2011 年の What's New!

最新のWhat's New
ここからしか飛べない過去のページもあるよ.


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11 月 29 日: 超久しぶりにオリジナルのライブ

が,無事おわりました.
いやはや,一緒に演奏してくれる人がいるのというのは嬉しい. 今回は弦楽四重奏だったけれども,弦楽四重奏においては 専制というのはあり得ない.なぜなら,4人が対等に 渡り合わなければ音楽として成立しないからだ. 昔,カザルスホールカルテットを聞きにいって, 懇親会で武満さんとお話ししたときに, そのようなことを述べておられた.

そういえば,研究グループも,「室内楽」と言えるような 人数までは,専制を必要としないかもしれない. 八重奏よりも増えてくると,だんだん運営の難易度が あがってきて,指揮者のような人を必要とするようになる. それ以下だったら,必要最低限のお膳立てをしたうえで, 邪魔をしない.もちろん,メンバーは厳選するけれども, そのあとは,邪魔をしない.それで成立するという感触がある.

音楽に戻ると,「福島(の日本人)」も,ちゃんと ライブに来てくださった方に届いたようで,嬉しかった. 以下はプログラムノート.
20 代以降,作曲者が作品を公開する際のモットーは, 「路上で演奏して立ち止まって聞いてもらえる音楽」である. 無調や12 音,トーンクラスターといった20 世紀の作曲技法も 10 代の頃に齧ってはみたのだが,そういった小難しいことを言わない, アマチュアにとって演奏して楽しい音楽,そして通行者が足を止める音楽と いうものを作ってきた.今年は,多くの人が同じ悲しみと不安とを 共有するという年になった.1945 年以来のことかもしれない. そういう年であれば,こういう音楽にも,通行人の耳を傾けてもらえる 可能性があると思った.
Youtube にアップロード (2012/08).


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11 月 6 日: 中間報告

サンクトペテルブルグを訪れたときに感動したことは, 町並みを保存することに対する住民の執念だった. ご存知のように,ペテルブルグはスターリングラードと 並んで都市包囲戦が行われた激戦地であり, ショスタコービッチが消防士の格好をしたり 第七交響曲「レニングラード」を書いたりした現場である. 住民は街の主要部,銀座に相当する目抜き通りの両側の建物を, 戦後,そのまま再構築した.その執念に感動したのだった. 翻って我が「帝都」は全く姿を変えてしまって情けない, と思ったものだった.

このことは間違いだと気づいたのは,広電に 乗ったときである.紙屋町,袋町,胡町... 原爆の跡に残ったのは瓦礫の山でしかない,紙屋はもうない, 住民はもういない,一枚の絵になった,のだから どう描きなおしても構わなかったはずなのに, 同じ名前で作り直した.そうか,建物をそのまま再現 しなくても,地名という魂の拠り所があったのか. 驚くべきことに 3 日後には広電は部分復旧していたので, 話はもっと即物的なことなのかもしれないが, これは魂の問題だと思った.

何かを,と思って読んでみたのが, 「原爆と検閲」, 繁沢敦子, 中公新書 (2010). 欧米側の視点からの原爆報道の推移を分析しているのだが, 当初は容認されていた原爆症の特殊性についての報道が, 徐々に弱められて,通常兵器と変わらないが超パワフル, という穏やかな存在に位置づけられていった過程が描かれている. 原爆症の有りのままを直視したら,当人たちを含む誰もが 「鬼畜」の所業であることを疑わないだろう,からだ.

流れで,昔から読んでいる原爆関係本を再読. 「ヒロシマわが罪と罰」,G. アンデルス・C. イーザリー,篠原正瑛訳, ちくま文庫 (1987) は,人として真っ当な反応を示したパイロットの話. 「原爆をつくった科学者たち」,J. ウィルソン編,中村誠太郎・ 奥地幹雄訳,岩波同時代ライブラリー (1990) は, 科学者たちは基本的にはナチスに対する正義感と 科学技術史上初の国家プロジェクトに参加する喜びにより 科学者がマンハッタン計画に参加したことが述べられている. 「なぜ,ナチスは原爆製造に失敗したか」,トマス・パワーズ, 鈴木主税訳,福武文庫 (1995) は, そのナチス側の最高の知性であったハイゼンベルクは, 原爆製造が技術的に可能であることを理解していたにも関わらず, ヒトラー政権に核兵器を持たせてはならないという ヒューマニズムの観点から,サボタージュをした, ことが描かれている.

軍事関係技術も経験し,巨大プロジェクトの興奮も 知った今のわしからすると,どうしてアメリカの科学者が 鬼畜になってしまったのか,いかにハイゼンベルクが凄いか, ということを,以前よりも理解できる気がする. チュニジア出身の若い女性科学者たちと この話をちょっとしていたのだけれども, いつも,このことばかり考えていたら気が変になるけど, 5-10 % くらいは,常に頭のどこかでこの問題を考え続けるべきだ, ということが,今の中間報告です.

補足: 原発報道について気になる人は,「原爆と検閲」を 読むべきでしょう.大手記者団,自己検閲,表現の無害化,など 驚くほど類似性がある.


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10 月 24 日: の日本人

弦楽四重奏「福島の日本人(仮)」がやっと書けた. いや,来月ライブをするために書いているのだけれども,曲調がバラバラ. レゲエ調の曲,アラブ調の曲,ケルト風の曲... ああ,脳内の世界紀行なのかと思った.志郎康先生に指摘された,「地球儀」の中の世界. ドヴォルザークの「新世界」「チェロ協奏曲」にしても,「ニューヨークのチェコ人」だし, 「パリのアメリカ人(Gershwin)」「ニューヨークのイギリス人(Sting)」, 結局,己が己自身から逃れることは困難なのだ.少なくとも語法のレイヤーにおいては.

ということで,「ハバナの日本人」「ギザの日本人」「エジンバラの日本人」という 感じで,連作だと考えることにした. 「福島の日本人」だけは,淡白さ,明瞭さ,寅さんに泣くような類の単純さ, ひっくるめて自分自身のような感じになった.試演で和声が決まったときは, おお,ショスタコもこんな感じで嬉しかったのかと思ってみたりもした.

皆さんは,ジョン=ウィリアムズは映画音楽家であってクラシックの音楽家と 認めないかもしれないけれども,チェロフェチたるわしにとっては,それは どうでも良くて,チェロ協奏曲を書いていて,無伴奏チェロ曲を書いていて, 十二分にチェロ音楽に貢献しているから,どうでもいいのだ. チェロ音楽に貢献しない作曲家,たとえばモーツアルトやバルトークよりも はるかに偉大な作曲家だと思う. その彼のチェロとオーケストラのための「エレジー」に,ちょっと感化されている. どんな曲だったか,もう忘れたけど.

まあとにかく,これから稽古するので,来月になったら音源にできるかも.


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10 月 18 日: 理想の上司

落合監督とは,二冠王を獲得した90年の冬に,東山公園ですれ違った. 人もまばらな植物園で,奥さんと一緒だった. 浪人仲間の連れが「二冠王おめでとうございます!」と言ったら, 「おう」と手をあげて応えてくれた. しばらくして,またすれ違ったら,今度は向こうから小さく手を振ってくれた. どうもメディアのイメージと違うんだよなあ.何はともあれ,めでたいっす.

同点での優勝.本当,落合監督らしい. 何気に同年代の谷繁が現役なのも嬉しい.今後のドラゴンズが心配です. この地方の人々の作った組織の強さは,徳川幕府であれ某メーカーであれ,御三家・ 親藩・譜代といった「身内」でガッチリ固めつつ (ここまではそれなりの中小企業なら一緒), 「外様」を活かすところにあると思うのです.外様の価値を認め,活躍の 場を与えることにより,団結と技術革新の両者を得る組織こそが強いんです. ところが来年の中日はドメスティックすぎやしないかと. いい意味で裏切って欲しいです.


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10 月 17 日: Air for 4 Strings


後輩の結婚式のために,いわゆる「G 線上のアリア」 BWV 1068 M.3 を 無伴奏チェロのために編曲しました. これは,無伴奏ヴァイオリンソナタ BWV 1003 のアンダンテに 着想を得ました.こうやりゃ,チェロ一本で主旋律も伴奏も弾けるじゃん,と. BWV 1003 自体は,それで,中坊の頃にリコーダー 2 本を口に咥えて 演奏するバージョンに編曲したことがあります.

こういう制限つきの状況というのは結構好きで, ウィトゲンシュタイン氏がラヴェルやコルンゴルトなどに委嘱した 「左手のための」ピアノ作品群であるとか, 2002 年 6 月 11 日: 習作, てか? に載せた「まっくろくろのバラッド」(左手ピアノとハーモニカ)であるとか. 似たような感覚のものとしては,詰め将棋,プランターを使った野菜育て, 旧ソ連における作詩・作曲,awk で複雑な処理, などなど.

Finale で清書した楽譜を作りました. チェロ弾きの方は是非,弾いてみて. これは2段の楽譜をひとりで弾きます.フィンガリングを書いたので実現可能だということが示されています.一つの音符に二つフィンガリングが書いてある音は,途中でするっと変えます.3,6,8,16小節の上段のロングトーンは,部分的に音が欠けます. (2013. 04. 07 記)


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10 月 12 日: 嘘の人権 偽の平和

15 年以上も継続して備忘録を書いていると, この大した内容が書いていないページであっても, 継続そのものに価値が出現することがある. ああ,この頃に転職したな,とか, この頃にやっと自分の研究室を持てたな,などと 書き残していないことも含めて思い出したり, あるいはそのものずばり願ったものが実現されたり.

