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4 月 17 日: 1人PI
【単独】京大・西村氏が警鐘を鳴らす「科学力の大低迷」、根本原因の「1人PI」とは? という記事を読んで思ったこと.
ここ数年,環境DNAの人々を横目で見てましたが,所謂小講座でガッツリ自前で,という研究体制ではなくて発展しましたよね.地国地公レベルの准教授あるいは助教や博物館みたいな方々が10グループくらいのコンソーシアムを組んで,新しい分野を構築するとともに成果をガンガン出されて,んで10数年たった今は相応のポストに就かれた.
見てると,メンバー全員がPIなので,論文を出しまくる能力は高い(小講座の研究室だと教育しながらなので,多分論文量産のスピードが出ない).論文が量産されると,環境省とかの大きなプロジェクトを取れるので,今度は順繰りに代表になって,お金にも困らない状況を継続する.
僕,最初にいた(というか留年して居候していた)のが昔ながらの発展後の大隅研とかと似てる小講座だったので(駒場の同じ系に大隅研があった),そのメリットも判るんですが,環境DNAの人々の「ノマド的な量産体制」とは明らかに違ってると思います.まあ,これからノマドからそれぞれが小講座になるのかもしれませんが.
なので,「一人PIのノマド的ネットワーク」があれば,小講座はある意味いらない,とも思う次第.理論物理とか分子シミュレーションだと,そういう感じで量産してる若手がチラホラいますよね.というか宇宙論とかはそうやって昔からやってこられたのですかね.この方法を,みんなが勉強したらいいと思います.
実験系の化学だと,あまりそういう人を見ない.だから,一人PIになってしまったら放射光施設に出入りしろ,とかそういうアドバイスになって,それはそれで正しい解決なのだと思います.バイオでも,環境DNAがうまくいったのは,多分シーケンサーがかなり自動化されていることと(ピペドの数がいらない),半分が情報科学なので,実は実験系化学よりも理論物理に近い形態で研究できるからなのでしょうかね.知らんけど.
最初,僕自身について書こうと思ってて.
30歳で学問的には独立してしまった.分子シミュレーション的には同僚が一人もおらず,同じ会社内にはいたけど研究室は全員実験屋で,人間関係が苦手なので,籠って一人でやってました.お蔭ですごくオリジナルになった.
オリジナル,というのは,小講座でみんなでディスカッションしてしまうと,何がトレンドか,何が忌避か,ということを共有してしまうのですね.分子シミュレーションで典型なのは,「力場」で,「こんな力場使っちゃいけない」ってすぐ言い出す.ま,概ねそれで正しいんだけど,力場って用途によって違ったりするので,本当にそのアドバイスが正しいのかは,意外と定まってない(と僕は思う).理論物理でいうところの「正しくない」は,本当に正しくない,なので,すごく強く言うのですが,力場の選択の場合はそういう厳密性が実はないのですが,そういう風に聞こえる.僕,あの感じがすごく嫌いです.
では,上記のノマド的ネットワークを作れなかった「一人PI」は本当に一人でやってるんですかね.僕の場合は,そうではなく,「めちゃめちゃ面倒くさいトライボロジーのミーティングに10年間出続けた」ということがあります.実際に使える情報ってほとんどないんだけど(だって進捗会の大半の議題は実験の悩みなので),膨大な「耳学問」ができた.これが,今の僕の「商売」に直結してます.
こういう人って珍しいと思う.会社員でもなければ,研究者が強制的に自分と関係ない進捗会議にコンスタントに出席させられるって,あんまないですからね.自由なPIが一番やりたくないことだろうし.でも,アカデミアでも,小講座制の研究室で一人だけ分子シミュレーション屋,という人は増えてきてるので,僕みたいなチャンスは意外とあるかもしれません.って思い至ると,僕の研究室で博士を取った子は,そうやって誰かにお仕えしたら良いんじゃないかと,思い至った.
4 月 7 日: わだつみ
2011 年 10 月 24 日: の日本人 で書いた弦楽四重奏「福島の日本人(仮)」を,宅録しました.
数年前から実家から持ってきて,調整をしておいたヴァイオリンとヴィオラで, やっとカルテットを録音できました. 2021 年には ドビュッシーのピアノ三重奏では,ピアノ,ヴァイオリン,チェロを録音して, 翌年には ヴィオラを直したので,登場人物は揃っていたのですが. なんだかんだ言って,この程度のクオリティでも, フィンガリングとボウイングを決めて練習するのも含めると 2 日かかる. 2 日も連続して休みが取れない. 自分の作曲した曲を「練習」するというのも不思議なものですが.
