2019 年の What's New!

最新のWhat's New
ここからしか飛べない過去のページもあるよ.


----------------------

12 月 27 日: 研究ベーシスト

今年の御用納め?に際して,また研究にまつわることを書いておきたい. 今年は,大きなプロジェクトをサポートするということが,いくつか始まった. 昨今の研究はチームを組んで行うことが多いが, いろいろなチームに誘っていただいて,実際に共同研究が始まっており, お役に立てればと思っている. たとえば,これまでは企業の共同研究者や,高専(我々独立大学院にとって 優秀な学生を送り出してくれる大事なパートナー)の方々を長期間迎え入れる ことは多かったが,今年からは他大学の大学院生さんが多くなった. 共同研究のためである. ここでも,研究の中身を書くことは,ご迷惑をかけるかもしれないので, わしの「研究者としてのスタイル」について気がついたことがあったので 書いておきたい.それは,わしは「研究ベーシスト」なのかもしれない, そして,それは稀なことかもしれない,ということである.

大学さんとの共同研究は,一緒に申請書を書いて,グラント獲得を狙うわけであるが, もちろん,当たる場合もあれば当たらない場合もある. ともかくも,提案してみないことには始まらない. で,ある大型プロジェクトをある先生たちと提案して作成していたある日のことである. 「ワシヅさん,あなたいっぱいプロジェクトやりすぎじゃないですか?(意訳)」 という連絡がきた.「今,e-rad を見たら,あなたの項目,いっぱいあるじゃないですか. こんなにあったら,エフォートの計算が狂うし,当たっても取り上げられるかもしれない(意訳)」と.

おおお,それですか.たしかに,わしの e-rad は賑やかです. 科研費だけでも,既にいただいているのは挑戦的研究(萌芽)ですが, 新学術領域にも出している(ので,計画班代表と総括班分担の二項目がある)し, 基盤 S, 基盤 A,基盤 B,挑戦的研究(開拓)まであるし, ほとんど応募できる奴,全部ある. でも,ですよ,その中の基盤 S, 基盤 A,基盤 B は 4 月の段階で全て 残念ながら落ちているのです.挑戦的研究(開拓)もだった気がする. 新学術領域だけは,先生だけにはお伝えしますが書類が通ってて,今度ヒヤリングです. なので,大半がダミー,というか奮闘の跡と申しますか.

そこまでお伝えして,ふと「魂の問題」に思い至った. たしかに,こんなにいっぱいグラントプロポーザルをしてる人は珍しいのかもしれない. でも大半が「分担者」なのだ.新学術ですら依頼されて参加していて, 分子計算や MI の新規アルゴリズムに関してはわしが責任を持つが, どんな材料を解析するのかについては,実験の先生方ドリブンである. 言い方は悪いが,お手伝いをする,という側面が研究代表とはいえある. その申請書を作成中のプロジェクトにしたところで,わしは分担者だ. 分子シミュレーションが「分析技術」だ,というのはそういうことだ. 放射光施設の人がいろんなサンプルを分析してあげるのと同様, わしの工房ではいろんな分子集団の動きを解析する. 当然,モデリングは工夫をするし,現象の発現についての学理について 独自の見解もあるわけだが,まあ基本は「見える化」をしてあげているわけだ. 主従関係でいえば従で,音楽でいえば伴奏だ. ベーシストだ.そう,バンドでいえばベーシスト.クラシックでいえばチェロ弾き.

物理,化学を問わず,物質を研究する大学教授の大半は,ギタリストだ. 新曲を作ったぜ.俺の新曲を聞いてくれ.イントロはこんな感じだぜ,みたいな. その曲が超いかしていたら東大教授で,まあまあだったら地方公立大学教授だ. いずれにしても「自分の歌」がある. わしは,まあ,普段,オリジナルのバンドなどに参加するときは, じゃあ,そういう曲だったらベースラインはこうだわな,みたいな感じで 自分のパート譜を紡いでいく.間奏にこんなリフを入れてくれよと 言われたら,ほいほい,と演奏する.なんかわからないけど,かっこいい オブリガートを弾いてくれと言われたら,こんな感じ?って感じ.

普通は,強烈な「俺の曲」がなければ,アカデミアでは PI として生き残れない. そうではなく「従」で良いのだったら,企業の研究開発のチームに入った方が 精神的に楽だ.アカデミアで,オリジナルの説得力のあるプロポーザルを通すためには 実績も必要だから,なかなか若手は大きな金額にはアプライできない. 結局,強烈な個性のオッサン(おばさん)ばかりが残ることになる.

分子シミュレーション屋の場合,基本的には「新しいアルゴリズムを提案すること」が 偉い,ことなので,ノリが理論物理学者と一緒になる. 理論物理学者は,全員が,ギタリストの中のギタリストだ. 世界より俺の方が偉い,と言いかねない. なので,わしみたいに,他人からの分析依頼をほいほいと引き受けるような人は 少ないし,引き受けるにしても「これは新規アルゴリズムのテストですよ」といった 思わせぶりな修飾語を伴うし,もったいぶらずにホイホイと引き受けるわしは, 便利な人だと実験の人々に思われる反面,同業者からは下品であるとか 「月並み」であると思われているのではないかと推察する.

そういうことを言う奴がいたとしたら,音楽を,もとい科学をわかってない. 自分しか見えてない.ベーシストには,ベーシストの矜持と喜びと 創造性があるのだ.レントゲン技師が病変を観察することを想像したらわかるように, レントゲン氏,X 線で生体組織を観測する手法そのものを開発する,ということは 歴史上,そんなに何度も起こることではなかろう. しかし,おそらく,分析手法の詳細については日々,少しずつ進歩しているのであり, 見る対象についての学理構築は,彼らも行っているのであろう. 分子シミュレーション屋が,「これは新しい方法だ.なんとかかんとか,だ」と 偉そうに言ってるのは,言い方の度合いの問題で,我々,ベーシストを自覚している 研究者も,地味に,新しい方法を提案している.実際の役に立てればいいと思っているので, 俺が俺が,と威張らないだけだ.

こういう地味な態度が好きな研究者は,普通は生き残れない. 仲間を増やすこともできないので,表舞台(のベーシスト)にはならない. わしは,気がついたらベーシストのまま,仲間がいっぱい増えて, ライブの機会も増えて,参加するアルバムも増えて,多謝,多謝です.

本当に自分でオリジナルで研究したいテーマは, 何度も言ってるように「生命の起源」である.複雑なたんぱく質や核酸を 理解することよりも,ソフトマター物理を,物理化学の問題 (物理と物理化学の違いは,個々の物質の構造をきちんと考えるということ) として捉えて,界面における分子集団の挙動,複雑流体の性質などを 考察していくことだと思う. これは,トライボロジー,機械工学や水圏機能材料と共通する要素が てんこもりなのである. なので,このテーマは全ての分担研究にも通底している. そういうテーマしか一緒にやっていない.けど,「生命の起源」で グラントを取るのは大変なので,通常研究で取っている. なので,ベーシスト人生を謳歌していても,何も困らない. というか,友人が増えることは,むしろ喜びである.


