤独だ. 大人になってから音楽をはじめる動機の大きな成分として, 人と出会いたい, というものがあるだろう. ピアノを通しての人づきあいというのは楽器の性格上難しく, ヴァイオリンはそれより簡単で, アコーディオンはもっと簡単だ. アコーディオンを持って, 街に出たらいい. あるいは楽器屋さんをふらついていたら, 笑顔のアコーディオン弾きのおじさんに出会えるだろう. アコーディオンは, 持った人の個性がすぐに出る. 段のような音楽, OMさんのような可憐な音楽, TAさんのようなセクシーな音楽, 見栄っ張りの人はそれらしく, 気難しい人はそれらしく, 楽天的な人はそれらしく. アコーディオンの生演奏を聴くたびに, この楽器はなんて多彩なんだろうと思う. ジャンルとしても, クラシックからシャンソンやジャズやロックまで, 何でも表現することができる.

そういうアコーディオンの世界の広がりを 教えてくれたのが金子先生だった. 先生の周りには, いつも華があるようだった. 憧れのいい男だった. 出会った頃は70歳を越えられていたが, いつも周りに女性がたくさんいた. 先生は40代半ばで20ほど若い奥様とご結婚されたそうだが, いい男とはかくあるべしと学んだ. そこで, 凡人のわしとしては20代で結婚した. 先生は江戸っ子だった. 「手風琴の調べ」をいただいたときから, 粹だな, と思った. これ以上の江戸っ子でいい男, という方とは 出会えないだろうと納得して, 今では田舎に引っ込んでいる. 都会に出て良かった.

元孝から万久へと, お名前を変えられて, 最近は年賀状だけのおつき合いになってしまったが, いつも演奏の方はどうかとお気遣い下さっていた. お年を感じさせず, 常に時代の先端に目を開かれていた. ガニアンさんのアルバム を紹介すると言われたのも 金子先生である. 誰か他の人のライブにいっても, 気がついたら 金子先生の音が聴こえていた. だから, いつまでも聴けると思っていた. いつか天国で聴かせて下さいと電報を打った.


----------------------

6 月 18 日: ヴィルトゥオーゾ讃

チェロやピアノ、シンセや二胡や鍵盤ハーモニカなどを弾いていると すっかり忘れてしまうことがある. それは, 世の中では圧倒的に「音楽=歌(ヴォーカル)」だということだ. 器楽ではない. このことは 日本レコード協会の統計 などを見ても明らかである. そんでも, 楽器が好きな人っているじゃない, と Amazon.co.jpの番付 を見たりすると, 「のだめカンタービレ」関係なのか, ショパンやラフマニノフのピアノ曲が売れ筋で, ちょっと置いてベートーヴェンの交響曲と続く. レコード全体から歌を取り除くと, ロマン派のヴィルトゥオーゾが人気だということがわかる. まあ, 日本ではクラシック音楽といえばまずピアノ音楽がきて, ピアノ音楽といえば ショパンやラフマニノフといった ヴィルトゥオーゾが好きなのだ. (ちなみに アメリカのAmazon だと, かなり雰囲気が変わってミュージカルなどを除くと ジョシュア・ベルとヨーヨー・マが人気. ピアノではHamelinによるハイドンのピアノソナタが何故かトップ. )

長らくピアノの相棒をしてくれている O 君は, ここ何年かゴドフスキーやカプースチンに凝っていて, ヴィルトゥオーゾ道をひた走っている. で, 彼が言うに「チェロではそういう音楽はないのか?」と. ポッパーはどうだ?と聴くと, うーむ, もっと派手なのはないのかと. チェロの旧友の T 君にこの話をしたら, 普通に一番凄いのはグリュッツマッハーの下巻じゃないのか, と.

たしかに, ピアノにおける ショパンやラフマニノフのような明らかなヴィルトゥオーゾの 音楽は, チェロでは流行しない (この二人のチェロソナタのチェロパートは "技巧的"の対極にある). チェロ協奏曲でロマン派の4大協奏曲といえば, シューマン, サン=サーンス, ラロ, ドヴォルザークだ. これに, チャイコフスキーのロココとエルガーをつけたら, レコーディングされるレパートリのほぼ全てになるわけだが, 彼らは いづれもチェリストではない. まあシューマン以外は, 比較的チェリストの "手癖" を理解して書いている感じだが. シューマンなんて, こんな感じだ.

