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9 月 14 日: 欧米の研究者がラボの博士の人数を聞く理由
最近,(国内だけじゃなくて欧米人・アジア人にも)言ってるネタなんですが, 「ラボの博士の人数をどうして訊くのか?」が,やっと判った,という話題です.
欧米の人って,挨拶のように「あんたのラボ,博士は何人?」って聞きます. 自分の名前を冠した研究室が発足した 2012 年頃から訊かれるようになったのですが, 最初は企業だったこともあり,「うーん,うちは僕でしょ,正社員が 2 名, ポスドクが 1 名,派遣社員が 1 名の 5 名だよ」ってマジレスして,相手は ふぅ~ん,みたいな感じで,そこで会話が終わって,このやり取りは何だろう?と思っていた.
で,今年度は,うちは博士が 11 人になった.今年何人出てくれるかわからないけど, 昨日の項目に書いたように,来年 4 人来たら 15 人になってしまう.
で,11 人というと,欧米のビッグラボと比較しても,結構圧勝してしまうんです(微笑). 「えええ!」って感じ.あまりにも皆さんのリアクションが大きいので,やっと理解した.
「いやいや,現在プロパーの博士は 2 名だよ.残り 9 名は社会人なので, ラボに常駐してない.お客さんというほどではないが,ヴィジティング・リサーチャー みたいなもんだ」.と説明すると, やっとホっとしてくれます. 欧米だと,博士の給料も PI が出します.なので,11 名も博士がいる,ということは, こいつ絶対 1 億円以上稼いでるすげぇ奴だ,ということになるのです.
そう,欧米人が「博士は何人?」と質問する理由は,相手に面と向かって 「お前のところのグラントはいくら?」って訊くのは,さすがに失礼なので, その代わりに「博士は何人?」と訊くのです. アメリカで育った僕もわからんかった.やっとわかった(微笑).
9 月 13 日: 分野間の違いを誤魔化し続ける人々
「博士号人材」増えず危機感…経産省・文科省が民間活用促進、採用ミスマッチ解消できるか というニュースに限らず,博士が就職できない,というデマが横行しています. 少なくとも私の研究室にとってはデマで,私の「商売」を邪魔するんじゃねえ,とすら思います(微笑).
トライボロジーで学位を取った人で,就職できなかった,という人を一人も知らないのですが,どなたかご存知ですか?
大学・高専教員をずっと(危険年齢とされる35歳を超えても)やってたけど,最終的には企業に行った,という人なら沢山知ってますし,逆に私みたいに企業から大学に来た人も沢山知ってる.けど,職がないって人を一人も知らない.
ちなみに,生物学とか物理学では,そういう人を沢山知ってます.私に粘菌の物理の実験を教えてくれた先輩からして,そうだったので.
化学では,なんだかんだ言って,最終的には何とかなってる感じ.
文系は皆さんの仰る通り.
ということで,分野ごとに議論しないと,どうしようもないのでは.「博士号」と分野間の違いを誤魔化し続けている限り(バイオと物理が誤魔化している元凶だと思ってる),この問題は解決どころか進展しないと断言します.
当研究室では,来年の博士希望者は, 修士からあがるプロパーの博士課程が 2 名,社会人が 1 名(+あと 1 名いるかも)です. 全く問題ない.のですが,マスコミの類の誰もこの話を聞きに来ません. 記事を見たら頓珍漢だと判るけど,「業種で偏りが見られる」じゃないんですよ. 日本を代表する大手メーカーの研究開発の方々は,次々に研究室に来てくださいます. 事件は現場で起こっているのだよ.
9 月 8 日: 研究室 OB が企業研究者として受賞
先日,関西潤滑懇談会のポスター大会があったのですが, 僕の研究室の OB でジェイテクトの研究者になった河北君が優秀ポスター賞を 受賞されました.彼は,学生時代も受賞したのですが,今回はこれでダブル受賞.
「学生時代に発表した学会に,社会人になってからも出る」ということは, ある種の研究者にとっては当たり前のことです. しかし,なかなか難しい.少なくとも,僕自身にとっては大変でした. たとえば,高分子計算機科学研究会という,高分子学会の下の研究会があるのですが, 僕は 2000 年に一度出しています.で,次に出せたのが 2014 年の招待講演, 一般講演では 2016 年です. 一般講演は,奇しくもどちらも大阪大学が会場でした. 2000 年は博士課程院生で,2014 年は企業で自分の研究室を主宰してるとき, 2016 年は大学に移ってからです.
どうして 10 年以上も間が空いたかというと,企業での最初の 10 年は 高分子科学を研究していなかったからです. 屈辱的だったのは,2003 年に高分子電解質溶液の国際会議が日本であったのですが, 僕に企画側に回るように声がかかったものの,業務上無理だったので, 同じ会社の全く違う部署のほとんど知らない先輩に声をかけて,その方に 参加してもらったことです.これが大学の教員だったら,多少専門分野が違っても お前手伝ってこい,となったと思うのですが,会社ではこうは行きません.
会社の入り方もいろいろあって,指導教員の推薦で正しい研究分野の企業の研究室に入る 入り方と,野良犬のように適当に入る入り方があります.僕は後者だった,ということです. 厄介なのは,上司筋が正しいブリーダー系の方法で入社した研究者だった場合, 野良犬の生きざまについての想像力が働かないことです.僕は,企画できなくても,発表できなくても, 高分子電解質溶液の国際会議に出たかった(昔知り合った研究者がどのように発展してるのか 勉強したかった)のですが,そんなことは想像してくれませんし,入社 2 年程度だと 行きたいと主張するのもリスクが伴います.
潤滑や高分子科学だと,理学も工学も両方あるので何ともいえないのですが, 分子シミュレーションだと理学の比重がこれまで高かったので, 院生時代に出た学会に就職後に出るのは大変です. 今年の 12 月に分子シミュレーションの学会を姫路で開催するのですが, 企業の研究者になるべく多く出ていただけるよう, 数年前から企業の方対象の学会賞を新設したりして,尽力してきました. 主観ですが,理学の人の方が学問に拘りが強いと思うのですが, 一般的には工学の方が研究者として活躍する間口が広いです. 少しでも,僕みたいな人間が減るように,企業の方々にも分子シミュレーションを 広げていきたいのです.