----------------------

9 月 16 日: 終身雇用で働くということは,内側から変革を続けるということ

数か月前のニュースですが, 意識高い系の人材系企業の人々が大喜びしているニュースがありました. 終身雇用を守るのは難しい,と某社のトップが仰ったという件です. 今日は体を張って終身雇用の逆を生きている立場 (30 歳で初めて正社員になって,3 回職場を変えてる者) から,終身雇用を擁護したい.

三河武士が作った傑作なシステムは,江戸幕府とT社であることは何度か述べています. そのミソは,「イノベーションをもたらす ”外様” と,結束力の根源である ”親藩・譜代” を 上手にハンドリングするシステムを作った」ところです.

普通の中小企業は同族経営から大半は始まりそこで終わるので,いわば ”親藩・譜代” のみで 成り立っているといえる.創業者や創業時の技術者のアイディアがいけてれば, 会社もいけてるわけだ.しかし,それでは会社は大きくならない. 経営の軌道にのった企業が次に必要なのは,外部からのイノベーション. そんなに簡単に創業者の近くで新しいアイディアがぽんぽん出てくるわけないから. 企業を雪だるま式に成長させるのは ”外様” であり,この ”外様” をどう評価し, 活かすかが,地元の中小企業にとどまるか,世界企業になれるかの分岐点です.

たとえば T 社の中で,まともに機能している部署は,議論をするときに「否定から入らない」. これまでうまくいってきた方法に安住しない.トップが危機感を常に煽り続ける. カイゼンの芽は,外部からやってくる.まあ内なる外部でもいいんだけど. ”外” を大事にすることを社是とする.なので,外様な人々が, 自分がアイディアを提供しても良いのではないかという気分になる. 実際,そういう人が評価される.

しかし,そうなってきたときの大きな課題は,”親藩・譜代” の扱い方. 「人材活用系」業界の人々が理解できてない,ネットのコメント欄で若者から罵倒される 「使えないオジさん社員」が何者か,というと,この ”親藩・譜代” の方々です. 親の代から当グループの親藩,名古屋で育って名大出とるで,という譜代. 会社がつぶれたら大好きな愛知県から去らねばならないのが嫌な皆さん. ”親藩・譜代” こそが,愛社精神,忠誠心の源泉であり, 多少ブラックでも働いてくれて,会社が変わるとき, たとえば戦国時代から江戸時代に変わるときに戦闘員から官僚に転身してくれるような人々なのです.

俺は槍が得意だから槍で闘い続けるぜ,という ”専門家” が ”外様” の真骨頂であり, 大坂の陣で大坂方についた人々です. ”外様” ばかりの軍団がいかに弱いか,というのは,もう明らかでしょう. 日本の団体でいえば,R 国研がそういう場所で,9割以上が ”外様” です. これは,国税というカンフル剤を打ち続けられているような状態だから, 完全成果主義でプロジェクトが終わったら首になっても,組織は継続できるわけです. 成果が出なかったプロジェクトは山のようにあると思われます. 何度も何度も大坂の陣で負けているのに,カンフル剤があるから組織は残る. 忠誠心なんて必要ない.

まとめると,”親藩・譜代” のまともな正社員のすごみは,愛社精神のもとに, 会社が変わるときに自分を変えてくれることです. 意外だけど,これは本当ですよ. 平和なときは無能な窓際を演じてくれるし,すわ AI が大事だ,となったら 要素技術を捨てて AI を勉強してくれます. そもそも,専門分野,部署を次々に移動して会社全体の方向性を 見据える人々が,これまでは会社の幹部候補の典型でした. 学会に出てくるお馴染みの人々は,いわば槍の後藤又兵衛公みたいな人々です. そういう人材も大事なのは既に言いました.

”外様” は,自分を変えてくれませんよ.”外様” は,槍だったり潤滑技術だったり, 自分の得意なことを続けるだけだから,仕事がなくなったら会社を去ってくれますが, 会社を去る仕組みがなければ,大学改革が遅々として進まなかったように, 昔の体制に固執します.これは,某国立大学学長の先生と喋ってるときに, 「大学の組織をかえるのは,専門を捨ててくれない先生集団の 定年を待たなきゃいけないから,遅いのですよ」と言われてなるほどと思った次第.

で,そのような,R 研のようになった T 社に,果たして人材が残るか,ということです. 良く自動車業界は国に守られているというアホなことを言う人がいるが, 自動車ほど国が守ってくれない業界はありません. 重工業や製薬と比べてごらんなさい. ってことは,R 研のように失敗したあとをフォローする, つまり不要になった人材を排除して一からやりなおす資金,カンフル剤がないわけだ. カンフル剤がないのに永続できるわけがない.

というようなことは,あの方なら重々承知だと思います. それなのに,そういうことを言った,というところがミソでしょう.

メッセージは,幹部社員はもっと自分を変えろってことです. 終身雇用というと,”変わらない” というイメージがどこかにあって, 転職しまくる ”外様” の方が ”変わってる” という印象を, なんとなく持っているのではないでしょうか. それは大間違いで,自分で書いてて気づきました. 僕は,変わりたくないから会社を辞めたんです.意外だけどそうだ.腑に落ちた.


----------------------

8 月 12 日: 博士を育てることに関する私見

NHK のニュースで 博士号取得者 主要7か国で日本だけ減少傾向続く というのがありました. 大学の現場が生産的でない,基礎研究をする雰囲気にない, 「選択と集中」によって疲弊している, あるいはこのニュースに出ている給料の問題, といった話とは別の観点から私見を述べます.

日本には大量の「サイレント博士」がいます. 彼らは企業で研究を行っており, 日本の研究者人口66万人のうち60% を占めています. 金額ベースでも,製造業トップのトヨタは1兆円の研究投資を毎年行っており, これは科研費総額2300億円を含む公的研究資金の総額2兆円強の約半分です. もちろん,製造業における研究費は実質開発に使われており,論文になる割合はごくわずかですが.

日本で一番博士号を出している分野は「保健」です.要は,お医者さんです. 人数的には,彼らの多くは臨床医として病院にいますので,上記の統計の「研究者」には カウントされていないと思います.僕の友人知人にもたくさんいて, 学会発表をしたり論文を書いたりされてますので,彼らも別の意味で「サイレント博士」です. 一方で,上記の工学系の「サイレント博士」で,学位を持ってる人の割合がまだまだ低いと思われます. だって 年間 3,500 人しかとってませんが,40 万人の企業研究者にいきわたらせるためには 100 年かかる計算になるからです.

そこで僕の研究室ですが,僕の研究室は「工学系サイレント博士」に学位を取得していただくべく,フル稼働しています. 現在,社会人博士が4人在籍しておりまして,さらに1人は待機中です. 一方で,うちの研究室のピュアな課程博士は来月からやってくるベトナム人の国費留学生が1人, 来年 4 月入学を目指している内部進学の 1 人,と,大変割合が低いです.

大学で 4 年弱働いてみた印象からすると,ニュースでいうところの「博士が減ってる」に対応するためには, 修士で一流メーカーに就職して研究所に配属された研究員の皆さんに, 社会人博士として学位を配るしかないのではないかと思っています. 実際,彼らが日本の研究者のマジョリティですし,国際会議で発表したりするのに学位がないのは格好悪いし, 正確に研究計画を立てて査読論文を書く習慣をつけるのには博士課程に社会人として入るのが一番だからです.