2000 年 3 月 6 日: 松平維秋の仕事 において出現を願った,「三浦さんの著作を集めたもの」が 表題の「嘘の人権 偽の平和」三浦小太郎,高木書房 (2010). もう今はご本人と連絡をとっていないので,ふと存在に気づいた著作集 なのだが,10 年を経てやっと出会えたというもの.

三浦さんは脱北者の支援活動を中心に東アジアのありようについて, 本書の言葉にもなっている「嘘」のない 地に足のついた活動と,言論を展開されている. 人権問題を語る人が,北朝鮮の人権問題について語らないのは嘘つきだ, という主張はもっともであり, 「チャンネル桜」で,議論・解説をされている動画を見ることができる. 素晴らしい時代だ. 本書も「諸君!」をはじめとする,いわゆる右翼系の雑誌に掲載されている 論考が中心となっており,ご本人も今をときめくネット右翼の人々の 支持を得ているようなので,その範疇で語ることが素直かもしれない.

しかし,上記松平さんと関連して三浦さんを思い出したように, わしにとっては,あくまで彼は語るロッカーであり, 生き様がロックなのだと思う. それが証拠に,本書の冒頭に置かれた, アメリカ黒人の人権運動の流れについて語った 「ハリケーンの精神の旅」において, 通奏低音としてボブ・ディランの「ハリケーン」を用いており, いや逆だ,この歌に導かれるように言葉が紡ぎだされているのである.

本当は,もっと勉強をして,ここで三浦さんが議論されている 福田恒存や勝田吉太郎などについて述べることができたら良いのだけれど, 本書を読み始めてから随分時間が経ってしまったので, 取り急ぎ,三浦さんがロックだということを本日は記録しておきたい. 最近,この「取り急ぎ」が多い気がする.


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9 月 10 日: チェリスト・ケミスト・ボロディン

最近,弦楽四重奏をたくさん書いているのですが, 大半が書きかけになってしまっていて, ふとボロディンのことを考えておりました.

これまで,チェリスト・コンポーザ (作曲するチェリスト) に ついては良く書いていたように思う. デュポール兄弟,ロンベルク,セルヴェ,ダヴィドフ,ポッパー, クレンゲルと,チェロ弾きからみると錚々たる面々であるが, 普通のクラシック音楽ファンはあまり良く知らないであろう. この人々は必然的にチェロのヴィルトゥオーゾであるため, 間違いなくチェロは上手.作曲については,それぞれ. 次に,チェロがすごく上手だけどクラシックの作曲家としての方が 有名な人としては,オッフェンバックがいる. 彼は若い頃はチェロのヴィルトゥオーゾとして活躍して, 途中からオペレッタの人となった. 知名度からいったらオッフェンバックは素晴らしいが, さらに純粋に業績という面でみたときのチェロ界最大の存在は, 間違いなくボッケリーニであろう. 彼は,何度も書いているように古典派の室内楽の創始者として ハイドンと並んで讃えられるべき人であるから, 並み居るチェロのヴィルトゥオーゾからは頭一つ抜けている.

あとは,チェロを弾けたけれども,他の楽器も相当弾けて, 作曲家として有名な人にヴィラ=ロボスがいる. といっても,ヴィラ=ロボスは同世代にたくさんの チェロのマエストロが存在しているから, 演奏面で圧倒的な存在とまでは言えまい. 似たような位置づけとして,ヴァイオリニストとしての エルガーやシベリウスがいるだろう. 要するに,コンチェルトを他人に教わらずに書けるくらい その楽器の演奏が上手な作曲家.

では,もう一人「押しも押されもせぬ大作曲家」である チェリストといえば,ボロディンを挙げないわけにはいくまい. 今日は,ボロディンの話を駆け足で.

ボロディンは,グルジア貴族の息子として生まれた. 母親は使用人だったため,農奴階級として登録された. ボロディンという名字は別の戸籍上の親からとった. 農奴といわれるとギョっとするけれども, 母とボロディンは大切に扱われ, 高校を卒業するくらいの年齢まで家の中で 好きな化学の実験室を与えられたし, 家の中には楽器がたくさんあった. 最初はピアノとフルートを, 後にチェロを練習した. しかし,農奴であったため,外の貴族たちの学校に 入れてもらうわけにはいかなかった. 大学に入る頃には,父親によって農奴から解放されて, 晴れて医学部に入ることができた.

大学に入ると,ジーニンという有機化学の先生の弟子となると ともに,室内楽の演奏と作曲活動が活発になった. ちなみに,作曲に関しては彼はほぼ独学である. チェロに関しては,仲間とともに室内楽を楽しんだ. その頃に親しんだ作曲家は,ボッケリーニ,ハイドン, ベートーヴェン,シュポア, メンデルスゾーンなどであったという. こうして並べて書くと,ボッケリーニとシュポアが 格下のように思うかもしれないが,それは ボッケリーニを知らない人がいうことでろう. メンデルスゾーンやシューベルトの家庭でボッケリーニが良く演奏されていた ように,ハイドンと並んでボッケリーニはヨーロッパの 室内楽のレパートリーの定番であった. しかも,彼はチェロ弾きなのである.ボッケリーニを 避ける理由はなにもない.

さて,このたび,ブリリアントレーベルから出た ボロディンの室内楽作品集を買った. 3 枚組で,うち 2 枚は,弦楽四重奏2曲,ピアノ五重奏, 弦楽五重奏,そこまでは完成品. ボロディンの室内楽といえば,この 2 曲の弦楽四重奏が 圧倒的に知名度が高く,他はほぼ無名である. 残りの1枚にある,弦楽六重奏,弦楽三重奏, ピアノ三重奏はそれぞれ,2楽章,2楽章,3楽章と 未完成.この作品集 CD には入っていないが, チェロソナタも2楽章で未完成. 要するに,ボロディンは室内楽を山のように 書いているのに, 未完成がいっぱいなのだ.

ボロディンといえば未完成. なんたって,代表作の歌劇「イーゴリ公」も, 結局何十年かかっても完成できなかった. 死ぬ 10 数年前に,「いくら何でも演奏しましょうよ」と 友達のリムスキー=コルサコフさんに言われて 有名な「ポロヴェツ (ダッタン) 人の踊り」の部分を書いた. しかし,ピアノ楽譜ができても,なかなか オーケストレーションが終わらない. そこで,演奏会の間際になって, リムスキー=コルサコフさんが手伝ってくれて, やっとオーケストレーションができて, 部分初演ができた. 「楽譜をピアノから(オケに)移しましたか?」と 聞かれて, 「ええ,ピアノの上から机の上に移動しました」 と答えたのは有名な話. 別に,怠けていたのではなく, 彼は当時,忙しかったのだ. 女性のために女子医科大学を作って, 資金繰りなどに奔走していたのだ. また,大学の一室に暮らしていたのだけれども, ピアノのある部屋の隣で子供が寝ていたりして, 作曲が進まなかった. ちなみに,序曲に関しては死ぬまでかき上がらずに, ピアノ版を弾いていたものを 弟子筋のグラズノフが耳コピして仕上げてくれた. 代表作を他人に書き上げてもらった 大作曲家なんて,ボロディンくらいのものだ.

でも,ボロディンは,作曲やオーケストレーションについて 無能だったわけじゃない. 交響曲は,それぞれ何年もかかったが 2 曲とも自分で書き上げて (3 曲めは リムさんに書き上げてもらったが,それでも出来たのは本来の 2, 3 楽章だけ), 当時の最大の作曲家の一人であるリストのところに 持っていった.すると「ボロディンさん,素晴らしい. これからはドイツじゃなくて,ロシアの時代ですよ. これは完璧なので 1 音符たりとも書き直してはいけません」と絶賛してくれた. で,ドイツ,フランスなどで紹介しまくってくれたおかげで 大作曲家として認知されるようになった. (かなりどうでもいいが,ボロディンの第一交響曲と 椎名林檎のある曲とが共通部分を持っているように思われてならない).

女のために途中で投げ出したのではないか,という曲もある. ポスドク時代のピアノ三重奏がそれで,メンデルスゾーン的な曲だ. ちなみに,ボロディンは若い頃は徹底した メンデルスゾーン信者であった. ロシアで勉強を終えたあと, ポスドクとしてハイデルベルクやパリ,ローマなどの 都市で有機化学の実験をして,論文を書いた. その片手間に,現地の音楽家たちと交わって, メンデルスゾーンをはじめとする当時の最先端の音楽を 吸収しまくった. でも,ハイデルベルクで後に奥さんになる ロシア人女流ピアニストと出会う. 奥さんは,「メンデルスゾーンよりも, シューマンやショパン,リストがいけてる」と 紹介した.そりゃあ,ピアニストからみたらそうだ. ということで,ピアノ三重奏の作曲は途中で放棄し, ピアノ五重奏を書き上げた.こちらの方は シューマンの影響が濃厚である. それらよりも前に完成させた弦楽五重奏が 笑ってしまうくらいメンデルスゾーン的であるのと対照的だ. (と同時に,これはヴィオラではなくチェロが二本の弦楽五重奏であり, ボッケリーニの伝統に連なる作品であるといえる).