ということで,今回受賞した僕の学生さんは,企業に入ってからは独自の研究を 展開しているので,僕の与り知らぬ研究人生を切り開いているわけですが, 僕自身みたいに野良犬じゃないんだ,正しく生きているのだ,ということです. 魂の問題なので(あと,普通に当研究室の成果ではないので),こっちに書きました. 大変嬉しいです.おめでとうございます.
8 月 31 日: 実務家教員
大学・大学院教員の公募において、”アカデミック” な業績を求めることは実務家博士にはハードルになる,ということを述べている方がおられました.
これ自体は,私も共感はできます.社会人が論文を書くのは大変ですよね.自分もそうだったし. ハードルになります.ですが,同意はできません. アカデミックな業績を求めることが何か問題でしょうか.公募を行って,論文が多い人と少ない人が応募してくるとします.選考委員会が求める人材イメージにどちらも合致していたら,論文が多い人が当選するのは当然ではないでしょうか.「論文は少ないけれども私には実務能力がある」と仰られても,測りようがありません.
それを言っちゃお終いよ,とも思います. 将棋指しになりたい人が,「私は奨励会におらず,大学から会社に進んだので対局が少ない」と言うのに似てませんか.
ちなみに,私は学位取得後 15 年間のサラリーマン生活で,折に触れ大学への転職を考えていました (参考:2019 年 2 月 10 日: 研究をやめることについて). 書類選考で落ちる際には落とされた理由は判りませんでした.が,面接に呼ばれた上で「あなたは論文が少ない」と言われたこともあります.だったら呼ぶなよっと思いましたが(笑).教授になってからも,よその大学の先生に「あなたは実務家だから仕方がないが,論文が少ないね」と面と向かって言われたこともあります.アカデミアはそういうところだと思います.
で,それが何か問題でしょうか.ただただ,研究者として恥ずかしいことです.でも,大学側が要求する分野にマッチして,最低限必要な論文があれば,採用されます.自分が採用されたときに上司に言われたことは,「民間から来た人でも2タイプいて,論文を書き続けられる人とそうでない人だ.後者を選ぶと大変なことになる」ということです.社会科学であろうと,専門職と名がつこうが,着任後の研究業績がなくても良いとは思えないのです.
学問(≒形而上学)と実務とは,歴史的に特殊な関係があります.大学の「工学部」設置は日本が世界に先んじていた,という話はご存知かと思いますが,それくらい欧米の伝統的な大学は工学(=実務)を軽んじていました.私は理・工のハイブリッドですが,私の先人は論文を書いて,工学を学問に高めるために努力したのだと思います.より古くは,デカルトは母国語のフランス語で方法序説を書きました (参考:2009 年 12 月 7 日: デカルトの方法序説は実学書の序論である). それは,学問の言葉であるラテン語ではなく,自然を測定する実務家の言葉であるフランス語で技術者に測定することの重要性を訴えたかったからです.神学や数学といった古代から大学でやっている学問以外の分野の人間であれば,実務から学問への大きな流れ,を想像するべきで,常に学問化を意識する必要があり,その具体的な作業は,論文を書く,ということです.
実務というのが,どのような実務なのかはそれぞれですが,自分の分野を学問に高めてこそ,はじめて大学で教える権利,学問の自由を享受する権利を得るわけでして,そのための努力は死ぬ気でするほかないのでは,と思う次第です.あくまでも最終的には学問になる.ということは,アカデミアにずっと居た人の方が優れているのであれば,その人に負けても仕方がないだけだ,と思う次第です.
でも,大学で教えたい,というモチベーションのある人であれば,実務の中で,アカデミアの人が見いだせなかったものを見出せる筈でしょう.私自身は,そういう研究分野を切り開いたつもりです(物理化学と機械工学と情報科学を融合した.大学だと,学部が異なるので,この作業は難しいのです).知人に専門職大学で観光学を教えている航空会社上がりの先生がおられますが,インバウンドや宇宙観光について面白い研究をされてます.大学側が求める人材は文科省のいうように実務家なのですが,やはり学問に昇華された方が当選している.
ご自分が学問化したものが大学の公募する分野にない可能性もあります.その場合は,塾のようなものを開くしかないと思います.私の祖先はそうしてきたようでして,江戸時代に私塾を開いていたということを最近調べています (参考:2023 年 8 月 12 日: ご先祖と語らう). 大学が "アカデミックな" 業績を重要視することは全く問題がないと思っていますが,真に革新的な分野であれば,まだ大学に受け皿がない可能性があります.その場合は "アカデミック" 自体が定義されていないわけです.が,その場合は学問の創成期に立ち返って,塾を開いたら良いと思っています.でも,現実問題としては,もっとレベルの低いところで,単に論文が書けてないだけのケースが多いと想像します.
最初の話題に戻りますと,クライテリアは既に分かれている(実務家教員の採用時にはアカデミックな業績の比重は低い,甘い)のですが,それを明示する必要は,大学における学問の本質から考えると,ないと思う次第です.
追記 1: 書いてから思ったのですが,実務家教員を目指しておられる方々において,あまりアクセプタブルな意見ではなさそうな 気がしてきました. しかし, 専門職大学院の実務家教員数に関わる意見書 (公益財団法人大学基準協会) に書かれているように,専門職大学における実務家教員の割合が高すぎる場合がある, 「日々進化・流転する実務的課題に対処し高度専門職として役割を果たしていくには、学術研究に基づく理論を取り入れ、思考枠組そのものを適切に深化させていくことが必要であり」ってことが指摘されていて, この文言は,まさに,私が上に書いた「実務から学問への大きな流れ」そのものです. 実務家教員であっても,研究能力を測られるのは必然と思います. 当たり前のことを指摘しているだけのような気がしますので,自分の意見として 自分の備忘録に書き残す,ということで.