日本の若いアカデミアの人たちは,十分絶望しています.ニュースに書かれるように,博士を出るまでろくなお金がないし, 博士を取ったところで,ろくなポストがないからです. ここ最近,特任助教を採用するためにいろんな人々に声をかけまくって,余計に実感しました. 多くの(私ごときから見てですが)有望な若手研究者の皆さんが,民間企業就職を第一優先にされているのです. そりゃそうでしょう.まともなメーカーに入ったら給料はポスドクの 1.5 倍から 2 倍以上で,パーマネントだし, 福利厚生はまだまだ充実してるし.結婚して家を買って子育てをするという, ごく普通の願望をかなえるためにはアカデミアでは無理に見えてしまうわけです. 僕自身が 2001 年の段階で,こういうろくでもないアカデミアに見切りをつけて民間に行った人間ですので, 彼らの言い分に「それは違うよ」とは言えませんでした.

おっとダークサイドに堕ちかけた. で,一流メーカー研究所の「サイレント博士」を発掘する方法を言います. むっちゃ偉そうですけど,こうやってうまくいってますので,ご参考いただきたいです. 先生方の研究室は多かれ少なかれ独自の技術があろうかと思いますが,企業と共同研究する際に, 「松竹梅」を示すのです.プロの研究員を丸抱えでそのテーマに専従するためには, 1,000 万円くださいと.これが一番高価.うちの研究室には2人います(実際は大台には乗りませんが 笑). 次は,博士号を取得した研究者がいるなら,うちに派遣してくださいと. こちらはグッと安くなります.最後に,若手研究員さんが学位をまだお持ちでないなら, うちの社会人博士に来てくださいと.これは年間授業料 50 万円だけで OK なので破格です (本人の出張旅費や論文投稿料などは別途出してください).

一番普通の産学連携だと皆さんがイメージされてる「共同研究費,委託研究費をもらって解析してあげる =実際は修士学生あたりが解析する」をやってはいけない,と思うのです. 今日も,企業研究者の方に文句を言おうと思います.なんだなんだ?偉そうに?と思うかもしれませんが, 日本の企業も悪いのです.たった数百万円で技術が買えると思わないでほしい. だって欧米の大学と共同研究するときは 1,000 万超える金額出してるでしょうが. じゃあ,何で贖うかといったら,御社の若手研究員が頑張ってうちの解析を手伝ってくれることです. 大半の大学は技術を安売りしすぎなんです.

大学の産学連携部門も「大学教員は技術を安く売りすぎ」ということを言いますが, それは主に知財収入に関してです.僕は,知財収入に関しては, 新材料の開発をしているような研究室なら別ですが,僕らみたいに分析技術(分子シミュレーションは分析技術です) を作ってる研究室で大儲けするのは無理だと思っています. 装置があるならともかく,シミュレーションはやっぱり理論なので元はオープンソースの無料のプログラムですし. 大事なのは,皆さんにこの分析技術を会得していただいて,日本の産業の底上げをすること. なので,安売りというのは,修士院生の労働力を安売りしてはいけないということです. 修士院生のやるべきことは,お金のつかない一段ベーシックな部分の研究であって, 単なる企業研究のお手伝いをしてはいけない. 誰が研究をやるかといったら,企業の若手の方です. 本気で,相手企業さんにも技術を学んでいただく. って考えると,一番良いのは,社会人院生として入学してもらうことです. 安いし,3年間みっちり勉強できるし,原著論文を書くためのノウハウも当然会得できるし.

なんか,見てると,こういうロジックで運営している大学の研究室も予想以上に少ない. アカデミアに残るような皆さんは,どうしても損得勘定が苦手なのか, そもそも教育的だからサービス精神が旺盛なのか, ついつい「丸抱え」をしてしまっている傾向にあると思います. 科研費の,たとえば基盤 C の 200 万円/年と,企業との共同研究費の 200 万円は,違います. 後者の金額は,貧乏な大学に対する援助交際費のようなものであって, それで丸っと研究成果が出るような内容のものではありません. これは,企業と大学の両方を経験しないと実感がわかないのだろうか. ですので,後者に関しては,「この会社とご縁ができた」との証のようなものだと考えて, 精一杯技術移転に励むのが,大学側からみた健全な関係を作ると思います. もし,これが分析そのものに対する対価だと思っているような企業さんがおられたら, 途中でいいので怒るべきです.大学をなめるんじゃないと.

その際,僕は必ず「この成果の 8 割以上は論文にします」と宣言します. そうしないと,今のご時世,僕ら死にますやん. で,論文を書く主体に関しても,あくまでやってくる企業研究者の皆さんであって, なんとなくイメージされる修士学生に対しては,本質的に自由な研究をやらせて それをまとめて論文にするべきだと思います. もちろん,企業研究者の人は論文を書くのが大体は遅いし(僕自身もですが 笑), デューティーだと思ってないので動機付けが必要ですが,この指導料込で上記の 200 万なら 200 万だと思うわけです.

こういうことをやっていかないと,そりゃあ大学から出る論文が少なくなると思います. 論文が出ないような産学連携は,一切やるべきではないと思うくらいです. もっと論文を書くことに集中せねば.そうではない,産学連携も大事だとおっしゃるなら, 論文が出るような形でコラボレーションしないとダメだと思います.

まとめると,博士が少ないのも論文が少ないのも大学の先生の姿勢によってだいぶ変わるはずだと.

自分が企業研究者だとして,大学に共同研究を持ち掛けたら「うちとやりたいのか. じゃあ,人をよこせ,金をよこせ,んで論文も書いてくれ,な」と言われたら,えええ?と思うと思います.

しかし,僕が企業さんに要求しているのはまさにそれで,それで良いと思うのです. 実際,それで毎年 10 社以上とのコラボレーションが実現しています. 日本の研究者の 6 割はメーカーにおられて,彼らがサイレント博士なんですから, 欧米風にいうと,本来は大学で学位をとってから企業にいるべき人間なんですから, 論文を書いて学位をとってもらうように働きかけるのは当たり前だと思います. それが出来ていないのが日本社会なので,まずはそこだと思います. 大変現実的かつ具体的かつ実績のある処方箋だと思いますが.

以上は,企業でもできる研究分野について,です.そういう分野が人数的に多いのは事実です. 一方で,バイオ系の大半の研究室のように,企業ではやってない研究分野の場合はどうすんの? というのは,別の問題です.僕には処方箋がない.

少なくとも指摘できるのは,多くの報道が,この違いを区別していないことが問題である, ということです.課程博士の問題は,バイオや理論物理の場合は報道の通り深刻です. でも,企業でもできる分野の場合は,学生や若手研究者たちは企業に流れるだけ,なんです. それが,こっち側の「儲かる分野」の実情です. マスコミ人が研究経験のない人々だからこんなことになるのです. マスコミにもっと博士を送り込むべきです (僕が体を張って出版社に行ったのも,こういう観点からです). これは,上に書いた産学連携とは別の問題です.


----------------------

6 月 24 日: 若きモーツアルトとハイドンの対話

ふと,次のような対話を妄想したんですが, どっちの人生が大変だったか.

モーツアルト: ハイドン先生,僕,辛いんです.

ハイドン: モーツアルトさん,どうしましたか?

モーツアルト: 僕って,むっちゃ不幸じゃないですか. 子供の頃から音楽ばかりで.