実は,わしは,19世紀半ばにおけるメンデルスゾーンの 位置づけについて「軽くみられすぎているのではないか」と 考えている. 彼は,単一楽章の独立した管弦楽のための標題音楽を創始し (フィンガルの洞窟などの序曲だが,実質的には交響詩の元祖である), 標題音楽と多楽章ソナタ形式とを融合した交響曲を提示し(スコットランド), 循環書法を完成させ(弦楽八重奏など), ロマン派の中で宗教音楽を書き続けることを示し(エリア,パウロ), ヴィルトゥオーゾ路線とは一線を画す協奏曲のあり方を示し(ヴァイオリン協奏曲), サロン音楽としては性格小品集の決定版を多数出版し(無言歌集), オペラを除くあらゆるジャンルにおいてロマン派の音楽の手本を提示した. ボロディン,サン=サーンス,ドヴォルザークらの 初期の室内楽を見ていると,余計にそれが確信に変わるのを感じる. チャイコフスキーは,メンデルスゾーンの直弟子である ゲーゼに学んだ A. ルービンシュタインの弟子だ. つまり曾孫弟子である.だから,ロシア国内で「西欧派」 などと言われて,バラキレフやムソルグスキーなどから 距離を置かれた.ボロディンは,バラキレフ・グループの 中心人物の一人だ. しかし,実作を見る限り, ボロディンほどメンデルスゾーンを中心とする 西洋の最先端の作曲技法を身につけている人は いなかったのではないかと思われる. そうした,ロマン派音楽における メンデルスゾーンの位置づけについて考える際の 良いサンプルに,ボロディンはなると思う.

ボロディンと過去の音楽との関係で,一つ主張したいことがある. イーゴリ公と並ぶ代表作である 「中央アジアの草原にて」(こちらは完成させた. スコアを読むと,意外にシンプルにかかれているのが判る)は, 行列がやってきて, 去っていくという構図であるが, 他に有名なこの手の作品としては「ボレロ(これは 来るだけだけど)」や,「ペルシアの市場」などがある. しかし,両者は「中央アジア」よりも後の作品. それ以前の作品としては,ボッケリーニの 「マドリードの夜警の行進」がある. これは,ピアノ五重奏やギター五重奏などたくさんの 作曲者本人による編曲が残っている,本人としても 気に入っている作品であり,20 世紀になって ベリオが管弦楽曲の素材に使ったりしている. 一つの主題による変奏曲が,やはり,順番に 盛り上がってきて,去っていく. 室内楽好きだったボロディンが,ボッケリーニの この作品を知らないはずがないと思うのだが, いかがであろうか. ボロディンの方は,さらに主題が二重であり 凝っているが,引用文献一覧をつけるなら ボッケリーニのマドリードは必須だろう. このことは「中央アジア」の解説には 見たことがないけれども,ほぼ確実に そうだと思う.

もう一つは,ピアノ三重奏を上では 「未完成」と分類しているが,本当にそうか? ソナタ形式の第一楽章,緩徐楽章,メヌエット, そこで終わっている. メヌエットで終わる多楽章の室内楽, これは,ボッケリーニの作品には良くあるパターンなのだ. そのつもりで聴き直してみると,なかなかに立派な終楽章で あるようにも聞こえる. 上に述べた「彼女のせいで投げ出した」説も 捨てがたいため,これについては「絶対」とは言わないけれども 興味深いと思いませんか.

ボロディンは化学者としても ボロディン反応やアルドール反応を発見しており, 学術上の盟友であるメンデレーエフほどではないにせよ (さすがに周期律を発見した人にはかなわない), 今だったら有機反応論の基礎を築いたということで ノーベル賞級といえる業績を残した人である. おまけに大学や化学会なども作って,多忙を極めた. 未完成作品が多かったとしても, 彼は彼なりに満足だった (そりゃ,わしからみたら 音楽,化学どちらの業績とも圧倒的だし) のではないかと 想像している. でもやはり,チェリスト・コンポーザなのだから チェロソナタくらいは完成させて欲しかった. 本作はバッハへの愛がみなぎり, グリーグやラフマニノフなど北欧のチェロソナタを 予感させる名作である.

我にかえって,まあ, わしとしては,自分の曲は 名作じゃないけれども可愛い我が子, 一曲でも多く演奏可能にしなきゃな,と.


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7 月 13 日: ピアノの調律

先日は, 良い考えを書いておけば自動的に広まる,ということはないわけです. と書いたけれども, 今日は, 良い技術を持っている職人がいつまでも仕事をしてくれる, ということはないわけです,というお話.

うちのピアノは 2006 年 5 月 13 日: ピアノ に書いたように,5 年ほど前に生まれ変わった. 以来,年に一度,この U7 を復活させてくれた人が 毎年,調律してくれていた. ずっと調子が良い. タッチなどについて,こちらのお願いも聞いてくれるし, 終わったあとのお話も面白かったし参考になった. ところが,今年は同じ工房の別の人から電話がかかってきた. 元の調律師は辞められたという. わしも転職経験者なので,このあたりの按配は若干想像できるのだが, これは独立されたのではないかと思った. で,ネットで検索したら, 個人の調律師として名前が載っているページがあった. そこの電話番号にかけてみたら,本人が出られて, まったく別の仕事に転職されたとの由. 次にどんな仕事に転職されたのかは言われなかったが, ご成功をお祈りいたしますと,申し上げた.

お世話になる職人探しは難しい. 家を建てる人,ピアノを調律する人,チェロの弓の毛を張り替えて くれたり楽器の調整をしてくれる人, メガネ屋さん,理容師,歯医者, プライベートだけで考えても,とても多くの職人の 世話になって暮らしている. あと,わしには歯科技工士の友人がいるが,たとえば歯医者にいったら その歯医者と提携している歯科技工士の世話にもなっているわけで, そうした直接会わない職人も含めて, トータルでは無数の人々の恩恵にあずかっていることになる. わし自身も,その無数の職人の末席にいる(と思う).

わしの場合は,一度その技術に納得したら,基本的に浮気をしない 性分なので,できれば,今現在世話になっている人には ずっと世話になりたい.まあ,老人になって引退するという人を 無理に引き留めるのは何だけど,同世代以下の若い人が途中で辞める ということについて,何ともやるせない. うちの U7 についていえば,40 年近く前から購入したヤマハの調律師に やってもらっていたが,その方は引退されて,以来 10 年以上も 放置されていたようだ. ちなみに,その調律師の方には,中校生の頃にサシでコンサートに 連れて行ってもらったことが一度だけあって, そのときの雰囲気が,家に来られるときの雰囲気とちょっと違って, 音楽マニアとして別の風格を感じて,印象的だった.

ピアノの調律師という仕事は,19 世紀の頃は一軒調律したら 1 か月は食えた,という仕事らしい. その後,庶民の教養として広まるにつれて,ダンピングしていったのだという. 芸術のパトロンが貴族から庶民になった,ということは, 庶民が芸術と,それを支える技術を尊重して,評価して, 投資する責任が生じたのだと思う. サービスは安ければ良いというものではない. 形式上は庶民の代表となっている, おかみがやってくれたら楽なのだが,すべての分野を網羅するのは難しい. たとえば鵜飼の鵜匠は,岐阜県に鵜と一緒に住んでいても 宮内庁の公務員なんだそうだが, この考えを徹底していけば,共産主義政権の文化保護に行き着く. ある意味,それも良いのかな? 例のショスタコビッチの証言を読むと,肯定する気になれないが.

ということで,ぽっかりと穴があいたような気がして, ピアノ・マニュアル, ジョン・ビショップ, グレアム・バーカー著, 後藤泰子, 元井夏彦翻訳, ヤマハミュージックメディア (2010) という本をボケっと読んでいる. ピアノの中の構造が詳細に書かれていて, しかも,現在日本で入手可能なピアノにはないような, いろんなタイプのものが紹介されていて,おもしろい. この本には,読めば自分で調律できるようになるということが 書いてあるが,同時に,調律師のお世話になるべきだ,とも 書いてある.今は良い時代で,以前数千円も出して ハンマーを通販で買ったことがあるが,一本の弦を微調整する だけで膨大な労力を費やしたので,とても全部の弦を さわる気にはならない.こうしたリアリティを感じるだけで いいのだろう.


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7 月 7 日: Coulomb soup

ちょいと調べ物をしていて驚いたのは, Coulomb soup というキーワードでググって,7 件しかかからないこと (ここに書いたからじきに 8 件になると思うけど). Coulomb soup というのは,10 年ほど前に U. Mass. の Muthukumar 教授が生命現象の生じる環境は高分子電解質溶液であり, Coulomb soup と呼ぶべき環境である,と述べたこと. 「生命は海からうまれた」,どうして命はしょっぱい液体で生じる現象なのか, ということをミクロな立場から表現した, 大変良いフレーズだと思っていたのだけれども, 全然広がっていない.驚くべきことだ.

Muthukumar は天才です.Manning 先生は,対イオン凝縮をはじめとする 高分子電解質溶液の物理を,凡人にもわかるように,化学の言葉に 置き換えた人です.Fixmann は数学的にもう少し洗練されているし, 対象とする分野も広くて偉大であるけれども,物理学の原理主義者です. その点,Muthukumar は数学的に困難な問題を,明瞭に解いていて 両者の良い点を兼ね備えています.