追記 2: 派生 SNS で,インターンシップ研究で著作までお持ちの方が 「(アカデミアと同じ評価方法だと困るという意見に)共感しかない,インターンシップの受け入れ実績も評価して欲しい」 と書かれていたので,私の経験を書いておきます.これは実績になっていると思います. 私の場合は,3か月の長期インターンを1人,3週間の短期インターンを2人,企業時代に名大と筑波大から受け入れていますが, 教員公募の書類にも「教育実践の経験」の欄に詳細に書いたし,文科省に提出する大学設置審の博士〇合審査の書類にも書きました. 幸い,3 件中 2 件が査読付き原著論文になっていたのですが,それ以外に,教育経験として書きました. 企業人は教育経験がただでさえ少ないので,こういうことは当然アピールすべきです. それなりの意味はあったと思っています(あまり書けませんが,採用側としては絶対考慮してると思います). インターン生を受け入れてるときは,転職なんて考えてなかった(自分の研究室を運営してて会社に文句はなかった. 教育も出来て若者の博士論文の 1 章に実際なってたりするので,何も不満がなかった)のですが.
8 月 8 日: 大学で学べる科学的素養,大坪嘉行著
面白いです. Kindle で 0 円でした.
書いてあることは,権威主義の否定,課題発見のための議論構造,原理原則に基づいた理解と説明,研究の進歩主義の理解と実践,議論の作法,研究の公共性の理解,問題解決における「原因」とそうでない「原因」の区別,終章に大学が実施すべきアクションと提案書の雛形,ということです.
「まあ,そうやな」というのが第一印象.個別には「実習におけるレポートは進歩主義に則っていない」という指摘は,なるほどと思いました.全体的にいうと,研究における「ストーリーの喪失」が問題で,大学受験もいけないし,レポートの出し方ももうちょい工夫がいるかもね,って話.
その次に,こういうことを,そんなに強く主張しないといけないのか?という疑問がわきました.
ポアロのように意地悪な私の灰色の脳みそは,「またバイオか」とも思う.役に立たない研究を積み重ねたことを誤魔化すために作り上げた「インパクト・ファクター」とか.科研費の取り方の本とか,英語論文の書き方の本とか,この手の科学系ハウツー本って,9割くらいの著者がバイオですよね(偏見かも 笑).
研究目的をはっきり持とう,って当たり前で.そんなことを言わなきゃいけないのは,「ピペド=単純作業者」を大量に生み出したバイオ分野ならではの問題なんじゃないの,とか.
そもそも,権威主義の否定を最初に持ってきてるけど,それって,旧帝大の教授しか理事メンバーにいない日本分子生物学会への皮肉かい?っとか.他の分野は,もうちょっとリベラルやぞって.
バイオのお作法を,自然科学・技術全般にアプライすることで,かえって日本の生産性が落ちたりしないかね.とか.バイオのせいで,ベンチャー系の資金とか全然うちに回ってこないもん(笑).
まあ,その割には,書いてあることは比較的,自然科学全般にユニバーサルな書き方になっているように見受けられる.著者の知性のなせる技か.いやいや,バイオに騙されちゃいけない,もう一回読み込むか,って,意地悪な灰色の...
7 月 7 日: 少子化だから生涯学習を推進しているわけでもない
生涯学習系の記事で,大学院で学ぼう!系が多いのですが.たとえば 「どこかで勝負をかけたい」 ベテラン編集者が大学院で学ぶ理由.
少子化なので,大学の側からみても社会人の側からみても,生涯学習の場としての大学院が大事なのはわかります.当研究室も30代から50代の社会人9人が学んでおられる.っが,結果的に同じでも,ちょっと違う認識を僕は持ってます.
あまりにも有名となった豊田先生の分析 ( あまりにも異常な日本の論文数のカーブ) ですが,これ良く読むと,Scopus の論文数なんですね.
トライボロジーでいうと,和文誌「トライボロジスト」が Scopus からはずれて,Tribology Online が入ってない間の出来事です.この2000年代という時期は,和文雑誌が否定されて,国際査読誌に切り替わってる時期です.日本機械学会でも,多分電気系や情報系,あるいは金属学でも同様の流れがあるかと.
バイオ系の人々(院生時代の僕も何割かそうだった)が誤解しやすいのは,バイオ系から見える世界が世界だ,ということです.バイオには和文誌の文化はほとんどありません.
日本がかつて得意として(今でも結構得意な),機械,電気電子,金属などは,企業研究者が昔から多くて和文誌がメインだったのですね.企業人としては,和文だったらサラサラ書けるけど,英文だと辛いという人が一定数います(僕も似たようなもんです).
2000年から2010年代にかけての論文数の減少って,確かに国立大学の独法化の影響が甚大だったわけですが,それプラス,企業研究者が国際査読誌にシフトしなかったこともあるんじゃないかと思っているんです.だって,企業研究者の数は,日本の研究者の74.4% ですからね ( 科学技術指標2021→2.1.3各国の研究者の部門別の動向).
このリンクの記事を全部読んでいただくと判るように,企業研究者の博士号取得者の数は 10 % を切っています(僕の前職みたいに研究だけのアクティブな会社の場合は,もうちょっと上だと思いますが).企業研究者に国際査読誌論文を書いていただくのが,2020年代の大学教員がやるべき「作業」なのだと思いませんか.
別に生涯学習じゃないんです.博士号取得者=ちゃんと知財を論文として定位できる人,の割合をせめて米国並みにしないと,米国より天然資源がない国で先進国の地位を確保できるわけないやんか.という単純なことです.
6 月 14 日: 作詞家の立場から言うと「コロンブス」は置き換え可能
一応,私ゃ JASRAC に登録された作詞家なので(微笑)
今回の「コロンブス」ですが,MV の出来が問題なのはさておき元の歌詞を読んでみた.
https://genius.com/Mrs-green-apple-colombus-lyrics
「偉大な大発明も / 見つけた細胞も / 海原に流れる / 炭酸の創造」
なるほど!人類の歴史上の全ての物質は酸化する.代謝の最終生成物は二酸化炭素と水である.から,「炭酸の創造」なのか.物質の収支を考えても,二酸化炭素の大半は大気中じゃなくて海中や炭酸カルシウムみたいに固定されてるから,簡単にいえば「炭酸の創造」なのか.まぁ,コカ・コーラとのコラボだということを知ってれば,この「炭酸」って,そこまで考えたんじゃないかと思うけど,この曲の普通に考えたタイトルは「炭酸の創造」でいいと思った.