これほど, 反ヴィルトゥオーゾとでもいうか, 技巧よりも内面の告白を重んじるかのようなパッセージがあるだろうか. すごく深い何かを問いかけてはいるが, 観客の衝動的な拍手を 禁止するかのようである.

そこで, 最近, ロマン派のチェロのヴィルトゥオーゾを探す旅に出ている. そもそも, 器楽におけるロマン派とは, パガニーニによって創始されたものだ. ショパンもリストも, ピアノのヴィルトゥオーゾ達はパガニーニに憧れて ロマン溢れる奏法と作品とを生み出した. この事実は, あまり強調されていないが 強調しすぎて損はない. ロマン派はヴァイオリンの方がピアノより先行していた. これは, 楽器としてのピアノフォルテの完成が1810年代である一方, ヴァイオリンのトゥルテ弓の完成が1780年代であったことに起因するので, 時代的な必然ともいえる. 圧倒的な音量と跳躍性に優れているトゥルテ弓を最初に活用したのは ヴィオッティと言われており, パガニーニが決定的な使い方を示し, ベリオからヴュータンなどに受け継がれていくわけだが, ヴュータンはペテルブルグ音楽院で教えている頃にダヴィドフと出会っている筈だ. そう, チェロでヴュータンのようなコテコテのロマン派のヴィルトゥオーゾを 探す旅の先には, ダヴィドフがいるんじゃないか.

上のシューマンの譜例と比べて, なんと華やかで, パガニーニのようではないか. しかも, 派手なわりには指使いに無理がない. この曲は, ダヴィドフが 20 歳のデビュー作として自分で弾くために書いた 1 番の協奏曲だが, いかにもロマン派の天才青年の登場に 相応しい, 苦悩とロマンスと技巧に溢れている. さらに, 技巧だけじゃあねえ, という批判に答えておくと, この曲全体は "F#-G-F#" のモチーフに貫かれていて, ブラームスの第 2 交響曲 (D-C#-D) と同等の計画性に基づいて設計されており, チャイコフスキーの交響曲の 4 番や 5 番のようにモチーフをあからさまに 切り貼りしていない分だけ高級だといえる.

興味深いことに, 今ではバッハやベートーヴェンの録音によって 知られているパブロ・カザルスは, ヴァイオリンのヴィルトゥオーゾであるラロの協奏曲によってデビューして, ロシア演奏旅行の際には ラフマニノフの指揮でダヴィドフの協奏曲を演奏している. もう一人のチェロのロマン派のヴィルトゥオーゾの代表である ポッパーの曲は全曲演奏できたそうだ. という感じで, ロマン派のヴィルトゥオーゾのノリが全開であったのに, 20世紀中盤になると, 時代遅れ, になってしまったようだ. それにしても不思議なのは, ショパンやラフマニノフの音楽は 時代遅れと叩かれなかったのに, どうして チェロのヴィルトゥオーゾたちは埋もれてしまったように見えるのだろうか. たとえば, A. ルービンシュタインなどと同様, 国民楽派的ではないのが 問題なのだろうか? ダヴィドフはラトヴィア人でポッパーはユダヤ系チェコ人だ. そういう括りではないという気がする. ダヴィドフもポッパーも, チェロの国の皇帝であり王である. それでいいじゃないか.


----------------------

6 月 15 日: そもそも

最近「そもそも」論に凝っていて, 大学院の集中講義に 呼んでいただいたときなどに「そもそも」論を語っている. ソフトマター界面を支配する 3 つの相互作用 (ファンデルワールス, 水素結合, 長距離クーロン) についての話なのだが, そもそも, これらの力が全て分子上の電荷の偏りやゆらぎに 起因するものである理由は, そもそも, 分子の世界では 4 つの基本相互作用 (強い相互作用, 弱い相互作用, 電磁気相互作用, 重力相互作用) のうち電磁気相互作用しか 働かないからだ, といった感じ. 身も蓋もない力の計算をして, このような基本を押さえてみたら, なかなか面白かった.

こういう話は理系なら学部の 1 年生あたりで必ず習っている筈なのだが, 自分でも細かいところは忘れていたので他人のことは言えない.

週刊誌を読んでいたら, フリーのジャーナリストになった池上彰さんが, 同じような感じで「そもそも論は面白い」と語っていた. 曰く, 番組製作の現場で「中国と台湾が何故仲が悪いの?」と 真顔で聞いてきたスタッフがいた. そこで, そもそも論の登場だよ, と.