5 日に述べたことは何百万人,何千万人も関係していることなのだが (しかし,あまり強調されていないことだが), 今回のキーワードは世界的にもあまりにレアで,そのギャップに驚く. うーむ,いろんな意味で残念. とても大事な考え方だと思うのですよ. わしはこの 10 年,これについてずっと考えていたのに. 日本語,というかカタカナで書いたものは,01 年の当ページに ありましたが. ネットがどれだけ発達しても, 良い考えを書いておけば自動的に広まる,ということはないわけです.


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7 月 5 日: 胸を打つグラフ

小寺信良さんの 教科書の電子化に横たわる課題 というコラムを見ていて,それ自体も興味深い話ではあるのだが, そこからリンクされている 東京都教育委員会の「教員の年齢別構成」資料 を見たら,泣けてきた. 50 代以上の半分,あるいは数分の 1 しか 我々氷河期世代は採用されていないのが一目瞭然. そうそう,別に初等教育の教員だけじゃなくて, どの分野の仕事でも,こんな風だったんだよな. 四大をストレートに出たら,まだバブルが残っていて, 浪人するか修士以上に進学してしまったら,もう氷河期. 理学系では教職なんて取っても無駄だという感じだったし, 実際に同世代の教育学系の学部出身の人々でも教員になれた人は ほとんど知らない. 学校の先生は,中途採用は少ないのかな. 民間企業の多くでは,小寺さんご指摘のように 世代構成がいびつだから,中途採用によって何とか間を持たせた.

見ていて,静かな怒りがわいてくるグラフだな. 財政が逼迫して,真っ先に切るのは子ども手当であって 高齢者の福祉も年金もそのままだし. こんな世の中だから「もうや〜めた」と,言いたいのだが, 言ってもはじまらないので, 恐ろしくポジティブ思考で,明るい未来についての 計画を練っている. 人間って面白い.


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5 月 8 日: 関連またはナンキン

固体物理」 の 3 月号に,昨年の 2010 年 10 月 1 日: 教科書に載ってた に書いた 10 年ぶりに人前でピアノ独奏を行うの巻,が紹介されていたと 教えていただいて (研究発表も紹介されていたのはさておき), それはありがたいことだと, ここにリンクを張ろうと思って web を覗いたら, 3 月号の発刊が遅れたのは気仙沼の印刷所で行われていたからとの由. よくご心配いただくように自動車部品関連は大変なのですが, 印刷所までとは.

そういえば,超久しぶりに金魚の話題で, 出雲市にある金魚屋さんに出雲ナンキンをみにいった. 店頭ではあまり見かけないような,立派な親魚をみることができた. 出雲の会は不昧公以来の伝統を究めることを目指し, 宍道の会はランチュウのやりかたを参考に 理想のナンキンの姿を究めることを目指している,という違いがあるらしい. あなたの近所にも立派なブリーダーがいますよ,っと聞いて ネットで検索してみたら,確かにおられるではないか. 凄いな.土佐錦魚でもそうだけど,人から人へ,広がっているんだな.

(追記) 故 高木仁三郎 博士の 核施設と非常事態--地震対策の検証を中心に-- 日本物理学会誌, 1995, 50(10), 818--821, が,ネットで流行しているようだけれども, この論文は 2010 年 2 月 26 日: 昔の論文を愉しもう で紹介した CiNii に置いてある. しまった,こういう示唆に富んだ深い文献を紹介できていれば良かった. もう少し言うと,彼の「市民科学者」という立場は (わしがその筋でより親しみを感じるのはラヴロックさんであるが), その立場自体が大変刺激的であり,科学者として社会と どう関係するかについて問われているように感じる. 暫定的な自分の答えとしては 2009 年 4 月 11 日: ハイドンのオペラ時代 2009 年 12 月 25 日: 世のため人のため あたりに述べたように,一言でいうと ハイドンのように働きたい,ということなのだが, 今年はそれに加えて,より若い世代の人々との コラボレーションを考えているので, 何とか心休まる.


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4 月 11 日: シルクロードまたはゴッホ

出来上がってもいない曲について解説するのも何なのだが, 「番假崇」を弦楽四重奏のためにリメイクしている. 2005 年 7 月 3 日: 天平の甍 に書いたように,5 年ほど前から まとまって雅楽のライブや CD を聞く機会があってから, いつか,「番假崇」を何とかしたいと思っていた.

これ,難しい知識なしにチェロ弾きの人だったら聞いてもらったら 判ると思うんだけど,芝祐靖さんが正倉院に残されていた楽譜から 起こして演奏録音された奈良時代の琵琶曲「番假崇」は, とくに原曲のソロ・バージョンは, 20 世紀の無伴奏チェロ曲の持つ緊張感と きわめて近い,親戚関係にありますよね,と. チェロのピッチカートで耳コピしたくなる. 以前 Kuss Quartet のライブにいったら そのセンスに感動したんだけれども, 彼らの BRIDGES というアルバムが判りやすいのでこれを使うと, ラッソだとかダウランドといった ルネサンス期の音楽と, クルターグとかアデスの現代音楽とを 交互に並べると, 意外なことに,かもし出している雰囲気が似ている. これと相通じる,というか.

前後して,鍵盤ハーモニカで笙や篳篥の真似をする研鑽を積み (家人には雑音でしかないわけだが), 何とか「番假崇」に接近できないだろうかと,歌い,考えていたのだった. さらに,歌っている間に,ゴッホについて思い至ったのであった. ゴッホの「雨の橋」という絵があるでしょう. 広重の浮世絵を模写した,という. 奈良時代の琵琶の音楽を,現代の弦楽四重奏で 模写をするのに似ている. チェロやヴァイオリンは,筆や絵の具としては, 随分と粗い,油ギッシュな,やっぱり西洋的な 道具なのですね. ただ,わしはこれが一番良く知っている表現方法だから, いやもっと正直にいうと,チェロのピッチカートに対する フェティシズムが,よりエキゾチックなもの, 辺境的なもの,始原的なもの,を希求した結果として 正倉院の楽譜にたどり着いた,ということなのです. たぶん,ジャポニズムの画家たちにも, 油絵の具の可能性に対するフェチが あったのではないかと.

芝祐靖=伶楽舎の CD にも,琵琶以外の雅楽パートを 作曲した版が二種類ついていて, この圧倒的な演奏をそのまま西洋楽器に コピーしたのでは単なるコピーなので, 記憶から抜けるのを待っていた. その間, 雅楽の分類や,とくに調について, 邦楽の基礎のお勉強も,せっせとした甲斐があった. これが,この 5 年間のひとつの意味だったんだ,なるほど. 古代と現代とのコラボという意味では, Kuss Q. よりも,より外縁を狙っているともいえる. 「番假崇」の側からみたら, シルクロードを旅して正倉院にやってきて, 千何百年か経って, 何だか知らないが弦楽四重奏になったよ,と. 愉快ではないかな.


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4 月 8 日: 程(ほど)を越す

従兄が堺で自転車の博物館をしているのだが,そのブログで, 4月3日 施(ほどこ)すとは程(ほど)を越すことである. 良いことを書かれていたので転記. (旧サイト).

この言葉の主は母の長兄で, わしにとってはこの伯父が祖父代わりのようなものだった. 京都で町医者をしていた伯父の家にいくたびに 説教をしてくれたのだけれども, ほとんど内容を覚えていない. 従兄はちゃんと覚えていて, しかも実践している. ただただ素晴らしいです. せめて,言葉は人から人へ伝わって,言霊となるのでと思い.

今年は,某計画案が通り, より若い人たちと勉強する機会を与えていただけそうなので, ガッカリされることのないように努力したいものです.


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3 月 27 日: H4n

ZOOM の H4n という IC レコーダの親玉を導入. 講演会の録音を頼まれて,未だに現役の TCD-D8 という ポータブル DAT だけでは心許ないということで便乗導入というか. また,しばらく前から弦楽四重奏をたくさん書いていて, 実際の響きを録音しながら修正するのにちょうど良いかな,と. また,最近は懐かしい人々も含めて 作曲をする人が毎日新曲をネットにアップするのが流行しているそうで. GLAY の人も IC レコーダで録音しているというが, IC レコーダといってもロッカーなんだから H4n みたいな奴だろう, と勝手に合点している.

いざというときに,ファンタム電源もある機種でいうと, TASCAM の DR-100 が対抗馬となり,多くのヴァイオリン弾きの 皆さんがこちらを支持している. こちらの方が,内蔵マイクがヴァイオリンの生録に向いているらしい. けど,単純に値段が 1.5 倍なので躊躇した. というか,H4n が安すぎる. 25 年くらい前にコルグのクロマチックな チューナー/メトロノーム (DTM-12) を 2 万円出して気張って買ったことを思い出すと, 本機にはおまけ機能としてそれがついていてるのに, 同じくらいで驚愕だ.

さて,講演会の方は DAT, H4n ともに 16bit, 44.1 kHz で 録音したのだが,H4n の方が S/N 比が良くきれいにとれていた. DAT のマイクの ECM-MS907 が良くないのかもしれない. H4n の内蔵マイクは,皆さんの評価を総合するに, バンド小僧が好みそうなチューニングで,いわゆる ドンシャリだと思っていた. 1 月 5 日: 駒を削った と同じフレーズを録音してみた.
イタリア製3号 H4n (Vc, mp3, 1.2 MB)
cello → H4n
意外なことに, H4n は,チェロには良いかもしれない. ドンシャリ,なのかもしれないが, ちゃんと中低音が野太く出ているのが良い. 実は,というほどの知識でもないがチェロの 音域とギターの音域はほぼ一緒で, こういう機材はマーケティング的に 生ギターをきれいに録れるように作られている, ということなのだろうか. ちなみに,こういう作業には別売りリモコンは必須である. ともかく,機材に拘るより練習をしなきゃな, スケールをやってないと音程がすぐに悪くなる, という気分にさせられる道具であった.