「すずめの戸締まり」を観ていたら,「わだつみ」というタイトルの方が しっくり来ると思ったので,10 年以上経ってからですが,改題いたします. ってか,本当に私の作曲したものなんてクソみたいな扱いなので (以前のライブ・バージョンは 200 回くらい再生されたのですが 「いいね」が 0 件 笑), 名前を変えようが何しようが,どうでもいいのですが. 自分にとっては,とても大事な曲です.
私は作曲家としては無名なので,仲間も集まらないし, 下手くそな宅録をしないといけません. 本当は,スコアは良く書けたと思っているので,スコアを提供する だけで十分な筈なのですが,実証しないといけない. でも,実証できてないので,「いいね」が 0 件 となります. 多分,若手の研究者やミュージシャンの皆さんとかと同じで,辛いです. でも,この辛さが何十年も続いているわけです.深い苦悩,と言えるでしょう.
こちらは スコアとパート譜. 作曲者のクレジットを入れてくれたらご自由に演奏ください.
3 月 31 日: 水滸伝化?
自分の所属しているor主宰している研究室には「状態」があるのではないか,そして,それは「真っ当な小講座」でない場合は,「山月記」「三国志」「水滸伝」に分類されるのではないか,という話.
今週は,修士学生の研究が土日に進みました.どうやって進んだかというと,月曜打ち合わせのテーマのまとめ資料を土曜日に担当修士2年生クンが送ってくれました.僕と彼の2人でガメてるのは面白くないので,他の系で似たような解析をやってる1学年上の博士クンにも見せて,3人で Slack 上でシェアしました.
そしたら,博士クンが「○○の解析は出来てないよね」って書きました.僕は,まぁ,共同研究先にお見せする初回なので,そこまで解析が終わってなくてもいっか,って思ってました.
これは,前職の会社の部下や今のスタッフ特任教員の仕事の速度についても甘いので,別に学生だからナメてるわけではありません.が,あんま無茶いって心が折れても悪いしな,っと普段から思ってます.先輩と後輩とは,同門なので厳しいのだなと博士クンのコメントを見て思いました.
ちなみに,担当修士クンは,同学年の博士進学を宣言してる2人とは別で修士卒でメーカーに行く予定ですが,かなり一流メーカーの研究開発職に内定してるので,今後も研究で頑張るべき人材です.そう,今は,プロパーの博士課程が2人いて,さらに2人が博士課程進学希望という,以前よりちょっと異なるフェーズに研究室が進化しつつあるのです.
そこで何を思ったかというと,「土日にも仕事してるなぁ」ということ.
これは,人生のフェーズが人それぞれなので,ってことに尽きるかと思います.僕は,学生時代や会社では,かなり余裕ぶっこいて寝て暮らしてたのですが,今が一番真面目に働いています.
といいつつも,洗濯を2回,食器洗いを1回,そして念願の換気扇の掃除をできたので,なかなか「進捗」がある週末でした(笑).飯も作ってるし.
土日もひたすら研究しているという状態は,大学院生の頃はわりと当たり前です.土曜日にゼミをやる先生も工学部では多いように見受けます.情報系はサッパリしています.僕らはその中間なので,人に拠ります.
以前,会社に入ってきた新人の歓迎会をやったとき,ラグビーが大好きな「ボス」が新人クンに,「大学院時代と比べて,うちの会社入って,良かったことは何?(期待してる答えは,設備とか,チャンスが与えられることとか,待遇とか)」って訊いたら,「土日にカッチリ休めることです」って正直に答えて,その場の空気が凍ったことがありました.
僕の感覚だと,企業研究者は土日はオフです.論文を書くのが業務じゃないような職場だと,"自己研鑽" をしてもいいけど.週末に,物理学の本ばかり読んでて,気が付いたらアラフォーを越えてた人を沢山しってます.まあ結婚だけが人生ではない.ともかく,僕は結構,土日は寝てました.