次の「渇いたココロに注がれる」や「愛を飲み干したい 」は,「炭酸の創造」というキラー・ワードに比べると,まあ,コーラの宣伝として凡庸ではあるが,曲の雰囲気で押してったら変に聞こえないのだろう.
次が問題(というか変な MV を作ってしまった根拠)なのだけど,
「「ごめんね」/ それは一番難しい言 / 大人になる途中で / 僕は言えなかった」
何か反省している.僕は大人になる途中だったから,謝罪できなかったんです.急いでたから.この急いでたのは,自分自身でもあり,人類の文明でもある,という前振りをして.
「文明の進化も / 歴代の大逆転も / 地底の果てで聞こえる / コロンブスの高揚」
ここで,やっぱ文明について語ってるんだ,ということを定置させる.ここで,「大逆転」と入れたのは,コロンブスといえばコロンブスの卵じゃんって,ことなのだろう.それは「高揚」である,と言っちゃってる. この曲のタイトルは「炭酸の創造」なんだけど,言葉として難しいし覚えにくいし,入ってこないから,何かキャッチ―な言葉で置き換えたかったのだろう.そこまでは判る.
なんかさ,「コロンブス」以外に何か別の言葉を入れることはできなかったのかなと思う.「歴史の大逆転」って言いたいんだったら「ガリレオ・ガリレイ」でいいのでは.やっぱインペリアルカレッジの物理学者がメンバーにいた Queen に,教養の深さというかリテラシで負けてる.ってか,ガリレオって叫びたくないんだったら,「コペルニクス」でいいじゃん.コペルニクスって曲はないよ,まだ多分.
コペルニクスの像を 2012 年にワルシャワで見たけど,地球を背負ってて,重そうだった.真面目に重力の作用反作用を考えたら,変な感じですが(笑).知名度足りない?んー,でも,コロンブスは明らかにまずいよ. ベートーヴェンは OK だよ.ナポレオンはダメだよ.ベートーヴェンとナポレオンの関係は知らんのかな.知ってて,MV の中で和解とかしてるのかな.うーん,そうにしても,それは,あまり,別に面白くない.
「コペルニクス的転回」って,そんなに難しい用語かな.理系というより,もともとカントが発祥なんだから,どっちか言ったら人文系のタームだよ. コペルニクスは地理的な冒険をやってない.でも,今どき冒険家って,マゼランだって,鄭和だって,イブン・バットゥーダだって,微妙じゃん.ってかマゼラン以外は知名度低い?この人らはリア充だから,科学者じゃなくて冒険家が良かったのかな.いやいや,やっぱ Queen だって,「ガリレオ」は音がいいから使ってるだけでしょう.詩的な意味の流れは後付け.コペルニクスって三連符だから,リズム的に面白いと思います.
コロンブスってどうやって叫んでるのか知らないけど(なんと曲は聞いてない.横で家族が寝てるので).
「文明の進化も / 歴代の大逆転も / 地底の果てで聞こえる / コペルニクスの高揚」
いや,だって「地球は動く」って言ってんだよ!? 「地底の果てで聞こえる」,ゴーってさ,盛り上がってくるバイブレーションは,地動説でしょ.歴史の大逆転だし,文明の進化だし. その前の「ごめんね」と整合するか,と考えたら,そもそもこの曲は禁断の果実を食って知の冒険に出ることの原罪について歌ってるんだから,普通に入りますよ.そして,それが最後には炭酸になるんだとも言ってる.仏教的でもあるわけです.
コロンブスじゃなくなると,
「“君を知りたい” / まるでそれは探検の様な」
がどうなるか,ですが,そのままでいいんじゃないですか.考えるということは知的な探検. 全部比喩なので「素晴らしい絶景」は,音楽の旅人である作者にとっての「素晴らしい音の絶景」のメタファーでも構わないわけなので.
単語を一つ埋めるのは,秦恒平先生の授業で東工大生は散々やってたから※,JASRAC 登録作詞家の僕じゃなくても書けると思います...
※ 秦恒平「青春短歌大学」平凡社刊(1995)
本文はここにある.クイズなのでやってみて.
4 月 26 日: 「先端科学技術開発ゲー」はタダで参加できる(ようにすべき)
《国立大学は貧困層のものなのか?》慶應義塾・伊藤公平君の「国立大学を学費3倍に」の波紋について(山本一郎) という記事を読んで思ったこと.
親を大学2年で亡くしたのに僕が博士までいられたのは国立大学のお蔭だし,今現在まさに院生の生活費の件で戦ってることを踏まえると,ファッケンネィとしか言えない.
うちの研究室には20代後半の有能な博士1年がいる.もう一人,1年も無駄をせずにあがってきた素晴らしい博士1年もいる.で,大学はピチピチの子が好きなので後者クンを支援してくれるのですが(学振より多めの奨学金が当たった),前者クンについては支援が後手後手になるのです.
僕は,どっちの生き方もアリだと思っていて,前者クンについては「日本学生支援機構の月12万+NEDOプロのアルバイト代月8万」で頑張ってもらおうと思っている.つまり,博士院生の "給料" を教授がサポートするという,アメリカンな腹をくくったのだ.こんな涙ぐましい努力をしているときに,授業料の値上げだと?大学院はより値上げしろだと?逆じゃないか.日本の科学を潰すつもりか.
だいたい,育英会って僕の頃は博士は月11.2万で,今は月12.2万って,30年で1万しかあがってない!!! 日本の経済成長は大丈夫か!? 授業料を3倍にするなら育英会を3倍にするのとセットであるべきで,でもこれ教育ローンだよっと.こんな状態で誰が科学技術を支えるんだ!?
繰り返しですが,国立大の授業料がこれ以上になってしまうと,僕みたいな境遇の人間は大学2年で中退です.