ところで,今日の文章は PC-Z1 上の emacs で入力した. 慣れると普通に打てる. ctrl キーの位置がちょっと気になるが, カーネルをビルドするほどのことか微妙. もう一つくらい欲求が出てきたら,ということで.


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3 月 21 日: ただただ

ここは備忘録なので,世の中の 8 割方の人が知っている ような話題はあまり書いていない. リアルでは普通にしているのですが. たとえば,先月だったか, 「珍しく安藤美姫 が優勝したというのに, テレビのニュースや新聞でやってたのは 2 位だった浅田真央の話題ばかりだった. ありゃおかしいんじゃないか. 世の中は不公平なんだから, スポーツでくらい優勝者を素直に称えなきゃ」と 飲み会の席でいったら, 「世間の関心は真央ちゃんにあるんだから 仕方がないじゃないか」とアッサリ反論されて, まあ,そうだけどなあ,と. 今回の地震と津波と原発事故に関しても, 東北地方でお世話になっている方は 沢山いるので,ただただ, お辛い状況を乗り越えてください,応援します, お祈りします, と思うばかり. 妻が水戸の知人に物資をお送りした. 茨城も牛乳 1 パック買うのに 2 時間も 並ぶくらい物流が途絶えているそうだ.

けど,こういうことを書き連ねても, 書いている気持ちが真摯であっても, 情報を探す側にとっては 残念ながら凡庸であり, 大半の人と同じ意見であり, ノイズにしか ならないわけで, 結果として沈黙している. 沈黙の対極には, ワイドショーのコメンテーターをやる, という仕事があり, その神経には常々敬服している. 「これだけはオリジナルの考えだから, 発表せねば」というものが, 原著論文や楽曲であり, オリジナルでないことの恐怖と 日々闘った挙句, ひねくれてしまったのだろうな.


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3 月 10 日: PC-Z1

モービル,なんでモバイルというのか知らないがモバイルな 計算機環境は,5 年ほど前に定住するまでは,死活問題だった. 思えば,当 What's New! もいろいろな計算機環境で書いていた. 主だった環境は 登場人物(マシン?) に書いてあるが,簡単にいえば モ バ う ろ う ろで別ページを 作ったドコモバ + PocketBSD な環境があって, その次に,新幹線上で生活する (=毎月の家賃の合計よりも 新幹線代の方が高い) ようになってから Linux (debian) の入った VAIO SR で生活するようになった. 前者は,東京の定住者が メール,ウェブ,文章書きが 出来れば良かっただけだったのだが, 後者は,計算をして論文を書くために必要な あらゆる作業が必要だったため,より深刻だったといえる. ノート PC より軽量な何か (PIM のようなもの) で モービルな環境が済む,という人は,軽度なモバイラー, というか,ずばり「定住者」だと思う.

で,最近はまた軽度なモバイラーであったため, 携帯電話だけで満足していた. 携帯電話は,一応シャープの SH53 や 今は 912SH という,その時々のフラグシップモデルの 立派なガラケーなのだが,メールは相変わらず 数行しか打てない.外部のアプリもほとんど使わない. ウェブは文字だけ見る. 仕事で出かけるときは ノート PC. Let's note R シリーズとか,最近は VAIO X. VAIO X は素晴らしいですよ. CPU が Atom でショボいのだけれども, Windows XP で普通に動いて, 画面も type P より大きくて実用的だし, 655 g と,VAIO SR の半分の重さ. ときどき大学で数時間の集中講義をさせていただくのだけれど, それくらいまでのサイズの PowerPoint ファイルは普通に開く. それでも,より慎重に Let's note の J シリーズを 買い足そうとしているけれども, Core i7 機が 1 kg を切っていて, 何の文句があるのかと.

無理やり小さいマシンでモノ書かなくてもいいじゃん, ノート PC でいいじゃないと思う. それくらい,実用的なノートが軽くなってきている. 最近の新製品で興味があるのは Mac Book Air くらいか. iPod touch や iPad,あるいは Android 系はダメです. なぜなら,emacs が動かないから. 同様に,UMPC の先駆けとして有名な HP 100/200LX を使ってない理由も,emacs が動かなかったから. Morphy One に期待したのも,emacs が動く最小端末っぽかったので. まあとにかく,ドコモバを手放して以来, 「いかにも」な新しいガジェットを 買わなくても,幸福だったのです.

が,本日の表題にあるようにシャープの NetWalker PC-Z1 を本日買ってしまった. これは,409g のフルキーボードの ubuntu の入ってる Linux 端末. 直接的な原因は,自宅で入ってるプロバイダから携帯 WiMAX ルータが,何だか無料キャンペーンで送ってきたので. 新しい iPad も出たし,何か今時の端末を買おうかと思ったが, 結局 emacs が動かないから意味がないという 素晴らしい結論を得て,4 万円の LOOX U / G90 (普通の Windows ノート PC) と迷った挙句, やはり,定住者の余裕,ギャグで買うなら, この無骨な UNIX 端末, ドコモバやリナザウの正統な末裔である emacs 端末を 一度は遊ぶべきだということで,PC-Z1 にした次第. LOOX の半額. NetWalkerガリガリ活用術,米田 聡,ソシム(2009) という,PocketBSD でいえば 「聖典」 のような本も注文した. この本は,ちょっとイカれていて, たとえば USB 接続の D-sub の外部ディスプレイ端子に 出力する方法なども書いてある. そもそも PC-Z1 でプロジェクターを使った プレゼンテーションをしようと思うのは,変態的であろう. A キーの横に Ctrl がないので, カーネルをビルドしなおして A と Ctrl を共有するなどという裏技もあるようだ. もちろん,ネットを丁寧に探せばなくはない情報なのだが, 情報をネットで検索していて思うに, 全体的に, この端末は 変態を吸い寄せるのだと思う. わしと同世代以上のオジサンばっかりが書いてるし. 90 年代前半の端末である HP 200LX と平気で並べて議論してるし.

まあとにかく,WiMAX のお試しのためとはいえ, いかにも変な UNIX 端末を買ってしまったので, 必然的に Linux ネタが書けるだろう. 1.5 年前発売の端末なので,とっくに旬は過ぎているが, こういうものは息が長い.枯れてからが勝負だ (意味不明). このサイトも,未だにアクセス数が一番多い Linux のページは全く更新しておらず, 更新は当 What's New! ばかりだったので, 良かった?のか. 先月,中を見せてもらった次世代スパコンも Linux だというし,愉快なスケーラビリティに 敬意を表して,久しぶりに Linux の デスクトップ環境も考えてみるか. 遅い遅いというけれども,486SX で X Window を 使っていたことを思うと速いだろう.

ということで, PC-Z1 備忘録


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2 月 17 日: コンサートという儀式

マは芸術と科学との相違について著名な理論物理学者と議論をしていた. 学者はこう言った. 芸術も科学も想像力と創造性を重んじるが, 科学においては最も的確な理論は真理に照らして 試されねばならないのに対し, 芸術の仕事は想像力のみに依存せねばならないと. マはこれに同意せず次の点を強調した. 科学理論は何度も繰り返し得る実験を通して試されるが, 音楽上の真理は ―それは独自の内部法則を樹立するものであるが― コンサートという儀式を通して現れると. マの説明はこうである. 「この生命への畏敬と驚嘆の念を共に分かち合うという 感情を持って, 私はコンサートという儀式に臨むのです. 儀式は作曲者がいて,演奏者がいて, 聴く人がいる時に始まり, 儀式の意味は,ある種の真理を表現しようという 努力が分かち合われた時,深まるのです. 折よく真理が捉えられ,参加者全員の記憶の中に 生き続けられることを,しばしの間人は願うのです.」
「名チェリストたち」マーガレット・キャンベル著,山田玲子訳, 東京創元社 (1994)
こんな身近な?本に,こんな興味深いことが書かれていたとは. キャンベルの本は 2007 年 8 月 2 日: ボッケリーニとメンデルスゾーン で批判した通り,あまり好きではなかったのだが 最後のヨーヨー・マの節に何げに面白いことが書いてあった. 対談者が理論物理学者だというのが面白い. いかにも,理論物理原理主義者の言いそうな,思いそうなことだ. 「最も的確な理論は真理に照らして試す」というのは, 一見もっともだが,これは数学者の仕事だ. 理論物理が自然科学を標榜する限り, 科学的真理は実験を通してのみ見出される. もちろん,たとえば統計力学における エルゴード仮説のように, 実験的検証は困難であり, 「真理に照らして」導いたとしか思えないような 理論は存在するわけだが, 原理原則を突き詰めれば, 全ての自然科学仮説は実験検証を待っている段階なのであり, 「真理に照らして」なんて格好良い, 形而上学的な存在に祭り上げるものではない.

マの言うとおりだ. 実験とコンサートとがコンパラなんだ. ああ,そうだ.ついでに言うと, コンサートとコンパラなのは学会発表じゃなくて実験なんだ. 2010 年 4 月 11 日: 対バン で思ったことと,多少ずれる気がするが, それでいいのかな? (あと,昨年 11 月のコンサートには行けずに,すみません.)