ハイドン: 大変でしたね. 私も音楽ばかりでしたよ.車大工の家に生まれたんですが, 6 歳で親戚の音楽教師のもとに預けられて, 9 歳で首都ウィーンの合唱団に入れられて.

モーツアルト: 僕のところは,おやじも厳しすぎなんですよ.

ハイドン: うちは,私が声変わりしたときだけ, ウィーンに出てきて,カストラートの去勢手術を するのを断ってくれただけで,あのときは感謝したけど. おやじの厳しさはわからなくてすまんね.

モーツアルト: おやじがうるさすぎると大変ですよ. 旅行ばっかり連れていかれて. ミラノでしょ,ボローニャでしょ,挙句に パリやロンドンまで.各地で有力者に紹介されて 音楽会やらされて,本当辛いっす.

ハイドン: そうなんだ. 私は声変わりが来ちゃって,合唱団を 放り出されてから,ずっとストリートミュージシャン だったので,君の辛さはわからないなあ. ウィーンから出られなかったしね. でも君は雇ってもらえてたんでしょう?

モーツアルト: そうそう,ザルツブルグの大司教もうざいんです. 弟さんから聞いてません?それから ハイドンさんだって今は雇われてるじゃないですか. うざいでしょ?

ハイドン: そうだねえ,モルツィン伯爵に雇われたのが 26 歳のときだから,10 年ほどぷー太郎だったので, 雇ってもらえたときは,私は嬉しかったよ.

モーツアルト: 大司教のしめつけが厳しいから,僕は不幸で.

ハイドン: でも,モルツィン伯爵家は 3 年ほどで破産しちゃったから, 次のエステルハージ侯爵に雇われるまでどうしようかと 私は思ったよ.

モーツアルト: そんなん,辞めちゃえばいいんっすよ. 本当,僕は大変で...


----------------------

6 月 18 日: ボッケリーニのピアノソナタ


ボッケリーニの弦楽四重奏から編曲したこのピアノソナタが酷すぎて笑った.
こちらの弦楽四重奏が原曲です.
レクチャー&ライブ ボッケリーニの会 で,この弦楽四重奏(たぶん,あらゆる弦楽四重奏の元祖の資格がある曲だと思う)の 1stVn を「抜いた」バージョンを演奏して,ほら,これだけ内声が充実してるから 曲らしく聞こえるでしょう,というのをやったんです(一方で,ハイドンのこの直後に 書かれた曲はシンプルすぎて聞くに耐えない). でも,このピアノソナタへの編曲は,まさにそんな感じで,5 小節以降に 2ndVn に主旋律が 移った後も 1st をなぞっていて,何を弾いてるんだか,わけがわからない音楽になっている. それでも,この楽譜はパリで(多分18世紀に)出版されているわけで, ボッケリーニの室内楽の人気がわかるというものです.

ボッケリーニって,ピアノの名曲がないから過小評価されている部分があって (発言権を持ってる人の大半はピアノ弾きなので),何かないかなと思ったら 酷い編曲を見つけてしまった,という次第.ボッケリーニはピアノパートを 書けないということは全くなくて, ヴァイオリンソナタ は,1760年代に書かれたものとしては最高級にかっこいいピアノパートを持ってます.


----------------------

6 月 4 日: 研究業務はベストエフォート

本年 2 月 10 日の当欄に,このサイトは研究者をやめる系の話題で google 的にトップクラスだという話を書きました. で,トップ周辺を見ますと, 尾崎さんのブログ や, ガレノスさんのブログ など, なんだか,立派そうな研究者の皆さんの独白が 書かれております. 後者のガレノスさんの書かれている, 「1.給料が安い  2.労働時間が長い  3.休日が少ない  4.安定しない  5.将来が分からない」 という項目が気になりました. これって,大学や国研のポスドクだと,確かにそうです. え?東大の研究員なのに年収 400 万なの?ってアレです. 確かにそうです.

ですが,すべての項目について,トライボ関係の企業研究所だったら 大丈夫なのになあっと思いました.別にわしのいた会社だけでなく, 軸受,オイル(石油),重工業,タイヤ,製鉄など, 現在もわしと共同研究している会社はだいたいみなさん, 給料は高く,休日や労働時間は適切で (労働運動は工場労働者が 始めたことだということを思い出してください. 工場がある大企業は概してホワイトです.いろんな情報の バイアスがあるから伝わってないかもしれないが), 安定しており,まあ将来についても, 会社の将来はわからないが個人単位では (会社が身売りされても,まあ身分は保たれるという 程度の意味で),大丈夫です.

「それは応用研究だからでしょう!基礎研究は大変なのです!」 という意見も,半分は同意できます. しかし,現在はポスドク予算がつくようなプロジェクトは, 大体が応用志向であって,下世話な製品開発に直結している じゃないかと言いたいです.そのくせ,製品開発の責任がないだけ, 企業研究所よりもタチが悪いとも言えます. 宇宙論や地震学,とかならわかりますが,分子生物学の大半は, 実は実学なのだが,そうすると産業化されていないことの問題が 浮かび上がってしまうから基礎だと言い張っているように聞こえます. バイオの悪口はそれくらいにして, 企業研究所における研究の方が今時安定していて, 先の長い研究ができる(可能性が高い)ということを, 博士の皆さんは覚えておいた方が良いと思います.

しかし,わしの居た会社でも,ブラック企業並に働いてる人は沢山いました. 休暇も少なく,家族との交流も少なく,ひたすら仕事仕事で, 必死に努力されている人々が沢山いました. あれは何だったのだろう,と. ちなみに,わしが就いていた社内の某 PI のポストがあるのですが, これまで 20 数人やってましたが,結構な割合の方が, 定年よりも前に亡くなっていました.事情はいろいろなのですが, 体に悪いことは確かです. 会社の制度としては,年休消化率も高かったし,土日は確実に 休めたし,国内企業としても上位の良い待遇だと思うのですが.

思いつくのは一点です.皆さん,真面目なのです. いえ,わしが不真面目だというのではないのですが, 皆さん,真面目です. どこが真面目かというと,期待に応えよう,とするところです. いや,上司やお客さんや同業者の期待に応えるのは, 優秀で真面目な人々にとって当たり前ではないか,と思われるかもしれません. そうなのですが,一点,おかしいところがあって, 「研究はベストエフォートだ」という認識をちゃんとできているか, という点です.

家を建てる仕事や,イベント(結婚式とか)を成功させる仕事は 「請負」と呼ばれていて,うまくいくことが当然です. 雨漏りがしたら直すし,当日に式が台無しになったら弁償ものです. 一方,弁護士や医師の仕事は「委託」といって, ベストエフォートです.裁判に勝つこと,病気を治すことは 絶対ではありません.もちろん,委託を受けた側は 最大限の努力をするべきで,ダメな仕事が続いたら 仕事がこなくなります. 研究も,基本的には委託なんです. なので,「絶対,うまくいく」というのはありえないんです. 真面目すぎる人は,そこのところが理解できていないのでは ないかと思う次第です. 淡々と努力をするのは良しとしても,体を壊すほどやっては いけない仕事なのです.