で,産業を知らん人に説明すると,昔だったら,日本企業に人材を育成する能力があったので,意外と大丈夫だったのです.文系短大出でトライボ学会奨励賞を取ったり,高卒でパワーデバイスの管理職をやったり,高専卒で APS の Outstanding Referee になった同僚の皆様を間近で見てきたので本当です.
でも今はどんどん企業の余力がなくなってきたのと,技術が多様化してきたので,高学歴側にシフトしてしまったのです.昔だったら工業高校卒で現場で成長した人が,出来なくなってきた.なので,ここで授業料爆上げなんかしたら,少なくとも社会階層が固定化してしまって,日本の産業はイノベーションを生み出せなくなります.
昨日,丸の内の丸善に行ったのです.先日,学内でキャリアセンター長として毎年やってる就活セミナーを実施したことと(以前,チラっと公開したことがあるかもしれないが,要するに「サークルとバイトを頑張りましたという "ガクチカ" を書いたら,理系就職だと絶対落ちるぞ」という訓示),就活本を書いてるので(書き始めて6年以上たつので,そろそろ書き上げないと...),就活本コーナーでマーケティングをばと.
やっぱり,相変わらず「サークルとバイトを頑張りましたという "ガクチカ" 」の世界でした.これは,どういうことかと考えるに,山本一郎さんみたいに大学受験勉強が済んだら(塾高なのでそもそもしてないか)ネットで遊んでばかりいた学生(ほぼ同世代なので知っている)向けに,文系の就活市場は形成されているわけです.やれアクティブラーニングだ,セメスター制だとか,学内は工夫されてきたのかもしれないが,私立文系学生の態度というのは,この50年間ほとんど変わってないということ.
教員免許だのビジネス系のいくつかの免許を取る人たち以外は,基本的にそうで,僕の就活セミナーを事務方として聴講していた県職員の若手の女性が恥ずかしそうに「私大文系の私にとっては本当に目から鱗でした」と仰っていたのが申し訳ない.いや,あなたは公務員試験の勉強を頑張ったのではないかと拝察しますが.
繰り返しですが,日本はいつまで経っても技術立国から抜け出せていなくて,誰が担っているかといったらドバっといる地方の国公立大学生と,私立理工系の人々です.後者の授業料に比べて前者が高いのが不当だ,という話でしょうけれども,田舎の秀才がメーカーの研究開発者として活躍できる状態が終わったら,日本は終わります.
バイオ以外の私立理工系の授業料を補助する,というのだったらわかります.バイオ以外,と明記しているのは,国公立私立を問わず,バイオ系の大学を出ている人のかなりの割合が,ソフトウェアエンジニアになっていたり,高級な場合はCADや電気回路設計の訓練を技術系派遣会社でしなおして機械・電機系のメーカーで働いており,医歯薬以外のバイオロジーが残念ながら産業の役に立っていないからです.
授業料を値上げしろという都会のポピュリズムの根幹に山本一郎的な何かがあって,普段は面白いねで済ませられるのですが,こういうことを言いだすと本当にポピュリズムに対抗するテクノクラート専制の何かを作った方がいいんじゃないかと思うくらいです.
というのは冗談ですが,大企業で黙ってモノづくりに携わっている人々をなめるのもいい加減にして欲しいと,ときどき思います.昨日も,トヨタ系のメーカーの方と,「インバウンド市場は4兆円で,これはアイシン一社の売上と同レベル」って話をしてました.インバウンドがどうってテレビ番組を作るんだったら,同じ数だけアイシンのエンジニアに喋らせたらって(笑)
結局,山本一郎さんが「授業料が低額=貧乏」って考えてしまうのは,「教育は課金ゲームだ」という東京人の,というか頭狂人の発想が根底にあるからだと思います(これは,上記記事のコメント欄にも別のニュアンスで書かれている).
首都圏や関西圏の,人生守りに入りたい高給サラリーマン層,にとっては課金ゲームは大事です.社会階層的に自分らの身分を固定したいというのは自然の発想です.驚くほどの財産があるわけではない場合,教育こそが財産だというのは間違ってはいないし.
でも,そのことと,国がいつまで経っても先端科学技術依存から抜け出せず,加工貿易国の本性から脱皮できていないという,「上から目線」で考えた場合の,ニーズって全然違うと思うのです.中国やインドの人口の10分の1以下しかいない上に,アメリカ式に移民に頼るわけにもいかない場合,誰が先端技術を担うかといったら,都会の課金ゲームの勝者だけじゃ足りないのです.
日本に必要なのは,NISA に参加させることではなく,「先端技術開発ゲー」に田舎者を参加させることです.地方出身者とくに高専の子を育てていて,そう思います.このゲームは面白い.勝ちパターンも,ある程度日本人は知っている.就活時に外資系コンサルに抜けてしまう頭狂の院生は放っておいて,「先端技術開発ゲー」を一緒にやりませんか,ということかと(東京の国立トップと私立トップの大学と研究会をやって院生の話を聞いたら,皆さんコンサル等に行く人ばかりで,真面目に大手メーカーの研究開発に行く割合ではうちが圧勝だった...).
ベンチャーについてですが,昨日もトライボロジーの話を皆さんとしていて,ベンチャーって本当に少ない.自動車,自動車部品,重工業,鉄鋼,電機,石油,どれもこれも重い(微笑).ベンチャーが日本を救ってくれたらいいんだけど,親心としては,若者をベンチャーに送るより「重い」産業に送りたい,安心なので.そこらへんの心情をどうするかということですが,最も先端のベンチャーはキレキレ東大クンたちに任せたら良いような気もします.実際,彼らと付き合ってて,そう思います.僕らは「重い」ので良いからと.
で,参考書として なぜ日本の公教育費は少ないのか 教育の公的役割を問いなおす (中澤渉 著) 読みました(斜め読み).
日本では(2014年の時点で)8割の親が,自分の学歴や収入などに関わらず「子供の教育費は親が負担すべき」と考えている,ということだそうです.その理由を,というより,そういう認識が形成された経緯を著者は調べましたって本です.