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2 月 14 日: チェロ音楽の 1915 年問題

コダーイの無伴奏チェロソナタを弾いてみたら,意外に楽しかった. チェロ好きの人で,この曲を知らない人はいないだろうし, 当然わしも弾こうと,ずっと前に楽譜は買ってあったのだが, 手をつけていなかった. (下二本の弦を半音下げる) スコルダトゥーラも面倒だし. カサドの方が弾きやすそうだったので, これは結構練習した. で,ふと思い立って,コダーイの難曲を 弾いてみたら,結構楽しかった. 昔は,楽譜上にいろいろな無理があるように見えていたのだが, よくよく音をとってみたら,カサドと同じように演奏しやすく 書かれている部分が多い.重音も,そんなに無理がない. C 弦ならぬ H 弦, G 弦ならぬ Fis 弦の下二本のタングステン弦が 何ともいえない地響きのように良く鳴る. 松やにが左手の指についてしまうハイポジションも, ちゃんと音楽的に鳴る. 6 年ほど前に新しい楽器にしてから,弾こうと思っていなかったのが 気づきが遅くなった原因かもしれない. あと 20 年後に,体力が残っているか謎なので, 今のうちに弾いておこうとも思った.

先生に習っていた頃は,あまり現代曲を教えてもらえなかった. まあ,それ以前にやることが多かったのもある. でも,"新しい" 音楽としては,ドビュッシーのソナタは 教えていただいた.これは,ピアノの O 君とも,かなり合わせて, 人前でも弾いたり,楽しませてもらった.

このコダーイの無伴奏ソナタと, ドビュッシーのチェロソナタは, どちらも 20 世紀を代表するチェロの音楽であるが, なんと 1915 年という同じ年に書かれている. と,考え始めると, 20 世紀を特徴づける「無調」作品の代表である ウェーベルンの「チェロとピアノのための 3 つの小品」も 1914 年と,ほぼ同じ年に書かれている. 協奏的作品としては,ブロッホの 「チェロとオーケストラのためのヘブライ狂詩曲シェロモ」も 1915 年の作曲,1916 年の初演だ. 1915 年前後に,20 世紀のチェロ音楽というものは 一気に規定された,といえる. まるで,カンブリア紀の生物学的な大爆発のようではないか (でも, グールド博士には注意した方がいいかも. というのはこちら). あらゆる種類の,新しいチェロ音楽がこのときに誕生した (ちなみに,わしの師匠の師匠であり現役最高齢チェリストの 青木十良先生が生まれたのも 1915 年である). では,どうして,このタイミングに これら 4 曲によりチェロ音楽の 20 世紀がやってきたのか, というのが本日のお題である.

これらの曲にまず共通しているのは, トリスタン和声をさらに拡張した 無調や教会旋法といった 革新的な和声, 土俗的なリズムあるいは 極端な変拍子, ソナタ形式から遠く離れた形式, といった様式である. 20 世紀がはじまった 0 (ゼロ) 年代は, これらの点において, まだ 19 世紀をひきずっていた. ロマン派の音楽を上手に弾くための練習曲集である ポッパーの教本 (Op.73) が完成したのも, ラフマニノフのチェロソナタが書かれたのも, クレンゲルの最後の協奏曲が書かれたのも この頃のことである. ドヴォコン (1895 年) から 10 年も経っていない のだから,感覚的にもわかる.

その 19 世紀的雰囲気が,1915 年前後の 4 曲で 一気になくなったのだ. チェロ音楽以外の音楽史を見渡すと, 1912 年のシェーンベルク「月に憑かれたピエロ」, 1913 年のストラビンスキー「春の祭典」 の初演が最先端の大事件としてある. 19 世紀的な,前者において調性が,後者においてリズムが, 崩れた決定的作品であった. シェーンベルクといえば, シェーンベルク的「現代」に至る足跡がよくわかるジャンルとして 弦楽四重奏がある. ニ長調作品番号なし (1897) は,メンデルスゾーン的な中期ロマン派作風. 第一番ニ短調 (1904/1905) は後期ロマン派 (といってもマーラーが理解できないと 述べたくらい複雑). 第二番嬰へ短調 (1907/1908) は, ついに終楽章で無調となり,ソプラノの声楽が入る. そして,20 年ほど飛んだ第三番 (1927), 第四番 (1936) では 12 音技法となる.

この,シェーンベルクの弦楽四重奏第二番のような 位置づけの,つまり「ロマン派の危機」を感じさせるチェロ作品としては, レーガーのチェロソナタ第 3 番 (1904) がある. よく考えるとヘ長調なのだが,一瞬なに調だか判らなくなる. 同じくレーガーには無伴奏チェロ組曲が 3 曲 (Op. 131c) あり, レーガーこそが実作品において,1915 年の大爆発を 用意した人物ともいえよう. この無伴奏チェロ組曲自体が 1915 年の作品だ. コダーイの作品がなければ,このレーガー作品は霞まなかったであろう. レーガーの無伴奏チェロ組曲はバッハへのオマージュに満ちており, バッハ崇拝者の音楽としては妥当といえなくもないが 後期ロマン派作曲家としては位置づけの難しい作品であるが, コダーイの作品ほど前世代との隔絶は感じない. こうしてバッハ的な無伴奏弦楽器のための作品が書けるということを 実証したのは,前年の 1914 年の「無伴奏ヴァイオリンのための 前奏曲とフーガ (Op. 131a)」である. 有名なイザイの無伴奏ヴァイオリンソナタよりも 10 年ほど早い. その意味で,この Op. 131a はコダーイに対して 無伴奏弦楽器ソロの作品の実例として参考になったかもしれない.

さて,ここまでクダクダと「誰それの影響が」と書いてきたわけだが, 1915 年の爆発は,逆説的だが「誰の影響でもない」というところに 特徴がある. これら 4 曲の中で,作曲のいきさつが最も有名なのは, ドビュッシーのチェロソナタである. ドビュッシーは晩年に,フランス風の組曲を復興させたいとして 6 つの室内楽ソナタを計画した. そのうち,フルート・ヴィオラ・ハープの曲が第一曲. 第二曲がこのチェロソナタ,そして第三曲のヴァイオリンソナタを 書いた時点で,作曲者は天に召された. ということは, このソナタは,誰か有名なチェリストからの依頼があったわけでもなく, 全く自発的に書かれたということがはっきりしている. ロマン派のソナタとはすなわちドイツ風のソナタであるわけだが, あえてフランス風の,というところに, 第一次世界大戦の影響があることには注目しておきたいが.

残りの 3 作品はというと, ウェーベルンの「三つの小品」は,父親の誕生日プレゼントとして, チェロソナタを書き始めたのだが,一楽章だけを書いて, 長い作品がかけないということで,彼のミニマリズムの発露として 「三つの小品」となった. ということは,これも自発的に作曲している. ちなみに,ウェーベルンはピアノの次にチェロを学んでいる. コダーイは,ヴァイオリンを学んでいる. コダーイの曲が書かれた経緯の詳細は,良くわからないのだが, 1915 年に書かれたわりに初演が 1918 年と 3 年もかかっていること, 演奏が非常に難しく,1921 年にバルトークがこの曲の独創性を 高く評価する宣伝文を書いていることなどを考えると, 基本的に誰か特定のソリストに依頼されたわけではなく, まるで後の世代のリストやクララ・シューマンによって価値を示された ベートーヴェンの「ハンマークラヴィーアソナタ」のように, 次世代のために, 本人の内なる音楽的衝動がこの作品を書かせた,と考えるのが妥当であろう. 「シェロモ」に関しては,ブロッホはヘブライ的な音楽を作りたい, そのために当初は声楽とオーケストラのための作品を考えていたところ, チェリストのバルヤンスキーの助言を得て, ソロをチェロで受け持つことにした. ということで,「シェロモ」の起源は声楽にあるのである.

以上の 4 つの事例から明らかなことは, チェロ音楽の革新,チェロの表現力の拡大については, チェリストではなく作曲者の力が圧倒的になった,ということだ. これら 1915 年の作品群を初演した演奏家は,それぞれ異なる. 作曲の動機も異なる. 器楽におけるロマン派が 天才的ヴァイオリニスト=作曲家である パガニーニの出現によって開始された, つまり一極集中型であるのと異なり, チェロ音楽における 20 世紀は いわば同時であるが分散的に訪れたのである. 19 世紀は,チェリスト=作曲家の時代であり, 有名な専業作曲家から作品を献呈されるにしても, 演奏家自身の手による作品も書かれている時代であった. しかし,20 世紀は,演奏家と作曲家の分業が決定的になった. いわゆるヴィルトゥオーゾの時代ではなくなった.

4 作品のうち,ウェーベルンを除く 3 作品が, 民族的な動機を持つこと,すなわち 第一次世界大戦との比較的直接的な関係があることも興味深い. 外的には,世界大戦が起こったことと, 先に述べた「春祭」「月に憑かれたピエロ」らの初演が, 世代や国を異にする 4 人の作曲家が同時期に チェロの先鋭的作品を作るトリガーとなったのであろう. 民族的ということに関してさらに言うなら, この,民族的であるということが普遍性をもたらす 経路であることを作曲家たちは自覚していた. このユニバーサリティの追求という面では, 調性を積極的に解体し数学的な自由を獲得していった ウェーベルンも全く同位相に置くことができる.