東大教授とかは,死ぬ気で土日も働いてる人が多い気がします.やっぱ日本のトップです.日曜の17時に報告書の締め切りを設定してたり(笑). 彼らに「付き合ってる」という気分で接すると,こっちは大して名誉があるわけでもないのに,そんなに必死に働いてアホみたいな気がしなくもありません.まあでも,同じ規模の研究費をもらってたら,頑張る必要もあるかも,です.
ということで,僕ら先生が土日に必死になるべきかどうかは,微妙です.パーマネントの PI になるまでは大変だけど,もうなったんだし,という考えも成立する.
が,ちょっと思うに.やっぱり,僕の研究室でも東大とかと同じテンションで土日も研究してる大学院生がいるわけです.そういう子が,うちの研究室に集まってきてしまった.パパは,こんなに寝てばかりの人生なのに...
っとすると,最低限,彼らの研究や悩みに付き合う必要はあるかも,っと思った次第.
思い返すと,僕が留年時に所属してた星研は一番まともな研究室で(教授,助教授,助手2名で博士院生も多数),次の槌屋研は助教授の下に博士が4人いて,その他修士や学士がいた(僕は学士として参加してたけど,その後,研究者になったわけで,そういう子が多かった).次の大学院時代の菊地研は僕と先生の2人がデフォルト(途中1年だけ後輩がきて,だいぶ上の先輩も呑み会には来た).
前職では,15人くらいのグループに10年くらいいたのですが,業務としてはほぼ一人だけでやってて,しばらくして後輩と2人になった.これは菊地研状態.というより,孤独をずっと抱えていたと言う意味では「山月記」みたいな状態.次に,鷲津グループになって,僕より賢い ”部下” が2人と派遣社員とポスドクだったので,「三国志」みたいな状態.諸葛孔明と関羽がいるので,僕は人柄だけは劉備玄徳にならないといけない,みたいな.
で,大学に移ってからが微妙で.修士がやった研究は全部僕が論文にしてたので,修士は教育という意味では存在していたけど,研究という意味では微妙だった.社会人博士は,完全にお客様だし.なので,研究の主たる部分は実は,僕自身とポスドクさんたちとで進めていた.という意味では,「三国志」が続いてたようなものだ.
では,最近は,というと.博士が頑張ってくれるようになったので,槌屋研みたいになってきた.これは,中国の古典でいうと「水滸伝」みたいな状態といえるだろうか.
最近,「(お前は地方公立大だが)学生さんたちは役に立つんですか?」と,左に東大教授が2人,右に東大教授が2人,みたいな会合で,真顔で訊かれたことがあります.
「役に立ちますよ」と即答しました.分子シミュレーションは,最近はソフトウェアのコマンドを駆使して答えを出していく,ゲームみたいな側面が強いので,学生の方が良く情報を見つけてきたりするんですよ,っと,ここ8年で認識したことを答えています.
が,それだけだろうか?と最近は思う次第.ついに「水滸伝」みたいになってきたんですよ,っと,落ち着いて考えた結果を答えたい. もちろん,研究室が「水滸伝化」するには時間とかセンスとか運が必要.なので,それまでは,山月記だったり,三国志だったり,いろいろ工夫する必要があろう.着任直後は誰でも山月記ですね,皆さん.藪の中でトラになる.
でも,「定年までずっと山月記でいるつもりか?」というのは,一度考えていただきたいテーマかもしれません.
2 月 4 日: Sugar Cane
2021 年 4 月 11: Songs of Comfort な曲を作った で公開した Sugar Cane ですが,チェロ二重奏に加えて チェロとピアノの版も作りました.
スコア
チェロ譜
も,演奏する際に作曲者(私)のクレジットを入れていただけたら 自由に演奏ください.演奏は,二次創作.
1 月 31 日: 東京都同情塔の感想文
5%は大規模言語モデルを用いて書かれた,というだけの理由で買ったのですが,うーむ,おじさんにとっては「出来の悪い安倍公房」という感じ.ジャンルとしては思考実験小説ですよね.
どっかの書評に「サイエンスライター風の文体」とあったけど,うーむ,そういう感じは全くしない.
どういうところで,そう感じるかというと,これって登場人物のうち一人(建築家)は専門家じゃん.専門家が専門家らしく見えない.この登場人物が,ものを考えている文章の地の文や,会話が,文系的というか情緒的というか,専門家らしくない.思いがあるのは伝わらんでもないけど,リアリティがない.30代の女,としてのそれはあっても専門家としてのそれがない.