----------------------

6 月 2 日: シンギュラリティと望月教授

望月新一先生のブログが面白くて,たとえば 第68回NHK紅白歌合戦の感想と、数学(あるいは一生の「認識状態歴」の可能性(!))の有限性 (77) . こう言っては大変失礼な気もするけど率直に言うと, 専門家の人が専門以外のことについて語ると意外と普通,というか 若干残念だったり若干愉快であったり,という減衰振動のような余韻を残す. たとえば,坂本龍一氏が社会について語るときは昔から陳腐だなあと 思っていたし,古くはワーグナーで,黙ってればいいのにと思った. けど,望月先生の場合は,黙っとれとは全然思わない. 子供の頃に親がメーカーの人であったために転居を繰り返したことや, アメリカに対する考え方や,ああ,共感できるという文章も多かった.

で,リンク先では,数学の論文は全て記述可能であるから有限である(って話でいいの?), という話なのだが,これってちょっと前に流行して最近は 言われなくなった「シンギュラリティ」の議論の亜種であろう. シンギュラリティについては,ソフトマテリアルの研究者として, またボッケリーニを愛するチェロ弾きとして,一言言っておきたかった.

氏の言われるように,科学にするにはまだ早いのだろうけれども, 記録可能だからといってその動的構造が一律に線形的である, というのは,生物がソフトマテリアルから出来ているという 物質論的な起源を考えると,単純にすぎると,直観的に指摘できる.

たとえば,シェイクスピアや夏目漱石の書いた文章は これから先は増えない.情報量としては一定である. しかし,研究が進むにつれて,つまり元の情報と, 周囲の情報とを照らし合わせることによって,元の情報 (文豪の作品)の持つ「意味・価値」は時々刻々変化するであろう. 周囲の情報というのは,他の作家の作品であったり, 書かれた当時の社会に対する理解であったり, 記号論的な解析であったり,様々であろうが, それらの情報と,元のテクストとは非線形に相関するのである. だから,いつまで経っても謎は解けない,先が読めない, という状況が続く.そのようなテクストが,逆に文豪の 作品であるという定義も可能であろう.

もう少し物質的に言うと,たとえば僕らが誰かから「好きだ」という テクストを受け取ったとき(それを記述する情報量は驚くほど少ない), 僕らの肉体は,驚くほど様々な反応を誘起される. これはほぼ誰でも経験のあることだろう. 我々の筋肉の動きや,脳を流れる血流や,そうした物質論的な 「材料」は,予測可能な動きをしてくれないのである. これは,ちょっとでも高分子の研究をしたら判ってもらえる. テクストに反応するのがテクストでなくて肉体を一度でも通してしまうから,しかしそれが現実の人間の思考であるから, 問題は予測不可能になるのである. シンギュラリティというのは,「好きだ」と記録されたら, そこから誘起される反応が一元的に記述可能だという前提でしか 議論できないことなので,具体的に,物質論的に, 人間というものを考えたら,それって議論する意味が あるの?と思うような程度のことだと,わしは思う.

そういえばボッケリーニとの関係を書いていなかった. ボッケリーニの音楽は,古典派のみならずチェロ音楽の歴史の中で,たぶん最も, 記述された音符に対してエモーショナルな対応,肉体的な緊張と緩和のプロセスを必要とする音楽である. ハイドンやベートーヴェンみたいに論理的な楽譜というよりも印象派主義的な楽譜だからなんですね. なので,頭の中だけで完結しない.まああらゆる音楽は「フーガの技法」ですら頭の中だけで完結するとは 思えないのですが.ボッケリーニはその最良の事例ということで.


----------------------

5 月 8 日: ミルフィーユが過ぎる

大学の先生というものは,自分に厳しく他人に厳しい人がマジョリティです. 学生の話をすると,大抵の人が,自分がどのような出来の悪い学生の 面倒を見させられているか,について語ってくれます. なので,大学に転職するときは戦々恐々でした. 国公立大学だったら,そんなに「変」なこともないでしょう,と言ったら, どの国公立大学の先生方も,いやいや,といって具体的な話をしてくださる. その話にはどれも信ぴょう性がある.

しかし,何度も書いているように,大学に来てみたらそんなことは全然ありませんでした. 皆さん優秀である.それは,わしが優秀な学生ばかり集めているからかもしれないが, しかしいずれにしても日本トップの大学ではないので, 黙っていたら,優秀,ということを証明できません. で,どうしたかというと,研究で頑張るしかない. お蔭で,これまで出た修士学生については全員,原著論文を出している, または準備中である. また,主戦場であるトライボロジーの学会で学生奨励賞(年間2-3名)を 一期生と三期生がいただき, 二期生は四年に一度の世界トライボロジー会議でポスター賞を両者ともいただきました. 受賞していない人が他に二名いるが,これは,新しいアルゴリズムを 作るという研究フェーズであったために,目に見える成果として 評価してもらえなかったと解釈しています. 皆さん,間違いなく優秀である.

一方で,多くの学生に共通してみられる「現象」があります. それは,自信がない,ということです. 自分のような者が,そんなに凄い結果を出せるだろうか,と 思っている学生が大変多い. まあ,2月10日には「お前ごときが」と書いた同じ口で言うのは何だが, 過剰に自信がないのは,危機感がないほど自信がありすぎるのと同様,大変まずい.

この原因は,はっきりしています.受験です. 阪大の吉川氏による説では,日本社会は 2 分されているという, 大学に行く層と,行かない層です. で,大学に行く層は,「どの大学を出たか」を大変気にする. いわば,ミルフィーユのように階層化されています. 逆に大学に行かない層は,位取りを気にしないので,スポンジケーキである,と.
芦屋の隣町に住んでみて思ったのは,スポンジケーキ,ミルフィーユの「上」には もう一層,スポンジケーキの層があって,彼らはポルシェを下駄のように 使える人々で,どこの大学を出たかなんて,どうでもいい. 吉川先生は知ってて黙っているかご存知ないのか.

ともかく,このミルフィーユは,各層が驚くほど大変薄い. 偏差値が1違うと1層,という感じです. そして,それを自覚することは馬鹿みたいです.

キャリアの警察官は,採用時点での序列が最後まで 残るそうです.そういう制度設計をした理由はちゃんとあって, 成果主義を導入してしまうと, 「成果」をあげるために不正が生じるからだそうです. わしがいた自動車業界というのはその真逆で, かなりの実力主義です.受験ママが想像できないほどです. たとえば,旧帝大で博士を取って入社しても,定年までほぼ ヒラ社員という人が結構います.給料は課長並み(一本を超える) にはなるし,論文や特許を出すという意味で問題なく 立派な研究者なのですが,会社組織上の部下はほとんどいない. 逆に,高卒の女性でも特許を 100 本以上だして, 研究室長をやっている人もいます. 文系短大出の女性で,論文を書いて学会新人賞を取って 博士号を取った人もいます. そういうところに 10 年以上いたら,出身大学を威張る 気力もなくなってくるというものです. 自分のいた会社だけでなく,現在,共同研究している企業の方々も, 日本を代表する錚々たる企業の方々ばかりですが, 経歴は本当にさまざまです. 良い大学を出たから良い仕事をしているわけでは全然ない. 理工系の現実は,そうです. こういう実力主義が嫌だったら,警察官僚になるか,あるいは, たぶんお医者さんはもう少し学校歴を重視してくれると思います.

誰が,こんな「ミルフィーユ」幻想をばらまいているのでしょうか. それは,親と,高校教師と,予備校の先生方,そして同級生たちです. 大学の教員の一部も,ひょっとすると加担しているかもしれません. そういう彼らには,一回,製造業の技術者として働いて欲しいものです.