また,ブロッホにおいて「声」を超克する手段としてチェロが 選ばれたこと,コダーイにおける上下方向への音域の拡大, ドビュッシーにおけるジャズ的ピッチカート奏法, そしてウェーベルンにおける繊細かつ多様なボウイング, こうした表現力の拡大が, 20 世紀の音楽の "現代" 的欲求を叶える手段として 実現されている. これは,20 世紀において現代音楽の主役に チェロが置かれることになる原動力そのものであった.

20 世紀のチェロは孤独である. コダーイの無伴奏ソナタのように, 厚ぼったいピアノの伴奏の助けを借りることはもうできない. 20 世紀のチェロは自由である. ドビュッシーのように,ソナタ形式の束縛はもうなく, ウェーベルンのように,調性からの束縛はもうない. そして,20 世紀のチェロは文字通り「声」の延長となる. 新しく現れた戦車や毒ガスといった非人道的な技術の前に, 人が拠り所にできるのはブロッホの提示したような 「声」だからである. こうした 20 世紀のチェロの冒険の 着地点の一つとして, ソッリマの, たとえばラメンタチオがあると考えたら良いかもしれない. ちょうど 20 世紀も終わろうとする 1998 年の作品. 孤独な演奏者の「声」が和声を自在に揺らす. 21 世紀のチェロがどこに行くのかは判らないが, 1915 年ほどの激変は,まだ訪れていないように思われる.

ってことで,チェロの音楽にとって 現代に直接つながる起点の年が 1915 年であり, これは, 2007 年 8 月 8 日: ボッケリーニの悦楽 で説明した 1700 年代後半から 1800 年代にかけての 変化と同等の激変期であるわけだ. チェロの歴史を,17 世紀後半のソロ楽器としての確立, 18 世紀のボッケリーニの悦楽と 19 世紀のヴィルトゥオーゾ, そして,このカンブリア爆発的な 1915 年以降, という括りで説明してくれたら, 今のわし的にはとてもすっきり理解できる. うん.


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2 月 1 日: エジプトの 3 つの顔

週末はアル・ジャジーラのストリーミングを見ていた. ずっとエジプトの騒動について実況しており, タハリール広場に集まる人々を定点観察している. ときどき,スタジオに移ったり, 屋外でのインタビューや演説を写したりしている. 日本の電機メーカーの CM が入ったりする.

1994 年の春に 1 ヶ月ほどエジプトにいった. 出不精なのにはじめて自分の金で海外にいったことと, 誘ってくれた外交官のカレッドさんはじめ良き友人に恵まれたことと, エジプト自体のインパクトのおかげで,忘れがたい旅行となった. そうそう,現地でラバーバを買って ストリート音楽に目覚めたのも このときだった. このとき,エジプトには 3 つの顔があるということを理解した.

1 つめは,いわゆる,日本の僕らが最初にイメージするピラミッドのエジプト. 人生に一度はラクダに乗ってピラミッドの前に立つと良い. 「エジプトはナイルの賜物」というのは,本当にそのとおりだと思う. あの河と文明がなかったら,今頃エジプトと隣のリビアとの区別はついていまい. 一方,モノには表の面と裏の面がある. カイロについた次の日に,ピラミッドを見に行って,ぼったくられた. あるいは,王家の谷を自転車で走っていると,「昨日発掘されたよ」と 変な陶器のカケラを売りつけに来る人がいる. エジプト経済は,観光業に依存していることを考えると, 重要なのである.

2 つめは,アラブ諸国としてのエジプト. とにかく人が沢山いる.しかも,アラブ人というのは「ラテン系」が 極まったような人々で,とにかくご機嫌で情熱的だ. こちらがラバーバを持っていたら,弾けもしないのに弾かせろ,という. 市バスに乗っていたら,バス同士が喧嘩をはじめる.最初は運転手同士が 喧嘩をはじめるのだが,あっという間に互いの乗客同士の喧嘩になっている. 子連れのおばさんまで何か叫んでいる. 家族の人情も篤い. タンタというナイルデルタのど真ん中の町では, 小川でであった釣り人の家に招いてもらって, ラマダンなのに家族で歓迎してくれた. もちろん,男は男に,女は女に. 途中まで女の子と一緒に旅行していたのが良かった. ルクソールでは,観光もそっちのけで,毎晩現地の人と語り合っていた. 湾岸戦争に従軍したこと,テレビゲームのこと.

3 つめは,地中海沿岸国としてのエジプト. 国連に勤務している知人に招かれて食事をしていたが, 彼女たちの言動を見ていたら, タンタの人々と同じには思えない. ヒジャブも被らず西洋的な意味でおしゃれで,話すことも先進的で. イタリアの対岸に住んでいるだけですが,という感じだ. アレクサンドリアの郊外では,ギリシア人のやっている シーフード屋さんで死ぬほどウニを食った. そういうエジプト.

いずれにしても,日本との関係は深い. ピラミッドのエジプトにおいて日本人は大事なお客さんだ. あと 2 つのエジプトにおいては, 日本は工業化をうまく成し遂げた「インダストリア」の人々, という認識だ. 街の人,農村の人も,誰でも日本の ラジオや自動車のメーカーを知っている. 日本人の顔を見ると「スズーキー!ダットサーン!」と叫んでくれる. 彼らにとっては,顔が見えない癖に良質の工業製品を作って送り込んでくる 日本人は,尊敬の対象なのだと思った. 外交官の方々と喋っていたら,彼らが明治維新について とても詳しいことに驚く. 彼らにも,明治維新の数十年前にムハンマド・アリーによる 西洋化を試みた歴史がある. しかし,ヨーロッパが近すぎたために,失敗した. 彼らは,英米はあまり好きではない. 最初にイギリスが,次にアメリカが,覇権国家として やってきた歴史があるからだ. 最近でも,湾岸戦争において 英米の側に立って戦った.同じアラブなのに. 街の本屋では,ナポレオンの伝記と並んで ヒトラーの伝記も積んである. 落ち着いて考えてみたら,二人とも,同じように ヨーロッパ大陸を制覇しようとした侵略者だ. 街の人と喋っていると,「今度,日本がヤるときは 俺たちも参戦するからな!」と励ましてくれる. 個人的には,ドイツ軍は今でも頼もしいが, アラブ軍には恐縮するが. 外交官たちは,「日本はスーパー 301 条に対して, どう対処するのだ」ということを聞いてきた. 対アメリカという意味では,立場が似ている. 今回の動乱も,アエーシ (パン) の政府からの供給が止まったことが, 引き金のひとつとなったといわれている. エジプトは農作物の輸出国だったはずなのに不思議だ.

ここ数十年来の,エジプト革命以来の変化がきているように思われる. エルバラダイさんは,3 つめのエジプトの人のように思われる. それはいけない,などと 2 つめのエジプトが支配的となり, つまりイラン革命のようになったら,あまり幸福でないとも思う. では,1 つめということで,ラムセス 2 世が復活したら, などと冗談を言う気持ちになれない. 恐ろしく月並みで申し訳ないが,選挙による政権交代という方法は 流される血が最も少ない,一番無難な変化の方法なのか.


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1 月 15 日: 音楽の地層

もの持ちが良い,ような気がする. 下記の,駒を削ったチェロにしても,もう 30 年近い付き合いだし, ピアノに至っては 40 年近い付き合いだし, 妻も友人も,じゃなかった, テープデッキは TEAC の R-606X という 25 年ほど前のものが現役だし, 5 歳の誕生日にもらったチンパンジーのぬいぐるみが未だに書斎の本棚に居る. これまで 10 回以上引越ししているので,捨てる機会は何度もあった. 持っているオーディオも別に銘機というほどではない. 何度か書いてるコンポも,初代 INTEC205 というミニコンポ. 部屋が広いわけでもないから,ミニコンポでいいと思った. まだチェロを習っていた頃に, ダヴィッド・ゲリンガスさんに「あなたの CD は素晴らしい」と 言ったら,「CD は音の缶詰です」と答えられて以来, オーディオ対するこだわりがなくなった. ただ,動いていてくれなきゃ困るので, このたび CD プレーヤのゴムベルトを 250 円で直した. これで当分買いなおさなくてよくなった.

手持ちの音源は,テープが何百本かあるが,ほとんど聞かない. 子供の頃から借りた CD からダビングしたもの, エアチェックしたもの,でバッハからビートルズまで 基本的な音源はほとんどテープだ. チェロを本気でやるきっかけになった ヨーヨー・マの初来日コンサートもテープ. でも,たまにテレビを見て 「T-REX ってテープで持ってたよなあ」という感じで 聞きなおす以外には聞かない. iPod,これも 2004 年のものが現役主役だから, もの持ちが良いように思うのだが (iPhone の類は容量が小さい. 現有 60 GB の容量があるのは今でも iPod classic しかないが classic を買うのもモチベーションが沸かない), テープから iPod には落としていない. 購入した CD はテープに対して 補完的になっており,マニアックなものが多い傾向にある. あとは借りた CD は,iPod にたまっている.

で,微妙なのは MD で, ある時期,具体的には件のミニコンポを導入した時から CD-RW ドライブを導入するまでの,2 年ほどの間に 集めた 30 枚ほどの音源だけが, MD のまま残っている. 音楽の地層. 当時にしても,買った CD については iPod に入ってるので, 基本的に借りたものが MD 止まりになっているわけだ. 2004 年 8 月 13 日: iPod の時点で既に,MD の音源について困っている. でも,改めてこれらを見ると, iPod に入っていなかったお陰で, 車でも (iPod を操作できるカーナビにした), 電車でも, 普段全く聞かなくなっていて, かえって新鮮だ. Ben Folds Five, Sonic Youth, BLANKEY JET CITY, Elvis Costello, この辺は Fuji Rock にいったまんまで, シーナ&ロケッツ,Sex Pistols, Edith Piaf は 当時の温故知新で, Men's 5,VIBRASTONE は 結婚した影響で, 山崎まさよしと hide は 98 年って感じで, Garcia-Fons と Matinier の Fuera は 今でも普通にこういうのがやりたいという. いやあ,三茶の TSUTAYA, 時代の空気感が思い出されて 泣けてきます.