でもさ,これって,ちょっとスパコン使ってたらわかるけど,子供が大学でスパコンを使う費用を負担するって絶対無理(微笑).京コンピュータは1000億円.県大のマシンだって数研究室で使っててン億円.私立の医大とか音大並みに払っても結構厳しいと思いますよ.
逆に,なんでスパコンを使う人材を国は育てるのか,ってことを想像して欲しいわけです.スパコンを駆使してモノ作りをしたり気象予報を正確にしたりすることによって,儲かるのは本人じゃないんです.社会が,国家が儲かるから投資してくれてるんです.大学生の頃からスパコンを使ってたら気づきそうなことなのですが,如何せん,大半の親はそういう経験がないから,先端科学が何故あるのかということを実感せずに人の親になる.ということだと思います.
宇宙飛行士だと想像してもらったら良い気がする.宇宙飛行士を自前で育てる,お金を払って息子や娘を宇宙飛行士にしたいって親はいないと思います.ある程度から上のレベルの教育というのは,多かれ少なかれそういうものだというのが,一定以上の教育を受けたら理解できると思うのですが.
4 月 17 日: 1人PI
【単独】京大・西村氏が警鐘を鳴らす「科学力の大低迷」、根本原因の「1人PI」とは? という記事を読んで思ったこと.
ここ数年,環境DNAの人々を横目で見てましたが,所謂小講座でガッツリ自前で,という研究体制ではなくて発展しましたよね.地国地公レベルの准教授あるいは助教や博物館みたいな方々が10グループくらいのコンソーシアムを組んで,新しい分野を構築するとともに成果をガンガン出されて,んで10数年たった今は相応のポストに就かれた.
見てると,メンバー全員がPIなので,論文を出しまくる能力は高い(小講座の研究室だと教育しながらなので,多分論文量産のスピードが出ない).論文が量産されると,環境省とかの大きなプロジェクトを取れるので,今度は順繰りに代表になって,お金にも困らない状況を継続する.
僕,最初にいた(というか留年して居候していた)のが昔ながらの発展後の大隅研とかと似てる小講座だったので(駒場の同じ系に大隅研があった),そのメリットも判るんですが,環境DNAの人々の「ノマド的な量産体制」とは明らかに違ってると思います.まあ,これからノマドからそれぞれが小講座になるのかもしれませんが.
なので,「一人PIのノマド的ネットワーク」があれば,小講座はある意味いらない,とも思う次第.理論物理とか分子シミュレーションだと,そういう感じで量産してる若手がチラホラいますよね.というか宇宙論とかはそうやって昔からやってこられたのですかね.この方法を,みんなが勉強したらいいと思います.
実験系の化学だと,あまりそういう人を見ない.だから,一人PIになってしまったら放射光施設に出入りしろ,とかそういうアドバイスになって,それはそれで正しい解決なのだと思います.バイオでも,環境DNAがうまくいったのは,多分シーケンサーがかなり自動化されていることと(ピペドの数がいらない),半分が情報科学なので,実は実験系化学よりも理論物理に近い形態で研究できるからなのでしょうかね.知らんけど.
最初,僕自身について書こうと思ってて.
30歳で学問的には独立してしまった.分子シミュレーション的には同僚が一人もおらず,同じ会社内にはいたけど研究室は全員実験屋で,人間関係が苦手なので,籠って一人でやってました.お蔭ですごくオリジナルになった.
オリジナル,というのは,小講座でみんなでディスカッションしてしまうと,何がトレンドか,何が忌避か,ということを共有してしまうのですね.分子シミュレーションで典型なのは,「力場」で,「こんな力場使っちゃいけない」ってすぐ言い出す.ま,概ねそれで正しいんだけど,力場って用途によって違ったりするので,本当にそのアドバイスが正しいのかは,意外と定まってない(と僕は思う).理論物理でいうところの「正しくない」は,本当に正しくない,なので,すごく強く言うのですが,力場の選択の場合はそういう厳密性が実はないのですが,そういう風に聞こえる.僕,あの感じがすごく嫌いです.
では,上記のノマド的ネットワークを作れなかった「一人PI」は本当に一人でやってるんですかね.僕の場合は,そうではなく,「めちゃめちゃ面倒くさいトライボロジーのミーティングに10年間出続けた」ということがあります.実際に使える情報ってほとんどないんだけど(だって進捗会の大半の議題は実験の悩みなので),膨大な「耳学問」ができた.これが,今の僕の「商売」に直結してます.
こういう人って珍しいと思う.会社員でもなければ,研究者が強制的に自分と関係ない進捗会議にコンスタントに出席させられるって,あんまないですからね.自由なPIが一番やりたくないことだろうし.でも,アカデミアでも,小講座制の研究室で一人だけ分子シミュレーション屋,という人は増えてきてるので,僕みたいなチャンスは意外とあるかもしれません.って思い至ると,僕の研究室で博士を取った子は,そうやって誰かにお仕えしたら良いんじゃないかと,思い至った.
4 月 7 日: わだつみ
2011 年 10 月 24 日: の日本人 で書いた弦楽四重奏「福島の日本人(仮)」を,宅録しました.
数年前から実家から持ってきて,調整をしておいたヴァイオリンとヴィオラで, やっとカルテットを録音できました. 2021 年には ドビュッシーのピアノ三重奏では,ピアノ,ヴァイオリン,チェロを録音して, 翌年には ヴィオラを直したので,登場人物は揃っていたのですが. なんだかんだ言って,この程度のクオリティでも, フィンガリングとボウイングを決めて練習するのも含めると 2 日かかる. 2 日も連続して休みが取れない. 自分の作曲した曲を「練習」するというのも不思議なものですが.
「すずめの戸締まり」を観ていたら,「わだつみ」というタイトルの方が しっくり来ると思ったので,10 年以上経ってからですが,改題いたします. ってか,本当に私の作曲したものなんてクソみたいな扱いなので (以前のライブ・バージョンは 200 回くらい再生されたのですが 「いいね」が 0 件 笑), 名前を変えようが何しようが,どうでもいいのですが. 自分にとっては,とても大事な曲です.