結果,ちょうどわしが働いている大学あたりは, この「ミルフィーユ」幻想の被害者が集まりやすい場所になっているわけです. 京大を落ちて中期日程でうちに来ました,って感じだと, まあショックだし,院試でリベンジしたくなったり,いろいろでしょう. 僕も高 3 のとき京大落ちたので何も言えません(今は拠点教授ですが). けど,それはそれ,なんですよ. 自動車業界に入って,しばらく働いたら,どうでも良くなる. なので,「皆さんは優秀だから,何の問題もないから,大丈夫だから, 現実の理工系の技術者の社会はこうだから」ということを, ひたすら学生には言いまくっています. 「この一年,先生から,これまでの 20 年分よりも沢山,褒められました」と 言ってきた学生がいて,愕然としました. 何を言ってるんだ.君は偉い.こんな新しい発見をした. 科学としても技術としても面白い.外国人も喜んでいる. ほら,実際に学会賞もらえたでしょう. と,ひたすら褒める毎日です.

わしは,こんなに自分が素晴らしい褒め上手だとは知らなかった(微笑). それくらい,ミルフィーユ社会は歪んでいます. 是非,一刻も早くそれに気がついて, コツコツと勉学に励んで欲しいと思う次第です. 日本の大学の教育レベルは十分高くて, 思っている以上に均質です. どこに行っても大丈夫で,その場所で,きちんと学ぶことの方が, 焦ったり,ふてくされたりするよりはるかに大事です.

この話だったら,いくらでも実例を出して語れるので, 予備校などに招いてください(爆).


----------------------

5 月 7 日: 自分を信じることができるのは,自分くらいしかいない

今年の当 What's New! は,だんだん自己啓発本みたいになってきましたが(微笑).

なんで自己啓発本みたいになってきたかというと,大学で若い人々を教育するようになると, 「こういう風だからこう考えるべきだ」みたいな話を日常的にするようになるからです. 会社にいる頃は,謙虚に生きよう,(まあ自分よりいけてる人々が集まってる会社だし), ということを真っ先に考えていたので,14 年の間に後輩に説教したことがほとんどなかった. 数少ない後輩はとても生意気だし,実際,自分より優れた研究者ばかりだったから, 自分が何を言ってもどうせ聞かないだろうとも思っていたし. 一度,代休の取り方について,会社ではこうだ,ということを後輩に注意したら,上司に怒られたので, それ以来,注意する気力も失せたし.

で,この季節は就職の内定をゲットしました,という話を聞くわけですが, そのたびに,「君は大丈夫だと思っていましたよ」と言います. GW 前後に確定している人々は,まあ安心な人々だからかもしれませんが, いや,そういう訳ではない.わしは学生を信じているのです. ちゃんと,個別に根拠もありますし,言えます.

で,ふと「じゃあ俺は,周囲の大人から信じてもらえていただろうか?」と ふと疑問に思った次第です.下に書いたように,30 歳で学位を取る前までに わしが研究業界に生き残れると思っていた人は,ほとんど居なかったと思う. 「失礼なことを沢山いわれた」以下の文章に書き足すと, 院試の頃に,「駒場のシミュレーションの研究室に合格した」と,のちに IBM に 入社したスーパーハッカーの友人にいったら,エクセルでマクロを書くような 感じだったら君でもプログラムが書けるかもしれない,ということを言われた. いや,日立のスパコン上で Fortran でベクトル化率 99.何%のプログラムを 書いたわけだけど,信じてもらえなかった. そんなことは序の口で,考えてみたら,恩師の指導教官も,親も, はたまた妻も,たぶん信じてくれていなかったと思います.

自分のことを良く知っている人なら自分の才能を信じてくれる,と 考える人がいるとしたら,大間違いだと思います. 愛することと才能を信じることとは,若干違います. 他人のことなんて,わかりません.自分の子供であってもです. とくに,わしの場合は兄と姉の方が明らかに優秀だったので, この子が物理や化学の論文を書いて一生を過ごすなんて, と思われていた次第.

多くの人は,他人については,その成果と肩書しか見ません. 「これから,この人に可能性があるか」という点については, 多くの人々は驚くほど無智で無関心です. わしは,学生に対しては, 一応その人の学業的な成果を踏まえて評価しているわけだが, どうも,それ以上に,その人の明るい将来性を見る目があるようです. 研究室に来てもらって,数時間話したりするんですが, そうした人は,全員,不思議なことにうまくいってます. その理由は,10 歳までに 10 回以上引っ越しをして, 30 歳までに 20 ほどの職業についていて, いろいろな人を見て来ているからだと思います. でも,そうやって若者の未来を信じることができる 大人は大変少ない,ということに最近気づきました. 本当に,成果と肩書しか見ないんですね.

だから,研究者を目指している人で,こりゃ駄目かもしれない,と 自己評価をしそうになった人がいたとしたら, 自分のことを信じられるのは,せいぜい自分自身くらいしかないのだから, せめて,自分自身だけは信じてあげて,と思うわけです.


----------------------

2 月 22 日: イベントという「枠」を作ることの大切さは,音楽で学んだのかも

たとえば「 神戸材料シミュレーション学セミナー」. 僕の研究室では,遊びに来てくれた研究者の人に,うちの院生や,近所の先生方向けにセミナーを開いていただいています.で,学会の行事でもないわけだし,別に名前なんてなくても死なないわけですが,「神戸材料シミュレーション学セミナー」と名付けています.慎重に名づけているので,他の研究室(神戸大や甲南大なども含め)と被りません(シミュレーション「学」なんて名乗ってるのはうちだけ).こうやって,名前をつけておくと,研究者のCVに「〜で招待講演した」と,一行書くことができます.これ,つまらないことですが,若手研究者にとっては,そこそこ大事だと思います.

僕がはじめてCVに書ける依頼講演,招待講演の類をしたのは33歳のときです.それまで,一度もお呼びがかからなかった.で,6回目に呼ばれたのは「RIKEN Seminar」でした.これは,人材募集のために訪問した K 先生の理研和光の研究室で研究紹介をしただけなんですが,履歴書に書けそうだったので(実際,英語でやったし),今でも書いています.こういう講演は,これまで60回やってますが,35歳時点では,たった6回なんですね.僕はマイナー研究者だったので.今でもマイナーですけど. ともかく,若手研究者にとっては,研究会に名前がついていることは,何かの役に立つと思うのです.科研費申請などでも,そういうことを書く項目がありますし. 僕自身,K 先生の研究室と似たような研究紹介をしたことは何回かありますが,名前がない会については書いていません.60回に含まれないわけです.

で,最近,そういう工夫をしていない事例を見たので,こういうことを書きたくなったんですが,では,なぜ,僕は自然にこういうことができるのだろう?ということを逆算してみました. 自分が若手の頃,不幸すぎて,CVに書く項目がなさすぎて,ってこともないわけではありません.が,もうちょっと考えてみたら,「音楽をやってたから」ではないかと思った次第.

