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自分の「ストーリー」がないと研究人生辛い
はじめに
複数のロックのギタリストが出会うと, 自分の「音楽史」を語るという習慣があるそうです (少なくとも友人のスタジオミュージシャンはそう言ってました). 研究者,開発者,あるいは大学院を出たような何らかの専門家には, そういう「ストーリー」が必要なのではないか, という話を書きます.バイオサイエンスを目指すまで
筆者の父親は素粒子物理学者になることを目指して東大を何度か受けたのですが, 結局叶わず,心臓外科医,正確には 人工心臓の研究者になった人です.筆者が高校生の頃に,進路について考え,物理学者になりたいと父に述べたところ, 「物理学は食えない.たとえば,1万人の町があったとしよう, 医者は数人必ず要る,しかし物理学者は 1 人も要らないかもしれない. 世界のどこかに天才が 1 人いたら構わないのだから」といって, 医学部に行くことを勧めました. これは多くの医者の家庭で交わされている会話の類と思います. が,これも良くあるように,筆者は反発し, 医学のような応用科学ではなく, なるべくピュアな基礎科学をやりたい,と願うようになりました.
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姉の友人の父君に,有名な分子発生学者の先生がいらっしゃって, ある日,父を尋ねに拙宅に来られて, 発生学について,それは魅力的なお話をしていただきました. これこそ自分が目指す道だと思い, 先生のいらっしゃる東工大生命理工学部に 2 浪の末の後期にやっと, 入学しました※.
※ 先に書いたように,筆者は中学,高校と進むにつれて「自分の頭で考えて理解しないと納得しない」タイプに なってしまったので... 自分の時間は自分のものです.
はじめての研究
大学には一応入ったのですが,前節に書いたような様々な事情で, 留年することとなりました. そのときに, 上記の先生の研究室にもぐりこませていただき, 先生にテーマを与えていただきました. この研究が,学生実習とは異なる,人生最初の「模範解答のない研究」です (自由研究で,小学校で郷土史「見付小学校は末森城の見張り台である」 中学校で美術「活字で絵を描く,タイポグラフィーの世界」, 高校で社会科学「コンビニエンスストアの現在と将来」などについて 研究したことは,そういえばありましたが 微笑).
ということで,初戦は惜敗だったわけですが, 研究の面白さと怖さ,一通りの流儀を教えていただいたことは, 一生の恩であります.
分子生物学について考えたこと
工業大学の生命理工学部は,薬学部や農学部の生命科学系とは多少異なり, 物理学,化学,工学,情報科学の基礎をかなり叩き込まれますが, もちろん遺伝子操作を中心とした分子生物学も学びます. 分子生物学を一通り学んで,生意気にも思ったことは, 当時の分子生物学は,目標とする低分子あるいはタンパク質を 発見することが何よりの目的で, 物理学を軽んじているのではないかということでした.
粘菌の生物物理学
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卒業研究のテーマは,この粘菌変形体糸という, 網目状の生き物を構成する一つの糸を切り出してきて, 錘りをつけて,その振動を測定し, 非線形の結合振動子系として 物理学的に解析するというものです. 振動の過渡過程,定常状態において, それぞれ面白い傾向を捉えることができて, 楽しい卒業研究となりました.
が,そこでは別の疑問が沸いてきました. それは,分子生物学で習ったことでした. 粘菌変形体糸は,目視できるくらいの,ミリメートルのオーダーの 直径を有する,分子スケールからみると巨大な構造物です. 分子生物学では,ミクロンオーダーのオルガネラの構造や, ナノスケールの分子からなる,複雑な代謝の回路について学びます. そうした一切合切をまるめてしまって, 一本の糸としてモデル化するには, 実は粘菌は複雑すぎるのではないか,と.
物理学という学問は,地球を一つの質点 m,太陽を別の質点 M と みなして,運動方程式を解くという, 考えてみたら大変荒々しい思考を特徴とします. 地球上は,こんなに多彩な物体に溢れているというのに. しかし,逆にいうと,これが物理学の強さであります. 物理学は物理学でいいのですけれども, もう少し,細かい,たとえば生体分子一分子レベルだったら, もっとハッキリしたことを言えるのではないか, ということで,大学院では, 生体高分子の物理化学の研究室に入りました (これも,正確にいうと,自分の東工大の出身研究室に一般受験で落ちたので, 当時,生命環境科学系だけ独立大学院だった東大駒場の院に進んだ次第).
研究室を選んだときに参考にしたキーワードは, Fokker Planck (FP) 方程式です. 卒業研究の研究室では, 「協同現象の数理」(ハーケン) を輪講しており, そこでは,確率過程論について議論しています. また,周波数解析を行う際に, 非線形物理学あるいは統計力学 (久保亮五) を勉強したので, FP 方程式はなじみ深いものでした.