私は作曲家としては無名なので,仲間も集まらないし, 下手くそな宅録をしないといけません. 本当は,スコアは良く書けたと思っているので,スコアを提供する だけで十分な筈なのですが,実証しないといけない. でも,実証できてないので,「いいね」が 0 件 となります. 多分,若手の研究者やミュージシャンの皆さんとかと同じで,辛いです. でも,この辛さが何十年も続いているわけです.深い苦悩,と言えるでしょう.
こちらは スコアとパート譜. 作曲者のクレジットを入れてくれたらご自由に演奏ください.
3 月 31 日: 水滸伝化?
自分の所属しているor主宰している研究室には「状態」があるのではないか,そして,それは「真っ当な小講座」でない場合は,「山月記」「三国志」「水滸伝」に分類されるのではないか,という話.
今週は,修士学生の研究が土日に進みました.どうやって進んだかというと,月曜打ち合わせのテーマのまとめ資料を土曜日に担当修士2年生クンが送ってくれました.僕と彼の2人でガメてるのは面白くないので,他の系で似たような解析をやってる1学年上の博士クンにも見せて,3人で Slack 上でシェアしました.
そしたら,博士クンが「○○の解析は出来てないよね」って書きました.僕は,まぁ,共同研究先にお見せする初回なので,そこまで解析が終わってなくてもいっか,って思ってました.
これは,前職の会社の部下や今のスタッフ特任教員の仕事の速度についても甘いので,別に学生だからナメてるわけではありません.が,あんま無茶いって心が折れても悪いしな,っと普段から思ってます.先輩と後輩とは,同門なので厳しいのだなと博士クンのコメントを見て思いました.
ちなみに,担当修士クンは,同学年の博士進学を宣言してる2人とは別で修士卒でメーカーに行く予定ですが,かなり一流メーカーの研究開発職に内定してるので,今後も研究で頑張るべき人材です.そう,今は,プロパーの博士課程が2人いて,さらに2人が博士課程進学希望という,以前よりちょっと異なるフェーズに研究室が進化しつつあるのです.
そこで何を思ったかというと,「土日にも仕事してるなぁ」ということ.
これは,人生のフェーズが人それぞれなので,ってことに尽きるかと思います.僕は,学生時代や会社では,かなり余裕ぶっこいて寝て暮らしてたのですが,今が一番真面目に働いています.
といいつつも,洗濯を2回,食器洗いを1回,そして念願の換気扇の掃除をできたので,なかなか「進捗」がある週末でした(笑).飯も作ってるし.
土日もひたすら研究しているという状態は,大学院生の頃はわりと当たり前です.土曜日にゼミをやる先生も工学部では多いように見受けます.情報系はサッパリしています.僕らはその中間なので,人に拠ります.
以前,会社に入ってきた新人の歓迎会をやったとき,ラグビーが大好きな「ボス」が新人クンに,「大学院時代と比べて,うちの会社入って,良かったことは何?(期待してる答えは,設備とか,チャンスが与えられることとか,待遇とか)」って訊いたら,「土日にカッチリ休めることです」って正直に答えて,その場の空気が凍ったことがありました.
僕の感覚だと,企業研究者は土日はオフです.論文を書くのが業務じゃないような職場だと,"自己研鑽" をしてもいいけど.週末に,物理学の本ばかり読んでて,気が付いたらアラフォーを越えてた人を沢山しってます.まあ結婚だけが人生ではない.ともかく,僕は結構,土日は寝てました.
東大教授とかは,死ぬ気で土日も働いてる人が多い気がします.やっぱ日本のトップです.日曜の17時に報告書の締め切りを設定してたり(笑). 彼らに「付き合ってる」という気分で接すると,こっちは大して名誉があるわけでもないのに,そんなに必死に働いてアホみたいな気がしなくもありません.まあでも,同じ規模の研究費をもらってたら,頑張る必要もあるかも,です.
ということで,僕ら先生が土日に必死になるべきかどうかは,微妙です.パーマネントの PI になるまでは大変だけど,もうなったんだし,という考えも成立する.
が,ちょっと思うに.やっぱり,僕の研究室でも東大とかと同じテンションで土日も研究してる大学院生がいるわけです.そういう子が,うちの研究室に集まってきてしまった.パパは,こんなに寝てばかりの人生なのに...
っとすると,最低限,彼らの研究や悩みに付き合う必要はあるかも,っと思った次第.
思い返すと,僕が留年時に所属してた星研は一番まともな研究室で(教授,助教授,助手2名で博士院生も多数),次の槌屋研は助教授の下に博士が4人いて,その他修士や学士がいた(僕は学士として参加してたけど,その後,研究者になったわけで,そういう子が多かった).次の大学院時代の菊地研は僕と先生の2人がデフォルト(途中1年だけ後輩がきて,だいぶ上の先輩も呑み会には来た).
前職では,15人くらいのグループに10年くらいいたのですが,業務としてはほぼ一人だけでやってて,しばらくして後輩と2人になった.これは菊地研状態.というより,孤独をずっと抱えていたと言う意味では「山月記」みたいな状態.次に,鷲津グループになって,僕より賢い ”部下” が2人と派遣社員とポスドクだったので,「三国志」みたいな状態.諸葛孔明と関羽がいるので,僕は人柄だけは劉備玄徳にならないといけない,みたいな.
で,大学に移ってからが微妙で.修士がやった研究は全部僕が論文にしてたので,修士は教育という意味では存在していたけど,研究という意味では微妙だった.社会人博士は,完全にお客様だし.なので,研究の主たる部分は実は,僕自身とポスドクさんたちとで進めていた.という意味では,「三国志」が続いてたようなものだ.
では,最近は,というと.博士が頑張ってくれるようになったので,槌屋研みたいになってきた.これは,中国の古典でいうと「水滸伝」みたいな状態といえるだろうか.
最近,「(お前は地方公立大だが)学生さんたちは役に立つんですか?」と,左に東大教授が2人,右に東大教授が2人,みたいな会合で,真顔で訊かれたことがあります.