音楽家って,アマチュアでも自己紹介するじゃん.僕の奴は こんな感じ. 最初に「バルトーク弦楽四重奏団第一回公開レッスン」てのが出てきますが,こういう名前で音楽系のイベントは開催されます.今でもググると痕跡は出てくる.これは1987年のことでしたが,プロの人たちも受ける会で(最初プロだと誤解されてて,むちゃむちゃ厳しい指摘を受けた 笑),プロの人はCVに書くわけです.書けるように,いろんな行事が構成されている. クラシックの人々にとっては,こんなこと言われなくてもわかるでしょうけど,考えてみたら,それ以外の人はあまり知らないのでは?

実は,この「神戸材料シミュレーション学セミナー」も,最初の数回は名前をつけていませんでした.鷲津研のゼミ+αでしかありませんから.交通費と謝礼は出したりしますが,本質はそこじゃない.で,あるとき,ふと気づいたのですね.4回目くらいだったと思う.そしたら,最近,お話ししてくれた数名は,彼らのCVっぽいところにこれを書いてくれているのを確認して,ああ,良かった,と思ったのです.鷲津研,とかじゃない,ニュートラルな名前にしておくのも大事なのではないかと思っています.


----------------------

2 月 10 日: 研究をやめることについて

Google には, Google Search Console というものがあって,簡単な登録をすると, 「google の検索と,自分の運営するサイトの関係」を教えてくれる.

たとえば,当 washizu.org には, 「linux wine」「gimp バッチ処理」「神戸商科大学 名門」「らんちゅう 水換え」「メンデルスゾーン 特徴」 といったバラエティ豊かなキーワードによる訪問がある, ということがわかる. ここは Linux,金魚,音楽の話題が多いので,そうなる.

ここ 3 年,大学に異動したため,大学関連のキーワードも増えてきた. 上記の神戸商科大学もそうだが,気になるワードが散見されるようになった. 「研究者 やめる」で2位, 「博士号 価値」で2位, 「研究者 やめたい」で3位, 「教授 人格」で3位, 「博士号 意味ない」で4位, という感じ.Google 全体で,ってことですよ. ってことは,日本のネット社会で,当サイトは,研究をやめたがっている, あるいは研究人生に悩んでいる人々の目に触れるサイトになってしまったようなのだ.

理由は明白で,当サイトの中にある 備忘録 に,普段,大学の先生があまり書かないようなことを書いてるからだ. この駄文の大半は,着任する直前に書いたもので, 新しい同僚となる先生方が「俺のことか?」と思われないよう (前職では,職場の悪口を延々とイントラネットに書いてる人がいてビビった), また, 偉そうなことを言って天に唾することにならないように, 気分が新鮮なうちに,書いておいた. (現時点では,一番最後の「 トライボ村への勧誘」だけは新規書下ろし).

この,「悩める博士」系の話題で,当サイトの中で一番ディープな話題は 研究人生と人格 であろう.ここでは,研究にまつわる人間関係の悩みを中心に, その背景と対策とを書いておいた. しかし,Google で上記のキーワードで検索して 様々な blog などを読んでいると,どうも,皆さんは 人間関係の悩みというよりも,どちらかというと「研究そのもの」について 悩んでいるようなのだ. 30 何歳になったけど論文が何本しかないからパーマネントは絶望的だ, といったような.

そうだった,そうだった.どうも,人間関係に疲れている間に, また,人間関係のトラブルを抱えている業界後輩の皆さんの悩みを 聞いてるうちに,そっちの話題が多いのかと思っていた. 「ポストがない」ということ自体は,相談されても どうしようもない場合が多いわけで,そりゃ,わしには相談しないわけか (といっても,シニアの PIになってくると,ポストの相談をしてくる方の 数もぐんと増える.実際に,お役に立っていることも何度もある. 自分は若い頃は恥ずかしがって,そういう相談は ほとんどしなかったので,もっと大っぴらに,ちょっとした知り合いの 先生相手でも若い人はポストの悩みを打ち明けるべきだ. 今は恥ずかしがってるなら).

まず申し上げたいことは,皆さん,研究者をやめるとかやめないとか 悩んでいるが,わしは実際に研究者を辞めたことがあったのだ. 出版社に文系就職したのです. どうだ,この野郎,参ったか.辞めてから悩め(って何を言ってるのか良くわからなく なってきた).

業績も,驚くほど少ない.今も同じキャリアの人々と比べてかなり少ないけど, 昔はもっと酷かった.35 歳で 7 本.これは企業にいたからともいえるが, それ以前,修士を出たときの業績を数えても, 今の自分の研究室の院生より少ない.ざっくり彼らの半分以下だ. うちの学生は国際会議で何度も発表しているし,修士在学中に原著論文は出るし, 本当に立派だ.

なので,失礼なことを沢山いわれた.博士課程在学中, 友人の交際相手が学振に勤めているということで,頼みもしないのに 「この院生は業績が少ないからアカデミックは無理だ」と判定していただいたり, 実は,一度関東地方の某大学の公募の面接に行ったことがあるのだが, 「業績が少ない」といって落とされたこともある. 今では,そう言われた先生より論文が多いけど.この二人には,いつかお会いしたい. それ以前にも,浪人中,現役で東大に入った高校の同級生に 「大学受験をなめるな(要約)」と長い手紙をもらったり, 大学時代の同級生からは,「お前は論文の書き方なんて永遠に理解できまい」と 言われたり,研究室の先輩やその他大勢からは「物理学が苦手なんだね」と 言われ続けてきた. いや,これらは失礼なのではなく,親切なアドヴァイスなのかもしれないが, 20 年 30 年近くたっても覚えているので,傷ついたことに変わりはない. まあ,大体当たっているのですが.

何が言いたいかというと,こういう風に,かなり駄目な人間の場合, アカデミズムで研究を続けられるかどうか,を悩むのは当然,ということだ. 何故,お前ごときが博士課程に進学して良いと思えるのだ?と, 自問自答するのは当然なのだ.医学,工学のような応用科学ではなく, 理学,文学のようにピュアなサイエンスであれば,余計にそう身構えるのは自然だ. なので,博士に進学した時点,ポスドクになった時点で, かなり人生の危機管理において,鈍感な人間なのだと自覚すべきだと思う. アカデミズムを志向する時点で,自分をミクロ経済的に「安売り」していることは 間違いない.わしは,医大合格を蹴って生物物理を志向した瞬間から,それを 自覚していたが,遅くとも博士進学のときに,それは悩むべきだ.

ともかくも,良い年になるまで研究を続けてしまった. 実際に研究者を辞める という劇薬を,まだ使ったことがなく 30 代半ばを超えた,といった場合に,何かアドヴァイスはないか. 一番,お勧めなのは トライボロジー屋になる ことである.ふざけているのではない. 実際,たとえば触媒の量子化学をやっていたのに 気がついたらトライボ屋になっていた人, DNA 高分子の相転移を議論していたのに 気がついたらトライボ屋になっていた人, など,「気がついたらトライボ屋になっていた」人々を とても沢山知っている (参考: 鷲津仁志,"気がついたらトライボロジスト", トライボロジスト, 65 (9) 529 (2020). ). もう少し,一般的に何かということだったら, それは, 博士であることはとても重要 に書いたように, アカデミア以外に目を広げて職を探すのが一番だと思う. 大事なポイントは,どんな転身をするにしても, 自分の「ストーリー」がないと研究人生辛い に書いたように, それまでの自分の経歴との関連,ストーリー付けを 自分の中で出来るかどうか,が大事だと思う.