ただ, そもそも論だけでは「実務」はまわっていかない. たとえば, 先の自然界における 4 つの基本相互作用が 実は 5 つだったよ, とか, 4 つの相互作用の起源を統一的に説明することができたよ, と いった, そもそも論の根底を揺るがすような仕事をしたならば, アインシュタインもびっくりなわけだが, 通常の仕事はそんなに高尚ではない. この結果, そもそも論は眠りについて, 淡々と日常が過ぎていく.


----------------------

5 月 9 日: anonymous

このサイトも11周年となった. 感謝感謝.
開始当時は blog もなかったわけだが, 世の中を見ていると blog 化しなくて良かったような気もする. 基本的に一人言だし.

ただ, 音楽も仕事も一人言で済むことではなくて, やる仲間がいたり聴いてくれる人がいたりして, はじめて, なんだか生きている, という実感がわくものである.

最近は, 見知らぬ人が「良かったよ」と言ってくれる機会が増えてきた. 誰かに推薦される. 音楽のライブだったら, 拍手をしてくれたり キスをしてくれたり(嘘)して, 直接的にウケが伝わってくるのだが, 研究の場合は, 会場の隅で難しい顔をして聴いていた人が, 実は味方をしてくれたりする. あるいは, 論文や本の見知らぬ読者が, 視界に入っている人よりも深い理解を示してくれたりする.

これは大変ありがたいことだ. でも, 論文の引用ならともかく, そうでない褒めてくれ方だと, 匿名, anonymous なことが多いから, 直接お礼が言えない. ああ, そうだ. だからお礼を言っておかねば, と思って書いている次第. 日本語だけでは足りないのだが.

で, anonymous は凄く悪いことのように言われている. 以前, わしもそのようなことを 書いた ことがある. でも, 研究で他人を褒めるときの匿名性 (ピアレビュー) は悪いことではないのかな, と 思い至った. 誰が自分のことを褒めているのかが明確にわかってしまった場合, それ以降の自分の仕事の方向性をその人に合わせがちだ. たとえば, 仕事というのは何かに依拠して行うものだが, 正邪をチェックする判断行列の先頭にその人の基準を入れてしまう. でも, それは科学的な方法ではない. 別の観点では, 褒めてくれる人がいる一方で必ず貶す人もいる. 自分だって他人の仕事を貶したりすることがあるわけだから, 逆も真だと思った方が自然だろう. そうすると, 業界全体に対する感謝の念が薄まる. 本来は, 業界全体に対して感謝すべきなのだ. 聴いてくれて, 食わせてくれてありがとう, と.

などなど.


----------------------

4 月 28 日: クラシックおたく

今日は職場の偉い方に誘っていただいたオケのトラの本番で 「英雄」を演奏するのだが, 朝練習をして, ようやくそれらしく 弾けるようになった. 考えてみたら, このページにしても最近は クラシックおたくのモードが全開で, たしかにチェロ歴四半世紀以上なのだが, 実は「英雄」どころか交響曲の本番にのったこと自体が 数えるほどしかない. 室内楽の本番は, それよりは多い. 自作自演やバンドのライブは, もっと多い.

客観的に考えると, ワッシー帽子もかぶらず, 猫メイクもせず, 理工系の研究者でございといった風貌でチェロを弾いていたら, 普通は凄くオーケストラ歴が長そうに見えるだろうなあ. 生活に余裕があったら, 学生オケにも入ったかもしれないのだが, その辺が分岐点だったのだろうか. チェロがヴァンヴァン鳴るのが大好きなだけで, その意味でオケも好きだが他のこともしたいので.

偽オケメン, という意味で似てるのは, わしの英会話もそうだよなあ. 先週仕事でアメリカだったが, 発音はオハイオ州訛りなので 相手が一瞬だまされるが, 当方の表現力は恐ろしく低い. 相手には語彙の少ないデーブスペクターの 日本語みたいに聞こえるんだろうな.

そういう意味で, 人生偽者ばかりで, ランバッハの庭. でも, たとえば生涯数回しかレッスンを受けていないという 宮澤賢治よりは, 普通の尺度で考えて, わしの方がチェロを弾けるん だろうけど, 誰も賢治のチェロが偽者だとか本物だとかを言わない. 何か偉大なものに接続していたら, 判ってもらえると考えるべきか.

今日の本番ではラモーもやるんだけど, ラモーって, 40歳くらいになるまで啓蒙主義者あるいは和声理論の人として 知られていて, まさか人々を喜ばせるような類の音楽を作ることが できるとは思われていなかった, そうな. 「人々を喜ばせるような類の音楽」って, いいよなあ.