生命は高分子電解質溶液だ
大学院の先生は,分子シミュレーションの画期的な手法として, Metropolis Monte Carlo (MC) 法が FP 方程式の数値解法であることを, 1991 年に示した先生でした. MC 法は,通常は統計力学における熱平衡状態における 配置積分を計算する手法であり, FP 方程式のような拡散過程を記述できるとすると, 応用範囲が格段に広がります (Monte Carlo Brownian Dynamics, MCBD 法). 先生自身は,もともとは電気複屈折という 高分子溶液の分析手法を得意とする 実験家だったのですが, 実験結果を解釈するために, 当時,世に出た,並列型スパコンを活用して 解析できないかと, 自ら分子シミュレーションアルゴリズムを 考案してしまったという偉人です.
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こうした知見は,現在では, 再生医学において役に立っている (筆者の博士論文を,チームリーダーの方にお送りしたところ, それを参考に誘電分散の新しいモデルを作り, さらに誘電スペクトロサイトメーターを開発された) らしいです. また,燃料電池も高分子電解質膜を用いますので, そうした分野の研究にも役に立ちます.
が,世の中の人々は,そんなに物わかりが良くありません. 先見性がある人ばかりでありませんし, 筆者としては理解していても, 上手に訴えるだけの経験も知識もありませんでした.
自然科学出版
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以前書いたように,もう 30 歳ですし,結婚してますし, ポスドクになるのはリスクが高すぎると思いました. そこで,パーマネントの職を探したのですが, なかなか公募では当選しませんでした.
上図は,博士がアカデミックな研究職以外に選ぶとしたら, どのようなものがあるかというものを列記したものです ( 博士であることはとても重要 参照) が, 筆者が実際に経験したのは出版社です.
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しかし,いろいろありまして,その後,別の分野の研究者として, 民間の研究所に入って研究生活を再開しました.
どうしても研究者になりたいか
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つまり,ここで,出版社の編集者からプロの研究者になったわけですが, プロの研究者になるということについて,もう一度考えてみましょう. 大学院を出たばかりの,若手博士の大半は, そんなに素晴らしいコネはない人ばかりです. 就職先を斡旋してくれるようなボスがいたら, その幸福に是非感謝してください. 普通は,自分で人脈を作らねばなりません. 人脈づくりには,学生時代から参加できるものも多いです. 若手の会,夏の学校の類や,企業のインターン制度などです.
(しかしまあ,これにも学閥の壁は実際は存在します. 無名の研究室を出ると,若手の会に形だけ参加しても, 大歓迎してもらえるとは限りません. そこで,本稿をご覧の皆様にお願いですが, どうか,若手の会の類を運営する際には, 大研究室のコネのない人物こそを大事にしてください. 大研究室が存在するような学術分野では, イノベーションは外側からやって来ます. きっとプロパーの皆様にとっても良いことがあります.)
コネがなくても,上記のように考えている研究者は沢山いますので, 「最初は誰しも nobody」という事実をふまえて, 頑張ってみてはいかがでしょうか. 多様性を欲しがっている機関は, 大学や公的研究所の類よりも,民間企業に多いというのが実感です. また,どこの公募においても,完全にピュアな公募というものは, 実在します.筆者も実施したことがあります.
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アイディアが枯渇したら,「元研究者」になります. それは,研究室長であったり,教授であったり, 公的な立場はそのまま研究者としての立場かもしれませんが, 内面として,終了するわけです. この恐怖と戦えますか. 40 歳くらいで,どっとその疲れが来るときがあります. これは,筆者が 40 歳になったときに, 同年代の大学教員や国研研究者と語り合ったことです. 筆者の編集者時代のように,研究から足を洗うチャンスがもしあれば, 一度,このことを検討してみていただければと思う次第です.
隣の宇宙に出る
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しかし,(数学的な)「宇宙」と「宇宙」の間を行き来するための, 数学的なテクニックをまず構築して,それを用いて ABC 予想を証明した,というストーリーは,何となく伝わりましたし, その概念は面白そうだと思いました. そう,国を飛び越えるのが国際ならば,宇宙を飛び越えるのが宇宙際であり, 就職先のない人は,宇宙を飛び越えると, 何か解決できるかもしれないのです.
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トライボロジーとの出会い
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ちなみに,この「分子動力学によるトライボロジーの研究」については, 当時は,まだ開始されたばかりで,大学の研究者はいましたが, 企業ではあまり手がつけられておらず,数ケースしか事例がありませんでした. その方々も,この分野専門でずっと研究したわけではなく, テーマを変えておられる方がほとんどでした. そういう時期に,このユニークな研究者の枠を作ってくださった, 前の職場の上司の皆様にも,お礼を申し上げます. 企業では「枠」は,研究者の熱意と運によって作られるのです.