そうでない,どうしても今の路線で,しかも専門分野の 平均的な厳しさと比較して論文の生産性は あまり高くないのに続けたい,という場合はどうしたら良いか. たとえば,わしの研究人生を「分子シミュレーション屋」として 辿りなおすと,ずっと分子シミュレーションをやってきたわけで, ぶれていない.それも生産性は低かったのに,今では 自分の好きな研究をしているように見える. それは何故かと問われたら.

その答えは,「じっくり勉強できる場所」を探すこと, なければ,それを自分で作ること,だと思う. 研究以外のことで,研究内容が救われるなんてことは ないと思った方がいい. 真面目に,研究をコツコツと続けるしかない.真面目に,だ. わしの業績は,転職して研究の一部を修士学生に任せるまで, 全てオリジナルの,1 行目から書いたシミュレータで実施した 自称,独創性豊かな研究である. 普通の論文の 3 倍から 5 倍は時間がかかる. そういうことを行える環境を作るのである. わしは博士を取った直後の 30 歳から,職務上の上司から独立していた. まさか民間企業でそういうことが出来るとは思っていなかった. 単に,上司が実験屋だったから,シミュレーションのアドヴァイスが できなかっただけだが.そういう,都合の良い, 居心地の良いポストを探すのである. 本来の研究以外の用務があっても気にせず,それもやる. やった上で,本来の研究の手を止めない(そこが博士課程や, いけてるポストの業務と異なる).

それは,ポスドクであっても可能だと思う. ポスドクをするなら,海外の有力なラボ,少なくとも国内の ビッグラボと思っていないだろうか. 確かに,そういうラボではコネもできるし箔もつく. しかし,似たようなスペックの人々の中に埋没もする. 「自分の研究」が出来るかどうかは,慎重に考えた方がいい. 最近は,地方の国公立私立大でもポスドクの公募をしている 場合がある.当研究室はその一つである. しかし,こういうところには,日本の若手研究者は なかなか応募して来ない. そこで,東南アジアの秀才や,一度家庭に入った研究室の後輩の女性を 活用して,研究を続けている. これは当方の戦略なわけだが,「研究の自由」という観点からみて, こういう微妙な研究環境を逆に活かして, 自分にとって自由な状態を作れないだろうか. ヒントは上に書いた.

とにもかくにも, 転職してから,当サイトをご覧いただいて, 進路相談に来られる方が,何人もおられる. 学内学外を問わず.たぶん,何かの役に立っていると思う. そろそろ,家庭教師代をいただいても良いような気がしてきた (微笑).


----------------------

1 月 16 日: 成長する部分としない部分


本年も宜しくお願いいたします.

次の干支がきたらもう還暦だし,始皇帝も織田信長もロベルト・シューマンも もうそろそろ亡くなってる年なわけで,「もう良いだろう」,と言われても (誰から言われるのかは知らないが),文句を言い返せない状態である. ただ,安藤百福氏がチキンラーメンを発明したのも,恩師の菊地先生が Monte Carlo Brownian Dynamics を発明したのもこの頃で, どうも自分はこれらの人々に近い気もする.

そうやって考えると,長らく生きてきたのに,人間というものは 本当に成長しないものだと思う.いや,俺は成長している, お前だけだ,と言われるかもしれないが,多くの大人と呼ばれる人々は 実は成長していないというのが実態だと想像する. 親戚などを見ていても,これが 70 歳,80 歳になったからといって 何か状態が変わるようにも見受けられない.いやはや.

とくに,研究をしていると人間は成長しない気がする. これも,お前だけだと言われるかもしれないが,聞いていただきたい. どういうことかというと,「試験前の受験生の気分」が永遠に続いている, という感覚だ.身につけねばならないものが身についてない状態, 勉強が足りない状態,というものが永遠に続く感じだ. 研究をしていると,勉強が足りない,ということが多分他の仕事よりも 強烈に実感されるのだと思う.他の人生を選択しなかったので, これが他の仕事だとどういう感じになるのか判らない. けど,研究者は,大学院生あたりの皆さんが感じている 焦燥みたいなものが,ずっと続いている状態だと言ったら, 若い同業者にはイメージしてもらえると思う. それとも,研究者であり,かつ,もう俺は焦ってなんていない, 成長し終わった,と言う人がいるのだろうか. それは,元研究者というのではないか,と思うのだが, そういう子供じみた理屈を言いたくなるのも,成長していない証拠だと思う.

では,20 代と何も違わないのか, と言われたら,そんなことはない. 何が違うのかというと,人間関係の持って行き方,について 多少の知恵がついていることだ.

たとえば,「他人に任せる」ということがある. いや子供だって,部活のキャプテンをやってました, 生徒会長をやっていました,という経験があれば, 「他人に任せる」というについて習熟している子供も いるかもしれない.それは結構なのだが, 研究者が「他人に任せる」ということは,ちょっと ニュアンスが違う. 研究者がなぜ研究をするかというと,まあ,自然や人間の神秘を 理解したいからである.理解する主体は当然自分であるから, 「研究をすること」と「他人に任せる」こととは, 本来,相反することなのだ.

このことに,いつ気づいたかというと, 長期のインターンシップの学生を指導したときだ. わしは,修士学生にインターン生の指導を任せた. 隣の先生は,自分でインターン生を指導した. その結果,当然ではあるが,隣のインターン生の方が 研究成果のクオリティが高かった. そのときに,ああ,他人に任せるとクオリティが下がる, しかし,組織(ここでは研究室)全体の成果を最大化する ためには,ときには,他人に任せてクオリティが下がる ことも甘受しなければならない,ということに 気づいたのだった. インターン生の指導をした学生のスキルはあがったし, 教授がつきっきりで対応しなかった分,他の部分での 成果は別にあがる.要するに,研究室が 4-5 人くらい までなら全部自分が対応すればよいが, 10 人を越えると,任せないと回らないのだ.

なので,こうした,組織作りのノウハウというか, 心の持ち方といったものは,自分が一兵卒だった頃には 当然身につけなくて良いことなので, 大人になると成長する部分である. まあ,自分が中学校のブラスバンド部の部長だったら, そんなことは理解しているよ,と言われるかもしれない. しかも,これは研究者が研究することの本質とは, 本質的には関係はない. ただ,プラクティカルに,つまり研究室を運営する ことを期待される際には必要なスキルだと思う.

そういうこと,たとえば「他人に任せる」ということが 理解できていなければ研究者として「出世」できないか, と言われたら,そんなことはない. 研究の現場で「マイクロマネージメント」という言葉を 聞いたことがあるかと思う.部下が 100 人いる部長や重役なのに, 個々の部下の進捗管理を必要以上に事細かに行う人. さらに大きな組織の長であるのに,専門家の見解を信用せずに 自分で判断しようとする人. そういう人々は,研究の現場に沢山いる. どうやって,その地位になられたのかは良くわからないが, 「他人に任せる」ことができない人が, 大きなマネージメントをしている場合がある,という実例は, ままある.

ということで,研究者はオッサンになっても成長しない. 成長する部分は,言わば社会的な部分であるが, そこが成長しなくても,問題のない人は沢山いるので (これは,当人からみて問題がない,ということである. 迷惑を受ける人もいる), 気にしなくて良いのかもしれない. ということで.