そういえば, ロストロポーヴィチが亡くなられた. 10年ほど前になってしまうが, ペテルブルグの国際チェロ大会にて 指揮を観て, 20年ほど前にドヴォコンを生で聞いた. 同じ時代に生きていて良かった. チェロ弾きの天国というのは どこかにあるのだろうか.


----------------------

3 月 12 日: トレーニング

チェロ部屋とサイレント化チェロとまともな軽い弓のお蔭で, 最近はトレーニングが捗るようになって, 林良一先生の TRAINING ON THE CELLO 腕を磨けばチェロが鳴る の第 2 巻を昨年の年末から 3 月にかけてやり終えて, 自己満足の境地に達している (ちなみに, この第 1 巻は品切れの店が多いですが, わしの行きつけの楽器店にありますので知りたい方はメールください). 親指のポジションやスピッカートで弓を飛ばす練習, ハイドンの 2 番の嫌なところ (h-moll のかけあがるアルペジオ) をはじめとする嫌なパッセージの練習, など, 一つ一つ凝りをほぐしていくようで楽しい.

エチュードは, 相変わらず Rummel の録音を励みに, Popper の Op.73 (High School of cello playing) をちょっとずつ弾いているが, これもかなり自己満足. 林先生の本は, また再度摘み食いでやるとして, 他に何か良いトレーニング方法はないかなと思ったら cellistin さんのページ に, かなり具体的な紹介があったので プリントアウトして譜面台の上に載せてある. が, Dotzauer の 77 番といわれても, 34 番までの楽譜しか 持っていなかった, などと穴が気になるので, everynote.com で 2 巻以降を購入. ここはちゃんと金を払って pdf を買うオンデマンド の 店なのだが, 激安. 何かの楽譜のコピーなのだろうが, ときどき, 印刷が曲がっている. サン=サーンスの2番のチェロソナタなど, Durand だと 一万円くらいするものが数ドルで買える. 日本の輸入楽譜店だと高い出版楽譜は sheetmusicplus.com で買っている. ここは大抵の楽譜が手に入る. ときどき特定の版元のフェアをやっているのでお徳. 楽譜の図書館としては, 愛知芸術文化センターも良い感じ. 莫大な住民税を払っているから利用しなければ. チェロの楽譜については, 専門家は音大の図書館などにいくだろうから, マニアックな楽譜ほど大変美しい. Korngold の協奏曲など, 「ひとめ見たい」という楽譜を借りまくっている. 青空文庫の楽譜版としては, 逆引き無料音楽辞典から 謎のロシアのサイトにいくと, いろいろある. unideb には, Kummer の二重奏など, マニアックなチェロの曲の楽譜がある. 以上で, チェロの練習曲は世の中に出ているものについては大体揃えつつある.

トレーニングは結局, 生活の糧を得るためでない場合は完全な 自己満足なのだが, 指や腕が喜ぶからまあいいのかしらん. この影響がピアノにまで波及して, ハノンやピシュナを買い直して 弾いている. ピアノの場合は, 幼かったせいもあるが, こういう反復練習が嫌いで仕方がなかったのに, 今では愉快なものだ. これが義務になると, また嫌になるのかな.


----------------------

1 月 23 日: 蒟蒻

郊外暮らしで面白いのは, 園芸用品や近所でとれた野菜や米を 農協で買えるということで, 2週間に一度くらい JA にいっている. そこで見つけた素晴しいものの一つに, 「きしめん風生芋コンニャク」と いうのがあって, 一袋 100 円. これで大体ご飯一膳分ほどあるので, 夕食の炭水化物の代わりにこれを食っている.

これまでは, 糸コンニャクを, ご飯の代わりに使っていた時期も あったのだが, 糸コンニャクは今一つ味が乗りにくい調理法があるので 長続きしない. たとえば, キンピラなど醤油系の味付けや鍋物には 良く味が浸みるのだが, 洋風の調理法には向かない. ところが, このきしめんコンニャクだと, パスタのように トマトやベーコン, 庭でとれたルッコラと オリーブ油で炒めたりしても, とても自然な感じでおいしく食べられる. もっとシンプルに, 庭でとれたパセリとバター炒めにしても食べられる. 中華風スープに入れるとラーメンのようになるし, 糸コンニャク同様キンピラや鍋にも入れられる.

今度は, 白米のご飯と真向から勝負, ということで, 茹でたきしめんコンニャクに, 今流行の納豆をかけて食ってみようと思う.
→食べてみたらうまかった. これはいける.


----------------------