ストーリーの連続性
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ストーリーは回収できる
以上,筆者が企業研究者として活動する時期までの 「ストーリー」をまとめてみますと, 紆余曲折はありましたが, 一貫して「界面の物理化学」の研究者として生きてきた, ということがお判りいただけたかと思います. この「ストーリー」あるいは「看板」とも申せましょうか, は,次のキャリアステップによって修正されるかもしれません. 今のところ,そういう話ができる,ということです. ただし,このストーリーは 2001 年の段階に大枠ができて, 大学に転職した 2015 年現在も基本は生きていますので, 比較的安定した話だと思います. そういうストーリーを再構築する瞬間が人生のある一瞬にある, ということです.最後に,大きな話題としてストーリーの「回収」について記します. 学位を取得されたばかりの方には,ピンと来ないかもしれません. 繰り返すと,現代では,大学院で習ったことをそのまま発展させるだけでは, プロの研究者になることは困難です. したがって,別の世界に飛び込むことが必要です. その際に,「ストーリーの連続性」が大事だと申しました. では,その「筋」で長い間,生きていくと, 何か良いことはあるでしょうか? それは,あるのです.
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ストーリーのまとめ
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ストーリーの良いところは,途中で修正できることです. たとえば,トライボロジーという, 当初予想していなかったファクターが出てきても, ストーリーを組み直すことによって, 自分の人生のストーリーに吸収することができます. しかし,「ストーリーを持っている」ということ自体を捨てることは, 不幸だと思います. 逆にいうと,浪人しても,留年しても,就職活動に失敗しても, 幸福に生きてこられた原動力は,このストーリーを信じることでした. あなたの時間はあなたのものです.
そして,10 年,20 年と生きているとストーリーを回収できる場面に遭遇します. これこそ,生きる喜びだと筆者は思います. その「回収」の場面のほとんどは,人が動くこと, たとえば学会に出ることによってもたらされます. ですので,人との出会いを大切にしていただけたらと思うのです.
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(追記) 「物理学者」になるためには
このページは,当 washizu.org の中で, 閲覧回数がトップ 10 に入っています. 検索ワードが上から順番に 研究者 かっこいい, 物理学者になるには, 理論物理学者になるには, 物理学者 なるには, 学者 かっこいい, 研究者 つらい, 研究者 天才型, 物理学者 かっこいい, 物理研究者, 物理学者 仕事 です.ネガティブなワードがほとんどないのが良いですね. あと,やたら「物理学」です. 私は物理化学者で,トライボロジストなんですけどね. 当研究室の 論文一覧の 60 本ほどある原著論文の中で, Phys. Rev., EPL は紛れもなく物理学で, J. Chem. Phys., J. Phys. Conf. Ser., JPS Conf. Proc. なども物理学なので,まあまあ物理学の論文も出てます. ということで,広い意味では私も物理学者といえるかしらん. でも,この検索ワードから察するに,訪問者の皆さんは, もっと狭義の,素粒子だとか宇宙物理だとかを イメージしているのではないかと,勝手に拝察します. そういうピュアな物理学者になるためには, 有名な大学の理学部物理に入って,そのまま博士まで頑張って, どっかでポスドクをやって,って進むのが普通の道です. 頑張ってください.で終わってしまうと,情報量ゼロなので,私の独自見解をちょっと書きますね. 現在のシミュレーション学の同僚で,私よりも「自分は物理学!」と 思ってる人が結構います.私は,B4 の卒業研究時の指導教官が 生粋の物理学者でして,久保亮五の教科書を読んで(粘菌変形体糸ですが) 自励振動の周波数解析を行なったので,物理学としか言いようがないです. 学位は,ブラウン動力学で(物理学っぽく言うと)強相関クーロン系を解析したので, ほぼ理論物理です.物理化学教室所属でしたが. で,そんな私よりも自分は物理だ,っと思ってそうな人って, 京大理物出身で雲のシミュレーションをやってる人.これは良いでしょう. 理科大理物出身で非線形データ解析やってる人.これも理論物理です. あとは,京大工学部航空出身で現在は細菌の泳動のシミュレーションをやってる人, 東大物理工学でプラズマの流れのシミュレーション. この辺って,工学部じゃん!っと思うのですが,多分, 「ワシヅよりは自分の方が物理」と思ってらっしゃると思います. 投稿してるジャーナルも,基礎物理系ばっかりです. ってな感じで,実は,理物を出なくても,「ピュアな基礎物理」を やることは可能なのです. これはどうしてかというと,「工学部の8割は物理学に基づく工学」だからです. 理物の人は,工学を嫌うあまりに忘れてしまっていますが, 化学や生物学に基づく工学よりも,物理学に基づく工学の方が多い, 機械,電気,建築土木,みんなそうです.これは当たり前. 原子力や航空も当然です. ということで,「理物だけを狙う」というのは,実はあまり頭の良い 戦略ではないのかもしれませんよ.
あとは就職先です.「弟子を育てたい!」という人は,理学部物理に 就職したいでしょうが,理論系だったら,その欲は他の人たちほどは ない筈です.だったら,どこで働いても良いのでは. だったら,ピュアな物理学以外に何か専門分野 (雲の計算でも,プラズマでも何でもいいかと)を持っていたら, 他の分野のポストを得られます. っということで,柔軟に考えていただけたらと思う次第. (2022年8月18日追記)