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1 月 5 日: 駒を削った

2003 年 11 月 4 日: plugged でエレキチェロ化, 2005 年 8 月 9 日: DIY, または混在 でリペアマンに引導を渡され, 2006 年 7 月 30 日: サイレント化 で「夜のお供」となった ドイツ製2号ミヒャエル君なのだが, 新しい家族に駒をバキっとやられたため (自宅用?の楽器とはいえ,管理が甘かった), 以前買って中途半端に削っていた駒 (Aubert の No.16) を仕上げた.

最後の楽器との接地面の仕上げは, 楽器に紙やすりを敷いてゴシゴシやったのだが, 微妙に,隙間が残った. もう一つ,ベテランの方なら見て判るかもしれないが, この駒は低い.いわゆる「ネック下がり」状態なのだが, 途中で下がってきたわけではなくて, 最初からこの高さだった. で,作業の結果といえば,良く鳴るようになった気がする. CGスピロコア・タングステンとDAラーセン・ソロの お古を張っているのだが,弦のキャラクターが より出るようになった気がする. CG は発音が良くなって,DA は派手になったというか. いや,この楽器については何か手を入れるたびに 「こんなに鳴る楽器だったっけ」と思うのだが, イタリア製3号君 に比べると,やはり負ける. 正月の芸能人格付け番組に出題したら, わかるかなあ. わかると思うが..

(1 月 8 日追記: 今回駒を削った安いドイツ製2号と, 高いイタリア製3号と, 同じフレーズを同じ環境で録音してみた. 曲は,昔ライブ用に 桃梨 さんの曲につけた自作オブリガート.
ドイツ製2号 (Vc, mp3, 1.2 MB)
イタリア製3号 (Vc, mp3, 1.2 MB)
cello → MXL V67G (マイク) → CANARE EC02B (ケーブル) → E-MU 0404 USB (IF) → SONAR LE (DAW) エフェクトなし 弦は Larsen Solist (A, D), Spirocore タングステン (G, C).
ドイツ製2号が悪くない. 同じ部屋で生で聞いていただけたら差がはっきり判るが, 録音してしまうと,この差は縮まる. スピーカーで聞くと,家のミニコンポでは違いが判らない. 家人は2号君の方が演奏が丁寧で良いと判断したくらい. それなりのヘッドホン (AKG K270S) で聞くと,2号君は音が潰れている感じがして 3号君は倍音が豊かな感じが判る,と思う.?)


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1 月 3 日: 若書きのチェロソナタ

チェロの超絶技巧を求める旅も,セルヴェの音源,楽譜と文献をまとめて得たことで 一段落した感がある.バックグラウンドで cpo の出してるチェロの音源を 出るたびに入手しておりまもなくウェン=シン・ヤンの弾くダヴィドフの 3&4 番が 届くのだが,それはさておき. チェロ音楽としては超絶技巧の対極にあるのが,いわゆる室内楽のチェロと ピアノのためのソナタである.ベートーヴェンからプロコフィエフまで, 演奏会で挙がる曲は 2-30 曲ほどであり,これをグルグル回している感じなのだが, 最近はモシェレスだとかマニャールによる,ブラームスやフォーレに全然負けてない 名曲を手軽に聞くことができるようになった. 室内楽のチェロソナタは,チェロのヴィルトゥオーゾではない,いわゆる 専業作曲家が書く作品で,技巧としては面白くないけれども, チェロで表現できる世界の奥行きを広げているジャンルであることは間違いない.

中でも,ライプツィヒのゲヴァントハウスのヴァイオリン奏者を父に, クレンゲルの叔母を母に持つ,ユリウス・レントヘン (1855-1932) は生涯に 14 曲のチェロソナタ,1 曲の無伴奏チェロソナタ, 3 曲の協奏曲を残しており,専業作曲家としては分量的に歴代最高であろう. チェロソナタ集が Decroos と Dechenne のデュオで オランダの Ars から出ているので聞いてみた. 今まで発売されてる中での最新の第 3 集の最後に第 1 番 Op. 3 B-dur があって,完成度の高さに驚くとともに, 「若書きのチェロソナタの系譜」というものが, チェロ業界にはあるのではないかと思い至った.

このレントヘンの作品 3 は,1872 年 16 歳で書かれ次の年に ブライトコップから出版されている. 若書きのチェロソナタで最も有名な作品は リヒャルト・シュトラウス (1864-1949) で 1882-3 年 17-8 歳の作品. レントヘンの方が若くで書いてるし,年代的にも先輩である. ルクー (1870-1894) の F-Majeur は 1888 年 17 歳の作品. プフィッツナー (1869-1949) の Op. 1 は 1891 年 21 歳の作品. レーガー (1873-1916) の Op. 5 は 1892 年 18 歳の作品. ツェムリンスキー (1871-1942) の a-moll は 1894 年 22 歳の作品. ドホナーニ (1877-1960) の Op. 8 は 1899 年 21 歳の作品. 20歳前後までに,作品番号でいうと 1 桁台までで チェロソナタを書いた人は,これだけいる. wikipedia を見ると トーヴィ,ファウルズなどもこのカテゴリに入りそうだが未聴. ブロッホも 17 歳でチェロソナタを書いてるが未聴. フェルディナント・リース (1784-1838) の力作 (第 1 番, 2 番ともに 1807 年) も 22 歳だが, 作品番号が 20 番台に入っているので「若書き」とは呼べまい. 逆にコダーイ (1882-1967) の作品 4 は,番号は若いが 1909 年 26 歳と十分大人だ. 同様に,所有しているルクーの CD (Vc. ブルネロ) にカップリングされてる アルペジオーネソナタも「若い」と解説文では主張しているが, シューベルト (1797-1828) 1824 年 26 歳の作品であり,「若書き」に入れるのは無理がある. それはさておき,レントヘンからドホナーニまで, どの曲も立派で,情熱的で,自分というものを十分に 出し尽くしていて,感動的である.

それではなぜ,後の大作曲家たちが 貴重な若い時間を使って熱心にチェロソナタというジャンルに 打ち込んだのだろう. まず,彼らは基本的に作曲家を目指しており, 特定の楽器 (彼らの場合はピアノ) のヴィルトゥオーゾを 目指していないと思われる. つまり,ピアノ曲以外の室内楽や管弦楽で力量を示したい. その際に,実演の可能性を考えたら二重奏ソナタは適切だ. 自分と,弦楽器奏者一人いたら演奏会に出られる. 弦楽器については,ヴァイオリンよりもチェロの方が 地味だから,書きやすい. 基本的に作曲者はピアニストだから,ピアノパートは 楽に書けるが,弦楽器のパートは手探りになる. ルクーとシュトラウスは,チェロソナタでの経験を積んだあとで より有名なヴァイオリンソナタを書き上げている. チェロはヴァイオリンと比べて「御しやすい」楽器だと思う. ただ,レーガーの場合は逆でヴァイオリンソナタを作品 1 に している.ルクーやシュトラウスと並んで初期の ヴァイオリンソナタで有名なコルンゴルトは,チェロソナタは残していない. この辺りの違いは,室内楽の書法の器用さの違いなのか, それとも周囲に適切な演奏者がいたかどうかの違いなのか. プフィッツナーの場合は,音楽院の友人の ハインリッヒ・キーファーというチェリストのために ソナタを書いて,この曲でもって演奏旅行に出て, レントヘンと同じくブライトコップから出版している. お手本としては,メンデルスゾーンの 2 曲や アントン・ルービンシュタインの 2 曲があっただろう. ルービンシュタインはプフィッツナーの楽譜を見て, 自分もやっと引退できると述べたという. ブラームスの 2 番は 1886 年の作曲で, これらの作品の真ん中あたりに位置するわけだが, とりわけ先進的というわけでも, 圧倒的に優れているわけでもないことに注目すべきであろう.

まとめると,後期ロマン派の若手作曲家たちが, ヴィルトゥオーゾではない器楽作曲家としての力量を示すために チェロという相手を選び, ありあまる音楽的なアイディアと情熱を注ぎ込んだのが, これら若書きのチェロソナタ群である.


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1 月 1 日: 年賀


あけましておめでとうございます.
写真は,去年と同じ場所のものです.
かねてから今年の正月は 番内さん をやりたいと思っていたのですが, 予定が合わず断念. 異形の酒豪に豹変する機を逸してしまった.
そういえば,休み中ゲットしたものの一つに 見て楽しむフランス絵の単語帳 CD book 小松久江 著 池田書店 (2010) . 友人の老川瑞枝さんが軽快に弾くアコーディオンをバックに, 澄んだ女性の声でフランス語単語を覚えられる CD が 2 枚ついています. この CD が疲れたオッサンの耳に心地よすぎる. ジャンル的には 中村稔の辞書演習 と一緒のはずなのだが,長生きをするとこんな別世界も味わえるとは. 楽天でポチっとするとすぐに届きます.これはお勧め.
ともかく,今年も宜しくお願いいたします.


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