もうちょっと専門用語とか語彙とかを拾ってきたらよいのに.僕は高層建築の工法についての博士論文の査読を副査としてしたことがあるんですが,そういう文章から拾ってきたらいいのに,と思うわけです.
もっというと思考回路.今日,交わされた会話なのですが,「今回のイベントの写真を撮った?」と質問された人が「10の2乗のオーダーで撮りました」と答えて,ちょっとウケてました.理系の研究者だったら誰でも即時にわかる,こういう言い方があるわけで.
安倍公房は,そういうところがチャンとしてたというか.さすが医者というか.お医者さんは,わざわざそういう言い方するところがあるじゃないですか.でも,医者をそれっぽく描写するのは文学作品では良くあることで,だったら建築家もちゃんとそれらしくして欲しかった.SF 好きとしては,そこで辛くなってしまう.
あと,アメリカ人のおじさんも出てくるんですが,アメリカ人の思考もなんかリアリティがない.これまた,私ゃ子供の頃アメリカ人だったので,ちょっとだけ判るんですが(関西人の思考についてもちょっとだけ判る,程度ですが),なんか全然違って,テレビで見るアメリカ人が出てくる,みたいな.この人の経歴をちゃんと設定して,たとえばノースダコタで育ったのかサンフランシスコで育ったのかで全然違うわけだけど,そういう造型がない.匂いだけ伝わってくる.こういうのも,限界があるというのは容易に想像できるんですが,今時いっぱい多国籍的な読者もいるわけじゃないですか.良く通ったなぁって(「良く通った」というのも,研究者っぽい言い方).
登場人物のリアリティを定置するって,本当に難しいと思います.僕は詩を書けるけど小説が書けない理由はそれで,登場人物に対する責任を想像すると,無理ムリムリって思ってしまうのです.
通勤や通学で新宿駅を通る,今時の東京人にとってスっと入る小説なのかもしれない.けど,東京ドメスティックじゃない人,ちょっと科学者だったり,ちょっとアメリカ人だったりする人が,僕も日本人だけど,それは今の日本のようで違う,と一言言ってしまったら,価値が半減してしまいそうな弱さを感じるわけです.
文明を語るんだったら,もっと多国籍でテクノロジーの奥に入って,ってのを期待してしまう.文学に対するそういう期待があったから,こういう作品を非の打ち所のないと言ってしまう評論家?選考委員?がいるから,僕は文学系だったのに,科学者のフリをしようと思ったのが高校生くらいの頃.科学者のフリを何十年もしてたら,本当にそうなっちゃった,と,ふと自省してしまった.
念のため付記しておくと,この作品が思考実験小説じゃないというのでしたら,誤読なので,お許しください.もっと作家の感性に近い部分で何かを描写し続けたた方が良いような気がします.偉そうにすみません.
1 月 4 日: 耳の痛い話
本年も宜しくお願いいたします. 研究室のページに載せるネタかもしれませんが, 僕もちょっと意見を述べさせていただきました,材料シミュレーションに関する JST-CRDS 戦略プロポーザルがオンライン化されました.是非ご覧ください.
一番のポイントは人材で,端的にいうと「ハードウェア(京や富岳)の寿命よりも,ソフトウェア(MODYLAS や GENESIS)の寿命の方が長いのに,国プロはハードウェア単位であるため,ポスドクさんたちが困る」ということです.錚々たる面々ですが,皆さん意見が一致してました.
閑話休題. 明日は,研究室のOBOG会なのですが,欠席の連絡をしてきたOBに,今話題になっている大阪のD社(元うちの親会社)の人がいました.で,ふと,職場の4S係を良くやらされていた同僚の話を思い出してメールに書きました.以下.
>部署の4S担当の人(特定の人が能力が高いので仕事が集中してしまうことがある)が昔,飲み会でボヤいてたことがあるのですが,4Sは仕事場の欠点を指摘していく作業なので嫌われる.でも,自分は嫌われたくて指摘してるんじゃない,真面目なだけなんだと.その話を聞くまで,僕も正直,4Sが厳しすぎて面倒臭いなあと思っていました.が,考えを改めました.みんなが,耳の痛いことを言う係の人の意見を聞くべきなのですよね.その積み重ねが,会社の信頼につながると思います.
今年は元旦から大変ですが,皆様のご多幸をお祈りいたします.