「役に立ちますよ」と即答しました.分子シミュレーションは,最近はソフトウェアのコマンドを駆使して答えを出していく,ゲームみたいな側面が強いので,学生の方が良く情報を見つけてきたりするんですよ,っと,ここ8年で認識したことを答えています.
が,それだけだろうか?と最近は思う次第.ついに「水滸伝」みたいになってきたんですよ,っと,落ち着いて考えた結果を答えたい. もちろん,研究室が「水滸伝化」するには時間とかセンスとか運が必要.なので,それまでは,山月記だったり,三国志だったり,いろいろ工夫する必要があろう.着任直後は誰でも山月記ですね,皆さん.藪の中でトラになる.
でも,「定年までずっと山月記でいるつもりか?」というのは,一度考えていただきたいテーマかもしれません.
2 月 4 日: Sugar Cane
2021 年 4 月 11: Songs of Comfort な曲を作った で公開した Sugar Cane ですが,チェロ二重奏に加えて チェロとピアノの版も作りました.
スコア
チェロ譜
も,演奏する際に作曲者(私)のクレジットを入れていただけたら 自由に演奏ください.演奏は,二次創作.
1 月 31 日: 東京都同情塔の感想文
5%は大規模言語モデルを用いて書かれた,というだけの理由で買ったのですが,うーむ,おじさんにとっては「出来の悪い安倍公房」という感じ.ジャンルとしては思考実験小説ですよね.
どっかの書評に「サイエンスライター風の文体」とあったけど,うーむ,そういう感じは全くしない.
どういうところで,そう感じるかというと,これって登場人物のうち一人(建築家)は専門家じゃん.専門家が専門家らしく見えない.この登場人物が,ものを考えている文章の地の文や,会話が,文系的というか情緒的というか,専門家らしくない.思いがあるのは伝わらんでもないけど,リアリティがない.30代の女,としてのそれはあっても専門家としてのそれがない.
もうちょっと専門用語とか語彙とかを拾ってきたらよいのに.僕は高層建築の工法についての博士論文の査読を副査としてしたことがあるんですが,そういう文章から拾ってきたらいいのに,と思うわけです.
もっというと思考回路.今日,交わされた会話なのですが,「今回のイベントの写真を撮った?」と質問された人が「10の2乗のオーダーで撮りました」と答えて,ちょっとウケてました.理系の研究者だったら誰でも即時にわかる,こういう言い方があるわけで.
安倍公房は,そういうところがチャンとしてたというか.さすが医者というか.お医者さんは,わざわざそういう言い方するところがあるじゃないですか.でも,医者をそれっぽく描写するのは文学作品では良くあることで,だったら建築家もちゃんとそれらしくして欲しかった.SF 好きとしては,そこで辛くなってしまう.
あと,アメリカ人のおじさんも出てくるんですが,アメリカ人の思考もなんかリアリティがない.これまた,私ゃ子供の頃アメリカ人だったので,ちょっとだけ判るんですが(関西人の思考についてもちょっとだけ判る,程度ですが),なんか全然違って,テレビで見るアメリカ人が出てくる,みたいな.この人の経歴をちゃんと設定して,たとえばノースダコタで育ったのかサンフランシスコで育ったのかで全然違うわけだけど,そういう造型がない.匂いだけ伝わってくる.こういうのも,限界があるというのは容易に想像できるんですが,今時いっぱい多国籍的な読者もいるわけじゃないですか.良く通ったなぁって(「良く通った」というのも,研究者っぽい言い方).
登場人物のリアリティを定置するって,本当に難しいと思います.僕は詩を書けるけど小説が書けない理由はそれで,登場人物に対する責任を想像すると,無理ムリムリって思ってしまうのです.
通勤や通学で新宿駅を通る,今時の東京人にとってスっと入る小説なのかもしれない.けど,東京ドメスティックじゃない人,ちょっと科学者だったり,ちょっとアメリカ人だったりする人が,僕も日本人だけど,それは今の日本のようで違う,と一言言ってしまったら,価値が半減してしまいそうな弱さを感じるわけです.
文明を語るんだったら,もっと多国籍でテクノロジーの奥に入って,ってのを期待してしまう.文学に対するそういう期待があったから,こういう作品を非の打ち所のないと言ってしまう評論家?選考委員?がいるから,僕は文学系だったのに,科学者のフリをしようと思ったのが高校生くらいの頃.科学者のフリを何十年もしてたら,本当にそうなっちゃった,と,ふと自省してしまった.
念のため付記しておくと,この作品が思考実験小説じゃないというのでしたら,誤読なので,お許しください.もっと作家の感性に近い部分で何かを描写し続けたた方が良いような気がします.偉そうにすみません.
1 月 4 日: 耳の痛い話
本年も宜しくお願いいたします. 研究室のページに載せるネタかもしれませんが, 僕もちょっと意見を述べさせていただきました,材料シミュレーションに関する JST-CRDS 戦略プロポーザルがオンライン化されました.是非ご覧ください.
一番のポイントは人材で,端的にいうと「ハードウェア(京や富岳)の寿命よりも,ソフトウェア(MODYLAS や GENESIS)の寿命の方が長いのに,国プロはハードウェア単位であるため,ポスドクさんたちが困る」ということです.錚々たる面々ですが,皆さん意見が一致してました.
閑話休題. 明日は,研究室のOBOG会なのですが,欠席の連絡をしてきたOBに,今話題になっている大阪のD社(元うちの親会社)の人がいました.で,ふと,職場の4S係を良くやらされていた同僚の話を思い出してメールに書きました.以下.
>部署の4S担当の人(特定の人が能力が高いので仕事が集中してしまうことがある)が昔,飲み会でボヤいてたことがあるのですが,4Sは仕事場の欠点を指摘していく作業なので嫌われる.でも,自分は嫌われたくて指摘してるんじゃない,真面目なだけなんだと.その話を聞くまで,僕も正直,4Sが厳しすぎて面倒臭いなあと思っていました.が,考えを改めました.みんなが,耳の痛いことを言う係の人の意見を聞くべきなのですよね.その積み重ねが,会社の信頼につながると思います.
今年は元旦から大変ですが,皆様のご多幸をお祈りいたします.